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フライ・フィッシャーズ  作者: カカオ
タナカタナカは遥か彼方
35/69

大人は何でもわかるのよ、オホホホホ

 六月二十五日、土曜日、午前六時。

 田中多菜香、起床。

 ――おはよう私。私の名前は春日井弥生です。

 毎朝目覚めと同時に己の名を訂正することから彼女の朝は始まる。そして田中は朝が早い。というか早くなった。ここに来てからというもの、異様なまでに健康的な朝方ライフを続行中である。それはひとえに、新が出す朝食の時間が早いせいかもしれない。

 ベッドから起き上がり、ボクシングのワンツーを虚空に放つ。拳が空気を切り裂いた。田中は自分のパンチに満足げに頷く。

 それからドアを開けると、いつも通り朝食が置いてあった。ネットでのレビューの通り、まるで引き篭もりになったようだ。

 朝食を食べ終わり、朝の諸々の女性的儀式を済ませ、盆を持って階下に下りる。一階には誰もいなかった。リビングの窓から表を窺うと、ウッドデッキのテーブル席で煙草を吸っている紀伊介が、そして浜辺には清掃活動中の新がいるのを視認する。

 田中はダイニングの流しに盆を置き、リビングに移動、ソファの横の本棚を吟味する。今日は何を読もうかな、と。ここに来てからはとくにすることもないので、こうやって読書をしていることが多い。実はぼーっとすることには一日で飽きた田中である。

 古典ばかりの本棚ではあるが、読んでいると妙に落ち着く。

 本を選んでいると、クノイチが話しかけてきた。

「ヘイ春日井ちゃん」

 相変わらず軽い少年である。将来が心配だ。日本の未来が心配だ。

「あら一太くん、おはよう」

「何してんの?」

「本を選んでるのよ。これだけあると迷うわねぇ」

「字ばっか読んでると、目の下に隈と皺ができちまうぜい?」

 春日井は反射的にクノイチを睨んでしまった。いけない素が出ちゃった、と焦り、すぐに穏やかな表情を再形成する。ここでは本来の性格を隠し、セレブを演出しているのだ。

「あ、やーだあたしったらオホホホ。だめよ一太くん、女性にそんなことを言っちゃ。いい? 皺のある女性なんて、この世にはいないのよ?」

 ――いやまあ皺のある女なんていっぱいいるけど私ではない断じてけっして絶対に。

 焦っているうえに心中穏やかではないので、心の声も息継ぎなしの否定&断定の連射。

「えー、でもクリスタル姉は言ってたよ。『あたしも十年後にはシワシワのババアかなー』って」

「………………………………………………………………」

 ――たしか滝川さんの年齢は二十三だか四のはず。……え? あたしはババア? おほほほほぁぁぁ。

 心中パニック&怒りによる脳味噌の熱暴走により、心の中の言語処理能力に支障をきたす。

 ――どひゅー。

 怒りをどうにか静める田中。気がつけば、まるで石のように固まっていた。

「……それは違うのよ、一太くん。滝川さんは未来のことを予想しているにすぎないの。実際は十年後になっても、滝川さんはシワシワになったりしないわ」

「おお、もしや春日井ちゃん、未来人?」

「未来人?」

 ――何を言っているのかしらこの子。日本の未来は諦めたほうがいいのかもしれない。

「だって未来のことわかんだもん。すげー」

 ――ああ、そゆこと。

「大人は何でもわかるのよ、オホホホホ」

「すげー」

 クノイチは感心したように頷いている。どうやらクノイチのマインドコントロールには成功したようだ。間違った知識は幼い内に正しておかねば。

「ていうかさぁ、そんなの読んで楽しいの?」

 クノイチが本棚を指差す。まあ子供むきのラインナップでないのは確かだ。

「ええ、楽しいわよ」

「ふーん、おれにはわかんねーや」

 たしかにこの子にはわからないだろうな、と思う田中である。

「それは勿体無いわ。せっかくこれだけの書物があるのに」

 一応そんなことを言ってみる。クノイチが文学に目覚めるなんて微塵も思っていないけど。

「古いっちいよね、ここの本」

「ああ、ここのご主人が若い頃に買ったものみたいよ。ご主人ね、若い頃は小説家を目指してたんですって」

「ショーセツカ。小説を書く人?」

「そうよ」

「はーん」

 クノイチは興味なさそうに返答らしきものを寄こす。それから「んじゃおれメシ食うから」と行って、ととととと、と慌しくダイニングのほうへ駆けていく。どういうわけかクノイチだけは普通にテーブルで食事を取るらしい。この扱いの差は何なのか、時々疑問に思うも直感的にディープな話題に突入するだろうと判断し、突っ込まずにいる田中だった。

 ――さて、と。どれにしよっかな。

 田中は本の背表紙を指で撫でる。ざらついた感触が砂浜の砂のようで心地良い。

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