第42話 記録の彼方へ
演算塔が赤く染まったその瞬間、ミーナたちは強烈な光に包まれた。時間が凍りついたかのような静寂が空間を支配し、感覚のすべてが一時的に断ち切られる。
やがて、ゆっくりと視界が戻ってきたとき、彼らは塔の中心に立っていた。
「ここは……?」
塔の内部は、外観とは裏腹に無機質な空間ではなかった。浮遊する記録球が無数に漂い、そのひとつひとつが淡く脈打っている。まるで心臓の鼓動のように。
「これは、誰かの……記憶?」
ミーナが指を伸ばすと、ひとつの記録球が彼女の指先に反応して開き、幼い少女が泣きながら空を見上げる映像が現れた。その背後には、崩れかけた都市と、幸福値を表示する大きなホログラム。
「幸福値が低下したため、保護対象から除外——」
無機質なアナウンスが流れる中で、少女の泣き声はどこまでも虚空に響いていた。
「……やめて。こんなの、記録じゃない」
ミーナは拳を握りしめ、記録球から手を離した。
「これが、“幸福”という名の記録の実態なのか……」
ジャレッドが呟く。その顔には怒りと悲しみが入り混じっていた。
「全部、都合のいい幸福だけを残して、それ以外は切り捨てていたんだ……」
彼らが進む先には、巨大な階段があった。階段の先には、記録演算の最深部——《中枢核》がある。
だがその前に、再び《ノア》が立ちはだかった。
「よくここまで来たな。“非記録者”たちよ」
仮面越しの声は冷たいが、どこかに悲しみを帯びていた。
「君たちは、記録なき世界を望むというが、それは混沌だ。人は、自分の心すら信じられなくなる」
「それでも私は、誰かに測られる“幸福”より、自分で選ぶ“悲しみ”の方がいい」
ミーナの声は震えていなかった。強い確信が、彼女の中に芽生えていたからだ。
「ならば——試してみろ」
《ノア》は演算式を展開する。まるで戦場のように、無数の数式と記録データが空間に現れ、攻撃的な形を取って襲いかかってきた。
ルカとフェリクスがそれを迎え撃つ。剣が、盾が、反演算が交差する。ジャレッドの召喚式が空中に新たな防御結界を張る。
ミーナは、記録塔の中枢へと駆ける。その手に握られていたのは、最初に出会った少女——ラナの、記録されなかった手紙だった。
「ラナの言葉を、私はずっと覚えている。数値に残らなくても、忘れたことなんてない!」
彼女が中枢核に触れた瞬間、演算塔が震え始めた。記録球たちが一斉に共鳴を起こす。
「やめろ、何をする気だ!」
《ノア》が叫ぶが、その声は塔の共鳴にかき消された。
ミーナは、中枢核に向かって語りかけた。
「記録なんて、もういらない。……でも、忘れないよ。全部、心で生きる」
その言葉とともに、塔は静かに崩れ始めた。
だが、瓦礫の中で誰もが倒れることはなかった。崩壊したのは、“記録する仕組み”だけだった。
人々の記憶も、繋がりも、失われてはいなかった。
——そのとき、《ノア》の仮面が落ちた。
中から現れたのは、どこかで見た面影のある青年。ミーナが思わず息をのむ。
「……あなたは」
青年は、静かに微笑んだ。
「かつて、私も記録されなかった者だった。だからこそ、記録にすがった」
彼の目には涙が浮かんでいた。
「ありがとう……君が、本当の意味で、救ってくれたのかもしれない」
崩壊した塔の上、空が晴れていく。
光の中で、ミーナたちは再び地上を目指して歩き出す。
記録なき未来へ——それでも、人は歩いていける。
それが、本当の意味での“幸福”だから。




