151 竜の子供
時は数時間ほど遡る――
その日の朝は、いつもと少しだけ違っていた。
涼しい空気に触れながら目覚め、のそりとベッドから起き上がり、寝坊助ノーラの体をゆすりながら起こす。そうこうしているうちに魔物たちも目覚めており、皆でユグラシアの用意した朝ごはんを食べに向かう――そんな繰り返された日常が訪れるはずだった。
「マスター、マスター。起きてくださいなのです」
ゆさゆさと体が揺さぶられる。ラティに呼ばれていることに気づいたマキトは、眠そうな目をなんとか開けた。
するとラティは、ニッコリと笑顔を浮かべる。
「おはようございます、マスター♪」
「……おはよ。どした?」
明らかに覚醒していない声で問いかけるマキトに、ラティが表情を引き締める。
「マスター。すぐにわたしたちと森へ行くのです!」
「…………はぁ?」
言っている意味が理解できず、マキトはたっぷり数秒ほど間をおいて、顔をしかめながら声を上げた。
朝っぱらを通り越して寝起きにそんなことを言われて、はいそうですかと答えるのは流石に無理というもの。せめて説明の一つや二つはしてほしいという意味を込めて視線を向けるも、ラティは真剣な表情で見つめてくるばかり。
このまま顔を背けてしまいたいところだが、どうにも逸らせる自信がない。
しかも都合の悪いことに眼が冴えてきた。
どうやら昨夜も睡眠はしっかりと取れているようであり、いつもなら普通にいいことなのだが、今日に限ってはあまり歓迎したくない気持ちであった。
「はぁ……急にどうしたんだよ?」
渋々と起き上がるマキト。そこでようやく、ロップルやフォレオも既に起きていることに気づいた。
「キュウッ」
『ますたーおはよー。はやくもりへいこー!』
いつもの楽しそうな様子とは全然違う。遊びに行きたいのではない。何かがあるから行くのだと、マキトは理屈抜きにそう感じ取った。
改めてラティのほうに視線を向けてみると、ラティも真剣な表情で頷いた。
「ゆうべ、何かの声が聞こえたのです。朝起きたら胸がゾワゾワして、なんだか落ち着かないのですよ」
「――分かった。着替えるから、ちょっと待ってろ」
マキトも表情を引き締めながら頷き、ベッドから飛び降りる。その反応に魔物たちは安心したような表情を見せた。
そして数分後――マキトたちは森の神殿を飛び出した。
ノーラもしっかりと起きて、手早く着替えた後、マキトとともに行動する。既に起きて朝食の支度をしていたユグラシアに声をかけた際には驚かれたが、何かが起きていると察した彼女は、気をつけて行きなさいねとだけ言った。
ラティたちに連れられて森の中を進むこと十数分――いつも遊びに来ている河原が見えてきたそこに、『それ』はいた。
「おっ、なんか倒れてるぞ!」
マキトの掛け声を合図に、一同がそこへ走り出す。近づいてみると、それはこの近くでは見たことがない生物であった。
「これ……もしかしてドラゴンか?」
「ん。間違いない」
恐る恐る近づきながら問いかけるマキトに、ノーラが答える。
「しかもこれはまだ子供。この森にはいない魔物のハズ」
「どこからか迷い込んできたのでしょうか?」
「キュウ?」
『だいじょうぶー?』
魔物たちもこぞって、倒れて気を失っている子ドラゴンを覗き込む。息はちゃんとしており、生きていることは間違いない。
「とにかく助けないとだな」
「そこの河原に運んで、少し様子を見るのです」
「だな」
ラティの声に頷きつつ、マキトは優しく子ドラゴンを抱きかかえる。一瞬、小さな体が震えたが、目を覚ますことはなかった。
子ドラゴンを慎重に運び、河原の傍にある木陰に寝かせる。マキトは頭に巻いているバンダナを外して川の水につけ、濡れタオル代わりにして子ドラゴンの小さな額や顔を拭いていった。
「マキト。首筋にある逆鱗には気をつけて。触れないようにして」
「分かった」
ノーラの指示に従いつつ、マキトは慎重に優しく拭いていく。やがて少し落ち着いたのか、子ドラゴンの表情が和らいだように見えた。
しかし未だ、目を覚ます様子がない。
「あとは様子を見るしかないか」
バンダナをギューッと絞りながら、マキトが小さなため息をついた。するとラティが飛びあがり、明るい表情を向けてくる。
「マスター。近くの果物を採りに行きませんか?」
「ん。目を覚ましたら、きっとお腹を空かせるに違いない」
「そうだな」
マキトが頷き、絞ったバンダナを綺麗に畳んで、枕代わりにして子ドラゴンの首元に添える。ちょっとした水枕がわりのつもりであり、子ドラゴンも心なしか心地良さそうな表情になった気がした。
『じゃあ、ぼくがおるすばんしてるよ』
フォレオが胸を張りながら、自信満々にそう告げてきた。そして体を光らせ、小さな姿から大きく立派な獣の姿へと変化させる。
『どらごんはぼくがまもってみせるから!』
「あぁ。それなら安心だな。頼んだぞ、フォレオ」
「キュウッ」
『おまかせあれっ♪』
かくしてマキトたちはフォレオに留守番を任せ、近くにある果物を採取するべく動き出した。
もう何回も訪れている場所であるおかげで、どこにどんな木の実があるかは殆ど知り尽くしている。ラティやロップルが魔物特有の目利きを発動し、無理なく採取を終えることができたのだった。
マキトたちは果物を抱えて、河原へと戻っていく。
すると子ドラゴンが目を覚ましており、変身したフォレオに驚いていた。
「――あ、ドラゴンちゃんが目覚めてるのですー♪」
「ホントだ。元気そうじゃないか」
「ん。良かった良かった」
「キュウッ♪」
子ドラゴンが無事に意識を取り戻したことをそれぞれ素直に喜ぶ。すると子ドラゴンが警戒し出したのを見て、マキトはゆっくりと近づく。
そしてそっと静かにしゃがみながら、優しい笑みを浮かべた。
「俺はマキト。よろしくな。まさかドラゴンに会えるなんて思わなかったよ」
その声に子ドラゴンは、不思議そうな表情で見上げてくる。やがてマキトのことを大丈夫な存在だと思ったらしく、ゆっくりトコトコと近寄ってきた。
そっと手を差し出したマキトの手の匂いを嗅ぎ、子ドラゴンの表情から警戒が解かれていく。そして笑みを浮かべながら、マキトの膝元に抱き着くのだった。
「おー、マキト凄い」
「ドラゴンちゃんが懐いたのです」
「キュウッ!」
『やったねー、ますたー♪』
ノーラやラティたちが次々と賞賛を送る中、マキトは両手で優しく子ドラゴンを抱きかかえる。抵抗する様子もなく、子ドラゴンは安心した表情でマキトに身を預ける状態となっていた。
そして、子ドラゴンはマキトたちが採取してきた木の実を食べる。
やはり相当な空腹だったらしく、かなりの食欲を見せつけてきたのだった。
するとその時――マキトたちの腹の音が鳴った。
「そういや、まだ朝ごはん食べてなかったな」
「ん。ノーラもお腹ペコペコ」
「ドラゴンちゃんも目を覚ましたことですし、わたしたちも神殿に帰るのです」
「そうするか」
ラティの言葉にマキトが頷く。そして未だに果物をモシャモシャと食べ続けている子ドラゴンを見下ろす。
「コイツ……明らかに迷子っぽいよな?」
「でも、魔物の世界では、普通によくあることなのですよ」
「ん。ヒトはヒト。魔物には魔物の世界がある」
「ノーラの言うとおりなのです。それに子供とはいえドラゴンさんなのですから、逞しく生きていける可能性は高いのです」
「そっか。まぁ確かにこの森で暮らす分には、大丈夫かもしれないよな」
マキトも納得を示し、小さな笑みを浮かべる。
「じゃ、俺たちもそろそろ帰るか」
そう言ってマキトが歩き出そうとした、その時だった。
「――くきゅーっ!」
子ドラゴンが叫び出す。何事かと思いマキトが振り向いてみると、胸元に鈍い衝撃を味わった。
同時に力強く、爪を使ってガシッと掴まれる感触も含めて。
「な、何だ?」
マキトが恐る恐る視線を下ろすと、子ドラゴンがしがみついていた。物の試しに両手で引き剥がそうとするも、離れる様子がない。その前に服がビリビリに破けてしまう結果が、目に見えてくるほどであった。
「なぁ……ちょっと離れてくれないか?」
「くきゅーっ! くきゅきゅ、くきゅくきゅうぅーっ!!」
「離れるなんて嫌だー、って言ってるのです」
「マジか」
ラティの通訳に、マキトは呆然としてしまう。子ドラゴンはジッとマキトの顔を見上げており、つぶらな瞳で必死に訴えてきている。
――置いていかないで。このまま見捨てるなんてことはしないよね?
そう言われているような気がしてならず、マキトは深いため息をついた。
「仕方ない……このまま連れて帰るか」
「くきゅうぅーっ♪」
マキトの言葉に、子ドラゴンは嬉しそうな表情を見せる。
「ん。ノーラは最初からこうなると思ってた」
どこか満足そうに、ノーラはうんうんと頷いている。そしてラティたち魔物も、同じような笑みを浮かべていたのだった。
「ドラゴンちゃんのこと、ユグさまにも知らせたいですからね」
「キュウッ」
『おなかすいたー』
仕方がないという素振りを見せている割には、魔物たちは皆、子ドラゴンを歓迎しているようにマキトは感じた。
(なんだかんだで、コイツらも放っておけなかったってところか)
マキトは苦笑しつつ、子ドラゴンを改めて抱きかかえる。くきゅー、と嬉しそうな鳴き声を上げて見上げてくるその愛くるしい表情に、マキトは思わず表情綻ばせてしまっていた。
(まぁ、俺も同じだったりするんだけどさ)
そう思いながらマキトは、ノーラや魔物たちとともに、ユグラシアの待つ森の神殿を目指して歩き出すのだった。
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