騎士は静寂に暁染めゆく 12
「な、何なのですか! あれは」
驚くというよりはうろたえて、アヴリートは後ろへとよろめく。
見たこともない円陣。
適当に組まれた積み木のような、気持ちの悪い違和感を隠し切れない青白い光の螺旋に吸い込まれるようにして、炎の渦が消滅する。
『下級魔法にしか効果はないと思っていたが、そうでも……無かったようだな』
先ほど、ディルの魔法を消滅させたものなのだろう。セラドット自身も言っているが、ディルも十界位クラスの魔法まで消滅させてしまうとは思っていなかった。
イーレンの魔力に触れたことで、セラドットを構成する古語がなんらかの変異を起こしたのか。断言は出来ないが、彼の能力が向上しているということは確かだろう。
「ハロルド、退避しろ!」
満身創痍に鞭を打つようなことを言うのは心苦しいが、今は手を貸してやれるような状況ではない。
「りょ、了解です。団長」
ぐったりと。意識は辛うじて留めてはいるものの、極度の疲労のためか弛緩しているイーレンを抱き上げたハロルドは、全身を襲う鈍い痛みに耐えながら指示に従う。
「お前達、なにを突っ立っている! 避難の誘導をしないか!」
滅多に起こることのない、魔法が絡んだ異常事態に放心している分隊騎士に檄を飛ばす。
「やるしか……無いな」
駆けつけてきた分隊騎士に手を貸されながら離れてゆくハロルドの後ろ姿を見送って、リーディアは濃紺の瞳をセラドットへと向ける。
「リーディア?」
引き結んだ口元から感じ取れる決断に気づいて、ディルの表情が強張る。 その視線は、無意識に右腕をさするリーディアの手元に注がれていた。
『私は望んだだけだ、願っただけなのだ。
何故、私はこの存在を否定されなければならなかったのか。
誰もが望んだことだったろう!』
過去、セラドットがもっていた妄執が具現化しただけでしかないこの存在は、厳密に言えばヒトといえるような存在ではない。ヴィン・セラドットという名の魔法士は、既に故人となってこの世に存在していない。目の前にある存在がどんなに嘆き、悲しもうとも。それは故意に……あるいは無意識に作られた偽者……虚像でしかない。
「……哀れだな」
そんなものを残したのは、その生を訴えることも……その悲しみを伝えることも出来なかった人生故のことなのだろう。
「魔法にすがることでしか救いを見出すことの出来なかったお前は、哀れだ」
まだ構えはとらず。一歩踏み出したリーディアはセラドットヘと対峙する。
『同情か……? こざかしい』
「そんな浅はかなものではないさ」
言って……鋼の剣を正眼に構えた。
「ディル。力を解放する」
「いいのか?」
硬い声で聞き返してくるディルに、迷い無く頷き返す。
「魔法が役に立たないのなら、これしかないだろう」
『そんな鉄の剣で。魔法士でも無い存在で、一体何が出来るというのだ。
私はまだ力を失ってはいない。貴様らを消滅させるくらいは出来よう!』
セラドットの叫びはそのまま溢れ出る力となり、剥がれ落ちた光の文字のいくつかが、巨大な円陣を虚空に組み上げた。
「いけません!」
目前で紡ぎあげられるのは、始祖の流れを汲んだ正当な魔法。見栄も誇りもない、ただの手段としての力はアヴリートを無様に怯ませることが出来るほどの力を持っている。
あざ笑うかのように、のっぺりとした金色の表面に浮かぶ緋色の文字とまったく同じ輝きをもつ円陣は、セラドットの憎しみを燃やして闇が深い広場を照らし屈すほどの光源……炎の塊を生み出す!
「これが、お前の痛み……悲しみか」
周囲に吹き荒れる突風が、対するリーディアに熱風となって襲い掛かってくる。熱気にあえぐ喉はちりちりと焼け、肺まで侵してしまうのではないかと冷や汗が頬を伝った。
だが、臆している場合ではない。
リーディアは気力を保つべく剣を強く握り、乾燥した唇を噛んだ。
『フェルナックス・フラムスティード・エン・アハト!
全てを焦土と化し、我を阻むもの共に無を与えよ』
ごっと唸りを上げて、狂気に満ちた炎の塊……いや炎の渦は夜の闇をまるで暁のように焦がし、剣を構えるリーディアへと襲い掛かってゆく。
「お逃げなさい! 死にたいのですか!」
慌てふためくアヴリートの金切り声が、襲い掛かる炎の嵐を前にしても怯まないリーディアを責めるように響く。
「お前の孤独……寂しさは理解できないではない。だが」
呟き。
茜色の炎の向こうにいるであろう存在に、鋭い光を宿した濃紺の瞳を向けたリーディアは炎の中へ飛び込んでゆく。
「そんな!」
『……ばかな、何を!』
アヴリートだけでなく、セラドットさえもその行動の異様さに声を上げる。
逃げるのならまだしも、自分から炎の中に飛び込むとは。いくら魔法に体制を持った衣服を纏っているとはいえ自殺行為である。
気でもふれたのかと動揺を隠せない表情で、アヴリートは同意を求めるようにディルを見やり……絶句した。
「何を、何をなさるつもりですかっ!」
炎に飲まれた同僚を心配することはおろか、視線すらも向けず。両手を広げたディルは、己の力を紡ぎ上げるために深い呼吸を繰り返していたのだ。
静かに、状況を無視して力を高めてゆくディルの行動に、アヴリートはただ困惑していた。魔法はたいした効果は期待できない。それは彼もわかっているはずだ。それなのに、一体何を発動させるつもりであるのかと必死でその真意を探ろうとするか、彼女には皆目見当もつかない。
『フェルナックス!
汝が内にある愚かなものを焼き尽くしてしまうがよい!』
「――!」
闇だけではなく、見るものの網膜まで焼いてしまいそうな炎はセラドットの命によりさらにその勢いを強くさせ、その熱気は周囲の景色をゆがませる陽炎を作り上げるほどだった。
中に飛び込んだリーディアは、もう生きてはいまい。アヴリートはそう思った。セラドットも、そう感じていたに違いない。
『ぎゃはははははっ、燃えてしまえ! 消えてしまえ!』
狂った嘲笑が響く。
「許すわけには、いかない」
それを――冷静な声音が一蹴した。
『な、なんだと! 貴様、何故!』
うねる炎を潜り抜け、現れたのは剣をその手に携えたリーディアだ。
炎が放つ光によってその頬は赤く染められて衣服は所々焦げてはいるものの、その身にはやけどの一つも無い。
『馬鹿なことが! そんな馬鹿なことがあっていいはずが――』
閃く金属の冷たい光がセラドットの言葉を跳ね除ける。
魔的な処理がされていない剣は表面を引っ掻くが切り裂くことは出来ず、耳に残る不快な音を立てて、動揺するセラドットを弾き飛ばしたそれで集中が乱れたのか、炎は勢いを失い闇に飲まれて消えてしまう。
「無魔力症候群……彼は、そうなのですか」
アヴリートの問いに、ディルは答えない。
が、返答は無くてもそれは確信できることだった。あれほどの魔法を受けても無傷でいられる理由は、唯一つしかない。
力の差異こそあるものの、誰もが生まれ持つ魔力という能力をまったく持たない人間。 ごく稀な存在である彼等は魔法を扱うことはできないが、魔法に影響されることは無い稀有で異端な存在であるのだ。
『おのれ!』
「残された悲しみは背負って生きてゆかなければならない。お前がそれを背負えないというのなら、代わって俺が受け取ろう」
『何をっ……!』
と、怒鳴りかけ。セラドットは言葉を失った。
向けられる鈍色の刀身が、周囲を埋め尽くす闇に染め上げられてしまったかのように黒く……輝いてゆくのだ。
「これは……」
放たれる漆黒の輝きに、アヴリートは息を呑んだ。
その輝きはどんなものよりも強く。放たれる力は、ぞっとするほどにおぞましいものを感じさせた。鋭い切っ先を向けられているわけでもないのに、体の芯が凍えたかのように指先が震える。
『すべてを滅びへと誘う力を、今この時に目覚めさせよ』
凛としたディルの声が、全ての不安を払拭するかのように高らかに響く。
『汝の名は、虚無。汝は遍く命へ終末を告げるもの』
魔力のこめられた美しい旋律はうたとなって周囲に広がり、漆黒の色に染められたリーディアのもつ剣へと奉げられる。
「――っ!」
唐突に鋭く。そして、深い痛みが剣を握る腕に走り、リーディアの口のから苦悶の呻きが短く漏れる。
『王の中の王であるその力を、我は今ここに乞う』
黒く変化した刀身から放たれる光と同じものが、痛みを訴える右腕に……服の下からうっすらと紋様となって浮かび上がってくる。
それは息をつくように明滅する刀身と連動して輝き、複雑な線を大樹に絡まる蔦のように絡み合わせながら、一つの円陣を描きだしてゆく。
『なんだ、貴様! これはなんだ!』
「これは……アルマゲスト王円陣……ですか?」
精霊を統べる王の中で、さらに頂点に立つ創生の精霊王アルマゲスト。その力は強大で、操ることは不可能といわれている。
「よく見ているんだな。
滅多に見られないぜ、こんなものは!」
体の中心からあふれ出る魔力を織りあげるように両手を開き、みつあみを風に揺らすディルは不敵に笑いながら続けた。
『その姿は異形。そのあぎとは奈落』
紡がれる声の一つ一つは目に見えぬ力となり、息づく刀身へと飲まれてゆく。
そこにあるのは、既に人が創りし鉄の剣などではなくなっていた。
『ま、魔道具!
いや、これは。これはそんなものではない?』
実体でもないのに慄くセラドットは、身動きも……反撃の意志すらもなくただ黒い稲光を発する剣の前に立ち尽くすよりほかなかった。
それは、傍観者に回るアヴリートも同じだ。
目の前で徐々に発動されてゆく力に、言葉を発することも出来ず。藍色の美しい瞳を見開いたまま、立ち尽くしている。
『その腕は刃、その吐息は炎。
汝の軌跡は……虚無に生まれる星のごとく煌めく』
降り注ぐような光の渦の中。
精霊を象徴する円陣が、旗印のように剣を正眼に構えるリーディアの前に描き出される。
『その視線は毒。
その歩みは凶兆。
歩みの先にあるものは無。ただひたすらに続く、限の牢獄の主の腕に捕らわるるもの……』
「くっ!」
ディルから流れ込んでくる多量の魔力を喰らって活性化する腕の円陣は、宿主であるリーディアに刺すような痛みを与えながら、秘めたその力を解放してゆく。
『汝――その姿は、暴虐なる刃を振りかざし、全てを喰らう漆黒の剣』
「有と無をつかさどる汝の名はっ――!」
じりっと足元の砂礫を踏みしめて低く唱えたリーディアは、全てを始めるために黒い刀身の剣をかまえ――走る!
『『フラガラッハ・アポストロズ』』
二人の声が重なり、魔剣の力が解放される。
『滅びぬ! 私は滅びぬ!』
迫る切っ先に、セラドットもただ見ているばかりではなかった。
押し付けられる恐怖によって金縛りがとけると、持ち得る魔力の全てをつかって、リーディアに放った。
しかし。
「無駄だ!」
『そんな……そんなっ』
一太刀で簡単に無効化されてしまえば、もはや彼に打つ手は残っていない。
『――っ!』
「全てを喰らい、糧と成すがいい」
主の命に喜んで答える魔剣は、野に放たれた狩猟犬のように迷いなくセラドットを貫く。
『精霊王の十二の魔剣……そんなものが、なぜ、ここに。
――お前のような、魔法士でもない人間の手に……何故』
黒い刀身を持つ剣――フラガラッハは、魔力の固まりであるセラドットを食いつぶすかのように黄金の表面に浮かぶ緋色の輝きを漆黒に染めてゆく。
『何故、私は滅びるのか』
急激な喪失感が、セラドットを襲った。
彼を形作る魔力が、フラガラッハに奪われているからだろう。
「孤独……孤独でありすぎたんだ」
愛する者ともう一度会いたいと願うのは、彼だけが持っている欲望ではない。だが、それを現実のものにしようとしたのは、彼が有能な魔法士であると言うことがアダとなった結果だろう。過信とも慢心とも言える欲望は他人を遠ざけ、孤独のうちに生涯を閉じた魔法士はその無念だけをこの世に残した。
何一つ、その身に負った悲しみを埋めることも出来ず……痛みを分かち合うことも出来ずに、病んだ心のまま滅びるしかなかった。それが、ヴィン・セラドットという人間の末路。
『誰だって望むはず。
二度と取り戻せないものを、再び手に入れる。永遠の別れを告げざるを得なかった人に、もう一度めぐり合うことを……お前とて、望むはず』
「……ヴィン・セラドット」
それは、まるで地割れのように。セラドットの虚構の体が侵食してきた輝きに喰われ、ゆっくりと消えてゆく。
『お前の中にも、私と同じ闇が見える』
「無駄だ、セラドット。
俺にはそれを成す力が無い」
『……嫌だ、このまま、消える……など……』
手ごたえの無い肉にうまった魔剣は、セラドットの届くことの無い遺言と感情をその魔力の塊ごと取り込み、沈黙した。
「……くっ……」
負荷に耐え切れずに真っ二つに折れてしまった剣を取り落として、リーディアは短くうめいて、倒れこむようにして膝を突く。血の気の引いたその顔は、意識を保っているのもやっとという感じで、つく息もかなり荒い。
「噂には聞いていましたが……まさか、本当に王国騎士団がその魔具を……いえ、神具を所有していたとは」
アヴリートは地面に転がる剣に視線を落として、震える声で一人ごちる。
二つに折れた剣にはもう漆黒の輝きは無く、元の鋼の剣に戻っていた。戦うには申し分ないが、魔道具としてのよりしろとして使うにはかなり粗末なものがある。負荷に耐え切れずに折れてしまうのは当然だろう。
「重要封印指定物認定つきの……な。たいそうなもんだろ?
まあ、使うのに結構苦労するんだけどさ」
こちらもかなりの負担がかかっているのか。
明らかに虚勢とれる笑みを浮かべるディルは額に滲む汗を袖で拭い、深く呼吸をついている。
「上には、私からも口添えしておきましょう」
「たすかる」
本来ならしかるべき人物に使用の許可を取らなければならないものを、有事とはいえ独断で力を解放してしまったのだ。理由はどうであれ、それなりの処分は下されるだろう。
アヴリートの口添えでいくらか罰が軽くなればいいのだが……と苦笑して。ディルは無言のまま蹲るリーディアへと歩み寄る。
「物損はそうとうなものだが、とりあえず死者は出なかった。
上出来だぜ、リーディア」
にっかりと微笑み、荒い呼吸を繰り返すその肩をぽん……と。
叩くというよりは撫でるといった感覚で触れる。
「……えっ?」
ぐらりと。
力なく揺らいで崩れ落ちるその背中に、ディルは何事かと呆ける。
「ちょ……り、リーディアさん?
おい、どうしたんだよ」
挙動不審げに声を上ずらせつつ、受身も取らずに地面へと突っ伏す同僚を助けおこすべく膝を突く。
「……って、おい」
「ギリア白騎士団長殿、カーザス黒騎士団長殿は一体?」
気を失っているのか。抱き起こされる長身は、ぐったりと弛緩していている。青ざめた……というよりは土気色の顔色に、アヴリートは表情を強張らせた。
「うわ、なんかヤバそう」
ディルは半渇きの黒髪が張り付くリーディアの額に、手袋を外した右手を乗せて深いため息をついた。
「すんげぇ、熱いんですよ?」
困惑気味の表情のディルに、アヴリートも硬い表情を崩して呻いた。
「……な」
何を言っているのだろうかと、緊張感というものがいまいち足りない年下の最高位魔法士を攻め立ててやりたい気分にもなるが、今はそれどころではなさそうだ。
混乱した状況下だったので気づかなかったが、見下ろす黒騎士団長はずぶぬれだった。
どういった経緯でそうなったのかは彼女に知るよしも無いが、凍てついた夜気の中をその状態で王都を走りまわれば体調を崩すのも当然だろう。
「み、見ている場合ではないでしょう。誰か、手をお貸しなさい!」
苦悶に満ちた頬を叩かれても、少々乱暴に揺さぶられても反応らしい反応は無い。
アヴリートはディルに代わって、背後に避難している分隊騎士を呼びつけるために手を上げた。




