9話
先日、石川県金沢へ行って来ました。楽しかったヽ(*´∀`)ノ
テーブルのひんやりとした感触がなんだか心地よい。身体から生じた熱が緩やかに抜けていくようだ。凛は未だにテーブルに突っ伏していた。
飛んでくる様々なボケに対し、記憶の中に眠る知識から適切な情報を汲み上げ、切り返しの言葉を組み上げる作業に脳をフル回転させていたのだ。凛の脳に負担をかけるのには十分だった。
「ほら、新歓は始まったばかりだぞ。寝てる暇はないぞー」
「ハイハイ、わかりましたよ」
「可愛くないぞ〜、後輩くん!」
まったくこのひとは……。
優愛がゆっくりさせてくれるはずもなく、頭をわしゃわしゃとなでまわしてくる。
その手をそっと払い除け、ぐしゃぐしゃに乱れた髪を整えながら、仕方なく上体を起こした。
「一旦落ち着いたところで改めて席替えしたいと思いまーす。とりあえず優愛先輩と加藤くんを先頭に各列奇数の位置の人同士入れ替わってください。新しく隣同士となった人と話してみましょう。そのあとは自由に移動してもらって大丈夫でーす」
凛は新たに真姫奈と天音の間に収まっていた。優愛や菫に比べ、真姫奈と天音との絡みは初めてだ。真姫奈は顔を一度合わせただけでちゃんと話しておらず、天音に至っては今日が初対面。
ふたりの先輩に挟まれる形となった凛。
真姫奈はいつの間にか戻ってきた裏切り者の時雨となんだか盛り上がっている。どちらもアートが好きと言っていたので気が合ったのだろう。
まずは天音とチェルシーの方に混ざることにした。
「俺もご一緒していいですか?」
「どっどうぞ」
「よろしく〜」
普段からあまり人と接するのが苦手な天音は新入生たちと話すのにも緊張した様子だった。
天音とは対照的にチェルシーはフレンドリーで緊張している様子はない。
あっさりと受け入れられ、ほっと胸をなで下ろした。
「彩峰くんノリノリだったね」
「いやぁ、内心冷や冷やしてましたよ」
「私なら先輩たちにあんな風にツッコミなんてむり。普通に感心したよ」
評価は上々だ。先程のボケ処理の数々で凛の株が急上昇したようだ。褒められたことが何だかこそばゆく、頬をかいた。
「でもそっちはめちゃくちゃ悪ノリしてたよね?」
「???」
「いや、何が?みたいに首傾げてもバレてるから!受難の件も 切腹を迫ってきたのもニーチェの話も。あと祈り出したのもな!」
チェルシーはまた可愛く小首を傾げた。この感じを通す気らしい。パワープレーにも程がある。
「そんなことより、リンはヨーロッパの哲学や宗教に興味があるの?」
「それを聞くということはやはり、お前か」
「おっと、ニホンゴムズカシイ」
「出た!外国人特有の逃げ口上。さっきまでペラペラだっただろ。まったく都合のいい仕組みだなぁ」
チェルシーと優亜はどこか似ている。
話していると何故かツッコミをやらされる羽目になる。からかったりボケたりとこれが女たちなりのコミュニケーション方法なのだろう。
ふたりとも距離感がバグっている気がするが考えるだけムダだ。
「でも一年生で色々知ってるのは結構すごいかも。私はニーチェも聖書の内容も大学生になるまで知らなかったよ」
少し喧嘩のように見えたのか、話題を変えるように天音は言った。
「まぁ、漫画やアニメからの知識なのでそんな大層なもんじゃないです」
「それでも知ってることがやっぱりすごいと思うなー」
「そうやってほめてもらえるのはうれしいけどなんか照れますね。俺、ちょっと御手洗行ってきますよ」
「どうぞ、行ってらっしゃい」
「いってらー」
ひらひらと手をふるチェルシーと天音に見送られながら凛は席を立った。
◇◇◇
凛がトイレに立った頃。
時雨は真姫奈と好きな絵画の話で盛り上がっていた。
「鷹藤先輩、美術館で何を見るのが好きなんすか?」
「一番は西洋絵画かな。加藤君は?」
「難しいっすね。絵も彫刻も好きですけど芸術全般好きなんすよ」
「それは良いね。どんなジャンルでも楽しめるってことね。ちなみに美術に興味を持ったきっかけは?」
「昔、中学のときに親にイギリスに連れてってもらったんですよ。んで、そのとき大英博物館とかナショナル・ギャラリーに連れてってもらって見たギリシャ彫刻とかゴッホのひまわりが衝撃的で、色使いとか筆の線だったり力強さとか。何千年も前にこんな精巧なものを作れるんだとか。それが忘れられなくて、ゴッホの事とか印象派のこととか彫刻のことを自分で調べたり、展覧会見に行ったりするようになったらどんどんハマって」 「私も特別展に行ってひまわりを見たとき、色彩、存在感、全てを言語化するのは難しいけれどゴッホがひまわりに抱いた憧れの様なものを感じた。素晴らしい絵画よね」
「ですよね。解釈は人によって違うとは思うんですけど、太陽に向かって凛と立つ姿にゴッホは自分の在り方を想像してたんじゃないかなって。堂々と胸を張って生きるみたいな」
「私はこうも思うの。ゴッホはひまわりのように生きたかったのではないかって。日を浴びて、咲き誇るひまわり畑。画家として輝き、仲間と寄り添いながら芸術を語り合う。そんな生き方の理想としてひまわりを愛したのではないかって」
「なるほど……。理想の人生ですか」
「何だか意外。加藤君とこんなに美術の話で盛り上がるなんて」
「やっぱり、似合わないですかね?」
「そんなことない。好きなことについて話せるのは嬉しいから。ゴッホがゴーギャンとの日々を大切に思っていたようにね」
「最後は喧嘩別れするんすけどね」
「ふふ、そうね。加藤君も言ったように解釈の違いや価値観の違いで意見が別れることはあるかもしれない。でも、それは芸術が好きだからこそ。だから、芸術が理由で嫌い合うなんてことはないわ。もっときっと別の理由。ゴーギャンだって、ゴッホだってそう。芸術のせいじゃない。ふたりは別れた後も絵を描き続けたのだから」
「そうっすね」
同好の士と呼べる人物は今まで現れなかった。そのため真姫奈はこうして絵画や美術について話せることが嬉しかった。それはまた時雨も同じで、賢人会に入った甲斐は十二分にあったのだ。
「よかったら今度一緒に展覧会、見に行かない?」
「それはデートのお誘いっすか!?」
「ふふ、そうね。男女で出かけるのだからデートと言えば、デートね。でも、あんまり勘違いをするとお別れの理由になってしまうかもしれないから気をつけてね」
「ぐっ、気を付けます」
「ふふ、よろしい。でも、未来は分からないものね。ゴッホの絵画がこんなに脚光を浴びることになるなんて誰も想像しなかったみたいに。ゴッホ本人も含めてね」
「く〜。先輩、その言い方はずるいっすよ。可能性があるみたいにきこえるじゃないっすか!そうやって幼気な男子を惑わせて、楽しいっすか?」
「楽しいかも。それに私は可能性は決してゼロにはならないという話をしただけよ。それが清浄の位だとしても」
「清浄ってどれくらい?」
「10のマイナス21乗」
「それって限りなくゼロでは?」
「限りなくゼロでもゼロではない。そうでしょう?」
「まぁ確かに。とりあえず、恋愛的なことを先輩に求めたければ頑張れってことっすね」
「そういうこと。別に加藤君のことが嫌いとかではないの。むしろ、趣味が合って話せて好ましく思っているくらい。でも、それはあくまで同好の士として。あるいは先輩後輩としてということだから。こういうことは線引きをはっきりさせておいたほうがお互いのため。せっかくできた趣味友をくだらない理由で失いたくないもの」
「そう思ってもらえるのは、光栄っす!俺でよかったら、是非色々美術館とか巡って話しましょう!」
「ありがとう。趣味友が出来て嬉しいわ」
時雨と真姫奈はしっかりと距離を縮めていた。仲間ができて喜ぶ真姫奈の笑顔はとびきり魅力的で破壊力があった。
◇◇◇
凛が御手洗に立つと店内にはやはり多くの翔陽大生の姿があった。あちらこちらから笑い声や歓声が聞こえてくる。皆、新歓なのだろう。どこも盛り上がっている。
御手洗も男性の方はそうでもないが、女性の方はかなり混んでいた。用を済ませた帰りがけも何人かの翔陽大生のグループとすれ違った。時雨なんかはサークルの掛け持ち予定なので、他の新歓にも顔を出すのだろう。サークル事に評判があり、中にはあまりいい噂を聞かないところもある。
その点、賢人会は変わったサークルだが良いサークルといえる。アットホームで先輩たちも優しく、一年生も話していて問題はない。きっと上手くやっていけるだろう。
にぎやかな新歓会場に凛が戻るとチェルシーが手を挙げて向かい入れてくれた。
「おかえりー」
「ただいまー」
凛が居ない間に天音はお酒が進んだようで顔が赤くなっていた。天音はどうやらお酒を飲むとアガるタイプらしく、先程までの緊張した姿が嘘のように明るい。
「彩峰くん、おかえりなさい」
「ただいまです」
「磐見先輩、赤いですけど大丈夫ですか?水もちゃんと飲んでくださいよ?」
「大事ない。らいじょうぶ。今、チェルシーちゃんとお話してたんだけど、彩峰くんは彼女いるんですか?」
自分で大丈夫と言う人は大丈夫ではないのだ。 出来上がってきている天音の呂律が怪しいことになっている。
天音とチェルシーは恋愛トーク、いわゆる恋バナに花を咲かせていた様子で凛の恋愛事情が気になったらしい。
「いませんよ」
チェルシーがジンジャーエール片手に話の輪に加わる。この手の話題が大好きなご様子。凛の恋愛話に興味津々だ。
「じゃあじゃあ、好きな人や気になる人はいないの?」
「今のところは」
「え〜、つまんない!」
「そう言われてもなぁ」
凛の答えにチェルシーは不満そうにしている。
気になる人という質問にいくつか浮かんだ顔もなくはないが、それを明かすのは躊躇われた。
「それじゃあ、賢人会の中なら誰がタイプ?みんな美人ですよ?」
「それは……」
なかなかに難しい質問だ。
「誰がタイプか私も気になるなぁ」
チェルシーだけでなく天音もそんなことを言い出した。天音からの援護があり、チェルシーの視線が期待に満ちていく。これは誰がタイプか話さなければならない流れのようだ
「みんな可愛いからな。誰かっていうのは難しいんだが」
「う〜、それは答えてるようで答えてない!誰かひとりにしぼって!つまんないッ!」
凛の答えに納得いかないチェルシーは駄々をこね始めた。
「そうなんれすか?」
つられて天音もいまいち納得いかないというふうに首を傾げる。
それでも凛の本心なので仕方がない。納得してもらうしかない。
これ以上この話題を続けるのはよろしくないので、凛は話題を変えることにした
「そういうふたりは彼氏居ないんすか?」
「半年前に別れました」
「向こうにはいたけど、日本に来るときお別れしちゃった。だから今はいないよ?日本ではなんていうんだっけ?ダンナ募集中?」
「カレシ募集中ってこと?」
「それそれ!」
ふたりとも今は彼氏がおらず、フリーだという。
大学生になると高校生の頃とは環境が大きく変わる。高校の頃からのカップルはその変化を乗り越えられるかで将来が決まったりする。物理的距離と心理的距離をうめる大切な何か。それを見つけなければならないのだ。
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