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騎士は静寂に暁染めゆく 9

 国外魔法士認定試験。

 クロス王都外で魔法士としての実力を持つ者に、王国認定の資格を与えるという試験は二年に一度。

 厳しい冬が去りゆくこの季節に行われている。

 魔法国家に保障された魔法士になれば、無名でいるよりも仕事の上で何かと有利になるので、多くの自称魔法士たちが王都を訪れる。

 むろん、志願者の全てを試験してゆくのは王国の運営に支障をきたしてしまうので、事前の段階で試験を受ける資格があるのかを書類によって審査することになっている。

 一応、ディルはこの段階から審査に関わっており。提出された志願者の研究報告書を参考に、合否の判を押していった。

 数が数であり、不合格の判を押したものの多くは印象にすら残らないような粗末な代物であるので、ディルだけではなく、多くの試験官はその内容を記憶にとどめてはいないだろう。

 ……しかし。

 ある意味――良い意味ではない理由で――唯一つ記憶の中に残っている報告書がある。

 スヴェンス・セラドットという名前の、王都近隣の山村を活動拠点とする魔法士。

 骨組みが夜風に晒されている家屋の屋根の上で背骨を逸らし、盛大な高笑いをかましているその男が出してきた研究報告書だ。

「我はヴィン・セラドット大魔法士の研究を継ぐべき魔法士、スヴェンス・セラドットなり!」

 風にあおられ、ずり落ちたフードから白髪の混じった黒髪の男の顔があらわになる。

 細い顎に生える無精ひげが、怪しげな格好をさらに際立たせていた。

「スヴェンス……セラドットねぇ」

 魔法士としての高い能力をもっていたといわれるセラドット家は、ヴィン・セラドットを最後に、現在では失われてしまった名だ。

「また自称かよ」

 スヴェンスと名乗るこの男は、勝手にセラドットの名を語っている赤の他人であるのだろう。

「あいつだよ、店でこの本を買おうとしてた男!」

 どうやって降りるつもりかは知れないが、不安定な足場にまっすぐに立つセラドットに唾を吐きつける勢いでイーレンは大声を上げる。

 貴重なものかと勝手に思って盗み出したのは自分たちだが、騙されたような気分になって無性に腹が立つ。

「やっと捕まえたぞ、小娘ども!

 先ほどは小僧ごときの、見かけよりも多少は威力のある魔法に巻き込まれて後れをとりもしたが、今度こそわが師の蔵書を返してもらう!」

 敵意をむき出しにするイーレンに、自称弟子を名乗るスヴェンスは大人気なく切り返し、節くれだった人差し指を突きつける。

 不快感を覚える濁声を吐き出す口から、多量のつばが飛んでくるような錯覚に、リーディアはあからさまに嫌そうな表情を浮かべた。

「静かに喋らないか、馬鹿者」

 打撲と酔いで痛む頭を抱えて、ふつふつとわいてくる理不尽な怒りに手を剣にかける。

「まあまあ、落ち着けよリーディア」

 めずらしく感情をあらわにするリーディアの肩をぽんぽんと叩いて、ディルは本を片手にスヴェンスへと一歩踏み出す。

「認定予備試験で、ヴィン・セラドットの研究を提出してきた変わり者だな?

 不合格通知書は受け取っているはずだ、さっさと諦めてお家に帰るんだな。

 いまなら、見逃してやってもいいぜ」

「わが師の研究を認めぬ無知な魔法士に指図されてたまるか!

 さあ、その本を渡すがよい。さすれば、わが研究を理解するだろ……」

 月明かりが背中から覆いかぶさっているので、彫の深い顔には影が差し込みその表情を細部まで見て取れないが、驚愕の色を示しているのがその雰囲気から見て取れる。

「おおおおお! なんと言うこと!」

「うるせぇな」

 暑苦しく、かつヒステリックに騒ぎ立てるスヴェンスに肩をすくめ、しかしディルはそれをあおるように無体な姿になった本を小突く。

 活動元となる魔力の流れを強制的に止めている状態なので、まともな反応もなく。ごく普通の古書となってなすがままにされている。

「あんなでたらめな円陣で、不発ではあるが形にしているのは感心しなくもないが……お前、とりあえず聞いてはおくが、この国の法律は知っているよな?」

 とんとんと、痛むのも構わずに背表紙で肩を叩き。ディルは不敵な笑みで屋根の上の男に言った。

「そんなものは知るか! 法は我の元にこそある……ようにそのうちなる!」

「……なんなんだよ、それ」

 主張仕切れていないのは、基本的な知識があるからなのか。

 ともかく、そんなことはどうでもいいことなのだ。

「許可のない人間は、むやみやたらに攻撃的な魔法を扱うことを禁止されている。

 特に、街中ではな」

 王国騎士団の白騎士団長を勤めているディルでさえ、その力の使用の上限が限られている。

 それを破った場合、よほどの理由がない限りは容赦なく牢にぶち込まれ……場合によっては魔法士としての力を剥奪されてしまうだろう。

「……と、言うわけで魔法不当発動の現行犯で逮捕させてもらうぜ」

「違法売買の犯人としても、だな」

 逮捕されれば、期間限定付きではあるだろうが、ディルが本にしたような方法で魔法の力を封じられてしまう。

 なにより、牢に入れられてしまえば彼のライフワークとも言える研究に手を出すことすら叶わなくなってしまうだろう。それは、一大事だ。

「逮捕などされてたまるものか!

 私はヴィン・セラドットの悲願を達成し大魔法士となる者なのだ!」

 よほど研究にのめりこんでいるのか、重たげなマントの中に隠されている貧相な体格をそらして精一杯の主張をしてみせたスヴェンスは、これまた枯れ木のように繊細そうな腕を振り上げ吼える。

『我が願いは神の意思であり、全てを築くものなり』

 言葉と共に、あまり広くはない通りいっぱいに光が満ちる。

「なんだよ! これ!」

 唐突に光り始めた足元にパニックを起こすイーレンは、ハロルドの腕にしがみ付いてピョンピョンと飛び跳ねる。

「壁にあったものと同じ奴……だな?」

「ああ」

 光は急速に終結し、剥がれた煉瓦が転がる足場の悪い地面に巨大な一つの円陣を描く。

 見たままの感想を言えば、それは本家を踏襲した完全な亜流。

 根源は同じだが方向を大いに違えたその力は、奇妙というよりもはや気分が悪くなってくる。

 術者の性格をそっくり投影しているような円陣はひねくれていて、発動を阻止するために解読するには時間が足りない。

「くるぞ……!」

 ならばと、ディルはスヴェンスの円陣を塗りつぶすように新たな円陣を描き、衝撃に対応できる結界系の魔法を展開させる。

「イーレン!」

「あっ!」

 呆然としているイーレンにハロルドが覆いかぶさるのとほぼ同時に、スヴェンスの魔法が――爆発した。

「くっ!」 

 舞い上がる砂煙に目と口を庇いながら、リーディアは爆発に痺れる両足に力を入れて倒れないように踏ん張る。

 ディルが直前に発動させた魔法によって、その威力の大半をかき消されたとはいえ、その衝撃は半端ではない。

 爆音と共に舞い上がる濃厚な砂埃が、煙幕のように彼等の視界を奪う。

「ちっ! 野郎……」

 爆音に痺れる鼓膜に舌を打ち、身構える。

「中途半端なものを使いやがって……魔法士としてのプライドってのが無いのかよ」

「これぞ、わが師の力! さあ、返してもらおう。それは私が持つのが一番相応しいのだからな!」

「失敗しといて、何を偉そうに!」

 ざりっと擦れる砂礫の音。

 軽快なステップで歩み寄ってくる足音に、ディルは言葉を切って素早く身を引く。

 濃厚な黒い砂煙の中からにゅっと突き出される細長い腕が、その動きに合わせて幽鬼のように揺らめいた。

「……っと!」

 闇雲に突き出される腕は、充満する煙を引っ掻き回してふたたび消え、悔しげな舌打ちが耳に届く。

 だが、ディルにはそれを嗤っている余裕がなかった。

「なっ!」

 突然のことに、動揺した声を上げたのはリーディアだった。

 不測の事態を想定してはいたが、見知った気配に襲われるとは思いもしていなかったのだ。

「ディル!」

「うわっ!」

 スヴェンスの腕を避けたのはいいが、足場の悪い足元がさらに悪化している上に、視界は最悪だ。

 大して気にもせずに後ろへ飛んだのも迂闊といえばそうなのだが、絶妙な位置に転がっていた瓦礫に足をとられ、背中から転んだディルはとっさに側にあった手近なものに手をかける。

 無意識、というよりは反射的なその行動に悪意はない。

 だからこそ、リーディアはまともな反応もできず、一緒になって派手に転倒する。

「だ、団長!」

 わずかな悲鳴と大きな物音に、緊張をその頬に浮かべたハロルドが、何事かと剣を握った。

「……な、なにやってるんですか」

 呆然とハロルドは呟く。

 砂煙の嵐が去った通に折り重なるようにして、ディルとリーディアが倒れ、それより少し離れた場所には、うつ伏せになって突っ伏している黒い塊がある。

スヴェンスだ。

 ぼろぼろのブーツの側に子供の頭ぐらいの瓦礫が落ちているのからして、おそらくは彼も足をとられて転倒したのだろう。

 圧殺された虫のように手と足を広げて、なにやら呻いている。

「……っつ。なにやってんだよ、リーディア」

「それは、こっちが言いたい」

 打ち付けた腰を擦りながら悪態をつくディルに不機嫌に言って、体を起こす。

「これは……」

 吸い込んでしまった砂埃に苦い喉で咳き込んで、一瞬にして景色の変わった通りに閉口した。

 もとより酷い有様だった通りはさらに酷くなっている。

 僅かに残っていた舗装は全て剥ぎ取られ、なおかつ基礎部分まで見えてしまっているのだからどうしようもない。

 周囲に並ぶ廃屋もいくつかは被害を受けているようで、みしみしと不吉なしなりが風の音の合間に聞こえてくるようだ。

「派手にやりやが……あれ?」

 痛む体に涙を浮かべ立ち上がったディルは、その手持ちぶたさに首をかしげる。

「本がねぇ!」

「なんだって!」

 転んだ時に紛失したのか、その手にあるはずの本がなくなっていたのだ。

「ふふふ! もらった!」

「おいっ!」

 声に顔を向ければ、四つん這いでありながらもかなりの速さで瓦礫をかき分けて走るスヴェンスの姿があった。

「うわ……」

 黒いマントを邪魔そうに跳ね上げながら進むその姿は、まるでゴキブリのように気色が悪い。

 思わず連想してしまって鳥肌が背中を占領する悪寒を感じながらも、それ……スヴェンスが目指す先に例の本があるのを発見して、しまったと舌打ちをする。

「ディル!」

「わかってるよ!」

 彼等は互いに毒つきながらも、瓦礫を蹴り上げて走るが――間に合わない!

「ふっ、はははははははっー!」

 狂気じみた高笑いを上げながら、スヴェンスは勝ち誇るように右手をいっぱいに伸ばし、瓦礫に埋まるようにして放置されている本を掴んだ。

「ちぃっ!」

 魔法を扱う技を持っているスヴェンスは、その能力がいくら低かろうが魔法士といって差し支えはない。

 だからこそ、あの本を彼に渡してしまってはならなかった。 

その力を制御できるのならまだしも、少年のように乗っ取られてしまったら最悪だ。

力を行使するのに必要な魔力を得れば、あの精霊は嬉々としてその野望を叶えにゆくに違いない。

 抱える野望が世界平和の類であるなら心配もないが、その可能性は少ないだろう。

「見るがいい、魔法士よ。

 我が師の力は最強にて絶対の力なのだ」

「わけのわからないことを……!」

 奥歯を噛んで、ディル小さな円陣を作り上げる。

 即席の魔法ではたいした威力は望めないが、いくらなんでもこちらの魔法の準備が整うまで律儀に待ってくれるような人間ではないだろう。

「ヴィン・セラドットが残せしものよ、目覚めるがいい。

 今こそ、その力を……力を……

 ちからぁぁぁぁぁ!」

「……なにやってんだよ?」

 魔力の流れを分断している短剣を細っこい指で握り締め、必死になって引き抜こうとしているスヴェンスにディルは口元を引きつらせた。

「ぬ、抜けない!」

 血管が浮かぶ、病的なおうとつが目立つ手の甲をプルプルと震わせ、噛み締めた奥歯が割れてしまいそうなほどに噛み締め力をこめるが、短剣はピクリとも動かない。

「……なんなんだ、あれは?」

「それっくらいの封印も解けないのかよ……三流の中の三流め!

 焦って損した! 慰謝料要求するぞ、コラ!」

イライラと拳を握り締め、ディルは即席の魔法にさらに手を加えたものを、一人短剣と格闘しているスヴェンスへと放つ。

「ぎゃんっ!」

 バチバチと爆ぜる電撃が放たれ、枯れ木のような体がぶるりと大きく震える。

「必要以上の手間を取らせやがって」

 強制的な痺れに弛緩した手から本が勢い良く中を飛び、息を呑んで様子を伺っていたイーレンの足元へと落下した。

「こんなもの――」

 呟いて、イーレンは憎々しげに短剣の刺さった魔道具を冷たい光の滲む青い瞳で見下ろした。

「何も、役に立たないじゃないか」

 信じていたのに……と。

 一方的な願いではあったが、子供ゆえの必死さからくるけなげさは、彼女に深い落胆を植え付ける。

「イーレン?」

 無体に転がる本を凝視するイーレンの、あまりにも気味の悪い真剣さにハロルドは喉につかえるような違和感を覚える。

 なにが、とははっきり答えることは出来ないが、なにか不穏な気配が肌をくすぐるのだ。

「何とか……あたしが何とかしてやらなくちゃならないのに。

 リクも、オヤジさんも」

熱に浮かされたような声……そして、表情。

「イーレン、どうし……」

『――望む、か――』

「これは?」

 不意に響く言葉に、ハロルドはあたりを探るように視線を浮つかせる。

 かすかな、声。

 聞き取れるか取れないか、囁きよりも小さな声音にディルは本能的な危機感を察し、こめかみに冷たい汗を滲ませた。

「ハロルド、止めろ!」

 電撃によって気絶したスヴェンスが身につけていいたマントを剥ぎ取り、細い体に巻きつけて身動き取れないように追い討ちをかけていたディルは、本へ手を伸ばすイーレンに気づいて反射的に声を上げる。

「は、はいっ!」

 彼女の側には、ハロルドしかいない。

 唐突のことにいまいち反応できてないが、ハロルドは言われるままにイーレンをとめようと動く……が。

「――なっ!」

 強烈な、浮遊感。

 頭で理解する余裕も無く。ハロルドはまともな悲鳴を上げることすら出来ずに、強力な、何らかの力によって吹き飛ばされた。

「ハロルド!」

「ぐっ、うっ……」

 ごつごつとした、瓦礫ばかりの地面に叩きつけられたハロルドは苦悶の声をもらし、痛みを訴える身体を無視して顔を上げた。

「なん、だ?」

 その視線の先。荒れ果てた景色以外は、なんらおかしなところはない。

 ……ないのだが。

『少女よ、力を欲するか?』

「ち、力?」

 空間に響く声にイーレンは脅えるように肩をすくめ、あたりをきょろきょろと見回す。

『そうだ。

 絶対の力を……望むか?』

 人の声だが、あきらかに肉声ではない不思議な響きを持つ声に、イーレンは引き寄せられるように視線を再び足元へと向けた。

 そこには、あの本がある。

 不可思議な現象を生み出す、魔法の力が秘められた本だ。

「にわか魔法士め、余計なことをしてくれたな」

 能力が低すぎたために、ディルの結界を破ることは出来なかったようだが、その力を緩めるくらいは出来たようだ。

 気を失ったまま、自分のマントで簀巻きにされているセラドットを腹いせとばかりに蹴り、緊張に強張る顔をイーレンへと向ける。

「どういうことだ? 何が起こっている」

「封印が解けかけてんだよ」

「!」

 ぶっきらぼうな口調は、あまり余裕が無いという証拠か。

 軽口ばかりを叩くのではっきりとは分からないが、盗み見るようにして伺うその横顔には疲労によるかげりが僅かに浮かんでいる。

 特等魔法士といえども、短期間に幾つもの魔法を発動させていれば消耗も激しい。

『少女よ、望むなら我を受け入れよ。

 汝の親しきものが望んだように……そして私が望んだように』

 淡々とした口調。

 しかし、どこか聞き逃せない力強さをもった声はイーレンを捕らえていた。

「やめろ!

 そんなものにすがりついたって、何もかわらない!」

ディルの怒声に、小さな手が戸惑いを示すうように僅かに震える。

 だが……

『汝もまた、望むものであろう。万能の力たる証……生命の創造の力。

 すなわち、招魂の法を』

「しょうこんの……ほう?」

 意味を理解できずに復唱するイーレンに、声は律儀に答える。

『死者を蘇らせる、絶対の力だ。汝の親しきあの少年も、肉親を蘇らせることを望み私を受け入れた。

 残念なことに、それは叶わぬ願いとなってしまったが』

「リクが……望んだ?

 死者を蘇らせるって……そんな」

 信じられない。

 夢現のような呆然とした表情で、イーレンは自分を凝視する二人の騎士へ首をめぐらせる。

 小うるさい魔法士によって切られた話は、何を自分に伝えたかったのか。

「……しっかり聞け、イーレン。

 この世には、絶対の力なんてものは無い。惑わされるんじゃない、それは甘言でしかないんだ」

「……あたしが」

 どさっと。

 弛緩したイーレンは膝をついて、蹲る。

「あたしが……あたしが何とかしてやらなくちゃいけないんだ」

 意志の強そうな瞳を不安定にゆるがせて、イーレンは目の前に落ちている本へと手を伸ばす。

「駄目だ!」

「ディル!」

 それを阻止しようと飛び出したディルのケープを掴んで引き戻すと、リーディアは飛んできたこぶし大の瓦礫を鞘に収めたままの剣で叩き落とす。

「……くそ!」

 乱暴な足止めに怒りをぶつける暇も無く。産毛を逆立てるような悪寒を感じたディルは悔しげに舌を打つ。

 その目の前で、イーレンの小さな手が本に突き刺さる短剣に触れた。

 瞬間、薄暗い世界に一瞬の輝きがともる。

 イーレンの手に握られた短剣は、星が燃え落ちるときのような灼熱の光を放ち、硬い音を立ててあっけなく砕け散ってしまったのだ。

「剣が……砕ける、だと?」

それを目の当たりにして、リーディアは呆然と呟く。

 驚いているのは彼だけではない。

 ディルもまた、目の前で起こっている現象に突っ立ったまま口をあけていた。

「まさか……」

 刃のついていない魔道具であるからといって、その強度は普通の短剣と同等のものを持っている。その気になれば、打撃系の武器として扱うことも可能だ。

 少女の握力で粉々に出来るようなものではない……はずだった。

 唯一つの可能性をのぞいて。

「素質者かよ」

「こんな所に?」

「調査会の奴らめ、いい加減な仕事をしやがる」

 戒めが解けた本を膝に乗せたまま、呆然と座り込んでしまっているイーレンを中心に風が渦巻きはじめる。

 瓦礫を巻き上げる強い嵐に顔を腕で庇いながら、飛ばされてしまわないようにと身構えて、視線だけを交わして事体の悪化に二人は毒ついた。

 彼等が言う調査会というのは、魔法士になる一番の条件でもある魔力を多くもつ人間を探し出し、一般社会に害が及ばないようにしかるべき教育を受ける機会を与えるという機関だ。

 いくら常人が持っている力であるといえども、一定量を超えれば問題となる。制御の効かない力は暴力でしかないのだ。

(オレの魔具に影響されて、眠っていた力が目を覚ましちまったのか?)

 膨れ上がる尋常ではない魔力に、こめかみにぬるい汗が滲んでくるのを感じる。

「力を――力を頂戴。

何も失うことが無いように、強い力を」

 張り詰めた少女の声が、荒れ狂う嵐の中で響く。

「ギリア団長! これ、なんとかなりませんか!」

 呼吸すらもままならない風に息を切らしながら訴えるハロルドに、ディルは言葉ではなくイラついた視線だけで答えを返した。

 気持ちだけで言うなら今すぐこの嵐を止めてしまいたいものだが、荒れ狂うこの力は全うな流れを得ることが出来ない魔力が暴走している状態だ。

 下手な刺激を与えてイーレンへと逆流してしまえば、ただですまないのは彼女だ。

『おお……おおぉ……素晴らしい。この力は素晴らしい』

 無差別に、気ままに荒れる風に薄いページをあおられながら、歓喜に咽びかえるような声が上がる。

『これならば再び我の願いをかなえることができるだろう。さあ、少女よ、私を受け入れよ』

 悪魔の囁き。

 陳腐な表現ではあるが、それはまさにそう言った類の誘いだった。

「野郎……」

 暴風に足をとられながらも、ディルは歯を食いしばって一歩……一歩とイーレンへと歩み寄ってゆく。

 今ならまだ間に合う。

 この風はイーレンの中に眠っていた魔力が一気に放出されたために起こっているもので、本によるものではない。

 魔力的なつながりを持っていない今なら、本をイーレンから遠ざけることで最悪の事態を回避できるはずだ。

「イーレン、それを渡すんだ!」

「なくしたもの……」

『あるのだろう、取り戻したいものが』

「母さん、父さん」

『そうだ。

 取り戻したいのだろう、全部……全てを! 我が求める力は、それを可能にするものなのだ!』

 常人にはない魔法という絶対の力は、その本質を何一つ知らない少女にとって神の力と等しい意味を持つ。

 それは至極魅力的であり、強がりで必死に押し隠していた寂しさが、彼女の迷いを断ち切ってゆく。

 取り戻せないと諦めていたものが、取り戻せるというのなら――求めるに足る条件はそろっている。

「駄目だ! そんな力は、この世に存在しない」

 ディルの制止は届かない。

 イーレンは誘いのままに風にあおられる本へと手をかざす。

そして――

「ディル。これは、まさか」

「魔具代わりに使う気かよ!」

 ばらばらと音を立て、不自然な動きでページが送られてゆくたびに、かざした手をつたってイーレンの滑らかな肌に次々と光で構成された紋様が刻まれてゆく。

 幾万にも及ぶ古語の組み合わせによりその存在を形成されている精霊は、一つでもその言葉を失えば意味を失い塵と消えうせる。

ヴィン・セラドット著の本は、力を残しているのが奇跡と思えるほどに損傷していた。

新たなよりしろを欲する理由はある。が、それを生身の人間に求めるのはいささか無謀すぎる行為だ。

「死んじまうぞ!」

「何ですって!」

 物騒なディルの声に、ハロルドは表情を青くさせてイーレンを見る。

「付加が大きすぎるんだよ! いくら魔力が強くたって、魔具の変わりになんか……」

『全てを託せばそうだ。しかし』

 高い少女の声と低く響く男の声が同時に反響し、喉で押しつぶすような不快な笑いに吸い寄せられるかのように荒れ狂う嵐が静まって行く。

『そうでなければ、可能なことだ。愚かなカルヌーンの魔法士よ』 

「……何だとぉ?」

 目に映る全てのものを蔑むような高慢な口調。

 頭ごなしに馬鹿にされているような気分に、ディルは目じりを吊り上げた。

 緑色の瞳が好戦的に細められてゆく。

「待て」

 指の関節をバキバキと鳴らして詰め寄っていくディルを押し留め、リーディアはわずかな違和感を確かなものにすべく、注意深くイーレンを見る。

 白い肌にくっきりと浮かぶ光の文字の羅列は、まるで刺青だ。背筋が粟立つような魔力による純粋な光は、おぞましくも美しい。

 リーディアは無意識に右腕を擦りながら、硬い唾を喉の奥へ押し込む。

 イーレンの口を借りて語るその声はあいも変わらず尊大ではあるが、先ほどまでの……少年を利用していた時のような荒々しさを感じさせない。

 それは齢を重ね、己が人生を悟ったような落ち着いた声音だった。

『己の持つ力の限界を確かめようともせず、型にはまったままで満足する。

 知識の追求、力の鍛錬、新たな境地。それこそが、魔法士と呼ばれるものの本質であるべきものを』

 静かに紡がれる声にただ不快感を覚えるのは、それが生々しく怨みがましいヒトの口調であるからなのだろう。

「そうか。

 ……ったく。天下の大魔法士候補殿が、こんなに姑息な人間だったとはね」

『私が認められるためには致し方なかったことなのだよ。

 酷く――愚かな行為ではあるが』

 本を片手に持ち、イーレンはしっかりとした足取りで立ち上がるが、その青い瞳には意志というものが欠如していた。

「どういうことだ?」

「大魔法士候補って……ヴィン・セラドットってことですか?」

 当人達の間で筒抜けになっている真実も、ことの成り行きを伺うしかないリーディアとハロルドにはまったく推測がつかない。

 身構えながら、ディルはにわか教師にでもなったつもりでその疑問に答えた。

「本当に、自称精霊王だったってことだ」

『この書は、私が作り出したもののなかで一番の駄作だ。

 ゆえに手放し、記録から消え去ることを望んだのだが……よもやこのような形で蘇るとはな』

 幼さが色濃いイーレンには似合うはずのない、落ち着き払った世捨て人の独白。

 緊張に意識を尖らせる彼等の前で語るのは、あれだけ騒ぎ立てた精霊ではなかった。

「よく言うぜ。

本当に消えちまうのを望んでいたのなら、その手で処分しちまえばよかったんだ。

 未練がましく他人の手に委ねたのは、あんたの自尊心の表れ……魔法士としては最大の恥だ」

 ディルの口上に、それは自虐の笑みを浮かべた。

 そのとおりだと……簡単に認めるような笑みに、苛立ちを感じたディルは拳を握った。

『生涯……全てをかけてさえ、私は望むものを得ることは出来なかった。ゆえに私は絶望に狂っていたのだよ。

 若き魔法士よ、何も残さずして死ぬには惨めすぎたのだ』

 そう言って、セラドットは両手で持って開いた本を胸の前でかざす。

『偽りは既に意味を成さない。我が我を取り戻したように、汝もまた本来の姿へと転換せよ』

 精神と力。

 その二つの両立で精霊王という名を語っていたものは、呼びかけと共に本来の……力だけの存在へと戻る。

 それが、あるべき魔道具としての姿なのだろう。

「全て、自作自演だったと?」

「だろうな。

 ヴィン・セラドットだったモノの一人芝居だったんだろう」

 ディルの推測を肯定するように、それ――セラドットは後を引き継いで言った。

『私の意識が私ではない何かを演じることによって、アルマゲストとは違う門を創生した気になっていたのだ。

 滑稽だろう』

 自作自演のお遊戯は、そのからくりすら忘れた道化と成り果てた自称フラムスティードによって、本体……セラドットが死去したおよそ百年後のこの時代までずっと続けられてきたのだろうか。

 笑えばいいと自らも謗るセラドットに、ディルは笑うこともせずに深くため息をついた。

 ヴィン・セラドットの魔法士としての能力は確かなものだった。だが、それゆえに彼は手の届くわけがない高みへの野望に溺れた。

 だが、それは彼が特異であったからというわけではない。

 他者とは違う特殊な能力を持つ魔法士には、彼のように絶対のものを望んで失敗するものなどごまんといる。

 不幸なことは、彼がその道を期待されるほどの能力者だったということだ。

『私の研究を認めさせるためには、どうしても結果が欲しかった。

 だから私は幾つもの、後に駄作と蔑まれる作品を作り上げてしまった。これはその中の一つでしかない』

「なんですか、これ!」

 ハロルドの上ずった声に、ディルはきつい視線を投げる。男の悲鳴ほど不快なものはないんだなと胸中で毒ついて、にわか授業を再開させた。

「人間外ということは確かだがな。

思念体……怨念とかいった部類だろう。

ようは強い魔力が無意識に形をなしたもの……まあ、幽霊って言ってもいいが、怖くない方がいいだろ?」

 ふざけた口調ではあるが、その表情は硬い。

 対するものが、只者ではない……そういうことなのだろう。

「しかし。とんでもないものを持ち込んでくれたよな」

「まずいのか?」

 苦々しく呟くディルの隣で、リーディアは視線を厳しくして剣をかまえる。

 抜き身の鋼は良く研がれた刃を月明かりに反射させて、標的へと向けられるが……不用意に動かすことは出来ない。

 いくら乗っ取られているとはいえ、目の前にいるのは生身の少女だ。

 傷つけるわけにはゆかない。

「どうにかして、セラドットとイーレンを引き離さない事には、何も仕掛けることが出来ねぇな」

 肩口にまわってきたみつあみを背中へと片手で弾いて、乾いた唇をなめる。

「方法は? 何かないのか」

 じゃりっと砂礫を踏みしめて、本を片手に悠然と立つセラドットとの距離を詰める。

「どうだろうな」

 答えて、両手を広げたディルはその先に二つの円陣を描き出した。

『トゥカナ・ウラノトメリア・エレクト・フィーアツェーン!』

 ヴンッ――と空気が唸り、カンテラのような輝きが宵を照らした。

『逃すな』

 命じて、ディルもまた走り出す。

緑色の輝きをもつ光は野に放たれた双子の犬のように勢いよく跳ねながら、セラドットへと襲いかかってゆく。

 それに声を上げたのはセラドットではなく、ハロルドだった。

「イーレン!」

 必死の呼び声に、小さな肩が僅かに跳ねる。しかし、ディルの放った閃光からはどう考えても逃れることは出来ないだろう。

 だが。

 綺麗な半円を描く光線の軌道上に突如として黒い塊が割り込んでくる。

「それは、私の本であるぞ!」

 失念した……と。

 この時ばかりは、さすがにディルも深く反省をした。

 気絶しているものだとばかり思っていたスヴェンスは、器用……というよりはもはや根性といった類の力で簀巻きのまま立ち上がった。

 それは丁度、止まることを知らない閃光からセラドットを守るような形になってしまっている。

「さあ! っていうか、なんであるかこの光――」

「ちっ、仕方ねぇ」

 事体が飲み込めていないのか、呆けた顔で振り返るスヴェンスに舌打ちをして、ディルはさらにその足を速める。

『その愚かなる者を喰らうがいい!』

 側を飛ぶ閃光の一つをさっと撫でて、ディルは標的をセラドットから埃塗れのスヴェンスへと変更する。

「ちょ、ままままま、待て待てー!」

「……知るかよ!」

「ひっ!」

 引き連れた悲鳴が、細い喉から漏れる。

「ひぎゃあああああああっ!」

 容赦も情けもなく襲い掛かる閃光は、青白い稲妻でスヴェンスの細い体を巻き取りはじける。

 バチバチと響く不穏な音は、まるで尾を鳴らして威嚇する蛇のようだ。

「ひゅ……おぁ」

 いい具合にこげたスヴェンスは、今度こそ気絶したのだろう。

 情けなく口を開いたまま、ゆっくりと体がかしいでゆく。

「失礼するぜ! おっさん」

 ディルは瓦礫を蹴飛ばし飛び上がると、煤だらけの顔面へと無遠慮に踏み込んでさらに高く 飛び上がる。

『捕らえよ!』

 残ったもう一つの閃光へ指示を下す。

『……散るが良い』

「なにっ!」

 主の命に嬉々として、セラドットに操られているイーレンへと降り注いでゆく閃光は、その力を発揮するその瞬間、盾のように現れた小さな円陣へと触れ……跡形もなく消え去る。

『十四界位魔法で助かったな』

「――のっ!」

 今まで見たこともない現象を追求している暇はない、不意のことに戦闘へ注意がそれてしまったディルは、輝く凶器の存在を確認したものの体が追いついてこない。

(まいったな)

 冷静に自覚する自分に思わず失笑してしまう。

 少女の小さな手に収まるナイフの切っ先は、躊躇いの見られないしっかりとした軌跡を描いて、身構えるディルへと振り落とされる。

――が。

「させるか!」

 ぎんっと金属のかち合う音が鼓膜を揺さぶる。

「サンキュ、リーディア」

 視界を埋める漆黒の姿に安堵して、体の緊張を解く。

 いっしょに走りこんできていたのだろう。振り上げた剣を正眼にかまえ、厳しい表情でセラドットと相対するリーディアに苦笑を零す。

『乱暴なことをする』

「お前に言われる筋合いはない」

 短剣よりも、倍以上はゆうにある剣で弾いたのだ。加減はしたとはいえ、打撲だけですんでいるのだからいい方だろう。

 半歩詰めれば間合いに飛び込めるほどの距離を取って、リーディアは気迫を押し隠すこともなく見据えるが、安易に剣を振れないという事は向こうも分かっているようだ。

 鋭い切っ先を向けられても、その表情にたいした変化はない。

「今の――てめぇ、何も残せなかったんじゃないのか?」

 作り出された円陣は、スヴェンスが無理やり形にしていたもののような亜流ではなく、ディルが使っているものと同じ流れを汲んでいるものだった。

「相殺は俺だって良くやるが……消滅なんてのは、初めて聞いたぜ」

 そう、消滅だった。

 魔法の強さは二十の段階で分けられている。先ほどディルが使ったのは十四界位と呼ばれる強さで、全体から言えば下の中といったくらいに威力を抑えられたものだ。

 しかし。だからと言って、どんなに弱い魔法でさえ完全に消滅させるようなことなど出来ない……はずなのだが。

『界をこじ開けるだけの門……何も生み出せない魔法は、私の求めるところではない』

 ディルの魔法は使命を果たすその前に、元の場所へと返されてしまった……ということなのか。

『カルヌーンの魔法士よ、私のゆく手を遮るな。

 私は今度こそ、この願いをかなえなければならないのだから』

 妄執の固まりは、ディルやリーディア。そしてハロルドの心境すらも無視して、一人ごちる。

 淡々とした口調でありながらも、裏に秘めた無念の思いはイーレンの虚ろな表情とあいまってぞっと来るものがある。

「願い?」

『絶対的な創造の力……力ある魔法士ならば、誰もがその境地へ手を伸ばすだろう。

 私が作り上げた贋作は、その過程から生まれてしまったものにすぎない』

 回りくどい曖昧な答えに、ディルは奥歯を噛み締めて怒声を吐き出した。

「招魂の法か。

 ……くだらねぇ」

「死者を生き返らせるという、禁忌か?」

 リーディアはまさかと表情を崩すが、少女の姿を借りたセラドットの気味の悪い笑みは、決してそれが冗談で言っていることではないことをしめしていた。

『魔法士であるならば、貴殿も望んだことではないのか?』

「馬鹿なこと言ってんじゃねぇよ!」

『ふっ、どうかな』

 鼻で笑って、セラドットは古びた本のページを外気へ晒す。

『フォルナックス・フラムスティード・ゼカ・エルフ』

 力ある言葉と共に、腐りかけたページに記されていた円陣が輝きを放つ。一から紡ぎあげるのと違い、既に出来上がっている円陣は彼等が異変に反応して身構えるよりもさらに早く、生み出されてゆく。

『発展を捨てたカルヌーンの魔法士たちが支持する力を使わねばならないのは苦であるが……いまは、仕方あるまい。

 排除せよ! 我がしもべ!』

 言葉と共に、目に見えない鋭く……巨大な刃物と化した風の塊が四方八方へと無差別に放たれる。

「こんなもの!」

 直感を頼りに、リーディアは触れれば二つに体を切り裂かれてしまいそうな刃をやり過ごす。

「ぐっ……!」

 息を詰めた悲鳴に視線だけを向ければ、避け切れなかったのか。肩に裂傷を負ったハロルドが痛みに歯を食いしばっている。

「ハロルド! 下がれ」

「大丈夫、大丈夫です」

 むせてしまいそうな濃い血の臭いに脂汗の滲む顔をしかめながらも、ハロルドはリーディアの指示に首を振り、イーレンへと苦痛の滲む青い瞳を向ける。

「イーレン。正気になれ……」

 セラドットに完全に支配されてしまうというとことは、彼女が彼女でなくなるということ……すなわち死だ。

 魔法に対しての知識がありもしない少女は、そんなことも知らずにセラドットの言葉に乗ってしまったのだろう。

 次々と、連続して放たれる刃を避けながら。

 詰め寄ることはおろか、逆に距離を開けられてしまうのに苛立ち、リーディアはイーレンの中に潜む闇に埋もれた存在に吼える。

「セラドット!

 今を生きる命を危険に晒すものが、絶対者をかたるな!」  

 失ったものを悲しみ、その孤独感と空虚さを埋めたいと思うのは当然だ。だが、それを埋めるものは必ずしも失ったその物でなければならないとはかぎらない。

『私は今一度、この世で失ったもの全てを――名声を、地位を……そして家族を取り戻す!

 贋作の魔道具として消えるはずだった私であるものが! 生命の創造を成す!』

「高慢な奴だよ。

 お前は、魔法ってモノを勘違いしている」

『そう言って私を否定するから! 貴様らが認めようとしないから、私は死んだのだ!

 私……わたしは……』

 怒声は凶器へと変わり。

 感情に呼応する魔力に、輝きをいっそう強くした本がその背表紙に張り付いていた幾枚ものページを虚空へと吐き出す。

 空中を浮遊するページはいつでも力が放てるような臨界状態のまま、イーレンの小さな体を覆う鎧のように展開してゆく。

 下手な小細工が払拭された魔道具は、本流の流れを汲む純粋な魔法としての力を彼等の前に示してみせる。

『失って、悲嘆して、絶望した事をお前達は知らないんだ!』

「イーレン? イーレンなのか?」

 荒々しいセラドットの口調に必死の幼い声の訴えが上乗せされ、ハロルドは困惑する。

 いまだ残るイーレンの感情なのだろうか。

「セラドットの狂気に影響されている? いや、むしろ……逆なのか?」

 風の刃に引き裂かれてひしゃげる鉄塔に冷や汗を浮かべながら、ディルは不確かな口調で自身の考えを確かめるように呟く。

「ディル?」

「受け入れさせなきゃいいんだ。あの子に、セラドットを否定させればいい。

 そうなれば、あいつは居座ることが出来ない」

 セラドットが全能と称する魔法の力。

 死んだものさえ蘇らせるというその言葉は、ディルにしてみればとんだ戯言だ。

 ……しかし。

「簡単ではないぞ」

 イーレンにとって、それは心のうちに秘めていた願望を諦めなければならないということだ。

 失った両親を取り戻したいと、決して叶わない夢のような願い。

 理解を超えた力ならそれも可能ではないのではないかと思うのは、仕方のないことだろう。

「わかってる。

 でも、あの子は大丈夫さ。きっと応えてくれるって!」

 根拠もないのにディルは平然とそう言って、止むことを知らない嵐によってあっという間に様変わりしてゆく景色の中を駆ける。

「信じるしかない……か。ハロルド!」

「やれます!」

 気迫の篭った声に、下がれとは言えない。

 リーディアは軽く頷いて答え、先行するディルを追って走る。

『トゥカナ・ウラノトメリア・ラグント・エルフ!』

 高らかに叫び、ディルは舗装が剥がれてむき出しになった土や砂利を巻き上げて襲い掛かる風の刃をことごとく弱小化させてゆく。

「イーレン!」  

 その隙を狙って、リーディアとハロルドがイーレンへと向かって走りこむ。

『邪魔だ! 魔法士でもない者が、しゃしゃり出て来るでない!』

 セラドットの手札は何も風だけではない。

 神経質な金切り声と共に、背後に控えていたページが二枚。彼等へと向かって放たれる。

「な! なんだ!」

 ちょっと触れば簡単に裂けてしまいそうな紙は、呆然とする間もなくその全体像を黒い人型の塊……ちょうど影に質量を持たせたようなものへと変化する。

「ハロルド、気を抜くなよ!」

 先ほど対峙していた影と同じものなのだろう。

しかし、イーレンの能力のせいなのか、幾分か……いや、だいぶ力が強くなっているようだった。

 直感が拾った危機感に、神経が鋭くなってゆく。

「……っ!」

 利き手を負傷しているハロルドを援護しながら、音もなく軽い身のこなしで重い一撃を叩き込んでくる影へと刃を立てる。

 が、手ごたえの感じられない影は、胴体の半分を切り裂かれてもたいしたダメージではないらしい。

 闘い辛い相手ではある。

が、勝てない相手ではないだろう。

 一撃一撃は人知を超えた力押しであるが、その動き自体はもどかしい。

 それは先ほどの交戦でもいえたことなのだが、発動者……つまりはセラドット自体に戦闘の経験がないためであるからだろう。

 魔法は発動すれば勝手にことをなすものではなく、生み出し、制御してこそが魔法と呼ばれる力になるのだ。

「リーディア! 頭を狙え!」

 慌しくかけてくる足音と声に、リーディアは剣を握り締めて視線をさらに鋭く光らせる。

 大きく振られた腕を後方に軽く跳んでぎりぎりで避け、続けざま、瓦礫を蹴り上げ体ごと影へと突進した。

「はぁっ!」

 短い気合と共に下から上へと剣を振り上げ、振りかぶられた腕ごと胴体を裂く。

 そして。

「たあぁっ!」

 バランスを崩し、よろめいた隙を見逃すことなくリーディアは影の頭部へと剣を叩き落した。

『――!』

 奇声。

 鼓膜をつんざくような、人ではなく……生き物の声でもない奇妙な音を上げて、影は風に巻き上げられる塵のごとく分解し、消えてゆく。

 空気と混じって消滅する塵の中に、二つに分かれたページがひらひらと舞っている。

『トゥカナ・ウラノトメリア・ゼカ・エルフ』

「――っ! ギリア団長」

 残る一体も、ディルの放った魔法により頭部を吹き飛ばされ、塵と消える。

「追え! 逃げられるぞ!」

 ほっと息をついているハロルドを振り返ることなく走りすぎ、ディルは彼等に背を向け闇夜の向こうへと走ってゆくセラドットを追いかける。

「いくぞ、ハロルド」

「了解です!」

 それに遅れまいと、リーディアもハロルドを叱咤し駆け出した。

 宵の闇に消えて行く小さな少女を助け出すために。

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