始まりではなく、きっかけを告げる日
「……て。私は必ず……」
季節外れの雪景色。
またこれか。
でも、どうしてだろう。声がよく聞こえない。
大切な思い出のはずなのにうまく再生してくれない。
それはきっと、消えてしまったからだ。
言ってしまえば、これは、どうしようもなく初志貫徹な方便物語。
プロローグ
「そんな難しい話じゃないだろ」
「難しいですよ、なんですかレジ点検って。先輩の中の私への認識を一度点検した方がいいんじゃないですか?」
「お前な……。働き始めてから一年経つってのにレジ点検もできないようじゃ、後輩が入ってきても先輩店員にはなれないぞ」
「先輩にならなくていいですー。私は一生、楽して生きていたいたちなので」
全く、こいつは……。
「しかし先輩」
「なんだ」
「今日も、暇。ですね」
窓の外を見つめながら、つぶやいた一言。
その言葉からは、現実という名の鬱に、憂愁を感じているように見えた。
「まあ……そうだな」
そして、それを聞いた自身も、似た感情を抱いてしまうことに、引け目を感じるようであった。
夜はまだ冷え込む四月初旬。
午後八時のコンビニエンスストア店内に客の姿はなく、静かに流れる機械の駆動音がより一層寂しさを感じさせる。
「先輩、なんだか退屈してます? 何か振られるようなことでもあったんですか?」
「告白すらしてないし、なんですでに振られてるのが前提なんだよ」
というか、お前の意地の悪さに呆れているんだが……。
「だって、先輩モテなさそうだし」
「事実を的確に言うんじゃない」
しかし、確かに退屈ではあった。
厳密に言ってしまえば、退屈なんてものはとうに超越していて。
現状に焦燥感を感じざるを得なかったのだ。
それは僕、瀬崎翔が明日から高校三年生になるにも関わらず、今までの二年間、青春の思い出と呼べるものをいっぺんの欠片も感じさせない残念な学生生活だったというのが原因と思えた。
放課後イベントも夏休みイベントもクリスマスイベントもお正月イベントも全て無。
「先輩、レジ!」
でもきっと、そんな青春皆無の学生生活なんかではなく。
それと同様か、もしくはそれ以上に、僕を退屈にさせている理由はもう一つ、明確にわかっていた。
だが、わかっていたところで、その二つの問題は簡単に解決できるものじゃないこともわかっていた。
それは不可能とまで言えてしまうほど、難しいもので。
「はい。お待たせし……ました」
だから到底無理だと思っている。
いや、この時までは確かに思っていたはずだった。
目の前の光景を目にするまでは。
待たせていたレジに視線を向けると、そこには一人の女性がいた。
漆黒色のロングに凛とした冷たい瞳。
黒いTシャツの上に黒いライダースジャケットを羽織り、スラっとした長くて細い足にピッタリフィットしているスキニーパンツ。
なんの変哲もない、普通にスタイルがいい女性。
だけど、見覚えがある女性だった。
いや、見覚えほどではない。
きっと、その正体には、心のどこかでなんらかの確信を得ていた。それは、かつて自分を救ってくれた存在――。
「あの! もしかして――」
別になにか用件を言おうとしたわけではない。
ただ、直感的に声をかけてしまっていた。
だが刹那、彼女が購入するはずのレジテーブルに置いてある商品が視界に入る。
そのとき、思考回路が一時停止した。
なぜなら、彼女が購入するはずのレジのテーブルの上には――。
0.02㎜の避妊用コンドームが置かれていたのだ。
「……⁉ し、失礼しまーす……」
狼狽している余裕もなく、とりあえずバーコードを読み取ろうと商品を手に取る。
しかし、商品を持つ手は震えに震えまくる。
もちろん頭はパニック状態。
はたから見れば、あられもない挙動不審な姿になっていた。
言ってしまえば――きょどっていた。
これで動揺しない方がどうかしてるというものだ。
補足だが、断じて0.02という数字に動揺しているわけではない。
物に動揺しているのだ。
スキャナーを持つ手は未だ小刻みに震え、バーコードをスキャンすることすら適わない。
この様子を隣のレジから後輩が憎たらしく、クスクスと嘲笑っているのが容易に想像できる。
肝心の購入者はというと、胸元の下で腕を組み、心の内なんてとても読めそうもない無表情を貫き、遅いレジ操作を待っていた。
「い、一点で555円になりま~す……」
やっとスキャンできた。と安堵するのも束の間。
「電子マネーで」
追い打ちをかけるかのように、次の行動を求められる。
単調な囁きは見た目通りのクールさで、イメージのまんまだった。
緊張して頭が回らなくなってきたのか、電子決済のボタンの配置の記憶さえ、あやふやになりつつある。
でも、やっぱり――。
そんな状態、状況の中でも男は、不思議と矜持に満ちた確信を密かにした。
「ピピッ!」とレジから電子マネー決済完了の音が鳴る。
もうすぐ会計が終わる。
当たり前のことだが、それは彼女がこの場からいなくなってしまうことを指す。
僕は、彼女に伝えたいことが数えきれないほどにあった。
あの時、言いそびれたことも。
君にあんなことが起きた、今だからこそ、この気持ちを伝えたい。受け取ってほしい。
それにこの機会を逃せば、もう二度と直接話す機会なんてないかもしれない。
そう思うと、勝手に口が動いていた。
「ちょっとまって‼」
呼び掛けに反応した彼女は止まり、おそらく首だけ振り返った。
おそらくというのは実際に見たわけではないからだ。
顔を直になんて見れるはずがなかったのだ。
この気持ちだけは――。
「……あのとき、もうダメだと思っていた。いや、たぶんもうダメになっていたんだ」
それはある雪の日の記憶。
「暗がりの中、誰も信じられなくて、辛くて、苦しくて、怖くて、涙はもう出ないくらいに枯れていて」
君と出逢った初めての日のことを頭に思い浮かばせて。
「そんなとき、君が、道を切り開いてくれた。君が、僕を……導いてくれた」
「だから、僕は――」
「君に感謝してもしきれないくらいの気持ちがあるんだ」
……って何を口走っているんだ⁉
冷静に考えたら誰かも知らん奴が「感謝してます」とか謎の告白したヤバい人じゃないか⁉
僕のことを認知しているわけもないのに、僕は一体なにを言っているんだ……。
その告白された張本人はさっきから呆然と立ち尽くしたまま硬直状態。
これはもう沈黙選ばれて無視されて終わるオチが見えたな……。
しかし、現実は予想を裏切る。
「………………よ」
「え、いまなんて――」
「ありがとう、だよ!」
長い髪がなびき、
全身を振り返らせながら。
驚いているような、照れているような、でも嬉しそうに。
まるで花が咲いたような。そんな満面の笑みで彼女はそんな言葉を口にした。
あんな顔するんだ……。
もちろん似た表情は何度か目にしたことはあった。
でも、その時の表情はいつも見せていたものとは違っていたように見えた。
そんな彼女の笑顔に見惚れている僕もいたかもしれない。
だがそれ以上に、彼女が初めて見せた一つの表情に驚きを隠せなかった。
その後、彼女は背中を向け、購入した避妊具を手に急ぎ足で店内を後にした。
「で、結局誰だったんですか? あの人」
「…………」
「先輩? 急に黙り込んで、どうかしたんですか?」
「お、おう。そうだな、聞いて驚け。あの人はな――」
翌朝。
「今日から入ってきた転校生だ」
担任のけだるい掛け声とともに教室に入ってきたのは女子生徒。
身長は高めで雰囲気は少し大人びていて制服を着ていることに思わず違和感を覚えてしまうような黒髪セミロング。
それは最近、というか昨日、目にした覚えのある容姿――。
「神坂美成子です、よろしく」
僕を救った彼女、神坂美成子は、僕が在学している高校、創墨高校に転校してきた。
展開がベタだって?
仕方ないさ。これが現実だ。
これは始まりではなく、きっかけ。
そして、【青い】群像劇のはじまり。