……駄目だよ。捨てちゃ。
――って、そんなこともあったなぁ……。
幼少期の回想は、なんだか傷を彫刻刀で拡張させるような行為だった。新に心のダメージが追加される。
新は溜息をつき、ブログを更新する。我ながら詩的な文章だな、と自己満足と自己嫌悪の狭間で苦笑する。
それから、食料にあまり余裕がなかったことを思い出し町へ買い物にでかけることにする。
――財布オーケー、携帯オーケー、買う物のメモも持った、よし全部大丈夫……あ。
新は机の上に放ってある英単語カードを見やる。それは英語が苦手な新のために、今日子が作ったものだった。少し迷ったけど、英単語カードをポケットにしのばせておく。もしかしたら途中で勉強したくなるかもしれない、と思いながら。
町まで行き、市場や商店街で一通りの買い物を済ませた。この時点で、着衣水泳でもしたかのように汗びっしょりになってしまった。――あちー……すごいな今年の夏は……ていうかまだ夏じゃないよなぁ。八月になったらどうなっちゃうんだろ。うえぇぇ……駄目だ耐えられない……アイスでも買おっと。
そんなわけで民宿に戻る途中、コンビニに寄る。このコンビニは駐車場にかなりのスペースを取っているが、既に満車だった。目の前を走る国道、それを挟んで向こう側は海なのだ。
遠くから来た人たちは皆ここに車を停めて飲み物や食べ物を買い、海をしばらく眺める。ある種観光スポット的な様相なのだ。
砂浜のほうを見やると、カップルやらカップルやらカップルやらがたくさんいる。砂浜へ降りるための階段があるのだが、そこに座って海を眺めるカップル、波打ち際ではしゃぐカップル。『まてよーこのー』『きゃははははー』というカップル的な幻聴まで聞こえてくる。今の新にはカップルしか見えないということである。
――なんか、精神衛生上よくないね……。
ふと、視界の隅にゴミ箱を視認する。新はジーンズの尻ポケットに手を突っ込む。英単語カードの束が、手の平の汗で少し湿る。
そして。
英単語カードを捨ててしまおうか、と考える。
捨ててしまえば、終わって、決まる。
新と今日子の関係が終わり。
新の進路が決まる。
ポケットからカードを取り出し、ゴミ箱に手を差し出す。しかしそこで止まる。
――本当に捨てていいのか? これを捨てるということは受験をしないのと同義だ。でもそれはつまり今日子とはもう……。
「捨てちゃうの? それ」
「え!?」
背中に投げかけられた声を聞き、新は心臓が活動停止するかと思った。振り向くと、そこには天羽今日子が不安げな顔をして立っている。
「今日子……」
「……駄目だよ。捨てちゃ」
「……」
「お願い、新」
今日子が一歩、新たに詰め寄る。上目遣いで、新を見つめてくる。新は手にした単語カードを握り締める。
汗が頬を伝い、顎から一滴、地面に向かって落下し、弾ける。
「……うん」
新は単語カードをポケットにしまった。