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神坂水名子という存在

 

 空全体がオレンジ色に染まる夕暮れ時。

 目下の地面には人影が二つ映っていた。

「なんでついてくるんだよ」

「私もこっちが帰り道なんだよ」

 僕の右横約一メートルほどの距離を開け、長い足で歩く神坂。

 会話の通り、僕に用があるわけではなく、単に帰り道が一緒というだけらしい。

 電車までは特に何とも思っていなかったが、まさか降車する駅まで同じとは……。

 創墨高校の最寄り駅からここの駅までの通電時間は約四十分にも及ぶため、創墨高校の人間でここの駅から通っている人間はまず少ない。

 そのため、まさかここまで帰路の道が一緒とは思ってもいなかった。

 だから、「実は隣の部屋に住んでましたー」なんてオチをつい、考えてしまいそうになる。期待はしてないよ。いや本当に。

「もしかして隣の部屋に住んでたとかオチないよね?」

「安心しろ。そのネタはもうやった」

 考えることは同じらしい。

「しかし、あの子があそこまでグイグイくる子だとは思わなかったなぁ……」

「ああ、深沢のことか? 深沢は基本、情熱的な女の子だからな」

「情熱的って。運動部の部長かっての……」

「いや、実際バスケ部の副部長だぞ」

「知ってた。ああいう子は一目見ただけで運動部って分かる」

 抜かりない観察能力なことで。

 結局、その情熱的な女の子とは見事に連絡先を交換することができた。

 そして、三人でのトークグループを作り、そこで深沢の相談に対して、今後の対策を練ることになった。

 連絡先も交換でき、深沢の助けにもなれる。

 まさに一石二鳥だ。

 まあそれはいいんだが。

「神坂。お前、僕の恋愛相談も忘れてないだろうな」

 本来の目的を忘れてしまっては困る。

「ああ。君とハンバーグステーキの恋路のことかい?」

「なんでハンバーグステーキと恋することになってるんだよ」

「えー? だって、あんなに欲しがってたから」

「いや確かに欲しかったけどね? 食べたかったけどね?」

 仮にもしハンバーグステーキと付き合ったら、最終的に彼女を食べることになっちゃうだろ。

 いやそういう問題じゃないけども。

「……わかってるよ。ちゃんと進行してるじゃないか」

 神坂はこれみよがしに得意げな顔立ちを見せる。

 流れに流されるがままだった気もしなくもないが。

 まあ形としては一応、進行できてはいる。

 だけど――。

「まさか、こんなことになるとはな」

 僕の恋愛相談に加え、まさかその意中の相手である深沢の相談も並行して進行することになるだなんて、昼、屋上への階段を上っていた時の僕は微塵も予想していなかった。

 だが結果的には、深沢と数ヶ月ぶりにお近づきになれたし、一年前の恩を都合よく返せるチャンスにもなった。

 もう十分、神坂には感謝しなければならない。

 しかし――。

「一つ聞いていいか?」

 これまでのことを振り返ると、神坂美成子に対して、どうしてもある一つの違和感を覚えざるを得なかった。

「神坂はなんで深沢の相談を素直に受けたんだ? いつもだったら断ってるはずだろ?」

 神坂美成子という人物は他人には極力関わらない。

 仮に関わったとしても冷たい態度で相手を突き放すはずだ。

 だから深沢が自分のことを名前で呼んでと促した時も、神坂ならば素直に受け入れず、名前では呼ばないと思っていた。

 そもそも深沢の相談を受けないんじゃないかと思っていたほどだ。

 そんな彼女がなぜ、この相談を受けたのか。

 その違和感だけは拭えなかった。

「君、私のことをそんな冷酷な最低女だと思っていたの?」

 先ほどとは打って変わって強い口調。

「実際、他の人には冷たいし、冷暖歌姫だもんな?」

 圧力に怯えて、思わず口にしてしまう。

「冷暖歌姫ね……確かにそうかもしれない、けど――」

 彼女は歩いていた足を止める。

 そして――。

「彼女は……信頼できるに値していた、ただそれだけ……だと思う」

 実に曖昧な言葉を返した。

「だと思うって。なんだかよくわからん回答だな」

「私にもわからないんだよ」

 なんだそりゃ。やっぱりわからんな。


「じゃあ、次は君の番ね」

 人差し指で突然、顔を指される。

「というと?」

 皆目見当もつかない。……というわけではないが。

「例の件事件って何のことか教えてもらってもいいかな?」

「あー、例の件事件ね」

 やっぱり聞くよな……。

「場所、変えないか?」


 ※ ※ ※


 近くの公園のベンチに二人隣りで腰掛ける。

「こんなひとけのない公園に連れ込んで私に青姦でもしようというのかい?」

「青姦、ね……」

「え、今のは冗談なんだけど……」

 両手を構えのポーズをして戸惑いの様子を見せる。

「なにもしたりしねぇよ」

「……そんな深刻な話なのかな?」

 軽く弾んだような声で神坂は問いかけてくる。

「例の件事件っていうのはな――」

 僕にとっては忌々しい事件。事件当時に学校内で、広まりに広まった噂の内容について簡単に神坂に語り始める。

 例の件事件。ちょうど一年前頃に起きた事件。

 名前の由来はその単語を直接的に言うのが非常識ということから例の件と呼ぶことになったらしいが、包み隠さず言ってしまえば「レイプ事件」だ。

 噂による事件の内容は一人の女子高生をホテルに連れ込み、男三人組が集団レイプするという卑劣で最低な性的暴行な内容。

 事件自体は隣の部屋にいた人が異変に気付き、すぐに110通報で警察を呼び、事件は未遂に終わった。

 被害者は服を脱がされた程度で身体に害はなく、無傷で済んだ。

 その被害者の女子高生はうちの高校、創墨高校の当時一年生の女子生徒だった。

 そしてその事件には創墨高校の在学生がもう一人関わっており、それは男三人組のうちの一人だった。

 レイプ魔の一人が創墨高校の在学生という事件の噂は事件後の翌日から瞬く間に学校中に広がっていき、それはとどまることを知らず、区域全体にまで噂は広がっていった。


「で、その事件が君と一体なんの関係性があるというのかな?」

 話を聞いた彼女は泰然たる態度で、白々しく口走ってくる。

「いまのを聞いて察しろよ」

「察せなかったから、聞いてるんだけど?」

 軽い口ぶりで尋ねてくる。

 わざとらしく言うなよ。わかってるくせに。


「俺が……容疑者の男三人組の中の一人ってわけ!」

 自分でも抑えきれないほど感情が高ぶり、声を荒げる。

「へー、そうなんだ。それより君……俺とか言うんだね? なんか違和感かも」

「そんなことどうでもいいだろ」


 あの頃は周りから白い目で見られるのが当然だった。

 周りからの嫌がらせ、嘲笑、軽蔑なんて当たり前だった。

 それなのにこいつは――。

「お前、レイプ魔だぞ? なんでそんな簡単に流すんだよ⁉」

 なんでそんな顔できるんだ。

 気を遣うな。

 見下すように罵れ。

 いつもみたいにあの冷たい瞳で軽蔑しろ。

「だって――」

 そんな嘘つきでどうしようもなく愚かな男の期待を――。


「君がそんなことするわけないでしょ」

 彼女は見事に裏切った。

「え……」

「どうせ早とちりした誰かが勝手に流した事実無根の噂でしょ。悪いけど、私、そーいうの興味ないんだよね」

 こいつ、何言って――。

「私さ、その人の性格見れば本当か本当じゃないかすぐ見抜けるんだよ」

「どういうことだよ……」

「単純なことさ。人という生物は基本的に仕草、言動、行動から自然と性格は見えてくるものだからね。工夫して観察すればどういう人間か把握することなんてそう難しいことではないよ」

「そんな馬鹿なこと――」


「できるんだよ。君は臆病でヘタレで考えが単純だからすぐどういう人間か見抜けたよ? まあ愛梨は見抜けなかったけど……」

「もし、それが本当だとしても俺は……」


 やめろ。

 言うな。

 それはお前の私情だぞ。

 今は関係のないことだ。

 それを言ってしまったら、お前は――。


 だが、抑えきれないほどに高ぶってしまった感情は止まることを知らなかった。


「君のことをあの歌手の神坂水名子だということも信じてないんだぞ!」

 ――神坂美成子を否定することになる。


「…………同じ顔で同じ声なのに?」

「そうだ。俺は君のことを神坂水名子と同一人物だとは思っていない」

「君もそんなことを言うんだね」

「ああ言うさ。何度だって言ってやる。あの一年前の雪の日、俺に救いを与えてくれた女の子はもっと優しくて暖かくて全部、全部、大丈夫だって俺のことを包んでくれた‼」

「それなのに君は冷酷で、強欲で、傲慢で、クラスからもわざと嫌われるようなことをして……。嫌われるってことがどんなことか知ってるか⁉ 辛いことなんだぞ‼ それを君はどうして……」

 ああ。俺、なに言ってんだろ。

 彼女は肯定してくれようとしていたのに俺は自分を否定し続けて、ついには彼女までも否定し始める。

 本当に最悪で最低だ。

 けど、仕方のないことだったんだ。

 だって、俺にとって彼女はかけがえのない……。


 突然、その瞬間、全身に悪寒が走り、思考が凍り付くような感覚に陥る。

 一瞬、自分の身体に何が起きたのか理解が追いつかなかった。

 原因は明確にわかっていた。

 曲が流れ始めたのだ。

 それも、ギターもベースもドラムもピアノもなにもない歌声だけの曲が。

 正しくいえば、流れ始めた。ではなく、歌い始めた。

 そう、その音源は音楽プレーヤーからでもなく、ケータイからでもなく、神坂美成子の声帯から歌声が発せられていたのだ。

 歌い始めた曲は、彼女のデビュー曲。

 すなわち、翔が水名子と初めて出逢った、あの日に歌っていた曲。

「……っ」

 曲のワンフレーズ目から凍り付いていた思考は段々と灯を浴び、少しずつ徐々に溶けていくようだった。

 その曲は歌声だけにも関わらず、綺麗で、切なくて、度し難くて、寂しくて、けど暖かくて、あの寒い日と同じように、僕を包むように、許してくれるように、解き放ってくれるように、やさしく安心させてくれた。

 懐かしさを感じずにはいられず、目頭が熱くなっていき、心臓の鼓動が早くなっていく。

 そして、一曲を歌い終えた彼女ははっきりとした物言いで。


「私は神坂美成子。……私は君を信じるよ。君は――」

 本当に……彼女は……神坂美成子は……僕をどん底からすくいあげた、あの――。


「そんなことをする人間じゃない」

 ――神坂水名子なんだな。


「なんの確信も確証もないくせに」

「私の直感という確信的な確証がある!」

「あほくさ」

「あほくさいとは失礼だね、これも私の能力であって…だ、ね……」

 異変に気付いた美成子は言葉を詰まらせる。


「ほ…んとおに…あほ…く…さい」

 耐えられずにぽろぽろと目から雫が零れ落ちていく。

「おいおい。男の子が女の子の前で泣くんじゃないよ」

「う…く……ちげえよ……陽が目に染みんだよ……」

「そんな言い訳する人初めて見たよ……まあ、そういうことにしといてあげよう」


 外はすでに陽が沈みかけていて、街灯が物淋しく周りを照らしている。

 そんな中、座った状態のまま身体を丸めている情けない姿の翔を美成子は慰めるわけもなく、落ち着かせるわけでもなく、ただ、その場で受け止めるように見守っていた。


 否定してくれたことへの感謝の涙もあったかもしれない。

 けど、それだけではなく、

 違う意味も成している涙。

 それを言葉で表現するにはあまりにも不甲斐ないもので。

 けど、もし抽象的な言葉として表すならば――。


 忘我な光となる存在が見せた、温もりからくる安堵感。

 それに対しての涙があった。


 彼女は消えてなんかいなかった。


 ※ ※ ※


「君のせいでもう真っ暗だよ」

 真っ暗で上を見上げると星が見えた。

 携帯端末の画面を見ると時間は夜の八時を過ぎていた。

「仕方ないだろ。地面に居た蟻が可愛かったんだから」

「君の言い訳はいつも無理な傾向があるね……」

 それは自負している。

「でも、本当のことは聞かなくていいのか?」

「本当のこと? あー、なんたら事件のことね。悪いけど興味ないからいいかな。お互い様だし……」

「ん? お互い様ってどういう……」

「あ、私の家ここら辺だから」

「おお、そうか」

 ここら辺が家ってことは店からそんなに距離はないな。

「今日はなんか……迷惑かけたな」

「そう素直にならないでくれ。なんか……照れるじゃないか」

「それは頬を紅く染めてから言おうな」

 無表情で言われても怖いだけだわ。

「そんじゃまた明日、学校でな」

「ん? 明日じゃなくて今日だよね?」

「今日?」

「メッセージ。もちろん相談の作戦会議はやらないとね?」

 ああ、そういえば連絡先交換してたな。

 しかし、やる気満々なのはいいことなのだが、こうもやる気がありすぎるのも逆に違和感を覚えるな。

 一応、神坂に脅迫まがいのことをしたのは僕のはずなんだがな……。

「はいよ。じゃあまた後でな」

「うん。また後でね」

 神坂の後ろ姿に自然と自分の右手が左右に振られる。

 はっ。癖で一瞬、手を振ってしまったが、バレてないよな?

 と神坂がいるはずの正面を向くと、片方の手で笑いを堪えている口元を隠しながら、手を振り返してくる神坂の姿が見えた。

 バレてた……。

 まぁ、今日はいろんなことがあったからもうなんでもいいか……。

 と賢者の気分になりつつ、帰路に着いた。



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