真実は闇の中
田中は県内の病院に入院中の新の見舞いを済ませ、民宿熊島のほうへ向けてのんびりと歩いている。
七月に入っても依然として暑く、なんだかこのまま梅雨明けしそうな気配である。直射日光が田中の肌に照射するが、日焼け止めクリームフィールドを張っている彼女の敵ではない。
入院中の新は右腕と右脚を骨折し、右頬にも大きなガーゼが貼り付けてあった。右半身を大根おろし的に削られたらしい。どう控え目に見ても重傷である。けれど当の新は終始ニヤつき、完全に阿呆高校生と化していた。彼が寝ているベッドの横には、パイプ椅子に腰掛けた美少女、天羽今日子がリンゴの皮をむいていた。
『ウサギさんの形がいいなー』
『はーいはい』
『あーん』
――うぜー! 自分から『あーん』とか要求してんじゃねー!
病室内でのラブラブめいた一部始終を思い出し、田中は凶暴な怒りを振りまきつつ、民宿熊島に到着する。ウッドデッキのテーブル席に紀伊介がいつものように座って煙草を吸っていた。
民宿の前には季節外れのこいのぼりが空を泳いでいる。新の騒動があってからずっとだ。――なんでだろう?
「ただいま帰りました」
「おぱーり」
お帰りと煙草の煙を吐くのを同時に発する紀伊介。心なしかおっぱいに聞こえなくもない。今日も大きなサングラスをかけ、白髪をポニーテールにしてまとめている。さらに今日はアロハシャツを着て、胡散臭さがよりいっそう増している。
「クリステンと阿呆ガキはどうしたんじゃ? 一緒に見舞いに行ったんじゃろ。なのに姿が見えんが」
「あの二人なら病院の帰りに二代目赤い彗星号を買いに行くんだと言って自転車屋さんに寄ってましたよ」
「阿呆じゃのー」
「阿呆ですねー」
田中は紀伊介の向かいの席に座る。「お見舞い、行かないんですか?」
「行かん。病院は嫌いじゃ。病院に行くと体を悪くする」
「やれやれ」
「ひひひ」
「ところで紀伊介さん、そろそろ本当のことを話してくれてもいいんじゃありません?」
「はて?」
「この前の依頼のことですよ」
「あーなんじゃ。金払えっちゅうことかい」
「違います。お代は……そうですね。ここの宿賃を半額で勘弁してあげます」
「……ぼるのう」
「それはさておきですね、あの依頼。結局私の役目はなんだったのですか? 紀伊介さんは私に何をして欲しかったのですか?」
「アンタはどう思うんじゃ?」
「私は新くんを今日子ちゃんのところへ連れて行くことだと思ってました。それはつまり、新くんをここから解放、というか、もっと外の世界へ連れ出してほしい、と。そういうことかと思っていました。今でも思っています」
「ふむ」
「けれど、だったらそのように依頼すればよかったと思うんです。私はただ『いなくなった』としか言われてなかったんですよ? 普通の人だったら、新くんをここに連れて帰ってきますよ」
「ふむ」
「それにまだあります。新くんが残していった置手紙です」
「はて、そんなもんあったかのー」
「あります。ここに」
田中はテーブルの上に置手紙をすっと出す。一応手紙の体は保持しているが、クシャクシャにされたあとが地震で地割れを起こしたように広がっている。
「げっ」
「捨てたと思って安心してましたでしょう? 私を甘く見てましたね。ゴミ箱の中まで徹底的に調べますよ」
「名探偵じゃのー」
「それほどでもありますよ」
田中は無表情に返す。「さて、この置手紙。冒頭からしてもう不可解なのです」
『じいちゃん、さようなら。今までありがとう。俺は、男になってきます』
「――と、なっていますが、新くんは紀伊介さんのことを一度も『じいちゃん』などと呼んでませんでした。それに一人称も『俺』ではなくいつも『僕』です。普段は『俺』で文章になると『僕』になる人なら結構いらっしゃいますが、逆はあまり例を見ません」
「あちゃーじゃー」
「まあ、もう認めたも同然なのでしょうが一応言っておきます。私は探偵……名探偵ですから」
「言い直さんでええわい」
「この置手紙、あなたが書きましたね。熊島紀伊介さん」
「へへー参りましたーおっぱい見せてくだせー」
「殺しますよ?(満面の作り笑顔)」
「おー恐いのー恐いのー。まったく最近の若い娘は、年寄りのジョークにも容赦ないわい」
「冗談はもう飽きました。お互いマジでいきましょうか」
「そうじゃのう。ガチでいくかのう」
田中はゴホンと芝居めいた咳払いを一回牽制代わりに発する。
「動機は?」
「まるで犯人じゃな」
紀伊介は苦笑する。「アンタに新が家出したと見せかける手段はこれしかないと思ったんじゃ。ただ単に新がいなくなったっていうんじゃ家出かどうかもわからんしのぅ。何せ新はその前の日には普通に働いておったのじゃから。どうじゃ、いかにも家出したって感じが出とったじゃろ」
「そうですね。不覚にも信じてしまいました。名探偵失格です」
「うむ、失格じゃな。普通の探偵さんよ」
「…………続きを」
小さじ一杯程度の悔しさを飲み込み、田中は先を促す。
「古道具屋のばあさんがの、新と今日子ちゃんがコンビニで話しているのを聞いたそうなんじゃ」
「古道具屋のばあさん? コンビニ?」
紀伊介によると、その日コンビニに買い物に行った古道具屋『近堂』の主、近堂おばあさんがコンビニで新とばったり会ったという。おばあさんが帰るふりをしてこっそり新を観察していると、彼は今日子と合流。その後二人は、海岸へ降りる階段に並んで腰を下ろした。おばあさんは若いエキスを吸おうと接近すると、まさに甘酸っぱすぎる若いエキスが吹き上げていたという。
別れ云々。
何時までに来て云々。
うひゃー青春アゲアゲじゃのう!(近堂おばあさんの心の叫び)
だそーな。つまり盗み聞きしていたのだ。
「――その話をばあさんが電話でワシに教えてくれてな。幼馴染のよしみってやつなのかのう。余計なことをって感じもしないでもないがな」
紀伊介が吸っていた煙草を灰皿にねじ伏せ、新しい一本に火をつける。それをおいしそうに一口吸って、ふはーと紫煙を吐く。「新を、ここから出してやりたかったんじゃ。ワシみたいにならんように」
「……なるほど」
ふいに沈黙が訪れる。海が間を持たせるように二人の耳に波の音を送る。
沈黙を破ったのは田中だった。
「質問が二つあります。私が新くんのブログに気付かなかったらどうしていたんですか? あれがなかったら、私は今日子さんとのことなんて知る由もありませんでしたよ」
「ところがどっこい、知る由はある」
紀伊介はそう言うと、腰を上げて一旦民宿の中に入る。一分もしないうちに戻ってきた。「これじゃ」
紀伊介は一冊のノートを差し出した。『熊島日記』となっている。
田中はそれを引き寄せページをめくる。一ページ目に新による今日子とのあれこれが書かれた日記、を再現してあった。ただ一人称が『俺』なので、やはり不自然だ。
「このノートがどっかからひょいと出てきたことにするつもりじゃった。そもそもワシはその……ぶろなんちゃらっつうのを知らん」
「……そうですか」
「そんな旧人類を見るような目で見んでくれ」
「あらあら、それは失礼しました。旧人類ではなく類人猿を見るような目で見ていたんですけどね」
「なかなか言いおるのー。それ相応の逆襲を覚悟するのじゃぞー」
「ではもう一つの質問です」
田中は紀伊介を無視して続ける。「もし私が新くんを連れて帰ってきていたらどうしたのですか?」
「ここを爆破するつもりじゃった」
紀伊介は即答する。
「はい!?」
「屋根裏部屋へ行ってみなされ。面白いもんがあるぞい」
「は、はぁ」
戸惑いながら滝川は席を立ち、言われたとおり屋根裏部屋行く。
数分後、海よりも真っ青な顔をして戻ってきた。
「……なんかチクタクいってる箱があったんですけど」
「ひひひ」
「笑えませんよ!」
「ひゃははは。うっそぴょーん」
「はい!?」
「ひひひ。類人猿の逆襲じゃわい。ただ箱の中に入れた目覚まし時計じゃわいのわいのわい」
「…………」
紀伊介はひとしきりげらげらと笑うと、煙草を弾いて灰を落とし、田中をじっと見やる。「アンタはワシの話を知っておった」
「だから信じるに値したと? それでは納得でき――」
「それに」
何か重要なことを言うつもりらしい。紀伊介は長い間を取った。田中は紀伊介の言葉を待った。
「おっぱいもでかいしのう」
「…………」
とんだおっぱい星人だった。