03・伊藤の解雇
二カ月ほど前のことだ。
僕が社員食堂で飯を喰っていると、同期の高橋卓也がランチプレートを抱えて隣に座った。
「久し振りだな」
僕が高橋にそう声を掛けると、彼は挨拶をすっ飛ばしていきなり本題を語り始めた。
「おい、井上。伊藤のことを知ってるか?」
『伊藤』とは、同じく同期の伊藤直樹のことである。いろんな意味で何かと出来の良い彼は、我々同期の中でもっとも出世している人物である。どうせ、伊藤が次長、もしかしたら部長になったという出世の話だろうと思っていた。
「伊藤の奴、どこまで出世したんだ? どうせそんな話なんだろ?」
僕の言葉に、高橋はしかめっ面になった。
「井上、お前は噂話を耳にしてないのか?」
高橋にそう言われたが、噂話に興味が無い僕はうなずいた。
「あぁ、気にしていないね」
呆れた表情をした高橋は、僕に寄ってきた。
「あのなぁ、噂ってのはな……」
僕の耳元に口を寄せて、高橋は小さな声で喋った。
「伊藤の奴、懲戒解雇になったんだってさ!」
僕は驚いて高橋の顔を見た。けれども、高橋は僕の驚きなどは完全に無視して、楽しそうに伊藤の話を続ける。
「井上、お前も知ってるだろ、伊藤と同じ営業一課に居た、綺麗で可愛いって話題になってた『山口裕子』って女性社員を?」
僕はうなずいたが、それさえも無視して高橋は話を続ける。
「伊藤の奴、妻子持ちなのにそいつに惚れちゃってさ。もっとも伊藤は学生時代から女癖が悪かったから仕方が無いけどな」
「しかしだ、不倫だけで『懲戒解雇』にはならないだろう?」
僕が反論すると、待ってましたとばかりに高橋は人差指を立てた。
「そこだよ、そこ!」
ニヤニヤする高橋。
「伊藤の奴、その山口裕子って娘を壊しちゃったのさ!」
二度目の驚きが僕を貫いた。
「何だと?『殺した』のじゃないのか?『壊した』って何だよ?」
殺すとかいう発想をいとも簡単にする僕も僕だが、愉しそうにそんな話をする高橋も高橋だ。彼は得意げな顔で滔々と答えた。
「ち、ち、ち。ちょーっと違うんだなぁ。その『山口裕子』って娘は、会社が仕込んだ『ガイノイド』だったんだよ」
ガイノイドとは女性タイプの工学系人造人間のことで、企業が極秘裏に社員に紛れ込ませて社員の動向を掴むことを主目的とし、オプションとして男性社員の『ヤル気』への支援もサブ命令として組み込まれているという。また、女性社員用の『アンドロイド』の存在も噂されている。
「人造人間にも人格が認められているから『破壊罪』で刑事告訴されている。だから実質的には、殺したと言って差し支えないけどな」
飯を頬張りながら、高橋は嬉々と語った。
確かに人造人間の人格は認められているが、その人格はコピー可能で複製を残せることから殺人では無いと言うのが『破壊罪』の主旨だという。
「社会的道義もあるけれども、どちらかというと『会社の資産を壊した』という意味合いの方が大きいのだろうな、この『懲戒解雇』はね」
箸の止まった僕に代わって、高橋はモリモリと飯を口に運んでいる。
「あの伊藤が? そんな風になれるものなのか? ましてや相手は人間じゃないのに?」
僕はふと呟いてしまった。
「確かに滅茶苦茶に可愛かったし綺麗だったよ、あの『山口裕子』って娘はね。伊藤が惚れても無理はない」
僕の呟きに答えたつもりの高橋だったが、僕の意図は違うところにあった。
「それに『あっちの具合』もかなり良かったらしいぞ、漏れ聞く話からだとな」
高橋はひどくニヤケながら僕にそう告げた。
僕は、高橋の言葉を聞きながら自分のことを鑑みて、一瞬だが伊藤を羨ましく思った。
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