01・「受領証」
赤い日差しが横から差し込む、郊外のスーパーに併設された立体駐車場はほとんど迷路のようだ。乗り慣れていないレンタカーの重いハンドルの切り返しと遊びの多いアクセルとブレーキに手を焼きながら立体駐車場の通路を登る。三階の駐車フロアまで登り切り、店舗への入り口である『F階段』を探す。
僕は少し焦っていた。約束の時間を既に一〇分ほども過ぎていたから。定時に仕事を終えてすぐに予約しておいたレンタカーを借り出し、このスーパーまで来るのに一時間では少し無理があった。しかし、それは致し方ないことだ。煩わしいことの一切を避けるためには、このような設定にしなければならなかったからだ。
スピードを落として左右を見て案内表示を確かめつつ、駐車場の奥へと進む。すると、殆ど車がない所に『F階段』と表示された入り口を見付けた。明るく照らし出されたその入り口に一人の女性が居るのをシッカリと確認した。
僕はF階段の入り口の、自動ドアに最も近い駐車スペースに車を停めて、大急ぎで車を降りて入り口の自動ドアに駆け寄る。ドアが開くことさえももどかしく感じられた。内部のエスカレーター手前にあるベンチに座っていた女性が、駆け込んで来た僕を確認するとスッと立ち上がり、こちらを向いてニッコリと笑った。
「『井上誠』さん、ですか?」
女性の美しい声に、僕はドキッとした。僕が想い描いていた通りの声だった。
「え、えぇ。ぼ、僕が『井上誠』です」
僕はどもりながら女性の質問に応えた。それと同時に、顔がやたらと熱くなるのを感じた。それは目の前の女性が僕の想像通りだったからだ。
その女性は、黒髪でストレートのセミロングを耳に掛け、膨らみのある三角顔に鼻筋が通り、丸い目の上に眉毛が少し濃い目、朱色のルージュが印象的だった。コバルトブルーでポンポン付きのニット帽を被り、黒と白の細めのボーダーでゆったりとしたサイズのパーカーを着て、ダークグレーで無駄のないストレートでタイトなペンシルスカートを穿き、その下には編み目も模様も無いシンプルな黒のレギンス、靴は真っ白なスニーカーを履いていた。
彼女は髪を払い揚げ、服の乱れを整え、僕の正面へと向きを変えて、挨拶をした。
「初めまして。『渡辺優衣』と申します。よろしくお願いします」
深々と頭を下げる彼女に、僕もそれに合わせてギクシャクしながらお辞儀をする。
「優衣、さんですか。こ、こちらこそ、よ、よろしくお願いします」
頭を上げると、彼女は首を傾げたポーズで僕を見つめていた。それも満面の笑みで。その笑顔につられて僕も笑った、引きつりながらも妙にニヤけた顔で。
彼女は振り返ってベンチに置いていた自分のバッグ、コーデュロイ素材で大きなレタリングが入ったカジュアルなバッグを持ち上げて肩に掛けると、こちらへと向き直って再び笑顔を僕に投げ掛けてきた。
「さて、行きましょうか」
彼女に見惚れていた僕は、棒立ちのままに彼女の言葉を受け流していた。
「うん? どうしたんですか?」
彼女の問い掛けで、夢見心地だった僕はやっと我に返った。
「つい、優衣さんを見入っちゃ……あ、いや、何でもないです。そ、それじゃあ、僕の車に、ってレンタカーですがね。あ、そんな情報はどうでもいいですね、ははは」
動揺し真っ赤になって言い訳をする僕を見て、彼女は口に手を当ててクスクスと笑った。そんな反応も僕の希望通りだった。
彼女を助手席にエスコートしてから、僕は運転席に滑り込んだ。すると彼女はいきなり僕の左腕を掴んだ。
「少しだけ時間をください。受領確認のための手続きを開始します」
そう言うと、彼女は僕の左腕を掴んだまま、その動きを止めた。その直後、僕のPTのメール通知音が鳴った。僕は右手で胸ポケットからPTを取り出し、人差指でフリックしてメールを開いた。
[以下、メール]
【差出人】『RHTCFFS』
【宛先】『井上誠』
【件名】『受領確認』
【本文】「井上誠様、こんばんは。この度はご利用していただき、感謝を申し上げます。ご注文の『渡辺優衣』をお届けしました。ご希望通りであることを確信しております。ご納得して受領されましたら、このメールをそのまま返信してください。それが『受領確認』となります。以上、よろしくお願いします」
[以上、メール]
「これで気に入らないなんて。そんなことは全く持って考えられないけれど」
僕は照れながらそんなことを呟き、メールの返信ボタンをタップした。間を置かずに、次のメールが届く。
[以下、メール]
【差出人】『RHTCFFS』
【宛先】『井上誠』
【件名】『納品書発行』
【本文】「井上誠様。速やかな返信、またご納得の上の受領確認、ありがとうございます。それでは只今から『渡辺優衣』の一時停止を解除します。それをもって『納品書発行』とさせていただきます。なお、この『渡辺優衣』のご利用期限は残り四十四時間四十分と少々です。井上様が充分にお楽しみになられることを祈念申し上げます。この度のご利用、衷心より御礼を申し上げます」
[以上、メール]
メールを読み終わると、僕の左腕を掴んでいた渡辺優衣の手がそっと開き、そして僕の掌を優しく包み込んだ。彼女の手からは直ぐに温もりが伝わってきた。
「受領していただいて嬉しく思います。これから約二日間、この『渡辺優衣』が『井上誠』さんとご一緒させていただきます。改めまして、よろしくお願いいたします」
「こ、こちらこそ、よ、よろしく」
ニッコリと笑い再び頭を下げる彼女に、僕もつられてもう一度お辞儀をしたのだった。
お読みいただき、ありがとうございます。