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フライ・フィッシャーズ  作者: カカオ
アイ・アム・クリステル
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ヘイ、ネーチャン

何者かの気配を感じて、滝川は目を開けた。

 ――うわー、砂と潮風で髪の毛がガビガビだ……ん?

 上から某子供店長ばりにかわゆい少年が滝川を見下ろしていた。小学校低学年だろうか。切りそろえられた前髪がかわゆすぎる。

「ヘイ、ネーチャン。添い寝してあげよーかい?」

 少年は言った。某子供店長とは雲泥の差である。

「少年、ナンパの仕方がなってないぜ」

「えっ――」

 絶句する少年。相当自信があったらしい。

 十七秒ほど思案し、少年は何かを思いついたらしい。自信ありげにこう言った。

「ヘイ、ネーチャン。おっぱい揉ませろや」

 ぶっ叩いてやったのは言うまでもない。大人としてしっかりと教育しとかねば。

 やれやれ、と嘆息し、滝川は再びごろりと砂の上に横になった。

「ネーチャン、名前なんつうの?」

 まだいたのか。

 無視した。

「おれは久野一太っていうんだ」

 訊いてない。

「あだ名はクノイチ」

 だから誰もそんなこと訊いてない。

「小学五年、独身」

 独身て。あたりめーだ。

「礼儀知らずだよネーチャン。名乗られたら自分も名乗らないといけないんだよ」

 まっとうなことを言っているようだが人の胸を揉ませろだとかいうヤツに礼儀知らずなどと言われたかない。

「ヘイ、ネーチャン」

 いつの間にか少年は滝川の頭部の横に腰を下ろしていた。ハーフパンツから覗く脚は女の子かと思うほどに白くてすべすべしてそうだった。「ヘイ、ネーチャン。名前なんていうの?」

 だーもーしつけーなー、と思いつつ、滝川は少し嬉しかった。話しかけてくれる人がいることに。一人でいると、本当に世界の果てに来てしまったようで恐かったからだ。

「あたしは滝川――」

 苗字まで言って、ふとあの女の顔が頭に浮かんだ。きれいで華やかで、向こう側の世界の住民のあの女の顔が。

「……すてる」

「お?」

「クリステル……滝川クリステルなのだ」

 滝川は言った。ちなみに本名は滝川花子。

「おお、外人? ハーフ?」

「琉球人とアイヌ人のハーフだよ」

 母の出身は沖縄。父の出身は北海道。

「よくわかんないけどスゲー。クリスタル姉ちゃん」

「クリスタル違うっつうの。あたしのことはクリステルと呼びな」


 失敬なナンパ少年――クノイチと不本意で嘘っぱちな自己紹介を交わした後も、滝川はクノイチと話しをした。会話していくにつれて、クノイチが近くの民宿に泊まっていることがわかった。

 見たところ周囲にネットカフェやビジネスホテルなんか無さそうだったので、これ幸いと滝川はクノイチにその民宿まで案内をさせた。

 クノイチについて行った先は歩いて二十分ちょっとのところにある『民宿熊島』だった。

 ――とりあえず寝床確保、と。

 滝川は小さく安堵の息を吐いた。



『民宿熊島』は海沿い、目の前が砂浜という津波が来たらまず一番最初に流されそうな場所にぽつんと建っている。

 外観は遠くから見れば悪くはない。白を基調とした壁面に赤い屋根、正面入り口には広々としたウッドデッキがあり、客がくつろげるテーブル席も設けられている。

 けれど接近して見ると、ボロい。

 白い壁面は明らかに素人がペンキを塗ったであろうムラのある雑な仕事、赤い屋根は赤茶けて汚くなっている。ウッドデッキは所々が朽ちて耐久性に一抹の不安を感じさせる。

 滝川はそんなこと気にもしなかったが。

 屋根があって床があって、そして人がいる。

 それだけで十分だったからだ。

 信じられないことに、民宿にはクノイチがたった一人の客だった。滝川は最初ホームアローン状態のクノイチを不思議に思った。

 クノイチは民宿の客ではあるが、あたかもここの住民のように生活していた。民宿で寝食をするのはもちろん、学校もここから通っている。帰ってくる場所も民宿。

 いったい家はどうしたんだろ? ていうか宿賃は払えてんの?

 滝川はある日、そんな疑問をクノイチにぶつけた。

「おれのお父さんとお母さん、仕事で忙しいから」

 答えはそれだけだった。

 あまり触れられたくないのだろう。滝川はそう判断し、それ以上何も訊かなかった。滝川にだって触れられたくないことの一つや二つある。それに民宿の人はクノイチを普通に扱っている。親公認なのだから問題はないのだろう。本人がどう思っているかはまた別だが。

 民宿にはクノイチのほかに、ここの主の熊島紀伊介くましまきいすけというおじいさんと、その孫で高校生の熊島新がいた。この二人が民宿を切り盛りしているようだが、主に立ち働いているのは新だった。紀伊介はいつもぼんやりとウッドデッキのテーブル席に座り、海を眺めながら紫煙をくゆらせている。暢気な隠居生活だ。

 会社からはやたらと電話がかかってきて、一度だけ出たら凄い怒鳴られた。上司の福岡だった。

 滝川は「もう辞めるっちゃ」とふざけて言って電話を切った。それからしばらくは携帯の電源を切っていた。最近は電源をつけてはいるが、全ての着信とメールを無視している。

 とりたてて目的があるわけでもない。お金は使う暇すらなかったからたくさんある。ひとまずの長い休暇だと思って、滝川はのんびりすることにした。

 そして、周囲には自分をクリステルと呼べと強要した。

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