05・美咲の誘惑
午前中の会議が延びて午後一時を過ぎた社員食堂で遅いランチを摂っていた日だった。
もう間もなくオーダーストップだという食堂に滑り込んできた、部下の『山本美咲』がランチトレイを抱えてウロウロとしていた。その山本の視線と、山本が誰かを探すように視線を泳がせている様子をジッと観察していた僕の視線とが鉢合ったのだった。すると、山本は目を輝かせて一直線に素早く、それでいて静かにこちらにやってきて、僕のテーブルの向い側に座った。
「よかった。井上課長のランチに間に合ったわ」
山本は嬉しそうに僕に微笑んだ。
「もう食べ終わるんだけど」
僕は少々意地悪な物言いをしてみた。
「そんな悪口を言わないで、あたしのランチに付き合ってくださいよぉ!」
口を尖がらせてすねる山本は可愛くて魅力的だった。
「冗談だって。まだ食べてるから大丈夫だよ」
茶碗の雑穀御飯を頬張りながら、ぼくは山本に笑い掛けた。
「課長ったら、ホントにイジワルなんだから!」
悪戯っぽく笑う山本美咲は、ショートボブに丸顔で、化粧の気配が薄いので余計に幼く見える目鼻立ち、身長はそれほど高くないけれども均整の取れたスタイルだ。
「井上課長とこうしてお昼を一緒にするのは久し振りですね」
山本はウキウキとした表情で喋る。
「そう言われてみると、そうだな」
僕はうなずく。
「たまには、あたしを誘ってくださいよ」
黙々と食べながら、僕をチラチラと見る山本。
「考えておくよ」
僕のその答えに山本は不満そうだった。
「あたしが配属されてすぐの時は、毎日のように誘ってくれたじゃないですか」
「そうだったかな」
ボンヤリと受け流した僕は、コーヒーを飲みながら山本をジーッと見ていた。
「やだ、そんなにジーッと見つめられると恥ずかしいわ」
僕の視線に気付いた山本は照れて箸を止めた。
「あ、ごめん」
僕は山本から視線を外した。
「そんなにあたしをジックリと見たいのなら、是非アフターファイブで誘ってくださいませ」
そのセリフにドキッとして僕は山本を見る。すると、山本は僕の顔を見てニッコリと笑って言った。
「冗談ですよ、冗談」
「ドキッとしたよ」
僕が率直な感想を述べると、山本は少しだけ真面目な顔になった。
「無理って分かってますわ。とてもキレイな奥様がお家でお待ちのヒトなんですから」
山本はそう言ってトレイに視線を落として、ランチの残りを食べ続けた。
「そんなこともないさ」
僕はコーヒーを飲み干しながら平然と答えた。
「へぇ。その言葉がホントなら、あたしは嬉しいんですけどね」
山本は視線を上げずにデザートのプリンを頬張っていた。
「今度、一緒に呑みに行こうよ」
僕はなぜだか、妙にムキになっていた。
だが、僕の言葉をスルーして山本は手を合わせた。
「ご馳走様でした」
それから再びニッコリと笑ってこちらを見た。
「お誘いを楽しみにしてますわ、井上課長」
そう言うと、山本はランチトレイを持って席を立った。
僕は彼女の真意が掴めなかった。
ただ、僕の心の中は妙にざわめいて、彼女の後姿が消えた社員食堂の入り口辺りをいつまでも見つめていた。
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