第5話 幸福を妨げる者たち
光祭りの準備が進むなか、村の空気は明るくなっていた。
花屋のアリシアさんは祭り用の飾り花を束ね、子どもたちは光玉に絵を描いて走り回る。カフェに訪れる人も増え、幸福値は日々少しずつ上昇している。
私の手帳に記録された数値によれば、村の“総幸福値”は997。
封印された遺跡の扉に刻まれた“1000”のしきい値までは、あとわずか3。
あと3。たったの3。
「いける……この調子なら、光祭り当日で一気に超えるはず」
私はカウンターで小さく息を吐いた。
マリアさんたちが用意してくれた焼き菓子の香りが、カフェ中に満ちている。
ラティはすでに光玉制作の“責任者”として村の少年少女たちに魔術指導を始めていた。
「失敗してもいいよ、でも“作ってみる”って気持ちが大事なんだ」と、ラティが小さな子に笑いかける姿を見て、私は胸の奥が熱くなるのを感じた。
——このまま、全員の幸福が少しずつ重なっていけば。
そう思った矢先だった。
「おい、おまえ。聖女の名残をちらつかせて、偽善で村を巻き込むなよ」
その言葉は、カフェの扉を開けて入ってきた一人の男から放たれた。
長身で痩せ型、黒いフードを被って目元を隠している。
その声には、どこか棘と疲れ、そして諦念が混じっていた。
「……ご用件は?」
「パンが欲しい。腹が減ってる。でも、まさか“幸福値”が上がると思われたらかなわんからな」
その瞬間、私は男の頭上に浮かぶ数字を見て——息を呑んだ。
幸福値:1
信じられない。ラティでさえ“5”だった。
けれどこの男は、それすら下回る1。
表情も、声の調子も、目の奥にある色も……すべてが“幸福”という感情から遠すぎた。
私は、できるだけ穏やかに笑みを保ちながら、パンと紅茶を差し出した。
「お口に合えばいいのですが」
「ふん、期待してない。けど、タダなら受け取ってやる」
彼は雑にパンをかじり、椅子に腰かけた。
私は、まわりの客たちが微妙な視線を向けているのを感じながら、そのまま接客を続けた。
けれど——やがて問題が起きた。
彼は、パンを食べながら、周囲の会話にことごとく横やりを入れ始めたのだ。
「光祭り? くだらん。誰のためにそんなことやるんだよ。昔みたいに死人が出なきゃいいけどな」
「おい坊主、魔術で灯りなんて子どもの遊びだろ。無駄なことしてねえで勉強でもしとけ」
「そんな飾り立てたって、人生が変わるわけじゃないだろ?」
……そう、彼の一言一言が、周囲の“幸福値”を下げていくのだ。
私は咄嗟に手帳を開いた。
・ラティ:22 → 19
・クレア:33 → 30
・アリシア:29 → 26
——急降下している。
たった一人の“幸福を拒む者”が、他人の幸福値までも引きずり下ろしている。
私は席を立ち、彼の前に歩み寄った。
「申し訳ありませんが、ここは“幸福を育てる場所”です。どうか、他人を傷つける言葉は……」
「うるさい」
男はテーブルを指でトン、と叩いた。
「幸福、幸福って、まるでそれが正義みたいな口ぶりだな。あんたらが『数字が上がった』って喜んでるのを見ると、反吐が出る」
「……」
「人間はな、どんなに笑っても、その裏に泣いてる時間がある。あんたはそれを、数字ひとつで量って、満足してるのか?」
私は、言い返せなかった。
なぜなら彼の言葉には、確かに“真実”の影があったからだ。
幸福とは、数字ではない。
けれど、この村では——それが、鍵になっている。
「——お名前を、教えていただけますか」
「オルステン。元・王都騎士団所属」
その名を聞いて、私は脳裏を駆け巡る記憶の断片に気づいた。
オルステン。
王都でかつて私を“遠巻きに守っていた”寡黙な剣士。
直接会話したことは少ないが、その瞳はずっと、祈る私を見つめていた。
「なぜ、ここに……?」
「奇跡を失ったあんたと同じさ。居場所がなくなった」
オルステンは立ち上がり、扉へと向かった。
「忠告しておく。この村の“幸福”は脆い。誰かが崩れれば、全部が瓦解する。……それを救えると思うなよ、“元”聖女」
その背中を見送りながら、私は拳を握りしめた。
幸福値は、1のまま動いていない。
——彼は、“幸福を拒絶している”。
けれど私は、心のどこかで感じていた。
この人こそが、扉の“もう一つの鍵”になるのではないか、と。




