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まっすぐに。

 

「ただいまー。……ってまだ帰ってきてねえか」

 紗枝ねえ、今日は遅くなるって言ってたっけか。

 築三十年、木造二階建て戸建、二階部分の借家、南向き2DK、家賃九万円。

 一般的な少し小さめのアパート。

 靴を荒っぽく脱ぎ、廊下の照明を付ける

 廊下の木の床は劣化のためか、歩くたびに軋む音が鳴る。

 そのまま居間にあたる部屋まで行くと、通学カバンを下ろし、腰を下ろす。

 そして、その場にぐだーっと横たわりうつ伏せの状態で天井を見上げる。

「今日はいろいろあったな……」

 脅迫まがいの恋愛相談、深沢愛梨の乱入、ファミレスでの協定、そして――。


 神坂水名子の実在。


 実在という表現は正しくない表現かもしれない。

 だって、神坂美成子と神坂水名子は同一人物なわけだから。

 でも、確かに神坂水名子という人物はあの場に実在した。

 そして、また支えられた。

 暖かみがある言葉の数々、思わず鼻をくすぐられるような芳しい香り、場の空気感。

 五感のどれを取っても、すべてがあの日と同じようだった。

 身体を起こし、木棚に収納されている一枚のCDディスクを取り出す。

 それは彼女の、神坂水名子のデビューシングルのCDディスク。

 表紙のジャケット写真には初々しさ溢れる彼女が映っている。

 その表情からは緊張しているようにも見えた。

 そんな彼女の顔を見ていると、不思議とつい笑みがこぼれそうになる。

「なんであんなひねくれ者になっちまったんだか」

 ピロン

 そんな戯言を呟いていると、着信音がテーブルから聞こえてくる。

 テーブルに置いていたケータイから鳴っていた。

『みんなー。作戦会議するよ』

 深沢から呼びかけのメッセージ通知。

 帰って間もないはずなのに随分と意気盛んなことだ。

 特に作戦会議の準備をすることはないがふと、喉が渇く感覚に陥る。

 今日は大量に涙を流したせいか、水分を摂取するペースが早い気がする。

「おいしょっと」

 重い身体を立ち上がらせ、とぼとぼと歩き、冷蔵庫を開ける。

「これでいいか」

 と【紗枝里】とマジックペンで書かれているコーラを取り出し、居間のテーブルに置き、腰を下ろす。

「紗枝ねえのこういう健気なところ、意外と好きなんだけどな」

 なぜモテないかは一緒に暮らしていれば半日足らずで分かるが。

 すると、ケータイから通知音がまた一つ鳴る。

「えーどれどれ」

 紗枝里のコーラをなんの躊躇いもなく飲むと同時に通知内容を確認――。


『ちなみに今はお風呂中でーす』

 ぶっふおっっっっっ⁉

「その報告いる⁉」

 しかし、お風呂か……。深沢はどこから洗うんだろうな……。

 いや待て。今想像したら負けな気がするぞ。いや既に負けてるか。

『愛梨、その報告は瀬崎君を興奮させてしまうだけだからやめておいた方がいいよ』

 神坂がすかさず、性事情を突いてくる。

 こいつはまた核心に迫るようなことを……。

『興奮なんてしてないわ。驚いてコーラ吹きそうになったくらいだし』

 断じて興奮はしていないぞ。想像もかろうじてしていない……はず。

『もしかして……瀬崎君ってエッチな人?』

『エッチじゃないぞ、これまでの十八年間、一度も異性にナンパしたことないのがその証拠だ』

『ああー、よかった。なら安心だね』

 文脈からでも安堵していることがひしひしと伝わってくる。ナンパだけで安心しちゃう

 深沢。チョロい……。

『今のだけで信じちゃうあたり、愛梨はオレオレ詐欺で騙されるタイプの人間だね……』

『そうかなぁ……』

 それは一理と言わず百理ある。深沢は人を疑うことをまるで知らなすぎるからな。

『そこで。私に一つ、提案があるんだけど』

『なにか奇策があるんだね!』

 まさか、神坂から話を切り出すとは。一体どんな提案を……?


『三人でお出かけに行かない?』


「は?」

 お出かけ? 三人で?

 それってつまり――

 トライアングルデートッッッ⁉ (トライアングルデートとは?)

「いいね、それ」と賛同している深沢に反し、急いで神坂との個人チャットルームに移動する。

『なんでいきなりデートなんだよ⁉ ハードル高すぎないか?』

『いや、こっちの方が手っ取り早く、グーンと行き過ぎないくらいに距離が縮まるかなーと思って』

 なんとも適当な……。

『「グーンと行き過ぎないくらい」ってどれくらいだよ⁉ 最初はもっとこう、「スーン」って感じの方がなじみやすいだろ!』

『そんな「〇―モ」みたいに言われてもね……それにこれだと愛梨の相談的にも都合がいいんだよ』

「? それってどういう……」

『ほら、説明してあげるから。グループチャットに戻るよ』


『さてさて、なんで三人でお出かけなのかと言うと……これ』

 と、そこに送られてきたのは一つの画像。

 映画のジャケット写真の画像だった。

 タイトルは――。

「雨に濡れる君を何度でも」

 なんだか胡散臭そうだし、意味深なタイトル名だ。

『この映画知ってる! 最近、公開されたドロドロのやつだよね!』

『ドロドロってあんまり印象良くないな……』

 なんでもはっきり言う深沢の口から、そんな単語が出てくるということは相当な代物なのだろう。

『そう、まず大前提として、この映画は主人公がデリカシーの欠片も持っていないダメ人間という設定なの。そして、そのダメ人間主人公が二人の女性と二股する最低最悪なヒヤヒヤ恋愛映画なんだよ』

『不倫モノかよ⁉ タイトル良さげなのに主人公の設定で台無しだな⁉』

 しかも、二股って……。こいつ狙ってんのか? 僕はそんな薄情なしじゃないからな。一途で純粋な恋せよ男だからな。

『で、なんでこの映画を観に行こうと思ったんだ?』

『それは、もちろん。君たちの境遇にピッタリな内容だったからだよ』

「……⁉ 神坂は何を考えているんだ……?」

 主人公が二股する恋愛モノの映画なんて僕からしてもマイナスなイメージを持たせるだけだ。まぁ、別に僕は二股なんてしてないし、全然気にしないけど。

 だが、一番の問題は僕ではない。

 主人公は二股している時点でおそらく、デリカシーの欠片もない最低野郎設定というものが存在する可能性が高いだろう。

 そして、そんな設定は深沢からしたら、一番ドストライクでマイナスなイメージを持たせてしまう恐れがある設定なのだ。

 だが、神坂もそれは把握しているはずだ。

 そのマイナス面を飲んだうえで、この提案を話しているのだろう。

『そんなマイナスなものを観たら逆効果じゃないのか?』

 だからリスクを犯してまで遂行する、根拠となる理由を聞かなければ納得はできない。

『そうなるかもしれない。でも、こういう考え方もできる』

『逆思考効果。逆にマイナスなものを観ることによって、自分にとって足りない部分、ここが悪い部分と気づくこともできるかもしれない』

「そういう考え方もあるのか……」

 逆思考効果というのはよくわからないが、確かにその考え方であれば、リスクは背負うことになるが、克服できる可能性は十分にある。

『自分の改善点を効率よく見つけられるってことか……』

 神坂の言う通り、映画の主人公を仮に自分として映すことにより、主人公が悪い行動をするたびにそれがきっかけとなり、自分の悪いところ、嫌なところ、そういった諸々の部分の自分を見つめ直すことができるかもしれない。

 しかし、その逆の発想はなかった。神坂も意外と考えてくれているんだな。

 そう思うと、つい口元が緩みそうになる。

 しかし、それには避けられない一つの懸念点が存在する。

『その案はいいかもしれない。が、その映画を観て深沢は耐えられるか?』

 そこが一番の懸念点だ。

 主人公を自分と仮定して見つめ直すのはいい案だ、だが、その主人公の非道な行いを観て、自分自身の精神が耐えられるのかが一番の問題だ。そこができなければ何も得られない。また、マイナスな思想を持ってしまうだけだ。

『うん。自分が耐えられるかどうかなんて、正直わからんないや』

 文脈からでも伝わる、寂しさを感じさせるような一言。

 基本、能天気な性格の深沢ですら簡単に受諾できないのは、きっと自分と向き合うことがどれだけ難しいことか知っているからだろう。

『それでも』

 だけど思っていたより、決断は早くて。


『あたしは、あたしと戦いたい』

 深沢愛梨はどこまでも自分自身に【まっすぐ】な女の子だった。

 その文からは深沢の強い覚悟が伝わってくるようだった。

「あ……」


 やっぱりすごいな、深沢は。

『……覚悟はできているんだね』

『うん。それに友達もこの映画面白いって言ってたからたぶん大丈夫!』

「まったく。能天気なことだな……」

 それも実に深沢らしい。

『じゃあ、日程はどうする? 愛梨は確か部活があったよね?』

『うん。毎週日曜日にあるから土曜日がいいかな』

『分かった。じゃあ今週の土曜日の十三時で。チケットは私が取っておくから』

 今週の土曜日は、と。三日後か……。

「三日後ッ⁉」

『随分と急じゃないか? もう少し後でも……』

『もう映画公開してから結構日にち経っちゃってるから、早めに行かないと映画終わっちゃうんだよ』

『そういうことか。まあ、それなら仕方がない、か……』

『瀬崎君、なにか困るようなことでもあったの?』

『いや、そういうわけじゃないんだ。気にしないでくれ』

 ただ緊急というだけで。

『そっかー。で、話変わるんだけど、あたしのぼせちゃうからそろそろ……』

「のぼせちゃう?」

 あ……。そういえば深沢はお風呂中って言ってたか。

 時計の針は先刻から針が四マスほど移動していた。

 もう二十分は話していたのか……。

 きっと、深沢はサウナとかでも強いタイプだな。

『それじゃ、今日はここらへんでお開きにするね。また明日』

『うん! おやすみ~』

『おう、おやすみ』

 しかし、三日後か……。服装のことやら、何を意識すればいいのか、待ち合わせ時間は何分前に行った方がいいのか。そういった諸々のことを()()()にレクチャーしてもらわないとな……。



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