第二話
5
「部の申請書ですか?」
パイプ椅子に座る、鴉の濡れ羽のような艶やかな黒髪を持つ少女。
生徒会長・神楽坂茜(jz0005)は、差し出された申告書を見て訝しんだ。
特別広くもない殺風景な生徒会室には、茜とひとりの少女が向かい合って座っていた。
「わが校は、自由な校風を第一に考えていますからね。今更、このようないかがわしい部活がひとつぐらい増えても驚く人はいないと思うのですが?」
書類を目で追いながら、茜は当然の如く吐き捨てた。
異常に広い部活棟が存在するこの学園は、仮にひとりでも宣言し、書類に名前さえあれば部活が成立してしまう。
学園には幽霊・非活動を含め数えきれない程のクラブが存在し、今回、取り上げられた『袋井雅人』なる人物が申請している『ラブコメ推進部』も、その中のひとつに埋もれて終わるはずであった。
「確かに。部活としては、それほど珍しいものではないと私も思っています。交際やら、決闘やら、おかしな部活は山ほどありますから。ただ――」
「……ただ?」と茜に促されて、少女はぐっと力を込めた。
「部活目標である『両思いの人を必ずカップルにします』という部分が引っかかるのです。両思いか、片思いかなんて二人と話してみないとわからないものです。まして、そのような大切なこと安易に人に話すと思いますか? どうしてこの男は、そんなことを堂々と宣言しているのでしょう?」
茜は額に人差し指一本を置き、眉間にシワを寄せた。
深く考えようとする彼女のポーズのひとつだ。
生徒会長として自分を律する茜は、ときに非常にナイーブになる。
落ち込もうとする自分の心を、指先一本で支え続けている。
茜が何か答を出す前に――その背に羽を持つ――天使の少女は、次の言葉を準備していた。
「過去の資料に、似たような部活を申請した例がありました。その部活は、巨大な組織として機能していたのに、急に解散となり、その部に所属していた部員はことごとく、謎の失踪を遂げています。――私には、なにか裏があるように思えてならないのです」
茜は顔を上げ、目の前に座る天使の少女を見据えた。
金の髪を両サイドで結び、少し釣り上がった意志の強さを感じさせる金色の瞳を持つ少女。
麗美な顔立ちで、謀らずともクールさと冷酷さを漂わせている。
正式には、生徒会に席を置いていない彼女であるが、彼女の見出す案件はどれも一癖も二癖もあるものばかりで、問題が大きくなる前にいずれも先手を打つことに成功している。
茜は彼女の判断力と先見性に、一目置いている。
そんな彼女が、特別に寄越してきた申告書なのである。
茜自身、頭を抱えずには要られなかった。
「それで、あなたは何をするべきだと考えているのですか?」
「私は、この部に侵入し、内情を調べるべきだと考えています。また、それについて少し生徒会からお力添えをしていただきたいと考えております」
はっきりと、強い意志のもと、凛とした声で語る少女。
まっすぐと見詰められた茜は、居住まいを正して、同じように向き合った。
「……いいでしょう。あなたがそこまで言うのなら、生徒会としても力をお貸ししましょう。それで、誰がこの部に侵入するというのですか?」
「もちろん。それは、私自身です。この身にどんな事態が起こってもいいよう、監視体制を作って欲しいのです」
「分かりました。でわ、改めて生徒会より依頼いたしましょう」
茜は立ち上がりキッと力強い目線で、目の前の少女を睨みつけた。
「土岐野世那(jb6863)! あなたに生徒会長として『ラブコメ推進部』の監視および調査を依頼します!」
「……かしこまりました。必ずや危険な種を、排除して差し上げます」
土岐野と呼ばれた天使は、立ち上がって軽く一礼すると、音もなく生徒会室を後にした。
ひとり残され、ぐったりとパイプ椅子に身を委ねる茜。
テーブルに置いてある申告書を手に取り、部室欄を眺めた。
「監視体制……か」
そこには土岐野の字で、ひとつの建物を示す文字が書かれていた。
かつて、堕天使やはぐれ悪魔が、本当にこちらの味方か見極めるために使用されていた全方位監視カメラが設置された施設『陽報館』であった。
6
部の申請をして、まる2日が過ぎていた。
勢いのみで、立ち上げた『ラブコメ推進部』であったが、袋井自身、どうしたら良いわかっていなかった。
君たち両思いだよね、などと無作為に声をかけたところで、気味悪がられるだけで、袋井の意図した結果が生まれることは皆無。
なかには、照れ隠しに、袋井に食って掛かる人物まで現れたりした。
どう接すれば、信じてもらえるのかを思い悩んでいた袋井のもとに、不思議な依頼が来たのはそんな時であった。
「そなたが、袋井殿であるか。急に呼び立てしてすまなかったのう」
琥珀色の体毛で覆われている狐獣人の悪魔が、袋井に話しかけて来た。
フワフワした毛並みと圧巻の巨乳、獣人特有の容姿も相まってか、巨大な何かに覆われているような圧迫感を感じさせる。
蛇に睨まれた蛙とまではいかなくとも、頼まれたら断れない、そんな雰囲気を彼女は醸し出していた。
「私は狐珀(jb3243)という者じゃ。袋井殿に頼みたいことがあってのう」
「はぁ、何でしょう……?」
すでに雰囲気に飲まれていた袋井は、狐珀の言葉をただ待つのみであった。
「ふむ、実はのう。私の知り合いが、恋を患っておるのじゃが、複雑な事情があってのう、素直になれんのだ。袋井殿の部の触れ込みとしては、両思いの者を恋仲にするのが得意とあったようじゃが……。少々、事情がちごうても、引き受けて貰えるものなのかのう?」
どうやら袋井が新たに設立した『ラブコメ推進部』の掲示を見て、訪ねてきたらしい。
それほど多く触れ回ったつもりもないのに、この人(?)はかなり耳が早いようだ。
「そ、そうですね。脈がありそうなカップルなら、少し様子を見てみたいとも思っていますが……」
「おお、そうか! 実はな、その娘はつい最近、失恋というか――相手を振ったばかりなのじゃよ。だがのう、本当はその者ともう一度やり直したいと思っておる所なのじゃが、素直になれなくてのう……相手がもし自分のことをもう好こうていなかったら、どうしようと苦しんでおるのじゃ……袋井殿、力になってくれぬか?」
「は、はあ……」
生返事を肯定の言葉と受け取った狐珀は「では、早速」と、袋井の腕を引っ張った。
「おわっ!」と、声を上げ、袋井は、つんのめった。
バランスを崩した袋井は、背を向けた狐珀の尻尾に誘われるようにして、しがみついていた。
「なんじゃ、袋井殿? そなたも私の毛に悩殺されたかえ?」
「い、いえ、ちょっと……ははっ……」
袋井は、微苦笑を浮かべてモフモフの毛から脱出した。
狐珀に引きずられるようにして、袋井はひとりの女生徒の前に連れて来られた。
栗毛の可愛らしい少女。狐珀に大学生と紹介されたが、見た目は袋井と同じ高校生ぐらいにしか見えない。寒い季節でもないのに、首にマフラーをしており、胸の前で手を合わせて困った表情をしている。
(あれ? この人、どこかで見たような……)
袋井が首を傾げていると、目の前の少女は「あの……」と語り出した。
「立花杏(jb1785)って言います。よろしくお願いします!」
立花は勢い良く頭を下げ、その隣で狐珀も恭しく頭を下げる。
(あ、この人! バスの中でビンタしていた人だ!)
袋井の頭には、ビンタを決めた立花の顔が思い浮かんだ。しかし、その相手である男子生徒の顔が一向に思い浮かんで来ない。
印象に残っていないのである。
「立花さんは、その、振ってしまった彼と復縁したいってことですよね?」
「……はい」
消え入りそうな声で、立花は肯定する。
「彼とは、最近会っていないんですか?」
「会っていません」
「それは、なにか事情があるんですか?」
「それは――」
何故か立花は、隣に立つ狐珀を盗み見て、小さく首を振ると「言えません」と答えた。
(うまく事情が掴めないな。彼の近くに行って貰わないと、矢印が動かないしなぁ)
「まずは、彼に合わせてくれませんか」と袋井が提案すると、二人は承諾した。
立花は彼に見つかりたくないと、狐珀の後ろに隠れながら学園内の中庭へと足を運んだ。
中央広場に足を踏み入れると、二人はすぐに物陰に隠れた。
「居ました」と、小声で立花が告げるも袋井にはわからなかった。
バスの中で一度は見ているはずなのに、どこを見回しても、全く思い当たる顔に出会えない。
袋井が不思議に思っていると、立花の恋愛線が動き出し、まっすぐと目立たない位置に植えてある木の下を指し示した。
そこには非常に影の薄い、まるで木と同化するように微動だにしない青年が、本を読んで座っていた。
袋井も彼に見えない位置に隠れ「彼ですよね?」と指を差しながら尋ねると、立花は心底驚いた表情をした。
「よくわかりましたね! 彼のこと、まだ何も教えてないのに……」
立花の顔に不信感が滲んだ。
(しまった! 先走り過ぎたか)
袋井は慌てて取り繕い、二人をバスの中で見たことがあることを話した。
立花は、それを聞いいても微妙な顔をしたが、袋井がバスにいた事を気にし始めた。
「バスの中に居たってことは、彼との会話を聞いていたんですか?」
「い、いえ。立花さんが、ビンタした所しかみてなかったですから……」
袋井の回答に、立花はため息を付くようにして、少し安心したような雰囲気を醸し出した。
立花は、隣に立つ琥珀の手をそっと握り、視線を琥珀に向けた。
視線を向けられた琥珀は、優しい笑みを返していた。
(どうも二人の事情に、琥珀さんが関わってそうだな)
袋井は二人の様子を見て、ほんの少し頭を働かせた。
だが、袋井の考えに反して、琥珀から出る矢印には互いにLIKE程度の好きを示す小さなハートしか浮かんでいない。
琥珀から見れば、二人は小さな子供。保護者として二人を見守っている様子だった。
袋井は、再び彼の恋愛線に目を向けた。
恋愛線は、問題なさそうである。
ひび割れたハートが細かい破片を集め、ひとつに再構成されつつある。
あとは二人がちゃんと話しあえば、修復可能だと思えた。
「どうやら彼も、立花さんのことをまだ好きみたいですよ」
「ほ、本当! で、でもなんで分かるの?」
「い、いや~僕にはなんとなくわかっちゃうんです。恋心っていうのかな? そんな感じのものが」
「ほぉ、流石じゃのう。やはり、それもアウルの力なのか?」
「ま、まあ、そんな感じです……」
狐珀に突っ込まれ、袋井は焦った。
素直に自分の能力を明かすのは、危険に思えた。
出処を聞かれたら、なんと答えたらいいか、わからない。
じっと彼を見詰めたまま動かない立花に「どうしますか?」と声をかけると、立花はブンブンと首を振った。
「わ、わかりません。怖いです。――その、ちゃんと聞いてきてくれませんか?」
(やっぱり、そうなるのか)
能力は明かせない。
袋井の言葉だけで信用してもらうには、さすがに無理がある。
そうなると直接本人に話して、想いを尋ねるしか方法はないのだ。
狐珀も無言であるが、目だけで雄弁に訴えてくる。
「ちなみに彼の名前は?」
「佐藤です。佐藤知治(ja8291)」
立花と狐珀に見守られ、袋井はゆっくりとした足取りで、佐藤に近づいていった。
まさか、自分に話しかけてくるとは思っていなかったのだろう「あの……」と袋井が声をかけると、佐藤はビクッと全身で飛び上がった。
「……だ、誰だい君?」
「僕の名前は、袋井雅人って言います。えーっと、琥珀さんの使いで来ました」
逃げ出されても困るので、まずは狐珀の名を出してみた。
「狐珀さんの? 彼女がどうかしたの?」
佐藤の反応は微妙だった。
確かに琥珀の事を知っている様子だったが、名前が出た途端に目を反らした。
「あの、ちょっと佐藤さんにお尋ねしたいことがあって」
「なんだい?」
「立花杏さんに対して今どう思っているのか、聞きたいんですけど……」
立花の名前が出ると、佐藤の顔は大きく歪んだ。
笑うような泣くような、形容しがたい苦痛の表情を浮かべ、袋井を舐め回すように見詰めた。
「どうして、そんなこと君に言わなくちゃいけないんだ!?」
「それはですね、琥珀さんがお二人のことを心配していて……」
「だ、だったらどうして彼女が直接聞きに来ないんだ!?」
「そ、それはごもっともなんですが……」
(まずい……言い方を間違えたかな……)
額から汗を垂らしながらも袋井は必至な笑顔で、佐藤をその場に留まらせようとした。
不快な表情丸出しで、佐藤は後ずさり続ける。
「ま、待って下さい! もう少し話だけでも!」
「う、うるさい! 君に話すことなんて何もない!」
(まずい! 本当にまずいぞ! このまま去られてしまったら完全に失敗だ!)
ついには背を向け、足早に立ち去ろうとする佐藤。
為す術もなく、手を伸ばして硬直している袋井。
恋愛線に乗っているハートが、メッキを剥がすかのように細かな破片を落としていく。
一部始終を見詰める立花の顔は青くなり、ぎゅっと狐珀の手を強く握りしめた。
(待ってくれ! お願いだ! 待ってくれ!)
袋井の心の叫びは届かず、佐藤は今にも走りだす姿勢をとった。
「待って下さい!」
袋井たちの耳に、聞きなれない声が聞こえた。
驚き振り向いた佐藤の視線は、袋井の背後に向けられ、袋井もまたその視線を追うように振り向いた。
そこには、見知らぬ少女が立っていた。
人形のように整った顔立ちに、雪のように白い肌、黒いストレートのロングヘアが目を隠すように伸びている。
スカートを両手でグッと掴み、子鹿のように震える足を必死に押さえ込んでいるようにも見えた。
ほんのりと赤くなった顔を上げ、丸く大きな瞳で佐藤を見詰めている。
「佐藤さんは怯えているんですよね?」
「えっ!?」
「佐藤さんは、大切な人に嫌われたかもしれないと思って臆病になっている……」
「そ、それは……」
「でも、本当の気持ちに気付いてらっしゃるんじゃないですか?」
「わ、わからないよ、僕には……」
「佐藤さんには、まだ意識できていないのかもしれません……。でも、本当の心は、やるべきことはわかっているはずです」
圧倒的な言葉に、佐藤はただ口をパクパクと動かすだけ。
そんな佐藤に、少女はたたみ掛けるように言葉を続ける。
「つい最近、大切な人に悪いことをしたと、後悔していますよね?」
「そ、そうなんだ……あれば、僕のミスだった……」
「だったら、やるべきことはなんだと思いますか?」
「……謝らないといけない。わかっている。でも、もし嫌われていたら……」
「嫌いになんて、なってないです!!」
袋井たちの後ろには、さらに大きな声で叫ぶ立花の姿があった。
「立花さん……」
物陰に隠れていたはずの立花と狐珀が並んで立ち、佐藤を見詰めている。
目線を確かめ合う二人。先に視線を外したのは、佐藤の方だった。
立花の顔にまた黒い影が堕ちる。
しかし、佐藤は手にグッと握ると顔を上げ、立花のすぐ側までしっかりと歩みを進めていた。
「立花さん、ごめん。……僕が悪かった」
「ううん、謝るのはこっちです。本当にごめんなさい!」
目の前に佐藤に対し、立花は深々と頭を下げた。
佐藤は、その手を握ろうとそっと体をかがめた瞬間――立花が勢い良く頭を上げ、その頭が佐藤の顎にクリンヒットした。
仰け反った佐藤は、軽く宙に浮き、側に立っていた狐珀の体を透過して、地面に倒れた。
「へっ? と、知治さん、知治さん!」
慌てて立花が抱き起こすが、佐藤は白目をむいていた。
オロオロとし涙目の立花を見て、二人の保護者である琥珀は「ハハハッ」と豪快に笑う。
二人をつなぐ恋愛線は、完全に修復され、ハートはピンク色に脈打ち始めていた。
(これだ。僕が望んでいたのは、これなんだ!)
袋井は、二人のハートを見て力拳を作り、側に立つ少女に視線を送った。
二人を見て、先ほどの少女は赤面している。
袋井の視線に気付き、一瞬袋井の顔を見たかと思うと、少女は更に顔を赤くして視線を逸らしてしまった。
7
「どうして、お二人は喧嘩をしたんですか?」
意識を回復した佐藤に、袋井は興味本位でたずねた。
立花に支えられながら立ち上がった佐藤は、頬を掻いて言葉を濁した。
側に立つ狐珀を見る視線は、確実にその胸元に注がれていた。
少しムスッとして、立花は佐藤の視線の先を逃さなかった。
「だって、知治さんが『狐珀さんの胸は柔らかいんだろうなぁ~』なんて言うから」
「ち、違う! あれは、毛の話、モフモフの毛は、柔らかいんだろうなぁって話だったの!」
「本当ですかぁ~?」
嫌味ったらしい物言いで立花は、佐藤を軽くなじる。
グッと言葉を飲み込み佐藤は、すぐ側で立花の冷たい視線を甘んじて耐えていた。
当の狐珀は苦笑し、二人を背後からしっかりと抱きしめた。
「そうか、そうか。すまんのう。まさか私が、二人の邪魔をしていたとは、すまんかった……」
「違うよ! 狐珀はなんにも悪くない! 佐藤さんが全部悪いの!」
「そうだよ! 狐珀さんは全然悪くない! 悪いのは、勘違いした彼女だよ!」
また小さないざこざを始めてしまった二人を、狐珀は抱きしめたまま背中を押す。
狐珀は遠ざかりながら顔だけを袋井に向け、「ありがとう」と声を出さずに伝えると去っていった。
残されたのは、袋井と突如現れた黒髪の少女だった。
「あの、さっきは、ありがとう。えーと――」
「……月乃宮恋音(jb1221)です……」
袋井の顔を見ず、じっと下を向いたまま少女は名前を告げた。
「月乃宮さんか。僕の名前は――」
「……袋井雅人先輩ですよね……ラブコメ推進部の……」
前髪からちらりと袋井の顔を覗き、恋音はまた視線を外した。
先ほどから彼女の顔は赤く、ほっぺたは林檎のように丸い赤みを帯びている。
「こ、光栄だな、名前を覚えてもらっているだなんて。でも、なんで、僕なんかを……」
「……覚えてないですか、私のこと?」
視線を向けた少女の目が少しだけ、濡れているように見えた。
(ど、どうしよう。僕、彼女と会ったことあるのか……)
思い出せない袋井は、曖昧な微笑みを浮かべながら冷や汗を垂らした。
見る見る少女の瞳に涙が集まっていくのが、分かる。
(や、やばい! な、何か、何か出会ってそうなことってないか!?)
「だ、大規模戦闘の時かな?」
頭を廻らせた袋井だったが、学園生とならば誰でも当てはまりそうな事しか、思い付かなかった。
だが、少女の顔はパッと明るさを取り戻し、同時に頬から鼻先まで赤くなっていった。
(……胸が痛い)
あまりに適当過ぎる自分の行動に、袋井は自分自身で傷ついていた。
これ以上突っ込まれたら、ぼろが出ることが確実だった袋井は、必死に話題を変える。
「――しっかし、さっきのは凄かったね! 何だったんだい、あれは? どうやって、佐藤さんの気持ちを言い当てたの?」
「……あれは占いの一種です……ストックスピールっていう……誰にでも当てはまりそうな言葉を使って……自分の気持ちに気付いてもらうって方法で……」
恋音の説明を受け、袋井はまた言い知れぬ痛みを感じた。
先ほど彼女にした返答がまさにそれだっただけに、不安と苦味が口の中にいっぱいに広がるっていくような気がした。
(でも、待てよ。曖昧で、誰にでも当てはまるような言葉を使って、自然と気持ちに気づいてもらう。そうすれば、僕の計画もうまくいくんじゃないのか?)
「そうだよ、占いだよ。占いなら、全部が全部本当じゃなくてもいい。自分で気持ちにさえ気付いてもらえれば、それでいいんだ!」
新しい発見をした袋井は興奮し、空に向けて両手でガッツポーズをした。
それを見た恋音は、驚き、そして優しく微笑む。
袋井は恋音に向き直り、その小さな手を、ぎゅっと掴んだ。
「月乃宮さん! お願いだ。僕に協力してほしい! 僕の部に入ってくれないかな!?」
両腕を掴まれた恋音は、自分の手と袋井の顔を交互に見た。
首の底から急激に真っ赤になっていき、頭のてっぺんに到達した途端、ぽんっという音がしたかと思うほど沸騰し、目を回して失神した。
「えっ! ちょっと! 月乃宮さん! つきのみやさぁぁぁぁああん!」
ぐったりとした恋音を抱え、袋井はオロオロと辺りを見回すばかりだった。
◇◆◇
そんな二人を木の上から見詰める、白い影があった。
モコモコした白い衣装に、真っ白なストレートヘアー、真っ赤な瞳で双眼鏡を覗きこんでいる。
まるで木に登った羊のように見えるが、背中には蝙蝠のような形の小さな白い羽が生えている。
少女が悪魔であることを、証明するものだった。
そんな彼女は、笑い転げるのを必死に押さえ、小さく震え続けている。
少女は携帯電話を取り出した。
手際よくボタンを押すと、数コールもしないうちに、相手が電話に出た。
「有月君かな? 私だ、不破怠惰(jb2507)だよ。悪いが、しばらく部屋を留守にするよ。後のことは、君に任せる。――いや、なに、面白い観察対象を発見してしまってねぇ。どぉ~しても、我慢できないんだ。よろしく頼むよ」
相手の了解も得ず、彼女は電話を切った。
双眼鏡の中の袋井は、恋音をお姫様抱っこして中庭を去っていった。
少女は双眼鏡を外し木に腰掛けると悪質な笑みを浮かべて、フワリと柔らかに、地面へ着地した。
8
「すっご~い! 恋音ちゃんの占いってホント当たるんだね!」
「……そんな、たまたまですよ……占いっていうのは、みんなに元気になってもらうためのおまじないですから……土岐野先輩が真摯に聞いてくれているから、意味があるわけで……」
「こ~ら。世那でいいって、言ってるでしょ? 同じ部員なんだから、気を使っちゃダ~メ!」
「……でも……」
「ほら! 私の名前は?」
「……世那先輩……」
「先輩もダメェ~」
「……ううぅ……せ、世那……さん……」
今にも泣き出しそうな月乃宮恋音の額を、土岐野世那は指先で突いた。
まだほとんど何もない、ガランとした空き部屋。
唯一置かれているのは、白いテーブルと六脚のパイプ椅子のみである。
入り口側の椅子に座っているのが世那。先程から、斜め向かいに座る恋音に自らの手相を見せている。
少し離れた窓際では、不破怠惰がテーブルに突っ伏し、よだれを垂らして眠っている。
ここはラブコメ推進部に与えられた仮の部室である。
部の発起人である袋井雅人の姿が見えないのは、入部を求めた世那の申告に行ったまま、なぜか生徒会室に呼び出されて、足止めを食らっていたからであった。
「遅いですね……袋井先輩……」
「なぁに? 恋音ちゃんは、あいつのことが気になるわけ?」
「ち、違います……! そんなことは……」
耳を真っ赤にして、恋音は首を振った。
にやにやとイタズラな微笑みを浮かべ世那は、恋音の頭を撫でた。
「否定したら、可哀想だよ~。あいつモテなさそうなんだし。――まあ、あたしはあいつより、恋音ちゃんの占いの方が気になるけどねぇ~」
「……そ、そうなんですか……?」
「人間の占いって面白いじゃん? 天使の仲間にも占いを得意とするは者いたけどさ。人間のみたいに、理論立った答えで作られていないから。そいつの能力しだいじゃん、ってもんばっかでさ。誰かのための占い、って感じじゃなかったからね。――あたしって、そんなもんばっかに興味を持って堕天したバカなのよ、ほんと」
ケラケラと笑う世那に、恋音は呆けるようにぼんやりと頷いている。
「おや? 世那君は、自分がバカだってことは理解していたんだなぁ~」
むっとした表情で、世那は声がした方向に顔を向けた。
逆を向いて眠っていたはずの怠惰が、突っ伏した姿勢のまま顔だけを向けて目を細めている。
「それはどういう意味かしら、惰眠のバぁくまさん?」
「いや~深い意味はないよ。自分を利口だと思う者こそ本当のバカであり、自分をバカだと理解している者こそ、本当の智者という者。その程度の意味だと捉えてくれればいい」
歯を剥きだして笑う怠惰に対し、世那は眉間にシワを寄せて腕を組んだ。
二人に挟まれている恋音は、オロオロとまた泣き出しそうな表情をしていた。
◇◆◇
「これは……強制ですか?」
「ええ。生徒会としては、お願いしたいと思っています」
夕日が差し込む生徒会室で、袋井は神楽坂茜から手渡された通知書を見て、固まっていた。
『通知書
生徒会執行部は、ラブコメ推進部に対し、新しい部室である「陽報館」を供与する。
伴い、生徒会執行部は、ラブコメ推進部の所属部員全員に対し「陽報館」での共同生活を求める』
「……でも、なんで?」
「そうですね――昔、同じような部活を立ち上げた者がいたのを御存知ですか?」
「そんな人がいたんですか!?」
心底驚く袋井をチラッと見ただけで、茜はそのまま話を続ける。
「その部は――あなたの部のように恋人を作るという部ではなく――学園内での人間関係を円滑にするための手助けをしようという部でした。今もそうですが、人間関係に悩む生徒は大勢いましてね。その部はすぐに巨大化し、次々部室を変えなくてはいけない事態になりました。――そこで、生徒会としましては、そのような事にならないよう先手を打つという意味合いと、過去に功績を上げたその部のように、あなたの部活も発展して欲しいとの願いを込め、生活環境が整っている陽報館を提供することにしました」
「それは大変ありがたいことだと思います。……ただ、なぜ共同生活をしなくてはいけないんでしょう?」
茜はほんの少しの間、額に人差し指をかざした。
すぐ手をおろし、袋井に対してにっこりと微笑む。
「だって、そのほうが面白いじゃないですか!?」
あまりに無責任な発言をぶっ放し、茜は有無を言わさず袋井を生徒会室から追い出した。
通知書だけを手渡され、廊下に追いやられた袋井は、鉛のように重い足取りで、仮部室へと向かっていた。
(とんでもない学園だとは思っていたけど、まさか、生徒会の責任者があんなにぶっ飛んだ人だとは思ってなかったなぁ……)
トボトボと歩く袋井は、もう一度通知書を見てため息を付いた。
(同じような部があったんだ……もう少し詳しい話を聞けばよかった。それより、共同生活って……。ど、ど、どうしたらいいんだ……)
全寮制である久遠ヶ原学園は、その人工島内にたくさんの寮や施設のような大勢の人が住める建物が存在する。
陽報館も、そのひとつで、小高い丘に立つ半分幽霊屋敷のような有名スポットであった。
誰でも好きな施設で住むことができ、今回のように部の選択により、住居が強制されるのは一握りである。
集まった四人が共同生活を送れるかどうかはさておき、袋井はともかくとして、他の三名が陽報館への入居を了承するかどうか。部長としては、そちらのほうが気がかりであった。
袋井の意図を汲んで、手伝うと入部してくれた三名。
生徒会の無理な提案で、辞めると言い出されては悔やむに悔やみきれない。
仮部室の近くまで来ているというのに、袋井はいつまでもウロウロしていた。
(嫌だなぁ~なんて言い出せばいいんだ……)
仮部室までほんの数メートルという所まで来ると、袋井の体は急に何かに引っ張られるように前方に反り返した。
慌てて姿勢を保ち前方を見やると、体から仮部室に向けて見たことのない恋愛線が引かれていた。
(三本の――点線!?)
袋井から放たれた三本の点線は、まっすぐ仮部室まで引かれている。
今まで見てきた恋愛線は、すべてが実線であった。
互いを知らなければ線は動かないし、知り合いであれば、何らかの形を描いていた。
今見えている点線は、どの経験にも当てはまらない。
袋井は気付くべきだったのだ。
部員として関係性を持った三人の少女たち――その三人に向けて、自らの恋愛線が何ら動きを見せていなかったという不自然さに。
通知書を握り締める袋井の額から、汗が垂れた。
初めは慎重に足を進めていた。しかし、気付くと歩調は早くなり、扉を開ける頃には走るような速さでたどり着いていた。
「なんだ。随分とお急ぎじゃないか?」
勢い良く扉を開けて入ってきた袋井に対し、怠惰は相変わらず机に突っ伏したまま顔だけを向けて、声を発した。
袋井は扉の入り口に立ったまま、動けずにいる。
なぞるように三本の点線を眺めると、やはり三人の少女たちに線は向けられていた。
奇妙なのは、線に浮かぶハートも同じなことだった。
ハートもまた点線で描かれており、下からせり上がるようにピンク色の模様が表れる。
世那と怠惰の模様の量は大差なく、今一番多いのは恋音を結ぶ点線のハートであった。
「……どうか……したんですか……?」
視線を向けられた恋音は、もじもじと袋井に尋ねる。
三人から視線を向けられ、声も発せず立ち尽くす袋井。
握りしめられている通知書に気づいた世那が「なにこれ?」と、袋井の手から滑らかに奪い取った。
丁寧にシワを伸ばして通知書を広げると――離れて座っていた怠惰も近づき――三人の少女が覗きこんだ。
やっと来たかと神妙な顔つきで眉をひそめるもの、観察がしやすくなると瞳を輝かせるもの、赤くなったり青くなったり、先のことを考え過ぎて表情を歪ませるもの。
三者三様な反応を見せている。
袋井が我に返ると通知書を見た三人から、再び視線を向けられていた。
誰ともなく口が開きそうになった時、袋井の頭はフル回転した。
「ごめん、みんな! 僕、急用ができちゃったんだ! その通知書を見て、少し内容を検討してもらっていいかな!? 僕は、みんなの決定に従うから! じゃあ!」
サッと手を上げて、立ち去る袋井。
呼び止める声を振りきって、袋井は全力疾走で自分の寮へと駆けて行った。
(なんだこれ。なんだこれ。なんだこれ!)
走りながら、混乱する頭を必死に抑える袋井。
自分自身は、まだ三人の少女たちに恋愛と呼べる感情を持っていなかった。
会って間もない上、目に見える恋愛線の実力に慣れ始めていた袋井は、三人の少女たちへまだ線が引かれないことに、むしろ安心すら覚えていた。
自分を手助けしてくれる仲間たちという意識で接することで、関係が変わることを無意識に恐れていた。
それが、急に変化してしまった。
それも、見たこともない恋愛線に因ってである。
息を切らし、ヨレヨレになりながら寮の入り口まで袋井は走りきった。
日頃は、電車で通っている距離を疾走し、もう何も考えずに眠りたかった。
ガラス戸越しに見た寮のホールが、妙にざわついている。
扉を押して入ると、すぐに同じ寮生の黄昏ひりょ(jb3452)が気がついた。
「袋井さん! 遅いですよ。みんな待っていましたよ!」
メガネを掛けた優しげな少年は、珍しく語調を強めていた。
誰にでも優しく接する黄昏は、悩んでいる人・困っている人を見つけると必ず声をかける生粋のお人好しである。
黄昏が怒り出す理由には、必ず他人のためという大前提が存在する。
今の黄昏にも、恐らく他人の理由が絡んでいるのだろう。
そうでなければ、袋井に食って掛かるなど、考えられることではなかった。
「どうしたの、黄昏君? そんなに怖い顔して。何かあったっけ?」
じっと袋井の顔を真剣に見ていた黄昏は、ため息を付いた後、肩を落とした。
「……わかりません。袋井さんがそんな悪人には見えないし、でも彼らの言うことを信じるなら袋井さんは大罪人になってしまう……。袋井さん! 正直に答えて下さい。あなたは一体、何股しているんですか!?」
袋井は、壮大に吹き出した。
「な、何いってんだよ! 僕は先日、フラれたばっかで、何股どころか、恋人のひとりもいないよ! とんだ言いがかりだよ、それは!」
袋井の怒声にきょとんとしてから、黄昏はホッと胸をなでおろし、柔和な笑顔を浮かべた。
「なんだ、良かった。俺は、袋井さんが異常な性癖の持ち主だと勘違いしてしまうところでしたよ。――じゃあ、彼らの言い分はデタラメなんですね?」
そう言うと、黄昏は袋井の視界が開けるように横にずれ、エスコートするように寮の奥へと腕を伸ばした。
伸ばされた腕に導かれるように、入り口に集まっていた他の寮生たちも左右に別れ、袋井の視点はまっすぐと寮の奥に立つ、三人の少年少女たちに向かう。
袋井は、初めて見るはずなのに、何故か、その三人にとても親近感を覚えた。
ゆっくりと人の間をかき分けて歩み寄り、三人は袋井の前で止まり、にっこりと笑った。
「はじめまして、お父さん! アタシたち、未来から来たの!」
メガネがずり落ち、あんぐりと口が開く。
袋井雅人、17歳。
彼が初めて、自分の『子供たち』と出会った、最初の瞬間であった。