軌刃
レールブレード。
イヅナは自分の能力をそう名付けた。
能力は単純で、物を切り裂くというものだ。端から見れば、一瞬で発動し、瞬く間に切り裂いているように見えるだろうが、術者であるイヅナからすると、その工程は二つに分かれていた。
一つが見えないレールの設定で、もう一つがレールに沿って見えない刃を動かすことだ。刃は一度起動すれば、レールに沿って一方向に動き続け、終端で消失する。こう聞くと弱点があるようにも思えるが、実際にはこの二つの工程は一瞬で行えるし、レールも刃も他者には見えないのだから実用上はさほどの問題はなかった。
とはいえ、イヅナは実用を語れるほどには能力を使いこなしてはいなかった。
狭い部屋に閉じ込められ、ただ生かされているだけの生活だ。わざわざ能力を使うような場面はないし、日用品を切り裂いたところで困るのは自分だけだった。
戯れに壁や扉を攻撃してみることはあるが、それでできるのはかすり傷のようなものだけだ。同じ箇所を何度も攻撃すればさらに削ることもできるのだが、多少傷付けたところでいつの間にか綺麗に修復されるだけのことだった。
寝ている間に手入れがされているらしく、そうなると同じように攻撃しても傷付かなくなっていた。どうやら、材質が強化されているらしい。
誰かが入ってきているのなら、脱出のチャンスがあるかもしれない。そう思って寝たふりなどをしてみたが、起きている間に誰かがやってくることは絶対になかった。
もしかすれば睡眠薬などで強制的に眠らされているのかもしれないが、何を画策したところで全てがこの組織の掌の上なのだろう。
そういった謎の気遣いがあるように、ここではある程度の自由は認められていた。
テレビ番組は見られるし、制限はあるがインターネットの使用は可能で配信動画やコンテンツを楽しむぐらいは可能だった。
教育プログラムも実施されていて、最低限の学力が身に付くようにも配慮されている。
どうせ外に出られないのに何の意味があるのかとも思うが、これは身の程を知らせるためでもあるのだろう。無知蒙昧のままでは何も考えずに自棄になって暴れるかもしれない。世界の大きさと、自分の矮小さを知らしめればおとなしくしているだろうと思っているのだ。
イヅナがこの境遇をどう考えているかはともかく、このままでは脱走など無理であることは理解していた。
ここはイヅナのような異能者を管理するための施設。十分な対策が取られていることだろう。
しかし、転機は唐突に訪れた。
寝て起きれば、周囲の様子が激変していたのだ。
周囲にぐるりと燭台があり、そのさらに外側をフード付きのローブを着た者たちが取り囲んでいる。
薄暗い部屋。紋様の描かれた石畳。隣に寝ている小太りの少年。
イヅナはレールを円形に設置した。自分を中心に、ローブの者たちを円周上に。即座にブレードを放ち、軌道上の全てを両断した。
普通なら周囲の環境がこれだけ変われば混乱することだろう。だが、イヅナは決めていたのだ。もし、何か脱走のチャンスがあるのなら、躊躇わずに能力を使い周囲の者を斬り殺そうと。
意識的に能力を使い、人を殺したのはこれが初めてだったが、イヅナはたいした感想を抱かなかった。部屋で見ていたドラマでは、人が人を殺すことは大事件として描かれていた。それは様々な感情と葛藤を発生させ、物語を押し進める原動力となるものだが、イヅナにとってはただの物と現象でしかなかったのだ。
「何か知らんがとにかく逃げるか」
とにかくここは先ほどまで寝ていた部屋ではない。降って湧いた好機を逃すつもりはなく、イヅナは駆けだした。すぐに壁があり、窓がある。外を見てみれば高層階のようだった。
イヅナはレールを地面へ向けて伸ばした。運用上、レールの長さに制限はない。無限とはいかないが、イヅナのイメージが及ぶ限りは伸ばすことが可能だった。つまり目に見える範囲で伸ばすぐらいは簡単なことだ。
そしてブレードに乗り、それを発射する。ブレードは見えないが実体のあるもので、その速度も自在に変えられる。移動手段としての利用も可能だった。イヅナは暇に飽かせて能力の運用方法についてあれこれと考えていたのだ。
とりあえず脱出したイヅナは、ここが異世界であることに気付いた。いくら子供のころに世間から隔離されたといっても、あまりにも常識からかけ離れた世界だったからだ。
建物は原始的な様式で、獣の特徴を有した人々が暮らし、記憶にない姿の動物が跋扈しており、空にはドラゴンなどが飛んでいる。治安も悪く、ちょっと歩いていると剣や斧で武装したならず者が襲ってくるのだ。
そんな物騒極まりない世界だが、イヅナにとっては自由を謳歌できる世界だった。
最初こそは少しばかり苦労した。鎧やドラゴンの鱗といった頑丈な物を切り裂くことができなかったのだ。だが、それは成長と工夫でどうにかなっていった。
レールを複数出せるようになり、ブレードの形状変化といった成長によって、さらに応用力が増したのだ。同時に複数のブレードで斬り付ける。鋏のように両側から斬り付ける。微小サイズのブレードで、鎧の隙間や、眼球を切り裂く。
レールブレードは無敵の能力ではないが、これといった目立った弱点も存在していない。使い方次第でどんな強敵とでも戦うことができたのだ。
こうしてイヅナは異世界で無軌道に暮らしはじめた。
腹が減れば食料を奪い、住人を皆殺しにして寝床を確保し、気まぐれに村を襲うモンスターを倒して感謝されたりもする。
だが、イヅナは次第に飽きはじめた。自由になってしたかったことが本当にこんなことなのか。田舎くさい異世界で傍若無人に振る舞うだけでは満足できなくなったのだ。
そうなってから、イヅナは初めてこの世界や、自分がどのようにこの世界へやってきたのかを調べはじめた。調べるといってもイヅナに精緻な調査能力などはない。やったのはそこらにいる人々を脅し、喋らせることだけだ。
そんな雑な調査であっても、数をこなせばそれなりに情報は集まってくる。
この国で異世界勇者召喚が行われた。それは魔王を倒すためであり、魔王を倒せば元の世界に戻れる。そんなことがわかってきた。
ではとりあえず魔王を倒してみればいいし、それで駄目なら召喚した王家とやらを拷問してもいい。
そんな軽い気持ちでイヅナは魔王の居城へと向かった。
到着した時点で魔王とやらは死んでいたが、その上位者とやらがいたのでとりあえず攻撃したところ、そいつはあっさりと死んでしまった。
そして、光に包まれたイヅナは元いた部屋のベッドの上で横たわっていた。
全ては夢だったのかもしれない。だが、力が成長している実感だけはあった。
扉へ向けてレールを設定する。異世界で能力が強化され、レールを設定しただけで軌道上の物質を切り裂けるかが認識できるようになっていた。
扉はどうにか切り裂けるが、簡単にとはいかない。ここから外に出るまでにどれほどの障害物があるのか。手間取ればすぐに対策を施されてしまうだろう。脱走するつもりなら、全てを一気に切り裂いて速やかに逃げ出さなくてはいけないのだ。
目星は付いたので慌てる必要はない。異世界で暴れていたおかげで能力を伸ばすコツも掴めていた。密かに能力を鍛え、十分な力を得てから脱走を試みるのが正解だ。イヅナはそう判断した。
*****
「友達とカラオケに行ってくるが、どうせ暇だよな?」
知千佳の部屋にやってきた祖父が決め付けた。
「当たり前にそう思われてる!?」
「そりゃお前、女子高生ともあろうものが春休みの日中に部屋でゴロゴロしてたら、暇なんだろうと思うだろうが」
知千佳は寝転んで携帯ゲーム機をプレイしていた。暇なんだろうと言われると、言い返すことはできなかった。
「暇なのは事実として、どうしたの?」
ゲームのプレイをやめ、知千佳は身体を起こした。
「ああ。俺が出かけたら、知千佳一人になるからよ。一応声をかけとこうと思ってな」
「そうなの? 別に気にしないけど」
「一応気にしろよ。女子だろ」
壇ノ浦家は古い日本家屋だ。所々に手は入れられているが、セキュリティ面が心許ないのはどうしようもなかった。良からぬ輩が侵入しようと思えば、どうにでもできることだろう。
「ああ、うん。そうだね」
「道場破りが来たら対応しろよ」
「女子の心配は!?」
「いらんだろ」
「舌の根が乾かぬうちにってのは、このことだな!」
「まあ、それはいいとしてだ。最近道場破りが流行ってるらしくてよ」
「あれって流行るものなの!?」
「流行るっつーか、どっかの阿呆が片っ端から破って回ってるらしい」
「うちにもたまに来るけど、そんな道場破りの梯子みたいなのって今時珍しいよね」
基本的にそのあたりの荒事は祖父か兄が処理をする。知千佳はそんなのが来たらしいというぐらいしか知らなかった。
「口頭でいいから、怪我しても死んでも文句言わねぇって言わせてスマホで録画しといてくれ」
「何か書かせるんじゃなかった?」
「この手のヤツはアホだからな。ちまちま書類書かせようとしても無視して突っかかってくるんだよ。その点、適当に挑発すりゃぁ、言質を取るのは簡単だ」
「そういうもんかぁ」
「わざわざ弓術を名乗ってる道場に来るとも思えねぇが、殺しちまったら庭の隅にでも転がしといてくれ。後のことはこっちでやるからよ」
「マジでこっちの心配はしないんだ」
「負けねぇだろ?」
「そうかなぁ。相手によるんじゃないの?」
「お前が負けるなら、俺たちだって怪しいもんだよ。そんときは壇ノ浦も終わりだな」
そう言い放ち、祖父は出ていった。
「いや……やっぱり壇ノ浦どうこうじゃなくて、私の心配してよ……」
なんだかんだ言いつつも祖父は知千佳に全幅の信頼を置いているようだった。
*****
廃病院を出た後、イヅナは街をぶらついていた。
いきなり無意味に暴れるようなことはしていない。無法地帯ならそれに応じた対応をするし、秩序がある場ならそれに合わせて行動する。さすがに場の雰囲気を理解するぐらいはイヅナにもできたのだ。
「やっぱこっちのほうが面白いよな。異世界とかクソつまんねーわ」
賑やかな繁華街を目の当たりにするのは、イヅナにとっては新鮮な体験だった。
「腹が減ってきたが……盗るってわけにもいかなそうだよなぁ」
欲しい物は奪い取ればいい。そう思っていたが、ここでそんなことをすればたちまち大騒ぎになるだろう。そして、警察官などがやってくる。それらに負ける気はしないが、ただ腹が減って飯を食うというだけのことで、そこまで面倒なことをする気にもなれなかった。
「現金もらっとけばよかったか? まあ、それは奪って問題なさそうなヤツから盗ればいいか」
そこらの一般人から強奪しようとすれば騒ぎになるが、荒くれ者ならばそう問題にはならないだろう。そう考えたイヅナは、治安が悪そうな場所を探すことにした。
異世界で散々にならず者や賊と戦い続けてきたイヅナだ。そんなヤツらがいそうな場所はなんとなく雰囲気でわかる。大通りからは外れて裏路地へ。
すると見るからに柄の悪そうな男が歩いていた。
「なぁ? 持ってる現金全部くれよ」
「あぁ?」
ここで騒ぎになるのもまずそうだ。イヅナは、男を建物の隙間へと押し込んだ。レールブレードは斬るも斬らぬも自由自在。斬らずに物を動かすのも実に簡単なことだった。
「は? あぁ? あぁ!?」
すごめばいいのか、驚けばいいのか、地面に転がった男は混乱しているようだった。
「面倒くせーから騒ぎにしたくねーんだよ」
建物の隙間に入ったイヅナは、見えないブレードを男の首に押し当てた。うっすらと首の皮が切れ、血の筋ができた。何をされているのかはわからなくとも、命の危機であることは十分にわかるはずだ。
「何回も言わせんな。金」
「あ……あぁ」
男が財布を取り出した。何だかわからないが逆らえば死ぬ。それぐらいは理解できたのか、男は慎重に動いた。
「そこに置いたら行っていいぞ」
イヅナはレールブレードを消した。男は素直に財布を置くと慌てて逃げていった。
イヅナは財布の中身を確認した。
「そういや日本の金を直接見るのは初めてだったな。これか」
札を何枚か抜き取り、財布は捨てた。
世間知らずではあるが、異世界での経験があるので飯を食べるぐらいはできるだろう。隙間から出ようとしたところで、派手な音と共に男が降ってきた。
「あ?」
イヅナは上空を見上げた。ビルの二階の窓が割れているのでそこから落ちてきたのだろう。そこでは何やら音がしているので、騒ぎが起こっているようだ。
興味を持ったイヅナはその部屋を覗いてみることにした。建物への侵入も、レールブレードを使えば簡単なことだ。
窓から中に入ると、黒い道着を着た大男が大立ち回りをしているところだった。男が戦っている相手も道着を着た男であり、倒れているのも、次々に男に向かっていくのも道着を着た者だ。
どうやら武術道場らしい。
「はははははっ! タイマンで負けたからといって全員で襲ってくるとはな! どこもそうだから今さら意外とは思わんが!」
大男が縦横無尽に動きながら、丸太のような手足を振り回している。その威力はたいしたもので喰らった者は軽々と吹き飛ばされているのだが、イヅナは妙なことに気付いた。
大男の手足が当たっていないのに相手が吹き飛んでいることがあるのだ。
「ふむ。噂はあてにならんな。ここもたいしたことはなかった。次は……壇ノ浦流弓術? 弓術とはこれいかに? まあ、片っ端から破っていくだけのことだが」
一通り周囲の男たちを倒し終わり、大男はズボンのポケットから小さなメモを取り出して確認していた。
「なぁ。あんた、道場破りってやつか?」
「む! まだ残っておったか!」
「違う違う。俺は窓から入ってきただけだって」
「ふむ。確かに道着は着ておらんし、何かやっておるという風ではないな。いかにも! 道場を破ってまわっておる!」
「さっきから気になってたんだけどさ。当たってないのに吹っ飛んでるの、なんで?」
大男の目が鋭くなった。
「ほう? 見えていたのか。これぞ対魔空手花神流の奥義、外神よ!」
「なぁ」
「さっきから訊いてばかりだな。多少は身が軽いのかもしれんが、貴様のような弱者に用はない! 俺の気が変わらんうちにうせるのだな!」
「そのメモ。強いヤツが書いてあるんだろ。俺にくれよ」
「気が変わった。叩き伏せてくれる!」
大男が怒気を露わにしてイヅナへと迫ってきた。
「じゃあさ。さっきの技で殴ってくれよ」
イヅナがそう言うと、大男はわずかに眉をひそめながらイヅナの顔面に向けて真っ直ぐに拳を突き出してきた。オーソドックスな正拳突きだ。だが、その拳がイヅナに届くことはなかった。
「む! 貴様! 何か使いよるな!」
イヅナはブレードを顔の前に設置していたのだ。そのまま殴っただけであれば、拳が切り裂かれていたことだろう。だが、妙な手応えがあった。拳の先に何かがあり、それをイヅナのブレードが止めたような形になっているのだ。
男が次々に技を繰り出す。
上段回し蹴り、猿臂、鉤突き、膝蹴り。そのことごとくをブレードが防ぐ。だが、技の先に見えない何かがあり、男の身体そのものを傷付けるには至らないのだ。
「おもしれーな! そんなんできるヤツいんのかよ! なぁ、それって習えば誰でもできんのか? だったら教えてくれよ。師匠って呼んでやるからよ?」
「黙れ!」
またもやの右正拳突き。イヅナはブレードに乗って後退し、伸びた右腕を切り裂いた。あっさりと、男の腕が飛んでいった。
「ぐわぁあああ!」
男がしゃがみ込み、切れた腕をかばった。
「んだよ。何か出るのは攻撃の先にだけか」
イヅナは男の四肢を切断し、ズボンを探ってメモを取り出した。
「じゃあな。後は任せろよ、師匠。全部片付けといてやるからよ」
具体的に何をするとも決めていなかったイヅナだが、とりあえずの目標はできた。まず向かうのは、先ほども男が言っていた壇ノ浦流弓術の道場だった。
*****
ろくな設備のない壇ノ浦家だが、セキュリティはそれなりに機能していた。何かが敷地内で起これば家にいる者がそれを察知し、現場へと駆け付けるのだ。つまり、人力に頼り切ったセキュリティシステムだ。
部屋でゴロゴロとしていた知千佳は、何者かがやってきた気配に気付いた。普段は家族任せなのでそこまで警戒しているわけではないが、さすがに家に一人となると気配への感度が上がっていたのだ。
門から入ってくるその気配は家族でも知り合いでもないように思えた。
「え? まさか本当に道場破り?」
嫌な予感を覚え、立ち上がる。慌ててジャージから、多少は見栄えのする普段着へと着替えた。
「お爺ちゃんがわざわざ言いにきたあたり、フラグだったんじゃないかって思えてくるよね!」
しかし、祖父の警告がなければもっと油断していたかもしれず、文句ではなく感謝の言葉を言うべきかもしれなかった。
「えーと、あの中二病っぽいやつ何だっけ」
知千佳は、本気を出せるようになる暗示を思い出そうとしていた。
常在戦場。言うは易く行うは難しというもので、武人の心構えとしては立派かもしれないが、常に全てを警戒しいつでも全力を発揮できるようにし続けるというのはおよそ不可能だ。
そこで、壇ノ浦家では暗示によって、戦闘モードと日常モードを切り分けている。もちろん、日常モードの状態でも普通に戦えはするが、戦闘モードではより好戦的になり、全力を出せるようになるのだ。
「三界の狂人は狂せることを知らず
四生の盲者は盲なることを識らず
生まれ生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く、
死に死に死に死んで死の終わりに冥し」
空海が著した秘蔵宝鑰の一節ということらしい。なぜ暗示のキーワードにこの一説を選択したのかだが、なんとなくかっこいい気がしたから、以上の理由はないように知千佳は思っていた。
ちなみにこんなキーワードを仕込まれた覚えは知千佳にはなく、異世界に行った際にもこもこから初めて知らされた。知千佳の知らない秘密がまだまだ壇ノ浦家にはあるのかもしれなかった。
「てかなぁ。何か変わったようにも思えないんだよなぁ、これ」
ただ、思った以上の力が出て身体がついていけなくなるのでは逆に戦いづらくなってしまうので、普段と変わらないように思えるというのは悪いことではないのだろう。
部屋を出て、階段を下り、庭に出る。今さらのように犬が吠えていた。
「いや……私より先に気付いて吠えてくれないと番犬の意味が……」
しかも吠えているというよりは、珍しい客を見て喜んでいるといった様子だ。
犬の視線を追うと、その先には少年が立っていた。細身で不健康そうで、灰色のスウェットを着ている。値踏みはしない。雰囲気から強さを測ることにたいした意味はないからだ。
「何かご用ですか?」
「あぁ、道場破り」
「そのまんまだった!」
家を間違えただとか、そんな理由であってほしかった知千佳だった。
「じゃあ道場へ案内しますので」
「だよな。破るんだから道場に行かなきゃな」
庭から道場へと上がる。知千佳は靴を脱いだが、少年は土足で上がってきた。
「じゃあ、お名前と住所、電話番号をいただけますか?」
道場の中央で対峙し、知千佳はスマートフォンを取り出した。
「あぁ? そんなのいんの?」
「動けなくなったら迎えにきてもらったりしないといけないじゃないですか」
「言うねぇ。名前はイヅナ。住所はねぇし、電話は持ってねぇ」
「何にもわかんないな!」
「負けねぇからどうでもいいんじゃね?」
「そうですか。じゃあ確認なんですが、これは交流試合であり、損害、損失、傷害、重傷、機能麻痺、最悪の場合は死亡に至る危険がありますが承知していただけますか? えーと、治療費なんかはそっち持ちになりますし、何があっても壇ノ浦家の責任ではないということでいいですね?」
もう少しちゃんとした確認事項があったはずだがうろ覚えだったので、最後のほうは適当だ。
「いいけど何? お前が戦うの? お前倒すとボスとか出てくんの?」
「いえ。今は家に私だけなので、私に勝てば壇ノ浦に勝ったということでいいですよ」
「で、いつ始めんの?」
「もう始まってるんじゃないですかね?」
どうにも緊張感がない少年だったが、それは知千佳も同じだった。
*****
イヅナは拍子抜けしていた。
先ほど戦った対魔空手花神流とやらがいかにも強そうな筋骨隆々の大男だったから、似たような者が出てくるかと思ったのだ。
だというのに、案内の少女がそのまま戦うという。
それほど強そうには見えないし、そもそも弓術だというのがよくわからない。特に何を持っているようにも見えないからだ。
「いいけどよ。弓術なんだろ? 弓持ってくるなら待っててもいいぜ?」
「ああ、ご心配なく。それは昔の話で今ではほぼ使ってないので」
「ふーん」
このまま能力を使っても、ただ何もわかっていない少女を切り刻むだけの話であり、勝負でもなんでもない。イヅナは少しばかりデモンストレーションをしてやろうと考えた。
「俺さ、こーゆーことができるわけなんだが」
道場の中を見回すと、壁際に人形があるのが見えた。ちょうどいいとばかりに、イヅナはレールを伸ばし、人形を切り裂いた。
「ぎゃぁーああああ!」
なぜか人形が叫び声をあげ、これには少しばかりイヅナも驚いた。まさかそんな仕掛けがあるとは思ってもいなかったのだ。
「あたるくんが! 何してくれてんの!? 結構な値段するのに!」
「これを前提にかかってこいよ?」
だが、やはり少女は何もわかっていないようだった。能力の恐ろしさも、それによって自らの身に何が起こるのかもまるで理解していない。
さっさと終わらせようとイヅナは思った。ここがつまらなかろうが、次に行けばいいだけのことだ。
イヅナは、ぼうっと立っている少女の首へと向けてレールを伸ばした。ブレードを飛ばして首を刎ねてそれで終わりだ。
だが少女は、ぬるりと横へ移動した。少女は、不可視のレールを避けたのだ。
「は?」
たまたま。偶然。なんとなく。そんな可能性もある。イヅナは再びレールを伸ばしたが、やはり少女は一歩動いてそれを避けた。
イヅナはしばし呆然となった。こんなことはこれまでになかったのだ。どうにか防御しようとした者も、ブレードを喰らってからギリギリで躱そうとした者も、謎の攻撃を避けようと闇雲に動いた者もいる。だが、レールを的確に避ける者はいなかった。
舐めた気分でいたイヅナの背に緊張が走った。
「馬鹿な!」
出し惜しんでいる場合ではないと瞬時にイヅナは判断した。
十三本。今レールを出せる最大の数。イヅナは一気にレールを展開した。逃れようがないように、幾本もを交差させ、レールの格子に閉じ込める。
だが、少女の姿は消えていた。
目の前にいないのなら、答えは一つ。半信半疑で振り向くと、やはり少女はそこに立っていた。信じられなかった。どれほどの速さで動けば人が消えて見えるというのか。
そして、今まで気にしたこともなかったレールブレードの弱みが露呈した。レールを背後に展開できないのだ。まったくできないわけではないが、見えていない空間をイメージして的確に配置することは難しい。
背後から少女が近づいてくる。これも今気付いたことだが、レールを出し切ってしまうと一旦消して再配置するには多少の時間がかかるのだ。
イヅナは逃げた。レールを再設置し、ブレードに乗っての高速移動でその場を逃れたのだ。
「あ」
少女がいかにも残念という声をあげた。
少女の手刀が、先ほどまでイヅナがいた位置を貫いていた。寒気がした。逃れていなければ、延髄を破壊されていただろう。手刀ごときにそんな威力があるのかはわからないが、少女の動きに躊躇いはまるでなかった。
一瞬、逃げようかとも思った。逃げるだけなら簡単だ。レールを空の彼方へでも伸ばし、延々と飛び続ければいい。だが、それをしてしまえばプライドはずたずたになるだろう。脱走して自由になってすることが、こんな少女を恐れて逃げることなのか。
駄目だ。好き放題に勝手をしたいのなら、ここで逃げるわけにはいかない。イヅナは少女へと向き直った。
レールを出し切るのはまずい。いくつかは予備に残しておく必要があるし、防御にも常に回しておきたい。
イヅナは自分の周囲にレールを展開した。背後であろうと、自分の周囲ならイメージは容易だ。五本を防御に回し、五本を少女へ向けて展開する。足元には移動用に二本。一本は不測の事態用に残しておく。
またもや、少女の姿が消えた。
イヅナは振り向いたが、そこに少女の姿はなかった。
――どこだ!?
混乱から立ち直る前に、イヅナの首が正面から掴まれていた。
少女は、どこへも行っておらず、正面にいたままだったのだろう。意味はさっぱりわからないが、少女はレールに触れないように隙間から手を伸ばしていた。やはりレールの位置は完全に把握されている。
その状態から、イヅナには何もできなかった。つまらなさそうな少女の顔。意識が途絶える直前に見たそれが、イヅナの心を深く抉り取った。
*****
知千佳は異世界に行って以来、殺気を具体的に感じられるようになっていた。それは夜霧が感じているものと同様のものだろう。何度も夜霧に助けられているうちに、段々とわかるようになってきていたのだ。そのため、イヅナが何かをしようとしていることがわかった。何が起こるのかはわからないが、いてはまずい場所がわかるのだ。
けっきょく何をするつもりなのかはわからずじまいだったが、知千佳はなんなく勝利した。
ちなみに最後に消えたように見えたのは、体勢を低くしながら距離を詰めただけだった。知千佳は相手の意識を誘導し、敵の死角に入ることで姿を消すことができるのだ。
とりあえずは頸動脈を締め付けてイヅナを気絶させたが、どうしたものかと知千佳は考えていた。
さすがに殺す気にはなれないが、かといってこのままではそのうち目覚めてしまう。そして、よくわからない能力で切り裂こうとしてくるかもしれないのだ。
「うん。縛っとこう!」
知千佳は道場の倉庫からロープと麻袋を持ってきた。縛り付けて、顔には袋をかぶせておく。なんとなくだが視界を塞げば能力を使いづらいだろうと思ってのことだ。そして、道場から引きずっていき、庭の隅に放り出した。
「お爺ちゃん! なんか道場破りっぽいのが来たんだけど!」
知千佳は祖父に電話をかけた。この状況は手に余るので、経験豊富な相手に任せたほうがいいだろうと判断したのだ。
『殺したか?』
「殺すかい!」
『なんだ。大手を振って殺せるチャンスなのによ』
本当にがっかりした声だった。
「早く帰ってきてよ。縛っといたからさ」
『あと一時間したら帰るわ。時間もったいねーし』
「カラオケ優先すんなよ!」
電話が切れた。
「うーん……意識が回復したら面倒なんだけど……そうだ!」
知千佳は道場へと戻り、隅に設置してある神棚の前で手を合わせて拝んだ。
「もこもこさん。道場破りってどうしたらいいの?」
苦しいときの神頼みならぬもこもこ頼み。何か困ったとき、もこもこに連絡を取りたいときは神棚を使うことになっていたのだ。
「ちゃんと聞いてんのかなぁ……」
すると電話がかかってきた。
『はろー! 知千佳!』
キャロルだった。
「どうしたの?」
『高遠くん経由で連絡がありまして! そちらにおかしなヤツが行ったようですね?』
「うん、そうだけど」
『それ、こっち関係かもしれないんですよ』
キャロルは、異能を持つ者たちが脱走してこの街に来ているということを、かいつまんで話した。
「そっち関係ってことはあたるくん、弁償してもらえる?」
「あたるくん?」
あたるくん。サラリーマンを模した投擲練習用ターゲットだ。まるで生きているかのような見た目で、瞬きもすれば呼吸もする。攻撃を喰らったときには悲鳴をあげる機能まで付いていた。これらの無駄な機能のおかげで、開発と制作には結構な金額がかかっているのだ。
『うーん。ご迷惑をおかけしたのならこちらのせいでもありますしね。弁償については検討いたします。その少年はこちらで引き取りますが、よろしいですか?』
「いいよ。正直迷惑だから助かる」
『任せてください。ところでどんな状態なんですか? あんまりグロいのは見たくないのデスガ!』
「グロイって。落としただけだから無傷だけど」
『おー! 道場破りは伊達にして返すのではないのですか?』
「いつの時代だよ……」
しばらくして、キャロルとその仲間らしい者たちがやってきて、イヅナを回収していった。
「しかし、もこもこさんも回りくどいなぁ……」
出てきてキャロルに連絡しろと言うだけで済む話だろう。
今後はよほどのことがなければ手助けはしない。もこもこは、そう宣言したことを律儀に守っているようだった。
解説(書籍版ではあとがきで各話解説をしていましたので、各話ごとに書いておきます)
もう誰も覚えてないだろうと思われる知千佳の暗示とキーワード。けっきょく、コミカライズでもアニメでもスルーされてしまったので、あえてもう一度出しました。ちなみに私がこの文言を知ったのは、『蓮華伝説アスラ』という漫画です。
敵の能力がやけに詳細なのは、別作品の主人公の能力のつもりであれこれと考えていたからです。




