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騎士は静寂に暁染めゆく 8

 状況を無視した二人の会話に、フラムスティードと名乗った精霊は十三体の影を従え地団太を踏む。

 子供の体を借りているのでその仕草自体は可愛いものだが、周囲を取り囲む影に同じような仕草をされては、滑稽としか言いようもない光景になる。

 しかし、ディルはさすがに笑おうとはせず、緊張を促すように身構えた。

「フラムスティード……っていわれてもな」

「精霊王の、一人だったか?」

 その名にはリーディアにも、聞き覚えがある。

「そうそう。良く出来ました」

「……ふざけている場合か」

 フラムスティード。

 精霊を統べる王を現すその名前は、魔法士でないリーディアでも聞き覚えはあった。

 王の中の王、至高王アルマゲストに敗北したとはいえ、普段使われている精霊を支配する存在は、その力も強大であるのだろう。

 緊張に喉が引き攣れるのを感じながら、隣で身構えているディルへ目配せしたリーディアは、その表情に見える微苦笑に眉をひそめた。

「おいおいおい、張ったりもいい加減にしてくれよな」

『……は、張ったりなどでは!』

 ふんと鼻で笑ってみせるディルに、フラムスティードの表情が一気に強張る。

 いちいち芸の細かい反応に少しばかり感心しながら、ディルは尖った人差し指を突きつけてさらに言った。

「中堅どころとはいえ、精霊王の名を名乗るならもっと格を上げてから言うんだな!

 泣く子も黙る精霊王様が、そんなガキにおんぶされてるなんざ恥だろ、恥!」

『……ぬ、ぬぬぬぬぅ!』

 しかめっ面の顔から、悔しげに噛み締められる歯の音が聞こえてきそうだ。

 饒舌になるディルにやれやれとため息をつきながら、リーディアは側にあった街灯に背を軽く預ける。

 とにかく、この場を淀ませる強い酒気にはまいる。

 唯でさえ頭からワインをまともに被っているので、アルコールに対してあまり免疫のないリーディアには辛すぎるのだ。

 ディルが精霊の注意を惹いているうちに少しでも息を整えようと深呼吸をして……肺に容赦なく入り込んできた匂いにむせる。

 気分は最悪だ。

 それに付け加え、服が塗れたまま大して乾いていないせいか嫌な悪寒を感じている。

 ディルは気だるそうなリーディアの様子には気づかず、さらに上機嫌になって声を張り上げる。

「少ない魔力でこれほどのもんを出してきたのは、さすがに驚いたが」

 ちらりと隙なく辺りを見回し、どう動くかを頭の中で思い描きつつ。

 ディルは大きな目を細め、標的を見定めるネコ科の獣のような眼光でフラムスティードを睨みすえた。

「たいした威力は望めない上に、下手すりゃ自滅だぜ!

 フラムスティード(仮)!」

 良くとおる声が夜気を震わせ、理不尽に指を突きつけられているフラムスティードをも振るわせる。

『な、なんだ! その(仮)は!

 即座に取り消せ、今すぐに! 大体、我の名は……』

「自称フラムスティードでいいか?」

『良いわけがない!』

 イライラと怒鳴る精霊にディルは尖った顎に指を沿え、何かをせがむような仕草で首をかしげる。

 状況によっては可愛らしいとも言えなくも無いが、今ここにあってその仕草は挑発のなにものでもない。

「悪趣味だ」

「なんだよ、失礼だな」

 背後からかけられるリーディアの野次に、むっと口をすぼめる。それすらも、悪ノリでしかないのだろうが。

「いいんだよ、仮でも自称でも。

 精霊学ってのが生まれてから云十年。公式非公式問わず、この世界に精霊王が具現化したって記録はない。

 だいたい、精霊王の配下のそれまた下っ端を具現化させるのだってかなりの力が要るってのに、魔法士でもないガキとにわか集めの魔力でそんな大それた精霊の存在を補えるわけがないだろうよ。

 つまり、あいつは……」

 見た目の軽薄さといい加減なせいかくからは想像しにくい全うな意見に、リーディアはそうなのかと渋い顔をかしげ、フラムスティードは金切り声になって宣言する。

『我は精霊王フラムスティード!

 貴様のような小さき存在、消し去ってくれよう!』

 その言葉を合図に、事態を静観していた影が揺らめく。

「いけるか、リーディア?」

 フラムスティードの名をかたる精霊は、怒りに任せて見境がない。

 底の見える魔力を躊躇いなく影に送り、戦いを挑んでくるだろう。

「やるしかあるまい」

 散漫になる意識を引き締めるべく軽く頭を振って、リーディアは剣を正眼に構えて答えた。

「あのガキの懐……そこに勝利の鍵がある」

 のそりのそりと、獲物を威嚇するように徐々に距離を詰めてくる影たち。

 それらに注意をはらいながら、リーディアは何かの算段があるのか目標を示すディルに問い返す。

「鍵?」

「あの精霊を形作っているだろう魔道具さ。どんなものかはわからねぇが、必ずある。

 それさえ封印しちまえば、全部終わりだ」

 好戦的に光る両眼は、魔力を鍛えたものだけにしか見えない流れの中心を確実に捕らえている。

 全ての騒ぎを生み出す元凶は、少年の中心から漏れ出していた。

「影のほうは、任せてもいいな?」

「……気にせずに行ってこい」

 ふっと息をついて、リーディアの精悍な横顔に熱を持った鋭さが宿った。

「行ってきますよっ!」

 状況に似合わないディルの返事を合図にして、リーディアは先行するためにブーツの硬い踵で煉瓦舗装の道を抉るように叩く。

『やれ、我が配下よ! 打ち捨てられた闇へと引き込んでやるのだ!』

 先に戦場へと躍り出たリーディアは、手に構える剣にも勝る鋭さを眼球にこめ、標的を見据える。

 十三体の、人の形を持った黒い塊。

 魔法士ではないので、その正体は到底理解できるようなものではないが、だからと言って怯んでいる場合でもない。

 一気に波となって襲い掛かかってくる影に、リーディアは両手に握った剣を叩き込む。

「――っ!」

『な、なにっ』

「見栄を張りすぎなんだよ、仮定フラムスティード!

 たいした力もないのにそんな大掛かりなことをやるからさっ!」

 軽やかだが、重たいリーディアの一撃によって、黒壁と化していた塊が方々へと蹴散らされる。

「行け、ディル!」

『なん――だと?』

「突っ立ってる場合じゃねぇぜ」

 あまりにもあっけない光景に絶句しているフラムスティードに、ディルは声を上げて嗤いながら走り出す。

『とめろ、なんとしてもとめろ!』

「しぶとい輩だ」

 見た目よりもかなり軽い手ごたえの、奇妙な感覚に軽く表情を濁し。

 リーディアは号令と共に、瓦礫の合間から這い出てきた十体の影をざっと見渡す。

 先ほどの一閃で三体の影を無効化させることができたということか。

「思い通りにさせないさ……」

 一気に走りよってくるディルの気配を背中で感じながら、リーディアも次の行動が出来るように素早く剣を構えなおす。

『ゆけ! 主を守れ』

 慌てきった声は挙動不審に脅えている。

 とても精霊王を名乗るような者の態度ではないが、影たちは従順にその命に従い、気迫をむき出しにするリーディアとディルの前に立ちはだかる。

「……っ」

 まるでゴムのような弾力を見せる影の長い腕が、剣を横手に構えて走りこむリーディアに襲い掛かる。

 見た目こそ駄々をこねた子供のように大雑把な動作だが、頬を掠めてゆくその軌跡は早く――破壊的で、接地したその腕は舗装を軽々と砕く。

 派手に響く破壊音に背中に汗を滲ませながら、リーディアは緩慢な動きの追撃を阻止すべく、その胴に鋼の刃を叩き込む。

 手ごたえの無い割には抵抗の強い感触に奥歯を噛み締め振り切り、不可思議の存在を二つに切断する。

『――!』

 耳に入れば不快でしかない断末魔を掃うように身を翻し、魔法を紡ぎながら後ろに控えるディルが飛び出せるよう、リーディアは休む間もなく挑んでゆく。

『確かにあの魔法士の言うように我の力は本来のものではない。

だが、ただの人間に容易く退けられるとは!』

 次々と鮮やかな手際で無効化されてゆく手下に、少年の姿を借りたフラムスティードはよろよろと後退る。

 背を向けて逃げ出さないのは、せめてもの意地か。

「――ディル、任せたぞ」

「ああ!」

 半分にまで減った手下は、主であるフラムスティードの動揺につられてか一気にその戦意が低下する。

 油断なく身構えて牽制するリーディアの横を通り過ぎ、今度はディルが戦場へと躍り出た。

『高き尖塔の地にて、理の力を導き出す。

 汝の膝元に刻まれし我が名はディル・ギリア』

 凛とした声が、高らかに響く。

『阻止しろ! とめるのだ!』

 フラムスティードは恐れの滲む声で、ただひたすらに叫ぶ。それは既に恐慌状態といってもいいだろう。

 影は己の主を守るべく、包囲網を破って駆けてゆくディルへ追いすがろうと手を伸ばすが、その手はリーディアの剣によってことごとく跳ね除けられる。

「させるか」

『――!』

 影たちは素早く身を翻して応戦するリーディアをやり過ごすことが出来ない

 悔しげに叫ぶ影たちの声のなか、ディルとフラムスティードは一対一の真剣勝負の舞台に立つことになる。

 ナイフを右手に握ったまま、ディルはよどみのない完璧な発音でもって、美しい響きの言葉を唇と舌で紡ぐ。

『我は五人の王が一人、ウラノトメリアと盟約をかわす者。

我が声、我が力により界の扉を開き、汝らとの邂逅を望むものである』

 彼の歩みを邪魔するものはいない。

 一字、一句。

 言葉が紡ぎだされるたびに、跳ねるように駆ける細い肢体が、淡い輝きにつつまれてゆく。

『狭間の世界をゆたいし幻惑の者。

我声を聞き届け、契りを果たすために我元にいでよ――

ヒドルス・ウラノトメリア・エン・ドライツェン』

 言葉と共に走りこむディルの前方に円陣が描き出される。

『我が敵を滅せよ!』

 暗闇を照らすほどの強い輝きを放つ円陣に、ディルは手刀を振り下ろした。

 騒然とする戦場に、緋色の大きな塊がうねりながら出現し、主が示すままフラムスティードへと、その巨体を揺るがした。

『戻れ! もど……!』

 影を維持するために分散させていた魔力を戻し、ディルの魔法に対抗すべく身構えようとするが、もう何もかもが遅い。

 のた打ち回る蛇のような炎の塊は、その巨体とは相反する速さでフラムスティードへと襲い掛かり少年の体を包み込んだ。

「なっ! ディル!」

 派手すぎる魔法に、リーディアは影をあしらいながら困惑の声を上げた。

 精霊がその肉体を支配しているのだとしても、少年はまだ生きているのだ。

「大丈夫だよ、動きを止めるだけさ」

 渦を巻く炎の檻はその派手さを裏切るように威力としては、かなり小さいものだった。

 火の属性を持っているとはいえ、手を加えなければ紙切れさえ燃やすことは出来ないだろう。

 批難の目を向けるリーディアに手を振って、ディルは慌てふためいているフラムスティードへと飛び掛る。

「大人しくしやがれ!」

『くそぉ! 渡さぬ。渡してなるものか!』

 絡みつくような炎の渦を、その懐に隠してある〝それ〟へ手を伸ばすディルを振り払うようにフラムスティードはもがく。

 が、小さな体を締め付けるように這い回る魔法のせいで、思うように動けない。

 よたよたと、目隠しをされて歩くように緩慢な動きのフラムスティードの隙を狙い、ディルは空いている左手でぐっと襟首を掴みあげる。

「ここか!」

 古ぼけた、サイズの大きい衣服に不自然なふくらみを見つけ。刃のない短剣を握ったまま無造作に右手を押し入れる。

『きさまぁぁっ!』

 呪詛のような叫び声に構わず、ディルは目的のものを掴みだす。

「これだな、お前の本体は」

 なめし皮の表紙をもつ、古ぼけた書物。

 気を使って扱わなければ、背中から真っ二つに割れてしまいそうなほどに痛んだその本が、闇夜を騒ぎ立てる力の元凶だった。

「……それが?」

「ああ、これが精霊の存在を宿している……魔道具だ」

 分隊騎士の言っていた、王都に流出した魔道具というのはこれのことであるだろう。

「人騒がせな……」

 リーディアの周囲を囲んでいた影はディルの手に本が渡った直後、塵のように粉々に分解し夜気に混じって霧散してしまった。

 とりあえずの危機は去ったのか。

 戦闘の高揚感を抑えながら、リーディアは剣を鞘に収めてゆっくりと息をついた。

 急激に動いたせいなのか、悪寒を感じていた体は少し熱っぽく感じる。

「お前の負けだな、似非フラムスティード」

 本に向って高々に宣言するディルの足元には、少年が力なく横たわっている。

 苦しげなその表情には疲労の色が強い。

「大人しく封印されて、研究対象にでもなって余生を長く細く送るんだな。

 まあ、遠くから応援してはやるさ」

『オノレ……我ガコノヨウナ所デ……滅ビルナド……!』

 悔しげに呟かれる声は、夜風に流されてしまいそうなほど細い。

 その慟哭を表すかのように、本に記されている文字の一つ一つが淡く明滅している。

「……ったく、手間かけさせやがって。

 一体どんな精霊なんだ、お前は」

 ディルはそう毒つき、古ぼけ……そしてうっすらと湿っているページを開く。

 黒インクでつづられている細かな文字の羅列は、したためられている紙同様にかなりの年月が経っているらしく擦り切れていた。

 いくつかの文章は、解読さえできないような状態だ。

 しかし、中表紙に大きくしるされているタイトルと著者――魔具の場合は造形士と呼ぶ――だけははっきりと読み取ることが出来た。

「ヴィン・セラドットによるフラムスティード原本だと?」

「どうしたんだ?」

 手の中で、最後の抵抗とばかりに輝きを放つ本……フラムスティードを見下ろし、ディルは短く呻いた。

 ヴィン・セラドット。

 それは、あまりにも有名な魔法士であり、魔具造形士である者の名前だった。

「なんで、こんなところに……」

『我ハ存在を望ム! 

滅ビルワケニハユカンノダァ!』

「ディル!」

 緊張に尖ったリーディアの声に呼ばれ、ディルは舌打ちをする。

 油断していた。

 少年から引き離したことで無力化できたと思っていたのだが、どうやらこれはディルが思っていたよりも厄介なまでに精巧な魔道具だったようだ。

「――のっ!」

 突如として背筋を冷たくする悪寒に、ディルは間に合わないと感じつつも身を捻り、大地を蹴った。

 揺れる視界のすみに慌ててこちらへと走りよってくるリーディアの姿と、一つの塊となって再び姿を現した影の姿が、緑色の眼球の中に映る。

「ディル!」

 凍るような緊張が、名を呼ぶリーディアの首筋をぞっとなめあげる。

 その目の前で、影は舗装された道を容易く砕くことさえ出来る力を秘めた腕を、細い体を必死になって捻るディルへと振り下ろす。

「くそ! 

避けきれねぇなっ!」

 覚悟を決めるように恐怖感を奥歯で噛み潰し、すぐに迎撃に出られるよう魔力を右手に持つナイフにこめる。

 致命傷さえ負わなければ、どうにでもなる。

 半ば捨て身ともいえる行動を迷わず選択するディルは、振り下ろされる無骨な凶器を睨みすえる。

 が――

「見ていられんな」

「へっ?」

 唐突な声の乱入にほうけた声を出すディルは、受身を取るのも忘れて埃っぽい舗装の上を勢いよく転がる。

「つつ……って、うあっ」

 強く打ち付けた肩を擦りながら起き上がり、己を貫くはずだった凶器の行方をたどろうとして、まず目に入った派手な色合いの布地に絶句した。

「どうしてここに?」

「え、エイリアス・レラゼ総副団長殿……」

 呆然と、力の抜けたこの声はリーディアだ。

 彼もまた、唐突の加勢に驚きを隠せないでいるようだった。

「油断がすぎるぞ、二人とも……」

 赤い騎士服を着込んだ壮年の男……エイリアスは、掴んで勢いを止めた影の腕を手馴れた仕草で捻り、バランスを崩したところを狙ってあさっての方へと投げ飛ばしてみせた。

『ナ、ナンダ……コヤツハ』

 素手であっけなく倒されてしまった配下のあっけない姿に、フラムスティードは戸惑う。

「何でもアリなんですね」

 震える本を抱えて立ち上がったディルは、飛び散ったガラスの破片の中に蹲るようにして機能を停止させた影を見やって内心、苦笑を浮かべる。

「何がおかしい?」

「いいえぇ」

 隠していたつもりだったのが、それは見事に表に出ていたのだろう。

 引きつる口元を手で覆い、ディルはエイリアスに媚びるように首をかしげる。

「まあ、いい」

 元々気になどしていなかったのか、そっけなく答えたエイリアスは視線を背後へと向ける。

 そこには王国騎士団の盾と三つの剣をモチーフとした紋章の入った馬車が、狭い路地を押しのけるようにし停車していた。

「リク!」

「こら、イーレン! 危ないから!」

 馬車から降りてきたのは慌てふためいているハロルドと、帽子を被った少女……イーレンだった。

「待つんだ」

「ああ、リーディア団長!」

 倒れたまま動かない少年へと向かって走ってゆくイーレンを捕まえ、リーディアは遅れてやってくるハロルドに視線を向ける。

「流出したという魔道具の件か?」

「離せ、離せよ!」

 小さな体をばたつかせて逃れようと必死になっているイーレンを巧みに押さえ込みながら、苦い表情で本を持つディルを振り返る。

「あれ、ご存知でしたか?

非合法に魔具の取引をしていた商人の所から、その少年が盗んだようです。

 ――だな?」

 どうあがいても脱出できないと観念したのか、大人しくなるイーレンを見下ろして尋ねる。

「……そうだよ。

ってか、なに? 酒臭いよオジサン」

「失礼なこと言うなよ。俺より一つしか違わないんだから……。

 あー、ともかく無事で何よりです。で、どうしたんですか、それ?」

 鼻をつまむ少女と真っ赤に染まった制服を指差すハロルドに、リーディアは深いため息をついた。

「いろいろあってな」

 微熱と共に襲ってくる頭痛に軽く頭を振って、血の気の引いた頬に疲労の色を滲ませる。

「大丈夫ですか?」

 今にも倒れてしまいそうな様子に、ハロルドは眉根を顰める。

「今のところは、とりあえず立っていられる。

で。あの少年が魔具を盗んだという犯人なんだな?」

「ええ。

自分はレラゼ総副団長と共に、この先にある職人長屋に向う途中だったんです。

そこに、あの少年……リクって言うんですが、その少年の父親が住んでいるとい聞いて、もしかしたらそっちに戻っているのではないかと」

 自分のほうへとイーレンを力づくで引き寄せながら、ハロルドは視線を古ぼけた家屋が並ぶ街並みの先へと向ける。

「この先の?」

「ええ。

不審な煙が上がっていたので、慌てて向っていた所で今度は爆発ですからね。

 驚きましたよ、こんなところにお二人ともそろっていらっしゃるなんて」

 わずかな動揺に気づかず苦笑を浮かべるハロルドから視線を外し、リーディアは倒れたまま動かない少年を見やる。

 その特殊な容姿から何らかの深いつながりがあるだろうとは思っていたが、まさか肉親だったとは。 

「かなり衰弱しているようだな……」

 エイリアスは赤毛の少年を見下ろして、言った。

 子供のものとは思えないほどにやつれた顔は生気がなく、青白い。しかるべき場所での治療が必要だろう。

「ディル。突っ立っていないで、封印をしたらどうだ?」

「へ、ああ! 了解!」

 剣呑な表情にそう促され、喋ることさえままならないのか、先ほどから黙りこくっている本……フラムスティードへと、逆手に持った剣の切っ先をあてがう。

 魔力がこめられた道具を無効化させるのには、それなりの複雑な手順がいる。今この場で即席に出来るようなことではない。それは特等魔法士であるディルも例外ではなかった。

『トゥカナ』 

 だから彼は、自身の持つ短剣を使って外界からの魔力の流入を遮断するための結界を施すことにした。

 呼びかけと共に輝きを強くする刀身に文字が浮かび上がる。

『何者にも砕かれない檻をこの手に』

 魔力が凝結してゆく感覚的な手ごたえを感じ、ディルは躊躇いなく短剣を本へ突き刺す。

「なっ――!」

 声を上げたのは、イーレンだった。

 もともと、その本を売って金を手に入れようとしていた彼女は、金色の短剣で串刺しにされた哀れな古書の姿になんてことをするんだと表情を険しくさせた。

「そんなことしたら売り飛ばすことが――」

「この期に及んで、まだ諦めてなかったのか」

 イライラと声を上げるイーレンに、ハロルドはやれやれと肩をすくめた。

「売り飛ばすだって? これを?」

 ものすごい形相でこちらを睨んでくるイーレンに苦笑を返しつつ、ディルは本を片手に首をかしげる。

「換金して、父親の医療費に当てるためにあの本を盗んだらしいんですよ」

「父親だぁ?」

「……そうなのか」

 二人顔を合わせて、放置されていた遺体を思い浮かべる。

 その動揺に気づかず、ハロルドは言葉を続けた。 

「ええ。こっちのイーレンって子は、その手引きをしたようです」

「なるほどな。

 しかし、よりにもよってヴィン・セラドット偽本を盗んじまうとはな」

「他の魔道具と、何か違うのか? その偽本とやらは?」

 興味深げに聞いてくるエイリアスは、少年を抱えたまま足早に馬車へと向う。

 その後ろを、イーレンが心配そうについて歩く。

「違うも何も……魔道具的価値はありませんよ、これ」

「価値がないだって! そんな……」

 ぎょっと驚いてみせるイーレンに、ディルはばつの悪そうな顔になって後ろ頭を掻いた。

「贋作造形士って異名を持っているそのヴィン・セラドットってのは、オレ等が使っている始祖マスベスが確立した系統とは別の方法で、魔法を発動させようって言う考えの異端派魔法士だったって話だ。

資料が少ないんで詳しいことはわからないが、魔法士としての力は相当のものだったらしく、当時は大魔法士候補だなんて囃し立てられていたみたいだけどな。

ま、今では贋作造形士って悪名の方が一般的だ」

 輝く短剣によって串刺しにされているぼろぼろの表紙を乱暴に叩き、こびり付いた埃を払いながら言う。

 少年を支配していた精霊らしき存在は、自分のことを確かにフラムスティードであると名乗ってはいたが、作者の名を見ればなおさらその存在は怪しいものに思えてくる。

 敗北王と呼ばれているフラムスティードだが、王の名を掲げているだけに、その力はこの街並みを一瞬にして消しつくしてしまうようなものがあっても不思議ではない。

「それで、どうして価値がないんだ」

 隙あればディルへと飛び掛ろうと視線を鋭くするイーレンを、さらに鋭い視線で牽制しつつ、リーディアは尋ねる。

 見ためは年代物の古書。たいした飾りもないそれは、たしかに金銭的な価値はなさそうには見えるが。

「これは魔道具とはいえないからだ」

「魔道具ではない? どういうことなんだ」

「ああ。まあ、表向きに言ってだけど」

 言って、短剣が見事に貫通した本にディルは視線を落とす。

「元は真っ当な魔法士だったみたいだが、晩年は異端派魔法士として活動していたらしいからな。ヴィン・セラドットは魔法士名鑑からその名前を消されているはずだ。

つまり、記録上では魔法士で無いってことになっている。

 魔道具の価値は製作者の能力と名によって決まるものなんだが、正当派とは違う考えで作られている上に、名を剥奪された魔法士の作品とくれば価値なんか無いのはわかるだろう?」

「そんな! だって、あいつ」

 大きな水色の瞳に困惑と怒りを滲ませて、イーレンはすがるようにディルを見上げる。

「あいつ?」

「黒いマントを頭から被った変な奴が、これに結構な金額を出しているのみたんだ。

 だから、あたし達は……」

 言葉をにごしながら、イーレンは馬車の硬いソファに寝かされるリクを見やって、その形のいい眉根を寄せる。

 帽子のつばに隠れてその表情は良く伺えないが、硬く引き結んだ唇は悔しげに震えていた。

「イーレン」

 無言で肩を震わせる小さな少女を気遣って、ハロルドはできうる限り優しく声をかける。

 触れた細く頼りない感触の肩は、夜気に冷えていた。

「リーディア、ディル、ハロルド。お前達はその魔道具の処理と、この少年の父親の方を頼む。容態が悪ければ、分隊の馬車でも借りてアルガスタ総合病院へ移送してもかまわん。

俺はこのまま病院へ向う」

「え?」

 沈鬱な雰囲気を断ち切るように指示を飛ばすエイリアスに、声を上げたのはディルだった。

「なんだ? 不服でもあるのか」

「いや、その……」

(確かめたわけではない、全て状況証拠だ。

 ……とはいえ)

 あの長屋で見た遺体は、リクという少年の父親と見てまず間違いはないだろう。

 いずれ知れてしまう事実ではあるが、イーレンが受ける衝撃を考えると口にしがたいものがある。

「うぅ……」

「リク!」

 意識が戻りつつあるのか、硬い寝床に文句をつけるように苦しげな呻きがあがる。

「思ったよりも、まずいな」

 青ざめた顔を覗き込み、手早く脈を取るエイリアスはその弱さに小さく舌打ちをした。

「とう……さん、イーレン……たす、け……」

 切れ切れの、風の囁きよりもまだ細い声が無意識に少年の口からついて出る。

「ふむ。どうやら、のんびりと問いただしている時間はないようだな。

三人とも、とりあえず後は任せたぞ」

「リク! あたしは、あたしはここにいるよ!

 あたしが、絶対に助けてやるから。お前も、オヤジさんも絶対」

「下がるんだ、危ない」

 必死に中にいるリクへと呼びかけるイーレンをハロルドが押さえ、彼等が馬車から離れたのを確認して馬車に乗り込んだエイリアスは、出発するようにと御者に合図を送る。

「お前を、あたしみたいな親無しになんかさせない……」

 ガラガラと盛大な音を立てて去り行く馬車を見送り、イーレンは意志の強そうな大きな瞳をいっぱいに開いて誓いを立てる。

「孤児……なのか?」

「親は十三年前の戦いで死んだよ、あたし一人をのこしてね。

 今は孤児院に世話になってる」

 淡々と、無感情を装う声音は痛々しい。

 強がりを保つためか、視線を合わそうとはしないイーレンに肩をすくめ、ハロルドは渋い表情のままこちらを見ている上司に視線を向ける。

「問題がないなら、早く行きましょう」

「そうだよ! ぐずぐずしてたらオヤジさんが危ないだろ」

 仲の良い兄妹にも見えなくもないハロルドとイーレンに責め立てられ、ディルはどうしたものかと表情を濁す。

「その、だなぁ」

「ディル」

「黙っていたって、仕方ないだろ?」

 よした方がいいのではないかと引き止めるリーディアの声を振り切って、続ける。

 気の抜けた優男。という柔和な雰囲気の強いディルの、いつになく重く真剣な表情にハロルドは何かを感づいたようだ。

 どうしたのかと首をかしげるイーレンの前で、その表情が硬くなる。

「父親についてなんだが……」

「ようやっと追いついたぞ! 小娘!」

「――あん?」

 話の途中で無遠慮に割り込んでくる濁声に、ディルは呆けた顔で背後を振り返った。

「何者だ」

「なんですか、あれ?」

 呆然と視線を持ち上げるディルにならって、リーディアとハロルドも解体途中の廃屋の屋根へ視線を向けた。

 闇夜を薄暗く照らしている月光を背にした一人の男が、仁王立ちになって屋根の上に出現していた。

 いつの間にいたのか。

 まったく気がつかなかったのは、本に気をとられすぎていたのか……それとも、奇妙な格好のわりには男自体の存在感がなさ過ぎるせいなのか。

 黒いマントを揺らしてふんぞり返っている痩躯の男は、彼等の困惑した表情をあざ笑うかのように細い指を突きつけて言った。

「我が心の師であるヴィン・セラドットの著書、返してもらうぞ!」

 良く響く濁声で、男は高らかに宣言する。

「なあ、リーディア。何であいつ微妙に焦げてるんだと思う?」

「目がいいな、お前」

「人の話を、きけぇぇぇぇい!」

 あっさりと、とっておきの口上を流された男は、声を裏返らせて器用に地団駄を踏んでみせる。

「あいつ……」

「イーレン?」

ハロルドの背後に庇われているイーレンは、月光を背後に背負った男を見上げて人差し指を虚空に突き上げる。

「そうだ、小娘! 覚えておるようだな、感心するぞ!」

 驚きを隠せないでいるイーレンの言葉によって注意が己に向いたことに気を良くしてか、男は裾が寄れている黒いマントをばさりと……無駄に翻して高笑いを響かせる。

「そうか。

あの円陣、どこかで見た覚えがあると思ったら」

「円陣? 通りにあったやつか」

「そう。あの、いい加減な奴」

「古い知識に縛られるばかりの矮小なカルヌーンの魔法士ごときに、馬鹿にされる筋合いは、我にはまったくといっていいほどに無い!」

 地獄耳とはこういうことか。

 かなりの高低差があるのにもかかわらず、リーディアとディルの会話を聞き取った男は、時代錯誤な黒いマントを再度ばさりと翻し吼える。

「な、何を言っているんだ?」

「さあな」

 くどい言い回しに首をかしげるリーディアにディルはそっけなく肩をすくめて、子供の童話に出てくる醜悪な魔女の手下のような格好の男を睨みつける。

「ふふふ。聞いて驚くがよい。我は――」

「にわか魔法士の一人だろ」

 高らかに響く男の声を、不機嫌な調子のディルの声が一掃する。

「……ち」

 荒々しいこの場に流れてゆくしらけた空気に罵声を飛ばしたのは、やはり口上をさえぎられた男だった。

「ちがぁぁぁぁう!」

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