04・彩の挑発
「井上課長」
彼女の呼び掛けに僕はハッとした。
とある取引先でプレゼンテーションを終えて帰社途中の電車の中で、プレゼンテーションを手伝ってもらった部下の『佐々木彩』が唐突に話し掛けてきたのだ。
栗色のロングで少しウェーブが掛かっている髪型で、面長の整った顔立ちにいつも紅いルージュをしている。身長が高く手足が細い割には、胸とお尻のボリュームはかなりアピールしているように思う。僕の隣に座っている、その佐々木が嬉しそうに呟いた。
「今日の課長のプレゼンは、とても良かったと思います」
佐々木の感想に、僕は渋い顔をしながら応えた。
「そうかい? でも、クライアントはあまり良い顔をしてなかった気がするけどね」
佐々木は表情を殆ど変えずに話をする。
「そんなことはありませんよ。お客様には課長の熱意が充分に伝わったと思います」
言い切る佐々木に、僕は苦笑いする。
「ありがとう。そう言ってくれると気が楽になるよ」
「お世辞じゃないですよ」
佐々木は少し脹れた顔をしたが目には訴える感情が見えなくて、僕は表情が何処となくアンバランスな印象を受けた。
「そんなことを言ってくれるのは君だけだよ」
僕の言葉に頬を赤くした佐々木は、今度は甘いトーンで喋り始めた。
「あのぅ、課長」
「なんだい?」
「井上課長の仕事ぶりはいつも凄いなぁと思っているんです、私」
突然の告白のような佐々木の発言に、僕はたじろいだ。
「そ、そんなことないよ」
「誠実に、真面目に、着実に仕事をこなす井上課長につい……」
佐々木はそう言うと頬を染めて目を伏せた。
「ただ一生懸命にやってるだけだよ」
そう言い返している自分がとても照れ臭かった。
「井上課長のためなら、私、何でもしますから!」
佐々木は僕の手を握ってきた。
「おいおい、そこまで言い切らなくても」
僕は戸惑いを覚える。
「ふ、普通に仕事をしてくれればいいから。そ、それで充分だよ」
僕の言葉に少し不満気な佐々木。
「そうですか?」
「うん、そうだよ」
僕はそう言って佐々木の手を振り払おうとしたが、佐々木はそれを拒んだ。
「私、課長を癒してあげたい……」
僕はドキッとする。
「そして、お仕事を頑張って欲しいの」
佐々木は先程までの乾いていた目を妙に潤ませて、僕を見つめた。
「だ、だ、大丈夫だよ。ほ、本当に大丈夫だから」
僕は懇願するように佐々木に言い、彼女の手を振り解いた。
「ホントに?」
佐々木は尚、潤んだ瞳を僕に向ける。
「あぁ、ホントだよ。だから、君にはキッチリと仕事をしてもらいたいんだ!」
言い訳じみたセリフだと自分で思った。
「解りました。そうします」
そう言った切り、佐々木は会社に辿り着くまで何も言わなかった。世間話さえも口にしなかった。
僕には彼女の真意が掴めなかった。
ただ、妙な汗と冷や汗が僕のシャツをグッショリと濡らしていた。
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