第39話 幸福共鳴の崩壊
ノルミア演算塔の地下第三層。暗がりに佇む巨大な球体装置の前で、ミーナたちは立ち止まっていた。
「……起動はしていないようだな」
フェリクスが周囲を警戒しながら言った。淡く輝く光子ラインが床を這い、中心に向かって集まっている。ルカが制御卓に手を触れると、わずかに起動音が響いた。
「この塔全体が幸福共鳴の制御中枢だったんだね。ここでエルフィナは、最終的な“記録しない幸福”の概念を演算させた……そのはずなんだけど」
ミーナは球体を見上げながら、背筋を強張らせた。
「今、何か動いてる。すごく……重たい“意思”のようなものが」
その瞬間、塔全体が揺れた。警報のような音が断続的に鳴り、ノードスフィアの外殻がゆっくりと開き始める。
「動力源が起動した!? でも、誰が?」
ジャレッドが叫んだ。光の奔流が放射状に広がり、空中に無数の映像記録が浮かび上がる。ミーナはその中のひとつに目を奪われた。
「……お母さん?」
そこに映っていたのは、かつてのエルフィナ。彼女は涙を流しながら何かを記録していた。
『幸福とは、誰かの中で“共有”されることで意味を持つ。 だれかの行為に対して「嬉しい」「あたたかい」と思える気持ち—— それを数値化するのは、やはり間違っている』
映像はそこで唐突に途切れ、代わりに塔全体に重々しい声が響き渡った。
《幸福共鳴値、異常検出。演算補正中……エラー。再演算開始》
「再演算? まさか、デア・マキナがここに干渉して……!?」
ジャレッドの言葉に応えるかのように、天井から大量の光条が降り注ぎ、塔内が不気味に明滅する。
「みんな、伏せてっ!」
ミーナの叫びと同時に、制御卓が爆ぜた。エネルギーの逆流。 それは記録できないはずの“幸福”を無理やり数値として再定義しようとする外部システムの介入だった。
「くっ、幸福共鳴が……崩壊していく!」
フェリクスが剣を抜き、光の奔流に飛び込む。ルカは残された古文書から、強制停止の刻印を探していた。
「ミーナ、時間を稼いでくれ!」
ミーナは深く息を吸い込み、胸に手を当てた。
——私が感じた、数値にならない幸福。 ——お母さんが遺した、誰かのための“ぬくもり”。
「……そんなもの、数字にできるもんですか!」
彼女は両腕を広げ、《ノードスフィア》の中心へ踏み出す。
その瞬間、装置の中枢に共鳴が生まれた。 淡い光が彼女を包み込み、塔全体の演算が一時停止する。
《感情値“ミーナ”:不定義。幸福値演算不能。停止処理へ移行》
ジャレッドが目を見開いた。 「共鳴を拒否してる……ミーナの中にある“未定義の幸福”が、演算そのものを破壊しようとしてるんだ!」
ルカが起動した刻印術式が装置外郭に走る。
「今だ、終わらせるぞ——!」
全員の声が響いた瞬間、光が塔を満たした。 演算装置は停止し、空間は静寂に包まれる。
崩れ落ちるノードスフィアの残骸の中で、ミーナは力なく座り込んでいた。
「……終わったの?」
フェリクスが頷く。 「デア・マキナの侵食は、ここでは止めた。でも……奴はまだほかの演算塔を狙っているはずだ」
ミーナは立ち上がった。 「だったら——行こう。まだ終わりじゃない」
彼女の瞳には、新たな炎が灯っていた。
「数字で奪われる幸福なんて、私は絶対に、許さない」
次の目的地は、演算塔群の中央制御がある《エウロパ中枢》。 物語は、加速する。




