「ありが十匹」
「ありが十匹」
シャレ交じりのそれは、気軽に使える言葉だった。だから、転がった消しゴムを拾ってもらった時も、
「ありが十匹」
密かに心を込めて言うことができた。相手も相手で「どういたマンボー」などと茶化しながら、ちょっと照れた様子でにっと笑ってくれた。……いやまぁ、今考えるとなんという恥ずかしい言葉を言い合っていたんだと、ゴミ箱に放り捨てるか、とことん笑い話にして話したい過去だ。
「ありが十匹」
成長するにつれて言わなくなった言葉は、「サンキュ」へと変わり、目上には丁寧語できちんといた方の言葉を言うようになった。別段おかしなことではないだろう。
だが、変化と同時に、その言葉たちへ心を込めなくなっていった。込められなく、の方が正しいかもしれない。それは大人になったという証なのかもしれないが、寂しかった。その言葉たちを言ったところで返ってくる笑みは、あの級友が浮かべていたような笑みとは違う気がした。
あの級友が浮かべていた笑みがどんなだったか。もう、はっきりと思い出せないのに、だ。
「ありが十匹」
ふざけた言葉だからこそ、その中に込めることのできた思いがあった。あの頃はよかったなと考える自分は、相当酔っている。
「ありが十匹」
思わず呟いてしまった自分の隣で、顔を赤くした男が「へっ? 先輩なんすか」などと言いながら酒臭い息を吐いた。目の前のおでんを一口食べ、意味が通じないだろうなと思いながらもう一度口に乗せた。
「ありが十匹」
誰宛でもない言葉だったが、普段使う言葉よりも断然心地よい響きだった。後輩は目を丸くして、
「うっわ懐かしい。俺も昔よく使ってたんすよ」
とても嬉しそうに笑った。その笑顔に、子供の頃に見た級友の笑みを思い出した。ああ、そういえばこんな笑みだった。
「じゃ、これからはまた使ってみるか」
「おっいいですね。明日から会社で使いましょうよ」
ケラケラ笑いながら、酒を飲んだ。
「ありが十匹」
「どういたマンボー」
なぜだか会社内で流行ってしまった言葉を聞きながら、
「ありが十匹」
俺はふざけたような口調で、心を込めて言葉を口に乗せた。
日直隊企画第一弾「ありがとう」でした。
今の子は使わないんですかね。意味分からないとか言われたらショックだな。分かる人はにひっとしてくれると嬉しい。
しかし、お題の言葉を作品内に出さないって難しいね。最後無理やりっぽくなったし。精進精進。
日直隊は私が一人で勝手に企画開催しているものです。気になる方は http://syosetu.com/userblogmanage/view/blogkey/169174/ の活報をご覧ください。