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和氏之璧と藺相如と廉頗と刎頸の誓い

作者: pal

私の好きな有名な故事です。

中国の春秋時代の楚国に卞和(べんかという男がいた。

彼は、山中で宝玉の原石を見つけたので、楚国の厲王(れいおう)に献上したが、

厲王が鑑定士に鑑定させたところ、「ただの石ころでございましょう」と言われ、

「ただの石くれを献上して、余を騙そうとは不届きなり」として、左足を切断された。


厲王が崩御し、武王が即位すると、再び卞和が宝玉原石を献上したが、

やはり信じてもらえずに、残りの右足も切断されてしまった。


武王の次に、文王が即位すると卞和は山に籠り泣いて過ごした。

「山中で老人が石を抱えて泣いている」

そんな噂を耳にした文王は、、自分の即位に縁起でもないと気にして、使者を卞和の元に遣わした。


使者は卞和に訪ねた。

「老人よ、何故にそんな嘆き悲しんでいるのか?」

卞和は答えた。

「私は山の中で宝玉の原石を発見しましたが、前の王様も、その前の王様も、私の言を信じてくれませんでした」


「今度は文王様が即位されましたが、この宝玉を献上するにあたって、また信じてもらうことが出来なければ、どうしようと思い、それで泣いていたのです」


そこで使者はこう答えた。

「本当に宝玉かどうかは実際に玉磨きの職人に磨かせてみればわかるだろう」

そして、その原石を磨かせたところ、立派な玉璧が出来上がった。


実際に出来上がった玉璧を前に文王は、ただちに自分達の不明を詫びると共に卞和に多大な恩賞を授けた。

また、卞和の誠実さと、歴代の王の不明さを後世に残すため、玉璧に卞和の和の字を取り、和氏之璧かしのへきと名付けた。


卞和が和氏の璧を献上した時代から三百年程経った頃。


趙という国にいる姫がとても美しい姫だということで評判になっていた。


その噂を聞き付けた楚の王が是非とも妃に迎えたいと趙に申し入れをした。

しかし趙の恵文王(けいぶんおうはこれを是とせず輿入れを拒否した。

それでも噂の姫を諦める事の出来ない楚王が、伝国の宝物である和氏の璧を献上すると言い出したので、恵文王も物欲に負け、とうとう輿入れを認めた。


趙の姫を祖国に送り届ける役目は、宦官の長であった繆賢びゅうけんに委ねられた。

ところが趙の姫を無事送り届けた繆賢は、約束の和氏之璧を預かると、どうしてもその璧が欲しくなり、帰国後、趙王に対して、途中で賊に奪われ璧を紛失したと嘘をついた。

そうした経緯で和氏の璧は趙の宦官の長官、繆賢の所有物になっていた。


しかし、いつしか

「繆賢が和氏の璧を持っている」との噂が流れ、それが趙の恵文王の耳に入った。


恵文王は繆賢を召し出して和氏の璧を献上するように迫ったが、

繆賢はそれが単なる噂に過ぎず、自分は璧など知らないと言い張った。

だが、恵文王は繆賢の言を信じずに、繆賢が狩りに出かけている間に邸に兵を送り、家探しをさせて和氏の璧を奪い取った。


狩りから戻った繆賢は、邸の有様をみて驚くと共に、慌てて趙から逃げ出す手筈を整え始めた。


その様子を見ていた、繆賢の食客である藺相如りんしょうじょは、

「長官、どこに行かれるのですか?」と尋ねた。

繆賢は「璧を持っていないと言った嘘が露見した以上、此処に居るわけにはいかない。燕に亡命する」と答えた。


すると藺相如は「燕王とはどのようなお知り合いなのでしょうか?」とさらに尋ねた


「私が趙王様のお供をして燕に参ったときに、燕王自ら私の手を取って『是非、私の親友となって友好を深めて欲しい』と申された。燕王とはそういう仲なのだ、行けばきっと丁重に匿ってくれるだろう」


繆賢がそういうと、藺相如は暫く間をおいて答えた。


「私は違うと思います。燕は趙に比べて弱い国です。燕王が長官に友人となって欲しいと言ったのは、本心からではなく、長官の後ろにいた趙王を恐れて、仲良くしたいと言ったのです。今、長官は趙王の怒りを買っておられます。趙王の寵愛を失った長官が燕に赴いたとしても、趙王の怒りを恐れた燕王は長官を匿うどころか、逆に長官を捕えて趙王に差し出そうとするでしょう。此処は素直に趙王の前に出向いて、嘘をついたことを誠心誠意お詫びして自ら罰を乞うのです。幸い、長官の罪は趙王に嘘をついたことだけで、他に罪科がありません。もしかすると趙王もお許しになるかも知れません」


藺相如がそう言うと繆賢も成程と思い、素直に恵文王に謝罪をしたところ、果たして恵文王は繆賢を赦免した。


和氏の璧の所有権は恵文王に移ったが、話はこれで終わることがなかった。


璧を奪うために兵を動かしたことで、人目を引いてしまい、

ことの経緯が秦の昭襄王しょうじょうおう)(*秦の始皇帝の曾祖父)の耳にするところとなった。


和氏の璧を欲した昭襄王は趙に使者を送り、

「秦の十五の城と和氏の璧を交換しよう」(連城の値の古事)と持ち掛けた。

当時の秦は強大な大国で、趙といえどもその圧力に苦しんでいた。

その横暴さから諸国からは「虎狼の国」と忌避されていた秦だが、その力には抗い難く、恵文王は百官を集めて対応を協議した。


主だった意見は

「秦は信用できない国なので、こちらから璧を渡したとしても十五城との交換はしないだろうから、交換に応じるべきではない」

「交換に応じなければ、秦はそれを口実に戦争を仕掛けて奪い取りに来るので、そのような口実を与えるべきではない」

「璧と城の交換に応じるとして誰がその使者として秦に赴くのか、璧を奪われて、城も手に入りませんでしたでは趙は天下の笑いものになり、この先趙は諸国から侮られることになる」

という内容で、結果としては秦に戦争の口実を与えてはならないという意見が大勢を占めた。

しかし、秦に璧を持ち込むという役目を請け負うものが居なかった為、会議は難航した。


そこで繆賢が「臣の食客で藺相如という者が居ります。彼に相談してはいかがでしょうか?」と恵文王に進言した。


恵文王は「藺相如とはどのような人物か?」と尋ねると

繆賢は「臣が罪を犯して燕に亡命しようとした時に、趙王様に謝罪するよう進言した男でございます。相如は、臣が素直に出頭すれば趙王様はきっとお許しになるだろうと言いました、

そして臣が相如の言う通りにしたところ、趙王様は臣に対し寛容さを示され、臣の罪をお許しになられました。臣の見るところでは、相如は智謀も勇敢さも兼ね備えた人物で、きっと趙王様のお役に立つでしょう」


そこで、恵文王は藺相如を呼んで下問することにした。


「秦が和氏の璧と十五城を交換するように申し入れてきたが、その事について、そなたの意見を聞かせてくれまいか?」


藺相如が到着するや早速、恵文王が諮ると、藺相如は答えた。


「秦は強く、趙は弱い、それを考えると秦の要求を断るわけにはいきますまい」

「秦は虎狼の国と聞く、和氏の璧を受け取っても十五城との交換の約束は反故にするかもしれぬ。その場合、我が趙国は天下の笑い者になってしまうが、その点はどうか?」恵文王が更に諮ると、


「趙が申し入れを断り、非を負うか、先に璧を与えて秦に非を負わせるかを比較した場合、断ってこちらが非を負うよりは、秦の要求を受け入れ、しかる後に秦に非を負わせたほうが良いでしょう」

「しかし、和氏の璧を奪られておめおめと帰ってくるような者を使者にはできぬ、誰か良い使者はおらぬだろうか?」

「もし、趙王様に使者の心当たりが無いのであれば、私がその任にあたりましょう。秦王が約束を守るようであればそのまま璧を置いて帰り、秦王が約束を破るようであれば、必ずや璧を持ち帰りましょう」


藺相如が自らをもって任に当たるというので、恵文王は藺相如を使者として秦に送り出した。


藺相如が秦に到着すると、昭襄王は王宮ではなく離宮の章台(遊興用の建物)において藺相如を引見した。

これは外交儀礼上、礼を失した行為である。


また、藺相如から和氏の璧を献上された昭襄王は

「これでまた一つ宝が増えた」と言って喜んだ。そして、璧を手にした昭襄王は左右の寵姫達に得意気に手渡した。


趙の国宝である和氏の璧を玩具の如く扱う態度に、趙を軽んじていると感じた藺相如は、昭襄王が十五城と交換する気が無いとみて、昭襄王に言った。


「秦王様、その璧には残念ながら小さな傷がついておりますので、それをお教え致しましょう」

「どこに傷がついているのだ?」


そう言って昭襄王が和氏の璧を渡して尋ねると、

傷を探す振りをして璧を奪った藺相如は、さっと身を引き、章台の近くの柱に背を重ねた。


「藺相如!何をするか!」


昭襄王が驚いて言葉を発すると、周りの取り巻達が、今にも藺相如に飛び掛からんと身構えた。

が、璧を手にした藺相如は怒髪天を衝く勢いで怒声を張り上げたので、気迫に押されて動けなかった。


「貴国が我が趙に璧を求めた時、趙王は百官を集めて諮問なさいました。その際、秦は信用できぬ国ゆえに、璧を受け取っても、十五城は渡さないかもしれない、だから止めるべきだという意見が多数でした。私は、小人でさえ約束を守らない事を恥とするのに、一国の、しかも大国である秦の王が人を欺くことはしないと周りを説き伏せて参りました。しかしながら、和氏の璧を手にされた秦王様の態度から察するに、十五城との交換の約束を守られる気が無いと思いましたので、璧を返していただきました。私は、ただ一人、使者として秦に参りましたので、周りの秦王様の家臣に取り押さえられて、和氏の璧を奪われてしまっては、趙王様に申し訳が立ちませぬ。もし、秦王様が左右の方々にお命じになり、私を捕えようとするなら、壁ともども私の頭をこの柱で打ち砕き、自決致します」


そう言うと、藺相如は璧を振り上げ、柱に打ち据えようとしたので、璧を壊されてはまずいと思った昭襄王は慌てて


「待て!、十五城と交換しよう、今、その城の位置を示した地図を持って来させる」と言って、側近に地図を持って来させた。


そして自ら地図を広げて、地図の城の場所を指差し

「ここだ、ここの十五城と交換しよう」と言ったが、藺相如は、昭襄王にこう告げた。


「璧を秦に送り出す際、我が趙王は秦王様に失礼が有ってはならぬと、身を清め、五日間斎戒した後に、私に璧を持たせたのです。秦王様も同じく五日間斎戒され、しかる後に王宮にて国賓として最高の礼を尽くされれば、改めて璧を献じましょう」


昭襄王は璧を手に入れる為に、仕方なく五日間斎戒した。


しかし藺相如は、それが璧を手に入れるまでの芝居であると見抜き、従者の一人に和氏の璧を持たせて、間道を使って帰国させた。


五日間の斎戒が終わると、昭襄王は最高の礼を以て、王宮に藺相如を迎えた。


「趙の使者よ、和氏の璧をこれへ」


昭襄王の側付の者が声をかけると、藺相如は箱を持って、しずしずと昭襄王の元に近づいた。


「和氏の璧を見せよ」


そう言われると藺相如は箱を開けて中を見せた、と同時に空の中身が現れたので驚いた周囲からどよめきが起こった。

昭襄王は怒ったが、その怒りを余所に、藺相如は昭襄王に言った。


「秦の王は穆公ぼくこうより数えて十数代になりますが、その間、約束を守られた王の話は聞き及んだことが有りません。私は和氏の璧を奪われ、趙王の信頼を失うことを恐れて、従者の一人に持ち帰らせました。かれこれ五日になりますので、すでに国境を越えて趙に辿り着いた頃でしょう。秦は強国であり、趙は弱い国です、秦から先に十五城を渡すならば、なんで和氏の璧一つの為に趙が秦の機嫌を損ねましょうか。秦から先に約束を履行されれば何の問題もないのです。私は秦王様を騙しました、その罪は万死に値します。どうか、思うようにお裁き下さい、しかし、今申し上げたことはご一考くださいますように」


そう言い終わると、衛士が藺相如を捕えようとしたが、昭襄王がそれを制止した。


「まて!今、藺相如を捕えて殺しても和氏の璧が手に入る訳ではない。それよりも両国の友好を壊してしまうことを考えれば、ここは国賓として待遇して、生かして帰してやるべきだろう。」


昭襄王がそう言ったので、藺相如は秦王を騙しながらも無事帰国を果たした。

結局、この件で秦が城を渡すことはなく、従って趙も璧を渡さないという結論で収まることになった。


趙ではこのことについて完璧而帰(壁を完うし、而して帰る、完璧の語原)と言って喜び、無事、和氏の璧を持ち帰った功績により、恵文王は藺相如を客卿(他国籍の大臣)に叙した。


和氏の璧の件より数年が経った頃、秦から趙に対して、二国の友好を祝う為に、黽池べんち)(現河南省三門峡市)で平和会談を行おうとの申し入れがあった。

黽池は秦の領土であり、また趙との国境より遠く離れている為、この申し入れに対して恵文王は


「余は黽池には参らぬ」と難色を示した。


しかし、藺相如及び上将軍の廉頗れんぱ)が、

「もし、この会見に赴かなければ、趙は秦に恐れをなしたと言われ、今後他国からも趙は甘く見られます」

と言い、

「会見にはこの相如も同行して趙王様をお護りします」

藺相如もそう言って諫言した為、恵文王は渋々ながら黽池に赴くことに同意した。


しかし、相手は信用ならぬ秦のことである為、万一に備えて、趙王が黽池に赴いてより三ヶ月で帰国しなかった場合は、皇太子を趙王に据えることを条件にして、出発した。


黽池に到着すると、案の定、平和会談とは思えぬ物々しさに包まれていた。

会場までの沿道に武装した秦の兵士が警備の名目で待ち構えて威圧していたからである。

恵文王は秦兵に危害を加えられないか生きた心地がしなかったが、趙兵が恵文王の周りを取り囲んで固く護りながら進んだ為、秦兵は手を出すことが出来なかった。


会談場に到着すると、兵は会場には入れぬ為、恵文王及び藺相如と主だった者のみとなった。

会談の宴席で、昭襄王は恵文王に向かって


「聞いたところによると貴殿は琴を嗜むそうな、酒宴の余興に是非所望したい」と言った。


恵文王は昭襄王の頼みを断りきれず、一曲演奏した。


恵文王が弾き終ると、昭襄王は記録官を呼んで、

「秦王、趙王に琴を弾かせる」と趙が秦に下ったかの如く記録させた。


それを見た藺相如は、昭襄王の前に進み出て


「秦では、酒席で盆を打ち叩くと聞き及んでおります。」

「ここは、酒宴の余興に秦王様に盆を叩いていただきたい」と言った。


宴席で盆を叩くというのは秦が辺境の蛮族呼ばわりされていた頃の名残である為、それを聞いた昭襄王は激怒した。


「余に盆を叩けとは何事か!、余は趙王と会談しているのであって貴様ではない!下がれ!!」と怒鳴った。


しかし藺相如は怯まず、反対に昭襄王に怒鳴りつけた。


「私は酒宴の余興で我が王が秦王の為に琴を弾かれたので、返礼として盆を叩いていただきたいと申し上げたのです。然しながら、秦王様は私に対して無礼と叱りつけられました。秦王様が私を叱ったのは、後に控えている腕利きの護衛を恃んでのことでしょう。然しながら、今、私と秦王様の距離は僅か五歩の間合いです、護衛の者が私の首を刎ねるのが間に合うとお思いか?」


そう言って剣の柄に手を掛けると、

「さあ、我が王の前で私を叱りつけた理由を伺いたい」と、昭襄王に問うた。


藺相如が刺し違えても自分を殺す覚悟だと解った昭襄王は根負けし、

「わかった、そなたの言うとおりだ」と言うと藺相如の要求通りに盆を叩いた。

すかさず、藺相如は記録官に「秦王、趙王の為に盆を叩く」と記録させて、

「趙王様と秦王様の余興で場が盛りあがった」と言って自分の席に戻った。


その後も、秦王の家臣が「両国の友好を記念して、趙の領土を秦に譲られたら如何?」と要求したが、

「貴国こそ我が趙王の長寿を祝って咸陽(かんよう秦の首都)を献上されたら如何か?」と応じた。


万事が全て藺相如の機転により防がれた為、結局、趙を秦の臣下扱いが出来ないまま会見が終了した。


黽池に措ける平和会談が無事終了したことを喜んだ恵文王は、その功績として藺相如を宰相に任じた。

それにより、上将軍である廉頗の地位を超えた。


その事が廉頗には面白くなかった。

事あるごとに

「儂は戦場で体を張ってこの地位を得たのに、藺相如の奴は口先だけで宰相になった。奴と会ったら辱めを受けさせてやる」と公言して憚らなかった。


その為、藺相如は廉頗と顔を合わせないように気を配っていた。


ある日、藺相如が馬車に乗って外出していると、遠方より廉頗の馬車がやってくるのが見えた為、藺相如は自分の乗った馬車を廉頗に見つからないように移動させやり過ごした。

それを見ていた藺相如の召使い達は愛想を尽かし、暇を申し出た。


「私どもは宰相様を尊敬申し上げて仕えて参りましたが、昨今の宰相様の廉将軍に対する態度は、臆病過ぎております。あのような卑屈な態度は我々小人でさえ恥とするところであります。これ以上、宰相様を尊敬申し上げることは出来ませんので、我ら一同暇を頂きたく存じ申し上げます」


召使い達がこの様に言上すると、藺相如は思いつめたようにゆっくりと口を開いた。


「お前たちは、秦王と廉将軍、どちらが強大で恐ろしいと思うか?」


どういう意図で藺相如が訊ねているか解らない召使い達だったが、


「それは、秦王のほうに決まっています、廉将軍などとは比べ物になりません」と答えると、藺相如は次のように答えた。


「その秦王に対して、私は二度も公の場で叱りつけたのだ、なんで廉将軍を恐れると思うのか。私と廉将軍が争えば、両虎相討つようにどちらも無事では済まぬ。よく考えみるが良い、秦が趙に攻めて来ないのは私と廉将軍がいるからだ、もしどちらかが倒れれば秦はここぞとばかりに攻めてくるだろう。私が廉将軍と顔を合わせないようにしているのは恐れているからではなく、常に国家の危機が念頭にあるからだ。それを考えれば、私一人の矜持など、どうでも良いことだ」


それを聞いた召使い達は感動し、


「宰相様のお気持ちを知らぬこととは云え、大変失礼しました、これよりまた、我々は宰相様にお仕え致します」と暇を申し出るものは誰もいなくなった。


そして、その話が廉頗に伝わると、廉頗は自分の邸を飛び出して藺相如の元に向かった。


二人の仲が悪いことは趙国中で有名であった為に、人々は何事が起きるのかと、固唾を飲んで見守っていた。


「廉将軍が面会を求め、おいでになっております」召使がそう伝えた。


「いや、廉将軍とは会わないほうがいいだろう。丁重にお断りしてくれ」

だが廉頗が自分を面罵しに訪れたと思った相如はそう言って、会おうとしなかった。


藺相如が面会を拒否したことを伝えられた廉頗は上半身を肌脱ぎになり跪くと、棘の鞭を両手に携えて門の前で吠えた。


「兵卒の廉頗めにございます!思慮の浅い私は、宰相殿のご深慮に思い至らずに愚かな態度を取りました。どうか思う存分、この廉頗めに罰をお与えください」


廉頗が刑罰を受ける所作を行ったのを知って、相如は慌てて廉頗の前に現れ手を取った。


「将軍、どうかお立ち下さい。あの強大な秦が趙に攻め込んで来ないのは、(ひとえ)に廉将軍が居るおかげです。我々は趙の臣として共に仕え、秦という強敵を相手にする者同士、たまたま考え方に違いがあっただけはないですか」


藺相如の言葉に廉頗は大いに感じ入った。


「宰相殿は誠に懐が広く寛大なお方だ。今後、私はあなたの為なら頸を刎ねられることも厭いません」

「私も廉将軍の為に頸を刎ねられましょう」(刎頸の交わりの故事)


こうして二人は刎頸の誓いを立て、両者が共に元気である間、趙は秦から攻められることはなかった。

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