プロローグ 『大暴落は突然に』
「なんなのこの金額は? え? これで利益でると思うの?」
「すいません……」
「あーあ、設計にどつかれるな。あとで自分で工場行って詫び入れて来いよ」
「申し訳ございません……」
事務所の一番奥の席で嫌味をネチネチ並べながら、課長はわざとらしく大きい声で一句一句言い放つ。
明らかに見せしめとしての威圧・罵倒であり、他の同僚も仕事をしている素振りを見せながらも、チラチラと彼の方へ視線を向ける。
完全に課長が思うままの空気になった所で、追撃は続く。
「あのねー、田中くん、誰の為に仕事してるの?」
「会社の……為です」
「相手が得する見積もり取ってくるとか、下請けが君のいう所の会社なの?」
俯く平社員の頭越しには小言の嵐が吹き荒れる。
ただ言われるがままなす術もない。叶うなら災難が一刻も速く過ぎ去ってくれと願うばかりだが、
「裏で金でも受け取ってるんじゃないの? いやいや、けしからんねー、そういうコンプライアンス違反は。然るべき部門に相談しようかな?」
「いえ、そういうわけでは!」
「……じゃーどういう訳よ? 査定順位万年最下位な君のボーナス、あんなちんけな額と同じ位の利益さえもでないよ、この見積じゃ。慈善事業じゃないんだけど、うちの会社は?」
「すいません……」
『彼』はただ頭を下げて謝り続ける。
別に賄賂だとか便宜を図ろうとかいう意図はないし、ネゴの押しが弱かった訳でもない。
ちゃんとテンプレ通りにコスト分析はした。これより金額を下げると本気でサブコンが倒産しかねないし、新規開拓はなによりも時間が掛かる。
第一、プロジェクト側の無茶なスペックイン期日に合わせる為に、今から引き合いし直す余裕すら残っていないのだ。
考えうる事象を漏れなく検討に含んだ上で、全て『教えられたとおり』にこなした筈だったが、
「まったく、お宅の会社はどういう教育してきたんだろうね? そんなんだから俺らの会社に飲み込まれちまうんだよ」
「すいません……」
環境が変われば人も変わる。
元いた会社が吸収合併されて以来、彼――アキトの信じて来た『常識』はいとも簡単に壊されていった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「っていう事があってさー」
「そりゃ災難。まーウチが〇Xに買われて以来、俺達は頭上がんねーよな」
同じ会社出身の同僚と共に、アキトは屋上の喫煙室で駄弁りつつタバコを加えたままポケットに入っていたスマホを手に取る。
手際よくホーム画面に配置したアイコンに触れ、アプリを起動するとまず最初にグラフの画面が表示され――
「お、お前投資始めたんだな。米ドルとか有るって事は……噂に聞くFXか、コレ?」
「おうよ、とっとと大稼ぎしてこんなクソみたいなリーマン生活から、ギロッポンで毎日酒に溺れる成金生活よ。俺、いつかあの課長の頬を札束でぶん殴ってやるんだ」
隣で興味津々で眺める同僚に、すっかり唯一のストレス発散の手立てとしていたタバコで黄ばんだ歯を覗かせて、笑みを浮かべた。
一方でそんな夢のデカさが伝わっていないのか、同僚は起伏の無い声で、
「ふーん。でもそれってリスク高いんだろ?」
「まぁな、俺はレバレッジ100倍でやってんからな。国内じゃもうこんな高いとこでやってるとこないし、英語使えるからこそのハイリターン。勝ち組な能力を持ってる俺だ、残当」
「いや、そんなドヤ顔されてもすごいのかすごくないのか分からんし」
あからさまに興味なさげな冷や水をぶっ掛けられたアキトはフンと鼻を鳴らすと、
「今に見てろよ、俺の一発逆転劇。億単位で儲かったら少しはお前に分けてやるよ。代わりに俺の足を舐めてもらうけどな」
「お前のクセェ足舐めるぐらいだったら、クソくらって死んでやるよ」
休み時間も終わりに差し掛かりつつも、惜しむ様に減らず口を叩き合う日々。
そんな日々もそろそろ見納めかと、アキトは再びアプリ画面を覗くが、
「――!」
「どうしたんだ、お前?」
「……いや、なんでもない」
一端目を大きく見開いたかと思うと、アキトは再び沈黙。
それを奇に感じた同僚が怪訝な顔を浮かべて問い詰めてくるが、「先かえってろ」の一点張りでぴしゃりと追い払う。
謂れもない拒絶に、ポリポリ頭を掻きながら「訳分かんねぇ」と漏らしつつも、同僚は先に非常階段の奥へ消えて行った。
「――」
誰も居なくなった屋上でアキトは再び辺りを見回しながら、大きく息を吸うと、
「あひゃはやあぁあああ!!! 600まんえーん! 一生懸命貯めた600まんえーん!」
狂ったかのように叫びだし、邪教の踊りの様にくねくねと動き出す。
溶ける溶ける。
グラフがこうも綺麗に直角に落ちる物だとは教本にも出てこなかった。
10万――いや、100万?
自身の努力が無に帰していく様を、ただ漠然と眺めるしかなかった。
「ふざけんなよ馬鹿野郎!!!」
再びオフィス街のど真ん中で叫ぶと、アキトは目の前の現実から逃げるように、勢いよく床にスマホを叩きつけた。
1年ローンを組んだばかりの機種は面白いほど真っ二つに割れ、画面のガラスと本体が永遠に分離する。
――消えてしまいたい。
屋上の転落防止柵を親の仇の様に握りしめるが、虚しくギチギチと音を立てるだけ。
人の人生とは一瞬にして変わってしまうものだ。
会社しかり、市場しかり。
金と言う存在という事を恨みつつ、アキトは目を閉じ、金網に何度も額を打ちつけた。
田中明人
職業:〇X製作所 資材部
資産:12,000,000円 (銀行預金)、マンション (2LDK)、10年オチのト〇タ。
所持品:タバコ、ライター
借金:▲6,000,000円 (含み損)