第37話 風と、誓いと
レヴァレイの地に立ち尽くしていたミーナたちは、風の中に焼け焦げた記憶の残り香を感じていた。だが、それと同時に、新たな意思が、胸の奥に小さくとも確かに芽生えていた。
——幸福を、もう一度、人の手で定義し直すために。
「次は、デア・マキナの演算場を探すのよね?」
荷馬車の背に腰かけたルカが、焚き火を囲む仲間に声を投げた。
「そうだな。演算場は、残留演算域の跡を辿れば高確率で見つかる。けど……」
ジャレッドは少し首を傾げた。
「問題は、その座標を割り出すための記録媒体が現存していないことだ」
「つまり、手がかりゼロ?」
フェリクスのぼやきに、ミーナが小さく首を振った。
「いいえ。一つ、ある」
彼女は自分の胸元にかけられたペンダントを取り出す。エルフィナから引き継いだ記録装置。
「これ……風の塔で見た記録水晶と同期していた。あれが“壊れる前”のレヴェリウスのデータに繋がっているなら……」
「解析できるかもしれない、ってわけか」
ジャレッドが驚いたように目を細める。
「でもそのためには、解析装置がいる。現存してるのは、神機庁か……」
「もしくは、セラノス研究区の遺構」
その言葉に、皆がざわめいた。
「セラノスって……幸福値演算が最初に開発された……」
「そう、あの“幸福の黎明”が生まれた場所」
ミーナの声には、微かな震えがあった。
「もう一度、あの原点に戻るの。そこで、本当の“幸福”の形を問い直すために」
* * *
道中は、かつて神機管理圏の外縁部と呼ばれた地域を抜けていく。
無人の村、草に埋もれた教会、データポールが破壊されたままの通信塔。
そこには、かつて“幸福”という言葉が意味を持たなくなった人々の痕跡が、静かに眠っていた。
「ねえ、あれ」
ルカが指さした先に、小さな石碑があった。風化してほとんど読めないその表面に、ミーナは微かな文字を見つける。
『誰かの笑顔が、わたしの幸福でした』
その言葉に、彼女は胸の奥がふっと温かくなるのを感じた。
「これも……記録されなかった幸福」
誰にも認識されず、数値にもならず、それでもそこに“あった”と証明する想い。
「きっと、それこそが本物なのね」
* * *
セラノス研究区に到着したのは、旅を始めてから二週間目の夜だった。
かつて幸福値システムを設計した中心機関。その外観は崩れかけていたが、地下に残された端末群は今なお稼働状態にあった。
「この空気……どこかで感じたことがある……」
ミーナが言うと、ジャレッドが頷いた。
「ここは“幸福の概念そのもの”を最初に演算した場所だからな。空気に残ってるんだ、当時の演算波形が」
フェリクスが腕を組みながら唸る。
「それ、体に悪くないか……?」
ルカが苦笑したが、ミーナはもう端末に向かっていた。
カレイドスコープを接続する。
……ピッ。
短い電子音とともに、天井の投影面に、揺らめく風景が映し出された。
《レヴェリウス共鳴計画:最終段階》
* * *
「“幸福”とは記録である」
投影された過去の映像の中で、まだ若きエルフィナが言った。
「誰かの微笑みを、言葉を、想いを記すこと。それは人の手でしかできない神事。だから私は、この“記録者の道”を選ぶ」
その言葉に、今のミーナが小さく囁いた。
「……わたしも、そうする」
その瞬間、端末の演算が急激に進行した。
《新規プロトコルを検出しました》
《新・幸福演算モデルを起動します》
《名称:レヴェリウス=アルカイックコード》
* * *
目の前の端末が放つ光が強くなる。
「おい、ミーナ!」
フェリクスが駆け寄るより早く、ミーナの意識が引き込まれた。
気がつくと、彼女はどこか見知らぬ白い空間にいた。
そこには、かつてのエルフィナの面影があった。
「あなたが、次の記録者?」
「わたしは……ミーナ。あなたの記録を、引き継いできた」
「ならば、選んで。幸福は記録されるべきか、それとも……」
ミーナは少しも迷わず言った。
「記録はする。でも、それを“数値”にはしない」
「理由を」
「数字じゃ、人の涙も、祈りも、叫びも測れない。だからわたしは、“忘れない”って決める。誰かの心が、消えないように」
一瞬の沈黙ののち、エルフィナは微笑んだ。
「あなたなら、世界を導ける」
* * *
ミーナが目を覚ましたとき、端末には新たな表示が灯っていた。
《幸福記録形式:アルカイックコード承認》
ジャレッドが目を見張った。
「これが……新たな“幸福記録形式”……!」
ミーナは静かに頷いた。
「さあ、これを携えて行こう。もう一度、“記録者”として」
フェリクスが剣を背負い直し、ルカが無言で笑う。
そしてジャレッドは、ひとつ息を吐いたあと、宣言した。
「次の目的地は——幸福演算の最終拠点、《ノルミア演算塔》だ」
旅は続く。 記されざる幸福の、その先へ——




