第7話 遺跡の第1層と“記録されし聖女”
石の階段を下りていくたびに、空気が変わっていくのがわかる。
足元には苔が生え、壁には長い年月を経て擦れた装飾の名残が浮かんでいた。けれど、それでもこの空間が“生きている”ことを、私は肌で感じていた。
地下は静かだった。
祭壇のような構造を持つ空間は、まるで千年の祈りを封じ込めた神殿のようで、そこに踏み込むだけで自分がひどくちっぽけな存在に思えた。
最奥には、水晶のような球体が浮かんでいた。直径は人の頭ほどで、澄みきった内部にかすかに金の光が揺れている。
私は、無意識に手を伸ばしていた。
その瞬間。
(記録再生を開始します)
意識に直接語りかけてくる“声”。それは言葉を通さない、記憶の奔流のようなものだった。
*
【映像1:第一聖女ミラの記録】
──私は、“幸福記録者”として選ばれた。
奇跡が薄れゆくこの時代において、それでも人が人であるために、私は“幸福”を記録し、継承する。
──この地は、かつて王国の“幸福観測都市”だった。
幸福を数値化し、それを都市政策に活かすという試みがなされた。けれどそれはやがて廃れ、人は幸福を“見ないように”するようになった。
──私は信じている。
誰かが笑い、涙を流し、小さな希望を抱くその瞬間こそが、この世界の根源であると。
──幸福とは光だ。
見る者の心を照らし、見失った者に道を示す。
この遺跡は、そうした“光の記録”だ。幸福が一定量蓄積されるたびに、新たな階層が開かれ、人は過去と未来を繋ぐ。
──この記録を見たあなた。あなたは“次の記録者”なのかもしれない。
どうか、この場所を守って。
どうか、人の幸福を、見失わないで。
──(次の封印解除まで:あと3000)
*
光が消えると、私はしばらくその場に立ち尽くしていた。
心の奥で、何かが音を立てて崩れ、再構築されていく感覚。
“幸福を見る目”を持った自分が、まるでこの場所に“選ばれて”いたような、そんな錯覚すら覚える。
けれど同時に、確かな疑問が胸に浮かぶ。
(……幸福は、本当に数で測れるの?)
誰かの笑顔の背後には、測れない痛みもある。
数字に現れない悲しみや、隠された怒りも、私は知っている。
でもこの場所は、それらすらも包み込むように——「幸福」という一点を見つめていた。
幸福を、ただ信じて、記録して、繋いでいく。
それが、この遺跡の意志であり、“第一聖女”の願いだった。
(……でも、私は……)
私は唇を噛んだ。
今、この手で幸福値を上げることはできる。
パンを焼き、話を聞き、誰かの心をそっと整える。
けれど、それでも届かない相手がいる。
思い浮かぶのは、あの男——オルステン。
幸福値1のまま動かない彼の背中。
村人の幸福を“壊す”ような言動と、それでもどこかに宿る“孤独な覚悟”。
私は、ふと、壁に浮かぶ石碑に視線を移した。
そこには、わずかに削れかけた名前が残っていた。
《記録:幸福値 0/記録番号0158》
《個人識別名:オルステン・グレイヴ》
「……まさか」
言葉が喉から漏れた。
それは間違いなく、あの男だった。
かつて“幸福記録者”によって記された、幸福値ゼロの存在。
信じられなかった。
いや、信じたくなかった。
あの人が——かつて王都を守っていた寡黙な騎士が、そんな存在だったなんて。
「オルステン……あなたは、いったい……」
私は膝をつき、石碑の名をなぞった。
指先に、かすかな温もりがあった。
それが記録に残されたものなのか、私自身の錯覚なのかは分からなかった。
でも、その瞬間だけは確かに感じた。
——この人を、救わなければならない。
幸福を拒絶する者に、幸福を届ける。
それが、この遺跡に“選ばれた”私の、次なる役目なのだと。
*
地上へ戻った私は、夜空を見上げた。
光祭りの余韻がまだ村に残っている。
誰かが空に放った光玉が、ふわりと風に流れていた。
私は胸元に手を当てる。
「次は——あの人を救う番」
幸福を、数字ではなく、実感として。
この手で、伝えてみせる。




