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フライ・フィッシャーズ  作者: カカオ
タナカタナカは遥か彼方
37/69

このことはほかの方には黙っていてくださいませんか?

 クノイチが外に遊びに行き、邪魔者がいなくなったので、田中は悠々と読書を始める。

 波の音をBGMに、本の世界が活字を通して脳内に投影される。至福の時である。

 本を読み始めて一時間ちょっと経ったとき、ふと視線を感じた。

 見ればいつのまにか滝川が二階から降りてきてこちらを窺っているではないか。しかもどこか怪訝そうな顔をしている。

 ――む、素の表情を晒していたのかしら。本を読んでいる時はいつもぽわーんとしているはずなんだけど……あ、ミステリー読んでるせいか。たぶん目つきは睨みつけるような感じだったのかな。

 慌てて顔の筋肉を緩め、ぽわーんとした表情を作り、田中は会釈する。設定としては、浮世離れした上流階級セレブ。

 滝川はごく僅かに首を曲げただけの似非会釈をかまし外に出て行った。

 なぜかは知らないけど滝川は自分のことを「クリステルと呼べ」と周囲に強要してはばからない。苗字が滝川だからだろうか。紀伊介によると、本名は花子というらしい。

 なんだか若いなぁ、と田中は滝川を見て思った。肌も若いし周囲に発する気配からして若い。――胸の大きさは私のほうが断然勝っているけど。あれであと十年したらババア? 何言ってんだか。

 だんだん腹が立ってきた田中である。外からは滝川の声が聞こえる。「うっせージジイ」とかなんとか。テーブル席にいるらしい。

 振り返って窓の外を見てみると、滝川の姿が丁度見えた。やっぱり若々しい。羨ましい。妬ましい。

 ――ん、振り向く。

 咄嗟にそう判断した田中は、すぐに本のページに視線を戻す。滝川の視線が自分の後頭部に照射されているのを感じる。

 ――でも私が滝川さんのことを見ていたことはバレていないみたい。職業柄、尾行術には長けているのよ。ふふふ。

 やがて滝川もいなくなり、民宿熊島につかの間の平穏がおとずれる。田中はこの時間が一番好きだ。階上からは新が掃除機をかける音がする。――若いのに感心ね。

 しかし平穏は呆気なく終わる。今度は紀伊介が話しかけてきた。

「最近はミステリーが多いですなぁ」

 本から視線を上げると、目の前に紀伊介の顔があって「ひゃっ」とびっくりした。十メートルぐらい後退したくなった。紀伊介のサングラスに白髪ポニーテールという出で立ちは、突然現れるとどうにも驚かずにはいられない。そして海に似合っているような気もするが胡散臭いことこの上ない。

 ――もうちょっとナチュラルな登場の仕方できないのかしら。

 田中は早鐘を打つ心拍音を聞きつつ、本を閉じて紀伊介に向き合う。

「え、ああ……そ、そうなんですよ。ミステリーが一番好きですね。やっぱり職業柄……」

 しまった、と思ったときには手遅れだった。

「職業柄とな?」

 ずずいと近寄ってくる紀伊介。視線は田中の眼球をガン見。食いつきぶりが餌を得た魚より半端じゃない。「職業柄とな?」

「あ、あの」

「職業柄とな?」

 追い返そうと胸を張ってみた。効果はなかった。「職業柄とな!?」むしろ紀伊介の攻撃力を倍にしただけだった。

 ――ああ……これはもう無理ね……。

 田中は諦めて自分の職業を明かす。職業柄、などと言ってしまっては自分が記憶喪失だという嘘もバレバレである。不本意ながら本名も芋づる式に明かされてしまった。

 紀伊介はふむふむと頷きながら、田中の胸を眺めて話を聞いている。

「あ、あの……このことはほかの方には黙っていてくださいませんか?」

「ほーぅほーぅ」

 一瞬、目の前のジジイをコナゴナにしてやりたくなったがどうにか抑える田中。

「私、自分の名前もそうですけど、職業についても今ちょっと色々思うところあって……その……」

「安心せい。ワシの口は固い」

 紀伊介はそう言って、ニヒッ、と笑う。金歯が外から入ってくる日差しを反射してキラリと光る。胡散臭すぎる輝きだ。

 田中は盛大に溜息をついた。

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