第19話 幸福の檻
神機リュカオンの演算停止から三日が経った。
村には穏やかな空気が戻っていた。 ラティと子どもたちは畑の世話をし、マリアは診療所で傷の手当てをしている。 オルステンは相変わらずぶっきらぼうだが、以前よりも笑顔が増えていた。
だが——私は、まだ不安を抱えていた。
(終わっていない気がする……)
胸の奥がざわついている。 神機は停止したはずなのに、幸福値がまた“微かに”視え始めていたのだ。 ほんの一瞬、通り過ぎるような気配。けれど、それは確かに“誰かが幸福値に干渉している”証拠だった。
「……エルフィナ」
診療所に向かおうとしていた私を、ジャレッドが呼び止めた。 彼はもう拘束されてはいなかった。あの一件のあと、彼は村人たちの前で謝罪し、自ら神機の知識を開示している。 彼の姿勢に、多くの者が“罰より共生”を選んだのだった。
「話がある」
私は頷き、彼と並んで歩く。 向かった先は——あの《記録遺跡》だった。
「リュカオンは完全には止まっていない」
遺跡の奥、かつて神機の中枢だった石室で彼は言った。
「“制御コア”は演算停止したが、“影”が残っている。幸福値の演算を別プロセスで再開しようとする自律演算が存在する」
「つまり……幸福の数値化は、まだ終わっていないってこと?」
「……ああ。しかもその影は……“別の誰か”によって呼び戻された」
私は言葉を失った。
「……まさか、それがまた“神”なの?」
ジャレッドは黙って頷く。
「神族の中でも、幸福値を“武器”として使おうとする勢力がいる。彼らにとって、君のような存在は……危険だ」
——私の存在が、危険。 それはつまり、“自我で幸福を決められる者”が、数値に基づいた管理システムを破壊し得るということ。
「幸福の定義が変われば、世界の支配構造も崩れる。神機を完全に眠らせるには……“君の幸福”が鍵になる」
「私の……幸福?」
「神機は“記録者の幸福”を基点に、最終演算をする。君が真に幸福でなければ、神機は演算を終えられない」
——幸福でなければ、終わらない。
私は胸に手を当てた。 自分は今、幸せなのだろうか?
家もある。仲間もいる。優しい人もいる。 けれど——
「自分の幸せが、誰かの不幸の上にあるかもしれないって……そう考えると、怖くなるの」
ジャレッドはしばらく沈黙したあと、小さく笑った。
「君は、本当に記録者に向いていないな」
「……それ、褒めてる?」
「もちろん」
ふたりで顔を見合わせて笑った。
その瞬間、遺跡全体が微かに振動した。 壁のレリーフに埋め込まれた“記録水晶”が光り始める。
「来たか……!」
ジャレッドが身構える。
《幸福演算、再起動。影領域プロセス——開始》
空間に響く機械音。 だがその声は、前回と違い、冷たく、無機質だった。
そして、エルフィナの目に映る幸福値が、また“数値”として復活する——




