8話
凛の自己紹介の順番がやって来た。
各々が学部、学年、趣味趣向を簡潔にまとめて自己紹介をしていく流れでここまで進行してきた。
酔うには早い先輩組に、シラフの1年組。
まだまだ新歓は始まったばかりなのだからシラケるような自己紹介は避けたい。無難にこれまでの流れに則った自己紹介をすべきか、気の利いた自己紹介をすべきか。それが問題だ。
些事にいちいち衆目を気にして悩んでしまうのが凛の悪い癖だ。軽い気持ちでやればいい。もし失敗しても誰かが笑いに変えてくれる。そう自分に言い聞かせて凛は勇気を出して立ち上がり、自己紹介を始めた。
「それでは、次は自分の自己紹介ということで。社会学部社会学科1年彩峰凛です。やりたいことがあって大学に来たわけではないんですけど、4年間でやりたいことに出会えたらいいなと思ってます。うんで、趣味というか好きなことは読書と映画鑑賞、あとアニメも見るっていうインドアガチ勢なんですけど、賢人会では色々なことをやっているという話なので、皆さんに引っ張られる形でも自分だけではしないようなことができたら楽しいかなと思ってます。よろしくお願いします」
「これは引っ張ってでもお外へ連れ出すしかないねぇ〜」
「海に沈める?山に埋める?」
「優亜先輩、罪を増やさないください」
「失礼な〜!まだ死んだハムちゃんとかしか埋めたことないよ?金魚はトイレに流したことあるけど」
「なにしてるんですか……」
また何か優亜が頓珍漢なことを言って、菫に頭を抱えさせている。
そんな優亜は放っておいておけばいい。凛は丁寧に頭を下げて自己紹介を終えた。
皆が温かい反応を示してくれたので、ホッと胸を撫で下ろした。凛としてはひとつの山場を何とか越えることができて一安心といったところである。優亜や菫や時雨、出雲といった割と絡みの多い者たちとほぼ初対面の者に至るまで仲良くなれたら重畳だ。
「自己紹介は何だかスピーチみたいだったね。もうちょっと砕けてもよかったのに」
隣りに座る出雲には少しお堅い印象の自己紹介であったようだ。
「そりゃ、先輩や初対面の人もいて何か変に緊張してさ。彼方さんがサラッと一緒にバイク乗ってツーリングしたなんて言うからさぁ〜。準備してた華麗な自己紹介が飛んでちゃったよ」
「ふふ、それはごめんね。でも、2人乗りで走ったのはあの時が初めてだったんだけど、楽しかったの。だからかな。話したくなったの。よかったら、また一緒に走りに行かない?」
「とても魅力的なお誘いで。是非、是非」
「やった!約束!」
嬉しそうにはしゃぐ出雲が可愛かった。
「凛ばっかりずるいぞ。彼方ちゃんとバイクデートなんて、お母さん許しません!」
出雲の横でふたりの話を聞いていた時雨が割って入って来た。
羨ましがる気持ちはわかる。
「だれがお母さんだ!」
「彼方ちゃん、凛が冷たい!」
「ごめんなさい。私のバイク2人乗りなの」
「いや知ってるが!?俺ともふたりきりであそびに」
「今度みんなで遊びに行きましょう」
「だから俺とも……」
「うーん。加藤くんと2人きりになるとホテルとか連れてかれそうでちょっと……」
そう言って伏し目がちに身を震わせる出雲。身の危険を感じると言わんばかりに自分の身体を抱きしめ、目元にはうっすらと涙まで浮かべてだ。
というか最早言っている。ホテルに連れ込まれそうだと。
「それチクチク言葉だよ。チクチク言葉やめなぁ〜」
なぜちょっとオネエ口調なのか。日頃の行いのせいだろうか。出雲にあえなく振られ、撃沈した時雨はガックリと肩を落とした。
「ふふ。ごめんなさい」
出雲は嘘の涙を拭い、笑いながら時雨に向かって手を合わせた。
「そのごめんはどっちのごめんだい?」
「うーん、両方?」
あまり反省はしていないようだ。そんな出雲に毒気を抜かれてか時雨はため息をついた。
「男の子とふたりきりは緊張するからまずは三人で遊んでみよ。ふたりきりはもっと仲良くなってからということで」
「あー、了解!嫌われてるわけじゃないのがわかったからいいよ。じゃあまずはみんなでだな」
見方によっては凛だけを特別扱いし、時雨を蔑ろにしているといえなくもない。出雲の気持ちを理解し、笑ってゆるしてしまう時雨のこういうところは素直に好感が持てる。優しく、気遣いができ、さっぱりとした性格で背が高くて引き締まった容姿をしている時雨。ちょっと残念なところもあるが、それも含めて人に好かれやすいモテ要素の塊なのだ。
「よろしくお願いします」
そんな二人のやり取りを見て凛も何だか嬉しくなった。友人たちがより仲良くなれるのなら、こんなに良いことはない。ただ出雲の中で何故か凛と時雨の扱いが違うという事実は変わらない。凛自身、その理由が分からない。
「でも、俺とは二人きりでもOKで、時雨はダメってのも何かな……」
「確かに」
時雨もやはり同じことを疑問に感じたようだ。
「なんでかというと難しいけど、雰囲気とか?まぁ直感的な」
出雲の答えは抽象的なものだった。出雲本人にも明確な理由が分からずうまく言語化できなかった。
「実は凛が女の子とかじゃね?」
「いや、なんでだよ!」
「俺っ娘とかステータス高いぞ」
「彩峰くんは彩峰ちゃんだったの?」
「凛(♀)的な」
「誰がメスじゃ!勘弁してくれ」
多勢に無勢、2人がかりで弄られたら白旗をあげるしかない。
今度は凛が肩を落とす番である。
そうして三人で和気あいあいと盛り上がっていると、次の人の自己紹介がはじまってしまったので3人は慌てて口を閉じた。凛の次に自己紹介する先輩は初めて会う人だ。
大人しげで緊張しているのかちょっと震えている。それがなんだか小動物っぽくて微笑ましい。先輩なのに無性に頭を撫でてあげたくなった。
見た目は肩まで伸びる黒髪をサイドでまとめたいわゆるサイドテールの髪型。白いレースワンピースを纏い、全体を引き締めるように黒い革ベルトをつけている。露出の少ないロング丈のワンピースというスタイルだ。無駄な肉づきが一切なく、胸や臀部といった部分は小ぶりなのだが流れるようなしなやかなボディラインにくびれた腰。モデルでもしているのだろうかと思ってしまう。程よく日焼けした健康的な小麦色の肌をしている。
彼女もまた他のメンバーに引けを取らない美人だ。
何だか一度に綺麗な女性を見すぎて今日で人生の運を全部使い果たしていないか心配になってしまう。
「はじめまして。磐見天音、教育学部初等教育科の2年生です。学部の通り、小学校の先生を目指しています。サッカーとバイオリンが好きです。サッカーは観戦するのもプレイするのも好きです。バイオリンも一緒です。弾くのも聴くのも好きです。あとはピアノとチェロの経験もあります。人前は緊張してしまうんですがよかったら仲良くしてください。以上です」
綺麗なお辞儀をして席に座った天音は一気にグラスのお酒を飲み干し、空にしていた。緊張と照れで紅潮した顔がさらに赤くなっていた。かなり緊張していたようだ。
そんな頑張った天音を菫が優しく労っている。
凛も人前で話すのは苦手なので天音には何だか親近感が湧いた。お互い上手く仲良くなれるかはまた別の話だが。
話すのが苦手な二人が揃っても無言の時間が続く未来しか想像できない。それこそ、創造性皆無の無為な時間が流れることだろ。大いなる無駄を楽しむ境地にはまだ至れていない凛には拷問にも等しいものだ。
そんなとりとめのないことを考えて身震いするチキンをよそに隣に座っていた奏鳳が勢いよく立ち上がった。さて、彼女はどんな自己紹介をするのだろうか。残るは奏鳳とチェルシーのふたり。初めて顔を合わせるのだから、気にならないわけがない。
「あー、文学部文化芸術科1年。老喰奏鳳です。趣味は写真と絵を描くこと、あと旅行ですかね。サークルでイラスト描いたりする機会があれば力になれるかと。よろしくお願いしまーす」
何ともシンプルな自己紹介だった。自己紹介一つとっても性格が出る。奏鳳は合理的で無駄をあまり好まないのだろう。今もチェルシーとじゃれ合っているあたり、冷たい人間ということはなさそうだ。
改めて彼女を眺めて見ると顔の彫りが深い。顔のパーツが立体的ですごく華やかだ。さぞ目を引くことだろう。
だがファッションは先程の自己紹介と同じでいたってシンプルである。無地の白いブラウス、黒のスキニーデニムに黒のキャップをあわせている。ウェーブのかかった豊かな髪を簡単にポニーテールにまとめている。
そんなシンプルさのなかに奏鳳のこだわりを強く感じるのが腕を飾るシルバーのチェーンブレスレットだ。刻印されているロゴをみるとジバンシーのもののようだ。コーディネートに自分の色を上手く織り交ぜている。
「奏鳳の自己紹介短くない?」
「いいの!伝えたいことはちゃんと言ったから。ダラダラ話すほうが迷惑でしょ」
「え〜?ソンナコトナイヨ〜。みんな奏鳳にメロついてるよ!」
「なんで突然カタコトになるんだよ。日本語使いすぎて英語忘れそうとか言ってたくせに」
「何でバラすのー!やめてよ!キャラ作ってるみたいになるだろー!」
「外国人キャラ、楽しい??」
言葉が強い。チェルシーに容赦なく突き刺さっている。奏鳳はかなりの毒舌家なのかもしれない。
ふたりを観察しているとチェルシーと目が合ってしまった。気まずくなる前にぎこちない笑みを返して目を逸らす。
「ちょっと目をそらさないで!外国人キャラ演じてる変な子じゃないんだから。お願い信じて!」
向かい側に座る彼に避けられたと感じたチェルシーは必死に誤解だと訴える。
対面を気にするあたり、日本に染まっているのは確かのようだ。
これ以上は不味いと凛はもう一度曖昧な笑みを浮かべてから完全に視線を切った。
「No!奏鳳のせいで変な子だって思われたぁ」
「ほら、次はあんたが自己紹介する番だよ」
「うぅー」
なんとも不服そうに奏鳳を睨んで立ち上がり、不承不承といった感じで話を始めた。
「はじめましてチェルシー・ストーンズ。イングランド出身です。パパがイングランド人でママが日本人。文学部日本文学科の新入生です。好きなことはフットボール観戦とティータイム。緑茶も好き。隣に座ってる奏鳳とは幼馴染だけど今はやさしくない。日本のことまだわからないことあるからやさしくしてください」
チェルシーのことを皆が好意的に受け入れたのは言うまでもない。
チェルシーのアイデンティティが日本とイギリス、どちらよりかは知らないが異なる君主を頂き、異なる神を奉ずるそんな彼女のバックグラウンドは数多の神仏が交わり、混沌とした文化の中に生きる日本人としてはなかなかに興味深い。
凛は身近過ぎて信仰が空気と化した日本をどう感じるのかとても気になった。
突然信仰や政治についての話はできないだろうがいつか語り合ってみたいと感じた。
先程の腹いせに奏鳳の肩をポカポカ叩いていた。まだ、さっきの会話が尾を引いているのだろう。
これで一通り皆の自己紹介が終わった。
新歓はまだ始まったばかりだ。ゆっくり親交を深めていこうとウーロン茶を一口、ふた口飲んで喉を潤して舌の回りを良くしておこう。
◇◇◇
まずは誰と話すべきか。凛は黙って周りを観察する。
親交を深めるという意味なら出雲や時雨でも構わないのだが、せっかくの機会だ。
まだあまり面識のない真姫奈や天音、奏鳳やチェルシーといった面々と話してみたい。
やはり、皆最初は気心が知れている者同士での談笑が目立つ。時雨と出雲と凛、優亜と真姫奈、菫と天音、奏鳳とチェルシーといった具合だ。
「皆さん、お話中すみません。そろそろ席替えしたいと思いまーす」
「おぉーいいね。すみれちゃん。最後はみんな一緒にホテルに、とかそういうのはないのー?」
「いや、ありませんよ。どこぞのヤバいサークルじゃないんですから」
「えー、新歓といったらお持ち帰りでしょ」
「そんな幻想は今すぐポイしてください。でないと、総力を上げて優愛先輩をポイさせていただきます!」
「ひどいよー、すみれちゃん。おい野郎共ー、今こそ声を上げる時だー!!」
凛と時雨を巻き込もうとする意図が見え見えである。
二人は急いで目を逸らした。
「おい。そこのふたり目ぇ逸らしてんじゃねえよ」
急に治安が悪くなった。どうした。
「どうした?ブラザーズ!ハーレム王になりたいだろ?さぁ、言ってみろよ!ハーレム王に俺はなるってよぉ」
(エリ・エリ・レマ・サバクタニ。神よ何ゆえ、私をお見捨てになるのか)
「……ハーレム王に───」
「───おい!!やめろー!!口にしたら抹殺されるぞ!」
「男にァどうしても戦いが避けられねぇ時がある!仲間の夢を笑われたときだ!」
「やめろー!こんなことにあの名言をつかうんじゃねー!!!」
「すみません。2名、いや3名お会計おねがいしまーす」
「菫さん、お願いやめてー!!」
菫先輩がお怒りだ。暴漢を簡単に撃退してしまうその実力はよく知ってる。怒らせたらねじ伏せられる、物理的に。
前で騒いでいる馬鹿と横で喚いている阿呆は菫の恐ろしさを知らないのだ。
「先輩、タクシーを呼びます。タクシーって何番でしたっけ?」
「出雲さんもまだお疲れ様には早いから!」
「彼方さん、タクシーは110よ」
「そこっ!それタクシーじゃなくて、ポリじゃねぇか!」
「まきちゃん、110じゃタクシーはこないよー」
「いや、馬鹿なの。みんな知ってるわ!てか、連行するならそこの馬鹿二人だけでお願いします!」
「りんりん、男なら潔く腹を切ろ?」
「ハラキリですか!?桜と共に散る!ロマンですね!」
「いや、そんなエンターテインメントじゃねぇから!生命散らされそうなんだよこっちは!冤罪で」
なぜ自分ばかり責められているのかと周りを見回すと時雨の姿がない。さっきまで隣でふざけていたのにどこにも見当たらない。いつの間にか逃げたのだ。
「あいつどこ行きやがった……」
「存在が有罪。いや、有害?」
「かほちゃん、それウケるー」
「ウケるな!そして、推定無罪はどうした!」
凛への集中砲火が一向に止む気配がない。元凶である優亜はというとお酒を片手にゲラゲラ笑ってる。完全に酒の肴にされている。
四面楚歌とはまさにこのことである。
「今は私たちが法なの」
「とんだ暴君じゃねぇか!人治より法治を重視して、お願い!」
「神よ。彼らを救いたまえ。アーメン」
「祈られてて草」
「もう、死亡確定してるんだけど……。神は死んだ………」
哀れな子羊は力無く天を仰いだ。
「Gott ist tot. ニーチェですね」
「虚無の波動がすごい……」
「お願い、何もしてないの。助けて」
「悲劇ですね!ハラキリ、散りゆく生命。儚い」
「あぁ、シェイクスピアもびっくりだろうよな」
「生に受難はつきものです」
「デカい魚に食われろってか?もう、貝になりたい……」
「たは。りんくん、それもう裁かれてるやつじゃん!」
そして、ドッと笑いが起きた。
やっとオチがついたわけだ。
だがが今は乾いた笑いしか込み上げて来なかった。
飛んでくるボケを捌き切った凛はだらしなくテーブルに突っ伏した。これでまだ新入生歓迎会は始まったばかりでやっと場の雰囲気が温まってきた程度なのだ。
「それでは、盛り上がったところで席替えしまーす!」
菫の鈴を転がすような声も今の凛には福音とはならなかった。
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