第28話 風は祝福を運ぶ
村の季節は春へと移ろっていた。
芽吹いた新緑が風にそよぎ、木々の間から差し込む陽光が小道に金の斑を描く。エルフィナはその光の下、リュカオンのあった遺跡跡地を見下ろしていた。かつて神機が鎮座していた場所は、今ではただの石の広場だ。幸福値の演算も、神の声も、そこにはもうない。
代わりにあるのは、村人たちの話し声。新しい集会所の建設が始まっており、その中心には“幸福の学校”と刻まれた木札が掲げられていた。
「これ、あんたが描いた設計図、村長が気に入ってたわよ」
肩越しに声をかけてきたのはマリアだった。手には図面と手書きの教科案が握られている。
「『笑いの授業』『静けさを感じる演習』『何もしない練習』って……あなたほんとに授業する気ある?」
エルフィナはくすりと笑った。
「あるよ。幸福って、義務じゃないからね。まずは“感じていい”って思えるところから始めないと」
そのとき、遠くから駆けてくる足音。
「エルフィナ!すごいの!リュカオンの水晶が……!」
走ってきたのはラティだった。手には微かに光を宿す“記録水晶”がある。
「なにか……記憶が戻ってるみたいなの。前の、神機の時代の誰かの記録が……」
エルフィナは水晶を受け取る。指先に触れた瞬間、意識の奥に映像が流れ込んできた。
——そこにいたのは、かつての“記録者”だった。
誰かの幸せを測るために、ひたすら数値を記録し続けた青年。 笑顔も、涙も、すべてが数値として扱われ、やがて彼の心は摩耗していった。
「私たちは、幸福を定義するために生まれてきたわけじゃない」
その青年の最期の言葉。
「だからどうか……“感じること”を、忘れないで」
映像が終わる。
「……きっと、これは次の授業に使える」
エルフィナは微笑み、仲間たちに水晶を渡した。
村には徐々に外の人々も訪れるようになっていた。噂を聞いた旅人、交易を求める商人、あるいは自分の“幸福”を見つけたいと願う人々。
その中に、あのジャレッドの姿もあった。
「久しぶりだな」
「またどこかで“影”が動いたの?」
「いや、今回は“光”を見たんだ」
彼は懐から、一枚の紙を取り出した。それは子どもたちが描いた“幸福の風景”だった。誰かと一緒に笑い合う絵。誰かを支える手の絵。数字の一切ない、純粋な感情の記録。
「神はまだ残っている。だけど……もう、この村には必要ないと思った」
「うん。私もそう思う」
ジャレッドは一つ頷いてから、言った。
「君の物語は、ここで終わってもいい。でも……きっとまた、新しい物語が始まる」
「それ、わたしが決めていいのかな?」
「幸福っていうのは、自分で選んでいいってことだろ?」
エルフィナは空を見上げた。
今日の空も、昨日とは少し違う色をしていた。
この世界にはまだ、測れない幸福がたくさんある。 そしてきっと——それを誰かと分かち合える未来が、風のように訪れる。




