第23話 神の器、地に落ちて
夜が明け、村の空は澄んでいた。 だが、私の胸に残った違和感は、消えてはいなかった。
朝の水汲みに向かう道すがら、私は空の一点をじっと見つめる。 昨日の“あの感覚”——
(まるで、誰かがこちらを視ていたような……)
それは幸福値とは異質な“観察の眼”だった。
「エルフィナ!」
後ろから駆けてくる足音。振り返ると、ジャレッドだった。 彼は息を切らしながら、手にした水晶を掲げる。
「これを見てくれ。昨夜、神機の封印領域からノイズが走った」
水晶の中で、淡い波紋が脈打っている。それは神機の“残響”を示すものだった。
「封印したはずでは……?」
「通常の演算は停止している。けれど、深層演算領域——いわば“原初プロトコル”が作動し始めた」
「原初……それって、神機の設計段階の……」
「そう。最も古い神の命令だ。“幸福値が消滅した際の再起動処理”。……まさかと思っていたが、現実に起きてしまった」
私はぞくりと背筋を這う冷気を感じた。
幸福値が消えたことで、神機が“次の段階”へ進もうとしている。
「再起動じゃない。……これは“再創造”だ」
「なにを……創るの?」
「幸福を超えた概念。すなわち——“神性の埋め込み”」
ジャレッドは声を低くした。
「神々の一部は、幸福という数値が消失したことを“管理権の喪失”と捉え、次は“神の意志”そのものを器に刻もうとしている」
私は言葉を失った。
幸福の数値ではなく、“神の命令”を人に刻む—— それはもはや、自由意思の完全な消滅を意味していた。
「……止めなきゃ」
私は呟いた。
「止めるって、どうやって?」
「私が器になればいい」
ジャレッドの目が見開かれた。
「君が……?」
「私は“幸福を視る者”として創られた。でも今、私は“視ない者”になった。数値に頼らない幸福を選べる今だからこそ……神の意志が干渉する前に、“その場所”に立てる」
ジャレッドはしばらく黙っていた。だが、やがて諦めたように、笑った。
「……無茶だ。でも、君ならやりかねないと思ってた」
私は笑わなかった。 それが、怖かったからだ。
神々に選ばれる器になること——それは、おそらく“自我の解体”に等しい。 けれど、それでも誰かの自由を守れるなら。
「お願い、協力して」
「……もちろん」
その日の夕暮れ、私とジャレッドは再び記録遺跡へと足を踏み入れた。
そこには、もう“幸福”の気配はなかった。 だが、その代わりに——
《神性構築プロトコル、開始。記録者適性スキャン中……》
空間に響いた声は、もはや機械音ではなかった。 どこか“神々しさ”すら孕んだ音。
《記録者エルフィナ・サーヴァント、適合率——89%》
「始まった……」
私は足元から伝わる“光の環”の中へ、静かに歩みを進めた。




