file:食虫花 その6
file:食虫花 その6
―――俺の名前は、飯島 大我。
彼は、そう言ったのだ。報告書にあった飯島 遥。彼女と同じ苗字を。
彼らは夫婦だったのだろうか。それとも兄妹だったのだろうか。
それとも、たまたま同じ苗字の他人だったのだろうか。
飯島という名前自体はそこまで珍しいものではない。
ただ、この限られた場所で同じ苗字が揃うことはあるのだろうか。
少なからず、同じ苗字ということを抜きにしても、なんらかの関係を持っていたに違いない。
だから私は、この話題は深く触れていいものか少し迷った。
大切な関係だったのかもしれない。
大切ではなく、ただ同じ名前の苗字の間柄だったのかもしれない。
それでも、彼と同じ名前をした人間が死んだのだ。
それも、最近。
ついこの間の話。
報告書は4月3日で終わっている。
今日は、4月6日。
まだ3日しか経っていない。
普段なら気にならない自分の服の皺がやけに気になる。
ただ聞かないことには始まらない。
ぎこちなく髪を触りながら私は、尋ねてみた。
「あの、聞いていいのかわからないんですが、飯島って・・・」
キュッと飯島さんの目が私を見据えた。
「ああ、思っているとおり、俺の妻だ」
聞かなければよかったのかもしれない。
ギュッと、心臓が小さくなるような感覚が胸の中に広がる。
ただの言葉なのに、
ただの一言なのに、
その言葉の裏に、彼から大切な何がすっぽり抜けていることがわかったのだ。
「そう、ですか」
「気にするな。そりゃ思ってるとおり悲しいよ。悲しいさ。悲しくないわけがない。
でもな、俺がここで止まってしまえば、遥は報われないだろ。
だから、俺が必ず食虫花を捕まえる。
―――俺が、必ずだ」
そう言う彼の目には怪しい光が宿っていた。
少し上に向けれらた視線は虚空を睨んでいる。
肌に刺さる彼の怒りが、私の体を硬らせる。
ぴしりと走る、空気の亀裂。ほんとに空気が切れているわけではないのに、そう錯覚させるような、彼の怒り。
その怒りは自分に向けてのものなのか。
それとも純粋に妻を奪った食虫花に向けたものなのか。
それだけは、彼の中にしか答えがない。
私には一生わからないものだ。
だから私は、こう言うしかないのだ。
「わかりました。私も協力します。今の私になにができるかわかりませんけど、なんとかしてみせます」
これが果たして良いことなのか、悪いことなのか、それはわからない。
本当なら悪いことなんだろう。止めないといけないんだろう。
けれども今日初めて会った私が、彼にそれを言う権利はない。
だから私は、彼の復讐に協力することにしたのだ。
多々良川は多々良町を縦に二分するよう流れている。
海から見て、川の左側には多々良駅を中心に繁華街やオフィスビルが立ち並ぶ。
ちなみにあの事務所も、町の左側のオフィスビル街にある。
変わって、右側は住宅が立ち並び、ベットタウンとなっている。
今回の食虫花の初の被害者と見られる死体は、川の左側。
繁華街の裏路地で見つかっている。
繁華街の飯屋が立ち並ぶ、「多々良食街」は所謂町の商店街。
その皆様のお食事場の裏路地で見つかったのだ。
事件の調査状況をまとめると。
死体は、川の左側の繁華街で発見。
犬の溶解死体は川の右側の河川敷。
食虫花の犯行かどうか未確認だが、一家行方不明になっている久保家の位置は川の右側。
そして、食虫花の調査を進めていた遥さんが姿を消したのが、川の右側の調査中のこと。
範囲としては、右側に重きを置いて調べるべきだろう。
そして一番重要なのが食虫花の特徴だ。
鑑識の結果を総合し、体長は5メートルほど。
揃っている情報はこれだけ。
依然、協力している警察からもこれ以上の情報はでてこない。
これだけのカードでどうしろと・・・・
ポーカーならブタだよ・・・
ただこの配られたカードで私は勝負していかないといけないのだ。
はったりでも、イカサマでもいい。
この事件に解決するための、勝負に勝つためのロイヤルストレートフラッシュを決めないといけないのだ。
「で、飯島さん。今日はどこを調査しますか? やっぱり河川敷ですか?」
「そうだな。とりあえず河川敷を探して、食虫花の痕跡を探そう」
河川敷はそこまで広くない。
堤防としての機能を果たすためにだけ作られたようなもので、川に沿って鬱蒼と草が生えているだけだ。
ただ伸びた草は地面を覆い隠し、そこになにがあるのかはわからなくなっている。
まるで底のない沼に手を突っ込んで、その中から宝を探すように思える作業が続く。
草をよけて、
地面をみつめて、
石をどかして、
ゴミをあさり、
見つからないものを探して、なにを見つけたらいいのかわからないまま
永遠とその作業の繰り返した。
いつしかクリーニングしたてのスーツは土と泥で汚れ切っていた。
スーツの下で蒸れた汗が中々乾かず。乾く暇もなく次の汗が滲む。
ただただ不快だった。
もう限界だ。
ないものを探すのではなく、
そこに“あって“はいけないものを見つけなくてはいけないのだ。
単調な作業で、私も飽きてしまったのだろう。
ふと、疑問に思っていたことを口にした。
「あの、飯島さん」
草の先で地面と睨めっこしている元タラコが苛立ちを隠さないまま「あん?」と答えた
「気になったんですけど、遥さんってなんで亡くなったってわかったんですか?」
あ、っと質問してから、口に出してから私は地雷を踏んでしまったと気づいた。
だが時すでに遅し、一度口にした言葉は戻らないのだ。
覆水盆に還らずというやつだ。
「あー、それな」
「あ、いや、その。言いにくければ大丈夫です。はい。すいません。失言でした・・・」
「いや、気にすんな。遥はここで見つかったんだよ」
「え」
さらっと、飯島さんはそんなことを言った。
ここで?
見つかった?
「左腕だけが残ってた。遥の左腕だ。一人目の時と同じだろう。消化しきれなかったから吐いたのかわからないが、ここで遥の左腕が見つかったんだ」
風の音が痛い。時々走る車の音が痛い。川の流れる水の音が痛い。
沈黙が痛い。
私は返す言葉を見失った。
なんて返せばいいんだろう。返す言葉が全く出てこない。
「遥がさ、事務所に帰ってこなかったんだ。毎日定時報告で事務所に戻ってくるんだ。
けど、あいつは戻ってこなかった。
嫌な予感がしたんだ。
夜中まで町中走り回ったよ」
飯島さんがタバコに火をつけた。ボッと風に揺らめきながらライターの火が灯る。
「―――で、あいつの左腕をここで見つけたんだ」
「ゴミみたいに、ほったらかしてされてたよ」
ふーーーっと。長く、息と煙を吐いた。伸びた煙は風に流されて、すぐに消えてなくなった。
そこにはまるでなにもなかったかのように、消えた。
言葉の先にあった、彼の顔は険しさとか、怒りとか、そんなものはなかった。
ただただ、悲しそうで差し込む斜陽が、影を深く落とした。
私は依然として、返す言葉が見つからない。
ただ、時を待つしかできない。世界は止まっていないのにこの場所だけが停止している。
いや、停止しているのは私だけだ。
なにもできないのだ。
だって、こんな体験したことない。
自分の妻が一夜にして左腕だけになったんだ。
人の形として死ねなかったんだ。
人として、死ねなかったんだ。
そんな死に様を見せられた夫になんて言葉をかけたらいい?
ただ左腕だけ見つけた彼になんて言えばいい?
慟哭に枯れた彼になんて言えばいい?
私にはそれが全くわからなかった・・・・。