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ロボ

 皇家。

 日本の裏社会を牛耳る、獣人たちの支配者だ。裏社会を牛耳るに至ったのはまさにこの獣人勢力のおかげだった。個々の強さはそれほどでもないのだが、獣人は裏社会では最大勢力であり皇家による統制が完全だったため十分な存在感を示すことができたのだ。

 だがそれも、ほんの少し前までの話。

 皇家の頭首である皇(きささげ)が没し、後継者争いが巻き起こったのだ。獣人の当主は世襲制ではないが、これまでは皇が常にその地位にあり続けた。ただ、今回はあまりにも急だった。ろくな準備もないままに皇の上層部が崩壊し、なし崩し的に有力獣人家がその座を争う事態となったのだ。

 そして、皇家が保持していた、獣人を支配する力が失われていることが露見した。こうなれば獣人の頂点に立とうが何の意味もない。獣人はまとまりをなくし、裏社会での立場を脅かされることとなった。

 そして、皇家は没落し(えんじゅ)は安アパートでの生活を余儀なくされていた。彼女に何か落ち度があったわけではないのだが、様子を見ているうちにこんなことになってしまったのだ。


「あれ? 私、かなりまずいことになってない?」


 安アパートの二階。寝そべりながらポテトチップスをパリパリと食べていた槐はふと気付いた。こんな暢気にしていていいものか。もしかして、貴重な時間を無為に失い続けているのではないかと。

 こんなところに住んでいることからわかるように、資産の類はほぼ失っている。父は皇家の権力にあぐらをかいていた人物なので、今さら額に汗をかいて働くことができなかった。もちろん仕事を選ばなければ働き口はあるのだろうが、最低賃金の時給で働くなどプライドが許さないのだろう。今も部屋の隅でテレビを見ているように、父は特に何もしていなかった。今の皇家は、母のパートタイム労働と、ほんの少し残された実物資産に全てが支えられているのだ。

 槐はといえば、本来なら高校に通っている年齢なのだが、特に何もしてはいなかった。中学校は卒業したのだが、その後は皇の後継者としての道を歩むことになっていたのだ。しかし、現状そんな道があるわけもなく、仮に獣人の支配者としての地位を確立できたとしてもその先はさらなる茨の道だ。

 とてもまずいことになっている。だが、生来お嬢様として育てられてきた槐にはたいした危機感がなかった。そのうちなんとかなるだろう、誰かがなんとかしてくれるだろうと楽観的な気分だけで今まで過ごしてきた。

 だが、さすがにこのままではいけないと、漠然とした不安がこみあげてきたのだ。

 実際のところ、具体的な問題が山積しているので漠然で済む話ではないのだが、今後のリアルなイメージを描けないのは世間離れしたお嬢様が故なのかもしれない。


「私も働いたほうが……? いや、まずは学校?」


 裏社会で獣人を率いてました、なんてことが経歴になるわけもない。最終学歴が中学校卒業では就職先に困ることになるだろう。


「お父様! 高校ってどうやって入学するの?」

「……僕がそんなこと知ってると思う?」


 少しは考えてくれたようだが、返ってきたのは素気ない言葉だった。


「お母様に訊いたほうがよさそうね」


 一番現実が見えているのは母親だろうし、何かしなければと思ったのならまず相談するべきは彼女だろうと思われた。


「……そういえば、僕と槐には血のつながりがないって、言ったことあったかな?」

「初耳ですけど!? なぜいきなりそんなことを!」

「今さら先のことを考えはじめたみたいだから、現状を正しく知っておくべきかと思って」

「それ、関係あるのかな……で、どういうことなんですか? その、不義の子、ということですか?」

「それだけはないと断言できるよ。なにせ獣人は子を()せないからね」

「え?」


 獣人が子を産まないのは初耳だし、今の話からすると両親も獣人だろうと思われたがそれも知らない話だった。


「私たち、人間ですよね?」

「人の獣人、なんだよ。ややこしいんだけど」

「それは人間なのでは!?」

「実際そういうものだから仕方がないよ。人に獣化する獣人。人との区別はほぼつかないけど、獣人と同じく調整槽から生まれるし、生殖能力を持たないんだ」

「それはいったい何の意味が?」

「さあ? そればかりは作った人に訊いてみないとわからないけど」

「……それを聞いた私はどうすればいいんでしょう?」

「心のどこかに置いておけばいいんじゃないかな?」


 衝撃的な事実ではあったが、聞いたところで何ができるわけでもなかった。


「高校に行くのならまずは勉強よね? 入学試験を受けないとだし……」


 勉強はそれほど得意だったわけではないので、今さらするのかと思うと憂鬱になってくる。とりあえず何から手を付ければいいのかと悩みはじめたところで、チャイムが鳴った。


「誰かな?」


 当然のように父はテレビから目を離さず、立ち上がる気配もない。来客対応は槐がするしかないようだ。インターフォンなどという上等な設備はないので、槐はドアスコープから外の様子を確認した。

 今さらかつての知り合いがやってくることはないので何かの勧誘かと思ったのだが、外に立っているのは槐と同年代ぐらいの少年だった。部屋を間違えているとしか思えないが、無視もできないので、とりあえずドアを開けた。


「こんにちは。槐?」

「え? どなた……夜霧!?」


 すぐにはわからなかった。背丈も違えば、声も変わっている。だが、そののんびりとした、泰然自若とした様が昔を思い出させたのだ。


「そう。覚えてた?」

「ごめん。ちょっと忘れかけてた」


 高遠夜霧。その昔、幼いころにほんの一時遊んだことがあるだけの少年だが、そこで巻き起こった事件のおかげでどうやっても忘れようがなかった。


「仕方ないか。遊んだの、だいぶ前だし」

「それで、何の用?」


 夜霧がやってきたのは単純にうれしい。だが、その理由となるとよくわからなかった。


「ずっと放置してた問題があったんだけど、ちょっとしたきっかけで思い出してさ。槐が関係あるからちょっと来てもらいたいと思って」

「あのさ。いきなり来るんじゃなくて、先に電話とかするもんじゃないの?」

「ごめん。住所は調べてもらえたんだけど、電話番号までわからなくて」


 槐は、言ってしまってから今の皇家には母親が持っているスマートフォンしかないことを思い出した。


  *****


「おぉ! ここが忍者屋敷……!?」

「そんな珍妙なものではありませんが」

「一見、ごく普通の一戸建てですが、数々の絡繰りで誘い込んだ敵を仕留めるのですね! これは油断できませんよ!」

「普通の家ですから、おかしな期待はしないでください」


 カフェでキャロルと出会った後、二人は諒子の家へやってきた。庭付き木造二階建て。ごく普通の古びた一戸建てだ。古いといっても戦後に建てられ何度も改修しているので、キャロルが期待するほどに古くはなかった。


「ほわい? こう壁が回転する隠し扉があったり、床を踏むと板が跳ね上がって武器が出てきたり、意外なところに梯子があったりするのではないのですか!」

「ないですよ、そんなの」

「またまたぁ! 部外者には隠しているだけなんでしょ?」

「あの、勝手に家の中を探し回ったりしないでくださいね?」


 やりかねないと思い、諒子は釘を刺した。


「もちろんですよ。主が案内する以外の場所に行けばたちまち罠の餌食になるのですよね?」

「ただいま!」


 キャロルの妄言にいつまでも付き合っていられないので、諒子は玄関ドアを開けて中に入った。


「お帰り。あら、お友達?」


 二人が靴を脱いでいると、母親がやってきた。


「こんにちは! キャロル・S・レーンデース! 以後お見知りおきを!」

「え、えぇ。こんにちは」


 諒子の母は若干引いていた。


「じゃあ私の部屋に行きましょう」


 玄関を入ってすぐにある階段を昇り、二階へ。廊下の奥にあるのが諒子の部屋だった。


「何なんですか、これは! まったく意外性がないではありませんか!」


 部屋に入った途端、キャロルが怒りを露わにした。


「なんです、いきなり」

「もっとこう、ぬいぐるみが山のように置いてあって実は可愛い物好きだというギャップですとか! そのまんまのイメージで質実剛健で余計な物が置いてないですとか! くノ一女子高生の部屋は、そういった語るに値する装いであってしかるべきだと思うのですが!」

「あなた、いったい何を期待してるんですか」

「これでは、小洒落た部屋で暮らすただの女子高生ではありませんか!」

「ただの女子高生ですよ! いいから座ってください!」


 連れてきたことを少し後悔しながら、諒子はノートパソコンをローテーブルの上に置いた。


「私の権限で調べられる範囲をまず調べます」


 パソコンを起動し、いくつものウインドウを開く。そこには様々な動画が映し出されていた。


「それは?」

「このあたりの監視映像などですね。私が見られるのは街頭カメラなどの、ありきたりのものだけですが」

「なるほど? 高遠くん監視任務などで用いていたのですか?」

「そうですね。ですので取得できる範囲はごく限られたものになりますが……脱走事件があったのは?」

「三日前の夜ですね。蝙蝠が真っ直ぐ飛んできたのならさほど時間はかからなかったはずですよ」

「そのあたりの動画は……何かいますね……特に隠れるつもりはないんでしょうか?」


 キャロルの言う時間帯に絞って複数の動画を一度に確認すると、空から降り立つ巨大な蝙蝠の姿を見付けることができた。


「少々疑問なのですが、こんな怪しい奴がやってきてるのに諒子たちはスルーしてたんですか?」

「業務外としか言いようがないですね」


 諒子たち二宮家は正義の味方でもなんでもなく、ただ依頼された業務を遂行するだけの立場でしかない。妖怪がやってこようが、殺人鬼がやってこようが、それが依頼に関係ないのなら関わる必要はなかった。


「訊いていいのかわかりませんけど、高遠くんの監視ってどうなってるんです?」

「高遠くんから中止要請がありましたのでやめましたよ」

「気付いたなら当然の話ですか」

「少年が一緒ですね。これがイヅナですか。建物に入りました。病院のようですね」


 地図サイトで住所を調べる。ずいぶんと前に廃業している病院だった。


「迷いがない感じですね。以前からのアジトでしょうか……」

「元々このあたりで活動していたということですか?」

「さあ? どうなんでしょう?」


 何やら含むものを感じたが、キャロルは答える気がなさそうだった。

 それ以上は追及せず、諒子は早送りで病院の周囲を確認する。入ったきりしばらく変化がなかったが、二日目の夜。蝙蝠の少女が出てきた。そしてどこかから女を攫ってきて病院へと運び込む。

 そして三日目の昼。つい先ほど、病院から出てきた少年と少女が別々の方向へと歩いていった。そこから先も確認はしたが、監視範囲外へと出ていったのでどこに向かったかまではわからなかった。


「すぐに動きだしませんでしたね。様子を見ていたんでしょうか? 追いますか?」

「まずは廃病院でしょう。連れ込まれた女の人が気がかりです」


 さすがに見てしまった以上、関係がないと無視もできなかった。


  *****


「うん。しばらくいると思うけど」


 歩きながら電話をしていた夜霧は通話を切った。


「女の子?」


 隣を歩いている槐が訊いてきた。声が漏れ聞こえていたのかもしれない。


「女の子って歳なのかな? もこもこさんっていうんだけど」

「変わった名前……」


 慣れてしまっていたが、言われてみれば変な名前だと夜霧も思った。


「そういえば、いきなりだったけど大丈夫だった? 別の日でもよかったけど」

「わざわざ来るんだから大事な用事なんでしょ? 別にいいよ。どうせ暇だから」


 夜霧と槐は坂を上っていた。

 槐が住んでいる街から、夜霧が住んでいる星辰市へは特急電車で約三十分。そして駅から少し歩いた坂の上に目的の場所があった。


「それほど時間はかからないと思う。ちょっと確認して許可をもらいたいだけだから」

「何か面倒なこと? 昔あったみたいな」

「それよりは簡単かな。さすがにここで言わないほうがいいと思うけど」


 周りに人はいないが念のためだった。


「ねえ、夜霧はあれからどうしてたの? まだあの地下の村に住んでるの?」

「あれからしばらくして外に出て、今は高校に通ってるよ」

「高校生なの!?」

「そんなに驚くことかな? 槐もそうじゃないの?」

「……私は……その……ねぇ。高校ってどうやったら入れるの?」

「どういう状況?」

「中学校を卒業してそのまま家の仕事をするつもりだったの。けど、家が大変なことになっちゃって」

「ああ。そういえば槐のお爺さんって人が来てたな。確かにあれは大事だった」


 槐の祖父は、何かの呪いから逃れようと夜霧たちがいた地下の村へとやってきたのだ。けっきょく、呪いを防ぐことはできず、槐の祖父はそこで亡くなった。彼は皇家の頭首だったはずなので、そのあたりの事情に端を発したお家騒動なのだろうと夜霧は理解した。


「んー、願書を出して入学試験を受けて、って感じみたいだね」


 夜霧は、スマートフォンで簡単にそのあたりの情報を調べた。


「数年遅れで高校に入学するのも普通にあるみたいだよ。もし年齢が気になるなら定時制とか通信制でもいいと思うけど」

「なるほど……でも試験って難しいよね?」

「学校によるんじゃないかな。高校受験の勉強ぐらいなら俺でも教えられると思うよ」

「俺、なんだ」

「ん? ああ、槐と遊んでたころは僕って言ってたっけ」

「勉強……夜霧に偉そうにされるのは癪なんだけど」

「偉そうにするつもりはないんだけどな」


 そういえば槐は親分で、夜霧は子分にされていたことを思い出した。夜霧の実際の年齢は定かではないのだがおそらくは槐が年上のはずなので、年下に教わるのはプライドが許さないのかもしれない。

 そんな話をしているうちに坂を上り切り、二人の目の前に洋館が現れた。城と見紛うような、日本ではあまりお目にかかれないような建築物だ。


「何ここ? 前に私が住んでた家よりも手が込んでるんだけど」

「篠崎さんの家だよ」

「そう言われても誰なの、それ……」

「篠崎重工の創業家?」

「それを聞かされてもね!」


 夜霧は門扉の横にあるインターフォンのボタンを押した。


「すみません。高遠夜霧といいます。今日お約束をいただいているのですが」

『お疲れさまです。お越しいただきありがとうございます。案内の者が参りますので少々お待ちください』

「ねぇ? さっぱり話が見えないんだけど?」

「たぶん実物を見てもらうのが一番早いんだよ。口で説明してもよくわからないと思うから」

「わかった。夜霧がそう言うなら信じる」


 しばらくすると門が自動的に開いていった。門の向こうにも道があり、邸宅へと続いている。その邸宅から案内役であろう女性がやってきた。


「久しぶり。終業式以来かしら」


 篠崎綾香だ。彼女の家なのでいるのは当然だが、今回の用事とは直接関係ないはずだった。


「篠崎さんが案内してくれるの?」

「ええ。この件を知っているのは篠崎家でも限られていますから。こちらへ」


 綾香が踵を返し、道を戻っていく。夜霧と槐はその後に続いた。


「そういえばさ。篠崎さんは戻ってきてなかったと思うんだけど」

「今さら!? 何もかも納得して三学期を過ごしていたのかと思ってたんだけど!?」

「いや、よく考えたら後から帰ってくることはないんじゃないかと」


 夜霧は篠崎綾香が変化したらしきドラゴンを殺している。ドラゴンも、ドラゴンから放たれた分身も全て殺しているので、篠崎綾香が今さら生きて戻ってくることは絶対にないはずなのだ。


「ちょっと考えたらわかるでしょ。あちらに行っていた私と、今の私は違う存在ということよ。なんだったらオリジナルに会っていく?」

「それは別件ぽいから今回はいいよ」


 どうやら篠崎綾香は何人もいるようだが、それに関わるのも面倒そうだと夜霧は思った。


「そう。こっちよ」


 綾香は屋敷の前を通り過ぎてさらに奥へと進んでいく。広い庭を歩いていくと、道は森へと続いていた。この森も篠崎家の敷地内ということらしい。そのまま森の中に入りさらに歩いていくと、開けた場所に出た。

 四角い建物が建っていた。先ほどの屋敷のように古めかしい西洋建築ではなく、近代的なビルだ。


「研究棟。目的の物はここにある」


 綾香が研究棟に近づいていくと、入り口がすっと開いた。セキュリティは当然あるだろうし、綾香の何かに反応したのだろう。

 綾香と一緒に中に入り、さらに奥へ。エレベーターに乗り地下へと移動した。


「厳重なんだね」

「そりゃあね。表には出ていない技術の塊だから。そこらに放置しておくってわけにもいかなかったのよ」


 エレベーターを出て、いくつかの扉を通り、ようやく夜霧たちは目的地へと辿り着いた。

 小さな部屋で、そこに三つの半円筒形のオブジェが並べられている。その上部は半透明になっていて、中に人らしき姿が見えていた。


「これって……え? 私!?」


 すごい勢いで槐が振り返り、夜霧を見た。


「そうなんだよ。自分そっくりのロボットが作られてるなんて、実際に見てみないと信じられないだろ?」

「何がどうなったらこんなことになるの!?」

「俺を殺すための刺客だったんだけど、各方面にいろいろと手伝ってもらってどうにか停止させたんだ」

「うちから流出した技術が使われているの。本来ならさっさと解体するなりしたいところなんだけど、それはするなということだから仕方なくここで厳重に保管していたんだけれど」

「それをお願いしたのは俺なんだよ。でも、それで面倒なこともあってさ。だったら本人にこの子たちをどうするか決めてもらおうと思って」


 異世界に、こちらの世界の物体をコピーする能力者がいた。その能力者は自律行動するロボットを欲したのだろう。たまたま、この槐がコピー元として選ばれてしまったのだ。

 どれだけ厳重に管理していようとそんな不思議な力を使われてはどうしようもない。もちろんこの現物がなくなったところで他に方法はあるかもしれないが、まずは単純にコピーできる状況はなくすべきだろうと夜霧は思ったのだ。


「どうするって……え!? 私が決めるの!?」

「うん。この子らの権利は槐にあると思うから」

「ちっちゃいころの私のロボットが三体って、どうすればいいの!?」


 確かに、そんなことをいきなり言われても困るだろうなと夜霧も思った。


  *****


 幸い、廃病院に連れ込まれていた女性の命に別状はなかった。

 彼女は襲われて以降のことをなんとなく覚えていて、それにより彼らの行き先がおおまかに判明した。

 イヅナは海側、つまり南へ行ったようで、蝙蝠の獣人は城が目的らしい。

 この街に城らしき建物はいくつかあるが、会話の様子からすれば山側へ向かったようだ。

 諒子たちは救急車を呼び、廃病院を後にした。タクシーを拾い、篠崎家へと向かったのだ。


「急いだほうがいいのでしょうけど、昼間から襲撃するなんてことはあるでしょうか?」

「うーん、夜闇に紛れるのが普通とは思うのですが、計画性などとは無縁の御仁のように思えますしねぇ」


 これまでの情報から考えると、どうにも行き当たりばったりな行動に思えた。連れ込んだ女性の血を吸った形跡はあったが、それだけで満足したのか殺さずに放置している。彼女から何かしらの情報が伝わるなどとは考えていないのだろう。


「城が欲しいならば無理矢理に奪い取るし、時と状況など選ばないということですか?」

「これまでのところ慎重さの欠片もありませんしねぇ」

「応援は呼んだのですか?」

「呼びましたよ。ですが、ぼんやり待っていると篠崎さんちが大変なことになるかもしれませんし」


 今すぐに対応できる諒子たちがまずは向かうしかないようだった。

 タクシーはすぐに篠崎家前に到着した。そこにあるのは巨大な門と、延々と続く塀だ。坂の上の一帯は全て篠崎家の土地だった。

二人は慌ててやってきたが、今のところは特に何かが起きている様子はなかった。


「すみません。綾香さんの友達のキャロルという者ですが!」


 篠崎家をいきなり訪ねても相手にされないだろう。キャロルはインターフォンで綾香を呼び出そうとした。


『お約束のない方のお取り次ぎはしておりません。お引き取りください』

「けんもほろろとはこのことですよー! 綾香の連絡先を知らないですか!?」

「……電波が届かないか電源が、というアナウンスですね」


 諒子は綾香に電話をかけてみたが、繋がる様子はなかった。


「今時の女子高生にとって不可欠なインフラですよ! 充電忘れとかありえないでしょ!」


 キャロルが憤慨しているが、諒子にすればそんなこともあるだろうとしか思えなかった。


「そういえば、蝙蝠の獣人なんですよね? 空から襲撃されると私たちは手も足も出ませんが」


 諒子は戦闘を想定して武器を入れたゴルフクラブケースを持ってきたが、空中戦への備えが万全とは言い難かった。空中から一方的に攻撃されればどうしようもないだろう。


「いくら考えなしでも昼間から空を飛ぶなんてことはないと信じたいです!」

「獣人を相手取るのは初めてですが、どの程度の脅威だと考えればいいんですか?」

「しょせんは獣になるだけの人間ですよ。そうですね、ヒグマに毛が生えた程度でしょうか?」

「ヒグマの時点で強敵ですし、もともと毛は生えてますね」

「おやおや、諒子は日本人なのに知らないのですか? 毛が生えたような、の毛とは陰毛のことなのですよ!」

「諸説ありますし、だから何だという話ですね!」

「ですので、二人がかりならどうにかなるという話ですよ」

「そもそもここに来るとも限りませんが」

「それならそれでいいではありませんか。彼らの適当な行動はおおよそ知れました。これならば発見も確保も時間の問題かと思いますし、私たちが頑張る必要も……来ましたね」


 黒尽くめの少女が、坂を上ってきた。

 レースがふんだんにあしらわれたゴシック・アンド・ロリータのドレスを身に付けていて、同じように黒くフリルの付いた日傘も差している。このあたりではそうそう見かけないスタイルなので、まず間違いなく彼女が蝙蝠の獣人だろう。

 諒子は、ゴルフクラブケースから鞘に収まった刀を取り出した。鞘といっても角張っていて幅と厚みがあり、そこに三振りの刀が収まっている。諒子はそれを腰に装着した。


「ん? なんだか忍者らしからぬ気がするのですが? 妙に機械的な雰囲気が? え? 三刀流!」

「人の武装などどうでもいいでしょう。キャロルはどうするんですか?」

「私にはこれがありマース!」


 キャロルは、懐から拳銃を取り出した。


「ちょっと! 街中で撃つつもりですか!」

「超サイレントですので問題なしデース!」


 そう言うのなら信じるしかないのだろう。二人は、やってくる少女へと向き直った。


「ごきげんよう。物々しい雰囲気からして、私を迎え撃とうというところ?」


 少し距離を置き、少女が立ち止まった。ただの人間ではないことが一目でわかった。纏っている気配があまりにも剣呑過ぎるのだ。


「おとなしく捕まるつもりはありませんよね?」

「ええ。拠点を確保し、ここから私の吸血鬼ライフがあらためて始まるのだから!」

「仕方ありませんね! 適当にボコってお縄ちょうだいデース!」


 パスン。そんな気の抜けるような音がした。キャロルが実にスムーズに拳銃を発射していたのだ。少女が体勢を崩した。キャロルの撃った弾が足に命中したのだ。

 諒子は柄に手をかけながら、一瞬にして少女までの距離を詰めた。刀が電磁力で加速する。人力ではありえない速度で抜刀し、そのままの勢いで少女の胴を薙いだ。

 非殺傷用電磁刀。要は巨大なスタンガンだが、くらえばただではすまない。肋骨の数本はまとめてへし折れ、内臓にも損傷が発生するだろう。

 だが、手応えがなかった。刀は、少女を通り過ぎたのだ。目測を誤ったのでも、避けられたのでもない。刀は確実に少女を捕らえていたはずだった。

 少女の身体が瞬く間に変化していた。上半身が無数の小さな蝙蝠と化し、上下に分かれて刀をやり過ごしたのだ。

 殺気を感じ、諒子は飛び下がった。先ほどまで諒子がいた位置を、狼の顎が通り過ぎた。少女の下半身が狼と化し、襲ってきたのだ。


「キャロル! どこがヒグマ程度なんですか!」


 諒子はキャロルの隣に戻り、訊いた。


「想定外といいますか、こんな話は聞いていなかったのですが?」

「対策はあるんですか?」

「うーん。不思議生物ではないはずなので、全部焼き尽くすとかすればあるいは」


 蝙蝠の群れは結合し、少女の姿を取り戻していた。つまり少女と狼の二体が敵ということになるし、この調子では何体に増えるかわかったものではなかった。


「十分不思議生物だと思いますが、確保前提で動くのは無理ということですね」


 諒子は刀を鞘に収め、鞘の側面から透明な板を取り出した。諒子が手にした途端、板の表面に文字と紋様が描かれていく。板を軽く振ると、燃えさかる犬が現れた。


「はぁあぁああ!? 何なんですかこれは!」

「燃やせばいいんですよね?」

「ではなくて! これ何なんですか!?」

「式神ですけど」

「式神!?」


 キャロルはニンジャ好きを公言しているので、てっきり現代の忍者についても知っているのだろうと諒子は思っていた。だが、この様子からするとよく知らなかったらしい。


「説明は後で。とにかくあいつをどうにかしますよ」


 諒子は式神を狼へと差し向けた。燃えさかる犬が、狼と激しく絡み合う。一旦は任せておいて大丈夫なようだ。

 キャロルが少女を撃つ。弾は額に当たったが、その程度では死なないようだった。一瞬、穴が空いたように見えたが、すぐに塞がってしまったのだ。


「これは銀の弾丸とかが必要でしたか!?」

「いえ。多少は効いているようです。地面に落ちた蝙蝠はダメージを分散した結果なのでは?」


 血を流し、動きを止めた蝙蝠が数体地面に落ちていた。


「キャロルはとにかく撃ちまくってください。私は私で動きますので!」


 諒子が再び飛び出した。二つ目の刀を掴み、抜刀する。

 光が、煌めいた。鞘から放たれた無数の小さな刃が、少女の全身に襲いかかったのだ。少女がまたもや小さな蝙蝠へと変化する。だがそれは想定内だ。諒子は、振り上げた刀を振り下ろした。

 刃の軌道が変わる。刃の群れが、ばらけた蝙蝠へと降り注いだ。数匹が、刃に切り裂かれた。分かれた蝙蝠が飛んでいき、離れた場所で集合して少女の姿へと戻る。どうやら、ずっと小さな蝙蝠ではいられないようだ。

 刀の射程外。諒子は、刃を本体へと戻した。柄から生えた短い刃に小さな刃がまとわり付いていく。

 散刃自在刀。抜刀時に散弾のように刃が散らばり、一定時間内なら軌道も操れる。刃は細い糸で繋がっていて、回収して再び放つことも可能だ。


「ちっ!」


 少女が鬱陶しそうに舌打ちする。逃げた先、人に戻ったところをキャロルが撃ったのだ。

 諒子は刀を鞘に収め、再び少女へと詰め寄った。抜刀。細かな刃を叩き付けると、少女は大きく飛び下がり、そのまま空へと浮かび上がった。

 キャロルが追撃するも、距離があるためか当たらないようだ。


「ああ、もう! 鬱陶しいわね!」


 そして、諒子は前後不覚に陥った。

 唐突に衝撃が襲い、吹き飛ばされたのだ。


 ――何が……。


 眼前の光景が歪んでいる。耳鳴りがし、周囲の音も聞こえない。かろうじて自分が倒れ伏していることぐらいはわかり、諒子はどうにか身体を起こそうと力を入れた。


 ――まさか、音波?


 蝙蝠の特徴で、超音波を発すると言っていたことを思い出した。だが、それは位置測定のためのエコーロケーションを想定してのことで、大音量をそのまま叩き付けるような攻撃をしてくるとは思ってもみなかった。


 ――キャロルの情報がまったくあてにならない……!


 キャロルの言うことを鵜呑みにせず、もっと慎重に動くべきだった。恨みを籠めてキャロルを捜すと、彼女も無様に転がっていた。


「これ、吸血鬼っぽくなくて嫌なのよね。できればやりたくなかったんだけど……むかつくわ!」


 遠くからのような、歪んだような声が聞こえてきたが、気配はすぐそばにあった。

 式神の気配を探る。彼もやられてしまったらしい。

 諒子は、三本目の刀を掴んだ。近くにいるのなら、闇雲に振るってみてもいいはずだ。


「首筋に噛み付いてやろうかと思ったけど……残念ね。油断はしないわ」


 気配が離れていく。大きな呼気が聞こえた。全力で息を吸っているのだ。予備動作のない速攻でこの様だ。では準備万端で大声を叩き付けられればどうなるのか。とても生きていられるとは思えなかった。


 ――くそっ! 一か八か!


 何もしないよりはましだ。適当にでも攻撃をしようと身体に力を籠める。


「死ね」


 そして、ぼんやりとした視界の中でも、蝙蝠の少女が倒れるのがわかった。


「え?」


 視界が回復していき、声の主の姿がハッキリとしてくる。

 なぜ高遠夜霧がこの場にいるのか、諒子にはさっぱりわからなかった。


  *****


 なぜか、篠崎家の門前で戦いが繰り広げられていて、殺意を感じたので夜霧は力を使った。こちらの世界に戻ってきてからも、今のところ第一門は開けたままにしているので、力を使うのは簡単だった。


「二宮さんとキャロルか。大丈夫?」

「あ……はい。回復してきました。もう立てます」


 諒子がよろよろと立ち上がった。まだ無理をしないほうがいいと夜霧は思ったが、本人がそうしたいのなら止めても仕方がないのだろう。


「あの。人の家の前でバトルとかやめてくれる?」


 夜霧と槐は帰るところで、綾香は見送りにきてくれているのだった。


「それはひどいですよ、綾香! 私たちは綾香を守るために戦っていたのですよ!」


 キャロルも立ち上がって近づいてきた。


「そうなんだ。あれと?」


 夜霧は倒れている黒尽くめの少女を指さした。


「あれとです」

「何がどうなってそんなことに」


 夜霧には状況がさっぱりわからなかった。


「その前に、一言いいですか?」


 キャロルが真剣な顔で夜霧に詰め寄った。


「いいけど、何?」

「この浮気者! 篠崎さんちでしっぽりやってやがったのですか! 壇ノ浦さんというものがありながら! しかももう一人いるじゃないですか! 両手に花ですか!? 花びら大回転ですか!」

「何言ってんですか! 高遠くん、すみません。キャロルがアホで」


 諒子が素早くキャロルの頭を押さえ付けていた。


「アホってひねりなさ過ぎますね! 諒子は許せるんですか!」

「高遠くんはいいんですよ! ハーレムを作ろうと、大回転しようと何回転しようと許されるんです!」


 その言いようもひどいのではないかと夜霧は少し傷付いた。


「用事があって来てただけだよ」

「私も変な誤解は心外ですけど?」


 綾香は不機嫌を露わにした。


「夜霧……あんた、いつの間にか女の子の友達ばかり……」


 槐が冷たい目で夜霧を見ていた。


「確かに、言われてみればそんな状況か」


 いつの間にか諒子、キャロル、綾香、槐の四人に囲まれてしまっている。いずれも美少女ではあるので華やかな状況とはいえるかもしれないが、夜霧には面倒くさいとしか思えなかった。

解説(書籍版ではあとがきで各話解説をしていましたので、各話ごとに書いておきます)


 槐のその後の話、ではあるんですが、ほぼ諒子とキャロルの話。

 諒子の三本目の刀の能力は特に考えていなかったので、ご想像にお任せします。というか、こんなんだったら面白い、なんてのがあったら教えてください。

 諒子とキャロルのバディものみたいなのも面白そうとか思ったのですが、キャロルの戦闘力がいまいちというのがありますので、誰かこのへんをうまいこと考えてスピンオフとか勝手にやってくれたら、私が読みたいです。

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