異能
ここからしばらく関連する話が続くので章分けしておきます。
異能が発現するのは物心が付いたころだとされている。これは当然の話で、胎児や生まれたての赤ん坊が自覚なく能力を使いだせば、たいていの場合は自滅するからだ。
そのため、物心が付いてから能力が発現し、かろうじて制御できるような子供だけが生き残って、後にそれが発覚する。
イヅナもそんな少年だった。
物心付いたころから物を切り裂くことができたのだ。そして、それがすぐに悲劇を招くことも想像に難くなかった。切っ掛けはささいなことだろう。お気に入りの玩具が見付からないだとか、テレビを見ていないで早くご飯を食べろと言われただとか、小さな子供がかんしゃくを起こすような、どこの家庭にでもありそうなありふれた出来事。
その結果が、一家惨殺だった。気に入らないものを投げるように、引きちぎるように、無造作に能力を行使し、彼はマンションの一室を血の海へと変えたのだ。
彼は自分のやったことを理解できなかったのだろう。ただ、父が母が姉がバラバラになって動かなくなった。わけがわからなくなり泣き叫び、様子を見にやってきた近隣の住人をも切り刻んだ。
けっきょく、彼が保護されるまでに警察官も含めて二十人あまりが犠牲となった。これが"案件"であると気付いた警察官が応援を要請し、超常現象を扱う公安第零課の出動によってようやく事態の解決が図られたのだ。
自分が何をしているのかもよくわかっていない危険な幼子。当然、児童養護施設に預けて済むわけもなく、特殊な施設での養育が必要になる。
日本において候補となる施設は主に二つ。『研究所』と『機関』だが、イヅナは『機関』の日本支部に預けられることになった。イヅナの能力に関しては、『機関』のほうが研究実績があり、よりよい対応が可能とのことでそうなったようだ。
『機関』はイヅナのような危険人物を幽閉し、研究を行っている。イヅナという名は、『機関』でのコードネームだ。イヅナ本人は、もともとイヅナに近い名であることは覚えているのだが、名字や漢字などは知らないため、自らの素性は知らなかった。
危険な能力の保持者は処刑してしまえばよいという意見もあるだろうが、それは推奨されていなかった。倫理的な問題のためではない。世界を守るためなら何をやってもいいと思っているのが『機関』だ。殺して解決できるのなら喜んでそうすることだろう。
そうできないのは、能力には寄生型と呼ばれるものがあり、能力者が死んだ場合に別の人間に能力が移動するケースがあるからだ。今のところは能力のタイプを確実に判別する方法がないため、特に危険な能力に関しては幽閉して生かし続けるほうが安全だろうと考えられていた。
人権意識などそれほどない『機関』ではあるが、閉じ込めているという点を除けば、それほどひどい扱いをしてはいなかった。あまりにひどい環境に置いてしまうと精神に異常をきたすかもしれないし、自傷してしまう可能性もある。ここで暮らしていればとりあえずは平穏に過ごせると思わせる必要があったのだ。
だが、ひどい扱いをしていないというのは『機関』のひとりよがりな考えに過ぎない。物心付いたばかりの幼子を部屋に閉じ込め、ロボットに世話をさせる。そんなものがまともな扱いのわけがないだろう。
イヅナは、社会性を著しく欠いたまま成長していったのだ。
*****
「あの、何なんですか? 相席を許可した覚えもなければ、下手くそな創作を聞くと言った覚えもないんですが?」
二宮諒子は、突然やってきてイヅナという少年について語りだしたキャロルに文句を言った。
カフェで新作のフラッペを楽しんでいたところ、断りもなしに向かいに座ってべらべらと喋りだしたのだ。
「おー! ツレナイ! それはツレナイですよ、諒子! 私とあなたの仲じゃないですか!」
「あのですね。異世界でコンビのようになっていたことは認めます。ですが、それは一時的なものでしょう? 本来、私とあなたは相容れないはずですが」
キャロルは『機関』に所属していて、諒子は『研究所』に雇われている忍者の一族だ。『機関』と『研究所』は扱う対象が似通っているために衝突することが多く、表だって敵対してはいないものの親しく交流できるといった関係ではなかった。
異世界で親しくしていたのは、帰れないのならもうお役目など関係ないという、半ばやけくそな気分でもあったからだ。
「んー? 下っ端同士だと関係ないのではありませんかね?」
「そうはいかないでしょう。お互いに様々な秘密を抱えているでしょうし、ちょっとしたことで漏れ伝わる可能性があるんですから」
そうは言いつつも、諒子はキャロルを追い返したり、席を立ったりはしなかった。
「はははっ! しょせんは下っ端。たいした秘密なんて持ってなくないですかぁ?」
「さっきの雑な中二病設定みたいな話もこんなところでしていていい話なんですか?」
「雑な中二病とはひどいですね。本人が聞いたら気分を害しますよ?」
「実話だとしたら余計に関わりたくないんですけど」
「でも、諒子は暇ですよね?」
「新作の、バター抹茶マロンクリーム桜ストロベリーチョコレートフラッペを堪能しているところですが?」
「はははははっ! それが暇だと言っているんですよ! 普通、忙しい女子高生というものは、こんなところでのんびりと一人でお茶などしていないものデース!」
「ほっといてくださいよ」
暗に友達がいないと言われ、諒子は気分を害した。
「で、話の続きなのですが」
「しないでくださいよ」
「聞いてくださいよ。え? もしかしてお友達なのにお金とるんですか? そうですよね。麗しき女子高生の貴重な一時を奪うのですから料金が発生するのですね! 仕方がありません、ハウマッチ?」
「そんな特殊なバイトをしているつもりはありませんが? わかりました。話したいなら勝手に話していてください」
余計なことを知ってしまうのはそれだけで面倒に巻き込まれる可能性はある。だが、こんな街中で話すようなことならたいしたことはないだろうし、聞き流していればいいと諒子は考えた。
「太っ腹ですね! あ、諒子はスリムだと思っていますけどネ!」
「そういうのいいですから、速やかに本題へどうぞ」
「そうですね。簡単に言ってしまいますと、イヅナくん、逃げ出してしまいました!」
「はい?」
諒子は呆気に取られた。まさか『機関』ともあろうものが、そう簡単に危険人物を脱走させてしまうとは考えてもいなかったのだ。
幼いころの高遠夜霧が単身で突入して帰ってきたことはあるが、あれはあくまでも例外であろう。『機関』に収容されている異能者が逃れたなどと聞いたのは初めてだった。
「ええ、私も最初に聞いたときは無茶苦茶に驚きましたデスヨ?」
「大丈夫なんですか?」
余所の組織のこととはいえ、さすがに心配になって諒子は訊いた。
「全然大丈夫ではなくて、パニック状態ですね! 私も捜索に当たっている最中なのです」
「だったらなんでこんなところでのんびりしているんですか」
「闇雲に探したって仕方がないでしょう? 彼がその力を野放図に使いはじめれば、街はあっという間に血の海です。そうなっていないのですから今は身を隠しているはずですよ」
「これは聞いていいことなのかわかりませんけど……どのような管理をされていたんですか?」
「ふふふ! それはトップシークレット! ではあるのですが、別にたいしたことをやっているわけではありません。イヅナくんのような物理的に危険な能力を持っている場合は単純でして、ものすごく分厚くて頑丈な構造体で作られた部屋に閉じ込めていただけですね」
「ですが、完全に密閉できるわけはありませんよね?」
「換気口はありますし、上下水道などは外部とつながっているとはいえますが、そこからどうこうはできないのは確認しておりますよ。もちろんそれらを切断することは可能なわけですが、ライフラインを自ら破壊した場合にはそのまま死んでもらうという覚悟で運営しておりましたし」
ハンストなどの自らの命を人質にした交渉には応じない。ルールは明確になっているため、監視員は彼が中で死にかけていようが慌てて中に踏み入るなどの愚行は犯さないように教育されていた。
「食事なんかはカプセルに入れた物をパイプからぽいっと渡してましたしね。あ、知ってました? 昔の日本のラブホテルにはエアシューターと呼ばれる同じようなものが使われていたのですよ? それで従業員と顔を合わせずに支払いなどをしていたのです! シャイな日本人にはぴったりの仕組みですね!」
「今も昔も知りませんよ! 出入り口はどうなんです? まさか封鎖しているわけではないですよね?」
「さすがに溶接して出入り口をなくすとまではいきませんね。完全密閉型テラリウムというわけにもいきませんから、何かしらのメンテナンスは必要ですし。ですが、扉は二重になっていて間にはセーフティゾーンがあります。そこに入れるのは遠隔操縦のロボットだけで、人間がいる場合、外の扉は開かないようになっています」
「じゃあどうやって脱走したんですか?」
「答えは単純でして、扉を切り裂かれました」
「……ものすごく頑丈なんじゃなかったですか?」
話の流れがうまく理解できず、諒子は聞き返した。
「そのはずでしたし、彼の能力の成長を計算に入れても十分に対応可能なようにかなりのマージンを持たせた設計だったはずなんですが、なんでか急激に能力がパワーアップしたようなんですよね! あはははははっ」
「笑い事じゃないと思いますけど」
「はい。結構深刻な事態なんですよ。なにせ、他の収容者も一緒に脱走してしまったので」
「え?」
聞けば聞くほどに、やはり冗談なのではないかと思えてきた。
「その、ヤバイ奴らですよね?」
「はい、何人かは再収容できたんですが、イヅナくん含めて三人が行方不明デスネ。イヅナくんは世間知らずなはずですので、潜伏にはこの一緒に逃げた人たちが一役買っているかと」
「……で、その話をなんで私にしてるんですか?」
もう聞き流すなどできそうになく、聞いてしまったことを諒子は後悔していた。
「手伝ってくれないかなぁと思いまして!」
「いやですよ!」
「でも妖怪ですよ? 対魔忍なら出番じゃないですか?」
「私は! そんないかがわしいものではありません!」
思わず諒子は立ち上がりかけた。
「おやおやおや。魔と対決する忍びの何がいかがわしいのデスカァ?」
「わかってて言ってますよね?」
「忍者装束作成の参考にさせていただきました」
「キャロルの服なんですから好きにすればいいとは思いますが」
「諒子の分もありますが」
「装束はどうでもいいですが、普通なら『機関』は他組織に協力要請などしないですよね?」
「ですね。ですからこれは私個人のお願いですよ? 私たちの街を脅かす悪が野放しになっているのですから! 正義の忍者コンビが出動せずしてどうするというのです!」
「コンビは解消したつもりですが。ところで妖怪というのは?」
「イヅナくんのことですよ? 見えない刃で何でも切り裂くなんてカマイタチの化身なのではないでしょうか!」
ではイヅナは飯綱から名付けられたのかもしれない。妖怪鎌鼬の別名に飯綱があることを諒子は思い出した。
「キャロルの個人的意向はともかくとして。組織の一員としては独断で他者に協力要請するのはまずいんじゃないですか?」
「そうですねぇ。以前の私でしたら考えられないことをしていますね」
いつもふざけているようなキャロルが、ふと真面目な顔を見せた。
「異世界に行って何か変わったとでも?」
「私はこれでもマジメに組織のために動いていたのですよ? それこそ世界を守るためなら何だってやる冷酷非情のエージェントだったのデース!」
「確かにそんな雰囲気は感じていましたね。その嘘くさいキャラも、任務のために作られた仮想の人格だろうと思っていました」
異世界でキャロルに協力を申し出られたが、諒子も素直に信じたわけではなかった。異世界に来てしまったのならどうしようもないと諦めているようだったが、『機関』への忠誠を忘れていないようにも見えたのだ。いざとなったら裏切るかもしれず、心の底からキャロルを信じ切ることはできなかった。
もっとも、長く一緒にい続けるうちにそんな警戒心も緩んでしまってはいたのだが。
「オー! ばれていたのはちょっと恥ずかしいですね! 実はどうにか高遠くんを始末できないかとか、異世界に置いてこられないかとか、ちょっと考えてたりもしたのですよ。ま、けっきょくその考えは浅はかなものでしたが」
「本当に浅はかでしたね。考えを改められたのなら幸いですが」
「世界はギリギリのバランスで成り立っている。少しでも何か事が起こればたちまち世界は崩壊する……そう教えられていましたし、そう信じていました。これはなかなかのプレッシャーなのですよ? 私たちの双肩に世界が重くのしかかっているんですから」
本当にそう信じていたのなら、そのストレスは並大抵のものではないだろう。諒子は少しばかりキャロルに同情した。
「外世界から虎視眈々と侵略を目論む異形たち、古くから人間社会に潜む人を模倣する何か、世界に影響を与えるような異能、現象、呪物……一つでも対応を間違えれば世界が終わる。ですが、高遠くんの力を目の当たりにしてしまいましたからね。けっきょくのところ、世界が崩壊するようなことだけは絶対にないのだと、そう確信できてしまったのです」
今さらながらに諒子はぞっとした。当初のキャロルは、高遠夜霧をそんな有象無象の世界を崩壊させる異常現象の一つ程度だと考えていたのだ。
「で、そうなるとなんだか馬鹿馬鹿しくなってきたのですよ。けっきょく、世界が崩壊するようなことだけは絶対にないわけですから、ちょっと間違えたぐらいは全然平気なんじゃないかということですね。そうなると無用なプレッシャーから解放されましたし、『機関』も少しばかり滑稽に思えてきまして。ほら、あれですよ。空が落ちてくるんじゃないかと心配するやつです」
「杞憂、ですか?」
「まさにそれです。もちろん、異常現象にまったく対応しなくていいわけではないのですが、毎回毎回世界崩壊の危機だと思い詰める必要もないわけです」
「けっきょく、何の話でしたっけ?」
「そうそう。ですので『機関』などというものをそれほど絶対視する必要はないと蒙が啓けましたので、諒子とコンビを組んでブイブイいわせてもいいのではないかということデスネ!」
「なぜそうなるんですか?」
キャロルの使命感のようなものに変化があったことはわかった。だが、そこから諒子とコンビを組みたいという話に繋がるのがよくわからなかったのだ。
「だって……本物の忍者ですよ? お友達になりたいに決まってるじゃないですか!」
「友達ぐらいには思ってますよ? 忍者コンビではありませんが」
「オー! スミマセン! ニワカ忍者である私が、本物の忍者の前で忍者を名乗るなどおこがましいということですね! 不遜もいいところだと!」
「問題はそこじゃないですけどね」
「スミマセン、本物のマスターシノビであらせられるところの諒子殿にお伺いしたいのですが、どうすれば忍者になれるのでしょうか?」
「なんで急に卑屈になるんですか。資格や免許があるわけじゃないですし、勝手に名乗ればいいと思いますが」
「なるほど! 刃に心と書いて忍び。つまりは心の内に刃を秘めていれば、それすなわち忍者! そういうことなのですね!」
「そんなことはまるで言ってませんけど、キャロルがそれでいいんならいいんじゃないですか?」
昔はそこらの子供を拾ってきて技を仕込んでいたとも聞くが、当然今ではそんな非道なやり方は通用しない。現代の忍者とは忍者の家系に生まれた者のことなのだ。とはいえ、忍者に明確な定義がないのは事実なので、キャロルが勝手に忍者と名乗ろうが問題はなかった。
「んー? でもですね、勝手に名乗っただけで忍者というのも詭弁のような気がしますよ?」
「忍者に関する民間団体がいくつかありますから、そこに入ればいいのでは? 伊賀とか甲賀とか、有名処が関わっているところもあったと思いますよ」
「うーん、それもいいのですが、現役ではありませんしねぇ。それらは観光客用のパフォーマンスでしょうし。やはり現代日本においても夜の闇を駆け抜け敵を討つ本物の忍者の魅力には抗えないといいますか」
「あの。何の話でしたっけ?」
すっかり忍者の話に脱線してしまっているが、本来そんな話ではなかったはずだ。
「そうそう。逃げ出した異能者を捕まえるのに協力してください、という話です」
「個人的なお願いだというのはわかりましたが……どこに逃げたかもわからない相手を捜せと言われても」
「それは大丈夫デース! このあたりにはいそうですから」
「もしや収容施設はこのあたりにあったのですか?」
まだ遠くには逃げていない。可能性があるのはそんなところだろう。
「さすがに詳しい場所までは言えませんので、山陽地方のどこか、で留めますね」
「だったらこのあたりにピンポイントでやってくるというのは話が出来過ぎじゃないですか?」
このあたり、星辰市はちょっと便利な地方都市といった趣の地域だ。潜むのなら東京や大阪といった大都市へ向かったほうが何かと都合がいいようにも思えた。
「占いでわかりましたよ?」
「もう飲み終わったので帰りますね」
「待ってください! 見えない刃で物を切り裂く異能者がいるのですよ? 精度の高い占いをする能力者がいても不思議ではありません!」
「そう言われればそうですね」
実際、諒子の家でも捜索には陰陽術やら式神やら怪しげな術を使ったりしている。一概に否定もできなかった。
「異能者は幽閉してるんじゃなかったんですか?」
「漫画なんかではよくある話です! 協力的な異能者は自由を制限されつつも職員になったりするものなのですよ。敵と同質の力を用いて戦うなんてのは、もはや定番なのです!」
「ちなみにキャロルは?」
「私はごくごく平凡な特殊訓練を受けた工作員といったぐらいのものですね! ギフトを持って帰れればよかったのですが!」
異世界でのキャロルはニンジャのギフトを得ていた。火遁や水遁といった、陰陽五行に対応した魔法のようなスキルを使うことができたのだ。
ちなみに諒子はサムライで、ただ刀を使うだけではなく斬撃を飛ばすなどもできた。
「で、このあたりに潜伏している可能性があると」
「あくまで占いですから、当たるも八卦当たらぬも八卦ですよ。私がたまたまこの街にいましたから、この街を捜索しているのですが、忍者の友達がいるわけですから、ここは忍術の一つでも拝見させていただこうかと思いまして!」
「しかし、そんな超能力者を見付けたとして、確保できるとはとても思えないのですが」
諒子も忍者として、それなりに戦いには自信がある。だが、見えない刃で何でも切り裂くような相手に太刀打ちできるとはとても思えなかった。
「とりあえずは潜伏先を発見できれば御の字ですね。確保は専門の部隊に任せればいいと思いますし。ただ、鎌鼬はどうにもならなそうですが、獣人はどうにかできそうな気もするのですよ」
「獣人?」
「ああ、言ってませんでしたか。脱走者は、鎌鼬、蝙蝠、悪霊の三人? 三体なのですよ。悪霊は実体がなくてどう対応していいかわからないのですが、蝙蝠なら物理攻撃が効くと思いますし」
「蝙蝠とは? まさかそのあたりを飛んでいる飛行型の哺乳類のことではないですよね?」
「まさかまさかですよ。彼女は蝙蝠タイプの獣人なんですね。普段は人の姿をしていますから、潜伏の手引きをしているのは彼女だと思います。獣人は獣の姿になって獣っぽい力を使えるんですが、見えない刃で物を切り裂くとかまでの無茶苦茶なことはできません。私たちでも対処可能かもしれないです!」
「蝙蝠の獣人……空を飛ぶとか、エコーロケーションあたりでしょうか」
「超音波ですね! フィクションだと使い古された設定ですが!」
超音波はあくまでも周囲の探索に用いるもののはずだ。音波兵器のような真似をしてこないなら対応は可能だろうと諒子は考えた。
「彼らがこのままおとなしくしている可能性は?」
「んー、ない。と、思いますね。イヅナくんに関しては幼いころに捕らえましたのでその悪意の程はわからないのですが、蝙蝠と悪霊に関しては悪さをしていたところを捕まえましたからね。逃げたら同じようなことをするのではないでしょうか」
「特徴などはわかりますか?」
「イヅナくんは、痩せ型で灰色のスウェット上下。蝙蝠の子はトビクラちゃんといいまして、女の子で黒くていかにもゴスロリ! って感じの格好。悪霊は実体がないからよくわかんないです。格好は着替えられたらそれまでですけどね」
「スウェットはいいとして、ゴスロリなんて格好で収容されてたんですか?」
「服ぐらいは望みの物を与えてたみたいですね」
「……わかりました。用事がない間であれば付き合いましょう」
忍者に街の平和を守る義務などはない。だが諒子には、自らが暮らす街が脅かされるのを見過ごせないと思うぐらいの義侠心はあるのだった。
*****
星辰市。夜霧や知千佳が住む街にある廃病院。
その地下に痩せぎすの少年と、黒尽くめの少女がいた。
山陽地方にあるとされる『機関』の収容所から逃げ出してきた者たちだ。
この廃病院は潜伏には実に都合がいい場所なのだがそれも当然の話で、ここは以前から少女が隠れ家として利用していた施設だった。
以前、この街では吸血鬼を巡る争いがあり、その際に少女はここを拠点としていたのだ。
手入れはされていないのでさらに老朽化は進んでいるが、一時的な隠れ家としては機能している。
少年、イヅナはくたびれたベッドに腰掛けていて、少女、トビクラは女の首筋にかぶり付いていた。
トビクラが鋭い犬歯で頸動脈から血を吸い上げている。そして、吐いた。
抱きかかえていた女を投げ捨て、四つん這いになって今吸ったばかりの血を吐き出したのだ。血だけではなく、消化し切れていない食べ物まで胃液と共に吐き出している。イヅナはその様子を見て声をあげて笑った。
「ぎゃははははっ! 好物なんじゃなかったのかよ?」
「うっさいな! 好物でも身体が受け付けないなんてのは人間でもよくあることでしょ!」
「逆をやったからって、本物にはなれねーんじゃねーの?」
「呪術的には逆にも意味あんのよ! 類感呪術とかそーゆーやつ!」
トビクラは、吸血鬼によって作られた下働き専用の獣人だ。血を分けた眷属でもなんでもなく、周囲にいる取り巻きの一人だったらしい。海外からやってきた主が日本での活動用に作ったため外見は日本人であり、日本の一般常識にも精通しているとのことだった。
「私はね、生き証人なの。主様も、眷属も、その他大勢も全員が滅びて、私だけが生き残った。主様の顔を、お姿を、立ち振る舞いを、お声を、鼓動を、匂いを覚えているのは私だけ! 主様が存在したという歴史を後世に残せるのは私だけ! だったら私が吸血鬼になって! 未来永劫に主様の栄光を伝えるしかないのよ!」
「でもよ、吸血鬼って、血を吸われてなるもんだろ? 一番手っ取り早いのはどっかの吸血鬼を探して吸ってもらうことなんじゃねーの?」
「この私が! 主様以外の口づけを受けるわけないでしょ!」
「面倒くせー」
「私はね、蝙蝠の獣人なのよ。つまり! 手下の獣人の中でも最も主様に近い存在! そういうことなの!」
イヅナは脱走するにあたって適当に暴れて異能者を解放し、それに紛れて逃げ出した。その際に、蝙蝠に変化して飛んでいこうとするトビクラを見付けて同行を頼んだのだ。ここまでは、蝙蝠の足にぶら下がりながらやってきたのだった。
「なんか無理っぽ……まあいいや」
蝙蝠だから吸血鬼に近いという理屈も、吸血鬼が血を吸う存在だから、血を吸っていれば吸血鬼に近づけるという理論もよくわからない。だが、何を言っても無駄なのだろうとイヅナは悟ったのだ。
「好きにすりゃいいけどよ。これからどうすんだ?」
ここはあくまでも一時的な隠れ家だ。いつまでもここにはいられないだろう。
「城ね。吸血鬼には城が必要よ。こんな薄暗くて狭くて埃臭いところなんて、誇り高き吸血鬼にはまるで相応しくないわ!」
「城ねぇ。俺も詳しくはねぇけどよ。外国の城みたいなやつのこと言ってんだろ? そんなもんこんなとこにあるかぁ?」
「ここに来る途中にそれなりの屋敷を見かけたわ。とりあえずはそれで我慢しておく。ここに比べればなんだってましだから」
「あんたはどうすんだ?」
イヅナが何もない空間へ向けて話しかけた。
「……ダンノウラ……」
どこからともなく声が聞こえてきた。それが何なのかイヅナはよくわかっていないが、適当に壊して回った部屋の中に誰もいない部屋があり、それから気配だけがついてくるようになったのだ。
「地名か? って、どっか行ったな」
呼びかけられたことが刺激になったのか、それは何かを思い出したかのように出ていった。
「で、君はどうすんの?」
「俺さぁ、異世界に行ったことあるんだよな」
「そうなんだ」
トビクラはごく普通にそう答えた。疑うつもりはまるでないようだ。
「せっかく自由になれたからよ。ぶらぶらしてたんだけど、異世界のヤツらがまるで相手になんなくてな。つまんなくなって戻ってきたってわけだ。そっちでパワーアップしてたから脱走できるようになったんだけどよ」
「それはちょっと不思議に思ってた。あいつら収容者の能力を把握して幽閉してるわけでしょ? 今さら脱走を許すってどんな大ボケかましたのかって」
「異世界には一年ぐらいいたっけな。その分が計算に入ってなかったんだろ」
戻ってきたら次の日の朝だった。つまり端から見れば、寝て夢を見ていたのと同じことだ。違ったのはイヅナに一年分の経験が確かにあったことだろう。
「なるほどね。で、今度はこっちの世界で自由になった君は、何すんの?」
「とりあえず、こっちのヤツらがどの程度のもんか適当に戦ってみるわ」
「ふーん。一応頼んでおくけど、こっちの城らへんでは暴れないでね?」
トビクラが勝手に自らの居城にしようとしている屋敷は山側にあるとのことだった。
「覚えてたら少しは気にするかもな。とりあえずは海側に行ってやるよ。そっから後のことは知らねぇけど」
イヅナは腰掛けていたベッドから立ち上がった。もちろん約束などできないし、そんなことを気にし続けるのも面倒だった。
「あ、現金とか持ってく?」
トビクラは、倒れた女の持ち物を探っていた。
「よくわかんねーからいいわ。欲しいものは適当に奪えばいいだろ」
幽閉されていたとはいえ通貨や経済の概念ぐらいはイヅナも知っている。とはいえ、実際に使ったことがないので実感には乏しかった。異世界では欲しいものは奪っていればそれでよかったからだ。
「蛮族だなぁ。好きにすりゃいいけどさ」
イヅナは地下室を出ていく。
三者三様。それぞれが目的のために行動を開始した。
解説(書籍版ではあとがきで各話解説をしていましたので、各話ごとに書いておきます)
諒子とキャロルは異世界ではバディっぽくやってたので、はいさようなら、ってのも寂しいよね。という話。作中でも説明してますが、キャロルの組織への忠誠心みたいなものはほぼなくなっていて、あれこれ首をつっこむような感じになっています。




