第三話
9
「……なんだ、これ?」
陽報館を見上げる少年は、開いた口が塞がらなかった。
月乃宮凌雅、11歳。
細いシルエットの女の子のような少年。長い前髪が片目を隠すように伸び、着るものはいつも動きやすいジャージを好んでいる。
自称・月乃宮恋音と袋井雅人の息子。
西洋風の名前に反して外見はただの一軒家である陽報館は、稀代のがっかり物件である。
ボストンバッグを肩から下げている凌雅は、つまらない外装を唖然と眺めていた。
「凌雅君、荷物はそれだけなのかい?」
袋井に話しかけられ、ほんの少し不機嫌な顔を作って凌雅は振り返った。
「先生の装置は、そんなに多くの荷物を送れないって話だったからな」
「そうなんだ。その、先生って誰だい?」
「ツキ先生だよ。俺達を送り出す装置を作ってくれた人」
(そうなのか? 知らない名前だな)
袋井が思案顔で首を傾げていると、ゴロゴロと大荷物を抱えた少女が二人現れた。
小高い丘に立てられている陽報館は、前方が少し坂になっている。
フリルのたくさん付いたふわふわの服を着ているのは、土岐野玲那。凌雅と同じく11歳。
天然のウェーブが掛かった髪を揺らす、髪も瞳も金色のフランス人形のような少女である。
玲那は、自称・土岐野世那と袋井雅人の娘。
大きなキャリーバッグをせっせと押している。
そのとなりでキャリーバッグを一緒に押しているのは、不破律花。
律花もまた11歳だが、子供たちの中では一番背が小さい。
頭の上で髪を結んで身長を誤魔化そうとしているが、それが返って幼さを引き出している。
玲那とは対照的に非常にシンプルな服装で、ここに来る前も常に動き回っていた落ち着きのない少女だ。
自称・不破怠惰の娘。もちろん、父親は袋井雅人だと言う。
(どっから、あんなに荷物持って来たんだ……?)
袋井は走って行き「手伝うよ」とキャリーバッグをひとりで押し、凌雅のいる場所まで運んでいった。
凌雅もキャリーバッグに目を見張り「どうやって転送したんだ、これ?」と首をひねっていた。
娘たちも袋井たちのもとに集まり、「ありがとう、パパ」と玲那は袋井の右手に抱きつき、「ずるーい」と律花は、袋井の左手に抱きついた。
袋井はされるがままに、苦笑いを浮かべた。
「袋井君、待たせたね。――それが例の子供たちかい?」
程なくして、袋井達の前に現れたのは、怠惰が最初であった。
なぜかキャリーバッグには枕が三つほど括り付けられ、かなりの大荷物を抱えている。
「やあやあ、子供たちよ。私が噂の不破怠惰ちゃんだ。これから一緒に住む者同士、仲良く頼むよ」
子供たちは怠惰を確認すると、一列に並んで頭を下げた。
「月野凌雅です」
「布瀬律花です」
「常磐玲那です」
「「「よろしくお願いします!!!」」」
怠惰は「おおっ!」と感嘆の言葉を漏らし、「随分と礼儀正しい子たちじゃないかぁ~」と笑顔で子供たち全員と握手をした。
袋井は事前に、子供たちと話し合いをしていた。
要らぬ誤解を生まないため、自分たちの本名は明かさないで欲しいこと。
母親たちがいる場面では、袋井をオヤジ・お父さん・パパとは呼ばないで欲しいこと。
詳しい事情は聞かないから、迷惑を掛けることはしないで欲しいこと。
それらをお願いしたところで、「んなの、先生から事前に言われてるよ」と凌雅に突っ込まれてしまった。
にわかに信じ難いことだが、彼らは自分たちの存在をかけて、別々の未来から送り込まれたという。
お互い面識はなく、この世界ではじめて出会ったのだそうだ。
では、なぜ三人一緒に行動していたのか?
それについては、事前に先生なる人物から教えられていたという。
たどり着いた時代で、別の次元の同じような存在と必ず出会うことになるだろう。
まずは、三人で袋井雅人を探し出し、自分たちがどんな存在か伝えなくてはいけない。
そうしなければ、存在の危うい君たちは、母親たちに会う前に消滅してしまうだろう、と。
袋井からすると、自分の存在を掛けたサバイバルゲームをさせられているように思えるのだが、子供たちは至って和やかで、非常に仲が良いように見える。
(……彼らは本当に、僕の子供なのか?)
一番気になるのは、やはりそこであった。
久遠ヶ原学園は、様々な事情を抱えた子供たちがいる。
両親を天魔に殺され、保護された者。アウルの覚醒が異端とされ、捨て去られた者。救済する立場である撃退士に虐待され、学園への復讐を誓う者。
なかには、アウル覚醒者こそが人類を支配するべきだと信じ、テロを行う集団も存在する。
堕天使・はぐれ悪魔もまた、本当にこちらの味方となったと言い切れるかどうか信じ難い部分がある。
人工島内で起こるゲート事件や、使徒達による破壊活動は、学園内の天魔の中にスパイがいるのではないかという、憶測は後を絶えない。
仲睦まし目の前の三名も、もしかしたら袋井や他の面々に対し、攻撃の機会を伺っている破壊者であるという可能性はゼロではないのであった。
怠惰が、子供たちの相手をしている様子を眺めながら、袋井の頭のなかでは嫌な想像がグルグルと回り始めていた。
「その子たちが、保護を頼まれた子供たちなの?」
そっと背後から声をかけられ、袋井は飛び上がるほどに驚いた。
音もなく現れたのは土岐野世那だった。
目を白黒させる袋井を見下すように「ねぇ、どうなの?」と再度、世那は尋ねてきた。
「そうだよ。生徒会から保護を頼まれた、天魔から命を狙われている子供たちなんだ。共同生活をする形で守って欲しいって言われている」
「ふーん。生徒会がそんなことを依頼してくるんだ……」
「な、なにか、おかしい?」
「別に~。ただ、ヒジョーに珍しいなぁ~と思っただけぇ~」
隣に立ち、世那はほんの少し睨むような目つきで子供たちを見据えた。
唐突に現れた子供たちに、こちらの時代の居場所はなかった。
言い分が嘘か真か分からないにしても、幼い子供たちをそのまま放置する事は、袋井にはできなかった。
袋井は子供たちの事情をでっち上げ、ラブコメ推進部で保護することを生徒会に打診した。
通らないのではないかという不安をよそに、生徒会はすんなりと袋井の申告を受理した。
晴れて、子供たちはラブコメ推進部の保護対象者として、共同生活をする事になった。
「でも、意外だったなぁ。世那さんが一番、共同生活を嫌がると思ったのに――」
「あら、そんな事ないわよ。あたしは面白そうなことなら、なんでもこなすわ」
不敵に笑い、世那は飛ぶようにして子供たちの所へ駆けて行った。
世那を認めた子供たちは、また同じように綺麗にお辞儀をしている。
丁寧な挨拶に、世那もまんざらではない表情をしていた。
「……遅れ……ました……」
最後に現れたのは、月乃宮恋音だった。
彼女の荷物は、他の二人に比べて少ないように思えた。
袋井が「持つよ」と手を伸ばすが、恋音は頑なに拒んだ。
顔を赤らめ、はにかんで微笑むと荷物を持ったまま、子供たちの方へと走っていった。
背の低い恋音は子供たちと並ぶと、どちらが親なのか区別がつかないようにも思えた。
恋音は、まだ14歳。
親たちの中では最年少であり、息子という凌雅と三つしか違わない。
奇妙な共同生活の始まりに、袋井は釈然としない曖昧な苦笑いをするほかなかった。
10
「こうやって集まると、まるで家族のようじゃないかい?」
「――ぶっ! あはは……まさか、そんな……」
怠惰の鋭い指摘に、袋井は飲み込もうとしたジュースを吹き出した。
律花が慌ててハンカチを取り出し袋井に駆け寄ると、怠惰を睨みつけた。
三階建てになっている陽報館は、一階は共有スペースで、二階は女子部屋、三階は男子部屋として造られている。
広くはないが、各人に部屋が準備されており、荷物を置いたら自己紹介をしようという話が上がると、全員リビングに集まった。
「でも、考えても見たまえ。あの人見知りの月乃宮君ですら、あんなに和気あいあいと少年と話しているではないか? こんな短時間でよくあんなに意気投合できるもんだと思うよ」
「たまたま、波長が合ったんですよ。年齢も近いし、話題が重なったんじゃないですか?」
「そうかぁ? 土岐野君たちは、むしろ真逆の二人に見えるのだが、あれも波長だけで済むものなのかぁ?」
フリフリの服をうっとりとした表情で見ていた世那は、着ている当人である玲那に抱きつかれると、まるで我が子をあやすかのように優しく頭を撫で、頬ずりしている。
頭を抱えたくなる気持ちを抑え、袋井は怠惰の指摘を終始回避し続けた。
「もう、いい加減にして! いつもそうやって変な所でグチグチ言うんだから……」
「むぅ~……だがなぁ律花ちゃん。こういうことはとても気になるんだよ、私は」
「どうでもいいの! では、皆さん、改めまして自己紹介したいと思いま~す!」
いつの間にやら律花が仕切り始め、怠惰の疑問を有耶無耶にしたまま、自己紹介が勧められていった。
「まずは、アタシから! 布瀬律花です。以上!」
数秒間、言い知れない空気が流れた。
「……ちょっと、誰か突っ込んでよ! もぉ~みんなノリ悪いなぁ……。んじゃあ、私の特技で! 実は家事全般だったりします! お母さんが、寝てばっかのぐうたらな人でさぁ。家事を全然やらないんだもん。結局、全部アタシがやることになっちゃって、もうなんでもこなせるようになっちゃった。意外だった? チビだから、出来ないと思ったでしょう? チビって言うなぁ!! そんで、この家のことなんだけど――」
律花のマシンガントークが炸裂し、落ち着きなく家のことについて、あれこれと言い始めた。
仕舞いには何が気になったのか、リビングから姿を消して家中を駆けずり回る始末。
はじめからグダグダになった挨拶は「まあ、適当にいこう」という怠惰の仕切りで再開された。
「私がご存知、不破怠惰ちゃんだ。特技は寝ること。――先ほど、律花ちゃんの母親も寝てばっかだと言っておったが、なんとも気が合いそうだな。まあ、あんな落ち着きのない子の母親では、きっと気苦労も多いのだろうなぁ~。人間、落ち着きが肝心だと思うよ、うん。よろしくだな」
ちらりと律花が姿を消した方を振り向き、みなに対してフフッと満足気に怠惰は微笑んだ。
「んじゃ、あたしがいこうかな? 土岐野世那です。特技って言えるものはないけど、好きなのは占いとかかな? 恋話とかも好き! あっ、それと玲那ちゃんが着ているような、フリルに憧れるんだけどねぇ~。あたし似合わないから……。玲那ちゃんが私の子供だったら、絶対いろんな服着せてあげるんだけどなぁ~。間違いなく似合うよ! アタシの代わりに色々着てみせてね!」
隣に立っていた玲那に頬をすり寄せるように抱きつき、背中の羽根をパタパタと小さく動かした。
「えへへっ……ありがとうございますです。レナは、常磐玲那です。好きなのは、お洋服。お母さんにたくさん服を買ってもらって、いろんな服が好きになりました。――でも本当はりょうちゃんみたいな強い女の子にも憧れてて……あれ? はぅ! ごめんなさい! りょうちゃん、男の子でした! わざとじゃないの……! ごめんなさぁい……」
世那に抱きしめられたままの玲那は両手でほっぺた抑え、ふるふると頭を揺らした。
「良いよ、気にしなくて。女の子に間違えられるのは慣れてるから……。えー、月野凌雅です。俺は、男なんですけどね、よく間違われます……。趣味で体を動かしてて……誰かを守れるようになりたいと思ってるんですけど、うまくいかないですね……。すいません、こういうのは慣れてなくって……。よろしくお願いします」
煮え切らない態度の凌雅は、隣に立つ恋音に自虐的な笑みを向ける。
人見知りな恋音であったが、抗する様子も見せず、飲んでいたコップから口を離して、凌雅には微笑みを返した。
数秒の後、自分に視線が集まっていることに気付いた恋音は、慌てて居住まいを正し、赤くなり、蚊のなくような小さな声を出した。
「……えーと、月乃宮恋音です……。特技は、占い――でしょうか……世那さんによく褒めてもらっています……えーと、それだけです……」
コップを持ったままの恋音は、小さくなって下を向いた。
残るは、袋井のみ。
リビングにいた5人の視線が袋井に集中し、袋井は頬を掻いて苦笑した。
(……特技か。僕も言ったほうがいいのかなぁ……。特技っていうと、やっぱり恋愛線のことか? これから力になって貰うんなら、言ったほうがいいと思うけど――この子たちが、あの点線に関わることなら、下手に話してややこしくなるのも、考えものだしなぁ……)
「どうした、袋井君。後は君だけだぞ?」
沈黙する袋井に、怠惰が水を向ける。
居心地悪く頭を掻き始めた袋井は、固い笑顔を作った。
「え~と――袋井雅人です。この部の部長をしています。特技なんですが……実はですね――」
袋井が、肝を据えて話し始めたその時、急にリビングの扉が開いた。
顔を向けた袋井の額に、ゴスッと細長い木の板が突き刺さる。
姿を消していた律花が料理道具を持って闖入し、敷いてあったカーペットに見事に足を取られていた。
手に持っていた木のまな板がすっぽ抜け、ちょうど顔を向けた袋井に直撃したのだった。
派手な音を立てて他の調理器具が散乱し、律花がカーペットに倒れるのとほぼ同時に、受け身を取れず床に倒れた袋井は、意識を失った。
11
手で触れると、ぬるくなったタオルがおでこに載せられていた。
端を持って、周囲を確認するとすでにリビングの明かりは消されている。
袋井は、薄く残る痛みを噛み締め、安堵の溜息を付いた。
「目、覚ました?」
声は、律花のものだった。
薄暗いリビングに、少女のシルエットが浮かんでいる。
「……まあね。……いつから、そこに?」
「う~ん……つい、さっき。動いたの、見えたから」
「……そう」
気のない返事をする袋井は、リビングのソファーから動けずにいた。
「お父さん、案外だらしないね」
勝ち誇るような含み笑いをした律花は、袋井のタオルを冷たいものと交換した。
「お父さんって呼ぶのはなしだよ。周囲に人がいないにしても。正直な所、本当に君たちが僕の子供かどうか、疑っているんだからね」
「ヘヘッ……まあ、そうだろうね。――実を言うと、アタシ達もあなたが本当のお父さんか、疑ってたりしたんだ」
「どういうこと?」
おでこに手を当てながら半身を起こし、袋井は律花の顔を確認した。
律花はテーブルに座り、小さい体を更に小さくしていた。
「アタシ達三人とも、お父さんに会ったことがないの。物心ついた時には、お母さんと二人きりだったし、お父さんのことは名前だけしか知らない。……写真とか見せてもらっても、実感ないから。三人とも、あの時の出会いがお父さんとの初対面だったの。でも、すぐこの人だってわかった。三人ともそうだよ。だから、こうやって、お父さんって呼ぶのすごく嬉しいんだ……」
はにかんだ笑みで、律花は頭を掻いた。
「先生の話だと、アタシ達三人は、本来同じ場所にいちゃいけない特異点なんだって……。魂が三つに分かれているから、力もちゃんと発動できていないし、成長も遅い。だから、お互いを知り、ひとつの存在としてまとまる必要があるって言われてる。――本当なら、互いに憎しみ合うぐらいの関係でもおかしくないんだけどね。アタシ達ってほんと、のほほんとしてるよね」
律花は、ニャハハっと、誤魔化すようなわざとらしい笑い方をした。
袋井は、いつも明るいはずの律花の表情に、何か黒い影を感じずにはいられなかった。
「お願いしておいてなんだけど……僕にはすぐ名前を明かしたのに、なんで母親たち三人には、名前を伝えないんだい?」
「……それは。みんな、拒絶されたくないんだよ……」
「拒絶?」
「三人とも物心ついた頃から、お母さんと一緒にしか生活して来なかったんだよ。お父さんは逆にあんま知らないから、きょひられても仕方ないと思えるけど。お母さんから拒絶されたら、耐えられないよ。――もう……同じ思いはしたくないよ……」
ボソリと本当に小さな声でつぶやいた律花は、表情を隠して立ち上がると入り口へと歩き出した。
明かりが漏れる廊下まで来た律花は、振り向いて袋井を見詰めた。
「お父さん、今一番好きなのは誰なの?」
「……それは」
「やっぱり、恋音さん?」
「ど、どうして、そう思うの?」
「なんとなく……かな」
「どうだろう……わからないよ……」
「もし良かったら、お母さんも好きになってね」
笑顔で手を振って、律花は走り去っていく。
ぼんやりとした時間を過ごした後、袋井はソファーにしっかり座り直した。
すでにぬるくなったタオルを手に取り、その手を見詰めていた。
(同時に存在し得ない特異点か。……僕には、どうしても普通の子達にしか見えないんだけどなぁ)
袋井には、彼らが自分の子供たちであるという認識はない。
未来に起こる出来事を今認めろというのは、無理に等しかった。
痛みもだいぶ治まってきていた袋井は、タオルを律花に返そうと立ち上がった。
抵抗のないタオルは、するりと袋井の手から滑るようにこぼれ落ちる。
慌てて拾い上げると、そのタオルが異様な長さを持っているに、気がついた。
(なんだこれ?)
袋井がタオルだと思っていたそれは、非常に長い帯状の布だった。
首をひねりながら、布を右手にぐるぐる巻きにして袋井は、リビングから出て行った。