08・妻の知美
僕の妻である知美は僕よりも二つ年上で、四十路を手前にした彼女は少々焦っていた。知美が僕に聞かせる最近の口癖はこうだ。
「私、諦めていないわよ」
知美は子どもを産むことを切望しているのだ。もちろん、僕が『出来ない』のことについては承知で結婚したはずだった。けれども、お互いの身体を精密検査した結果、妊娠に対してそれが不可能である要因は一切ないと診断されたことに、知美は微かな望みを賭けているのだ。
そもそもの僕と知美との関係は何だというと、知美が取引先の常務の娘だったのだ。
婚期を逃してはいけないと常務の奥様、つまり知美の母親が焦って四方八方に手を尽くし、知美は二十五歳になるまでにかなりの数のお見合いをさせられたそうだ。僕が言うのもなんなのだが、知美はかなりの美人なので、お見合い相手には事欠かなかった。確かに年収や学歴や家柄は良いのだが、肝心の人物が「デブ」「ハゲ」「おっさん」「マザコン」などだったので、知美本人ではなく常務の奥様が断っていたのだそうだ。そんなことがあって、常務の奥様は見合いに飽きてしまい、また知美は結婚なんてどうでもよくなってしまったらしい。
僕との出逢いは、それから二年ほどが経った頃だと知美が後で語ってくれた。あれはクリスマスだったか、正月の挨拶だったか、僕の記憶は定かではない。何の因果かは解らないが、僕を贔屓にしてくれている常務が自宅に招いてくれたのだ。恐らく、僕の知らないところで常務が僕の会社にまで根回しをしたのだろう。上司も部長も、そして社長までもが「行ってこい!」の合唱だったのだから。
そこで、僕は知美に見初められたのだ。もちろん、同時に常務の奥様にもだ。もっとも知美については恥じらいもあってか、打ち解けるまでにはかなりの時間が掛かったのだが、常務の奥様はその日即日だった。初めて僕が玄関を入った瞬間から既に「婿扱い」をされたのだった。
それからは毎週末、必ず常務の自宅に招かれた。そして、気が付くと知美と二人っきりになっているというシチュエーション。そんな『若い二人にお任せ』なムードの中で、この縁談話はトントン拍子に進み、僕と知美は挙式を上げた。けれども、これだけは言っておこう。僕自身も美人で性格の良い知美が嫌いだった訳ではなく、徐々に惹かれていったのは、嘘偽りのない確かなことだ。
「今日もダメなのね」
少し膨れた知美が恨めしそうに僕を見ている。
「ごめん。頑張ってるんだけどな」
僕は力なく答える。
「ううん、あなたはとっても努力してるわ。私の魅力が足りないのよ、きっと」
そう言って僕に微笑みかけてくれる知美。
「それは言わないでくれ」
僕は知美に微笑み返す。
「そうね、そうだったわね」
知美も僕に微笑みを返す。
毎夜、ベッドの上で語られる会話。それを僕と知美は飽きもせずに繰り返している。
大胆で官能的なベビードールを着た知美はとても妖艶で、僕は非常に魅力を感じている。僕の言動から知美にもそれは充分に伝わっているはずだ。その証拠に、知美の頬が紅潮して得も言われぬ恍惚な表情を僕に魅せるからだ。
それなのにダメなのだ!
どうしてもダメなのだ!
「いいのよ、私は焦らないから」
優しい言葉を僕に掛けてくれる知美。
とても愛情を感じる一言だ。
だから僕は口にしてしまう。
「知美、愛してるよ」
知美は目を細める。
「私も」
愛は深まるばかりなのに。
どうして「一つ」になれないのだろう?
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