第9話 それは人生の価値となる
「俺は魔法使いじゃない。だからあなたみたいな魔法使いと違って、俺は魔法というモノに特別な感情を持てなかった」
「……お前みたいな軍人なら、それも当然だな」
俺が切り出した話に、ソフィアから淡々とした言葉が返ってきた。
この話をすると更に怒ると思っていたが、意外にも彼女の逆鱗に触れなかったらしい。
それとも、もうそれすら反応することも馬鹿らしくなるほど激怒しているのか。
「……怒らないんですね。この話をすると、もっと怒らせると思ってました」
「それは私が怒っていいことじゃない」
そう答えるソフィアの表情は、心なしか悲しそうに見えた気がした。
「そもそも魔法使いではない人間に魔法を愛せという方が無理な話だ。魔法を行使することも、探求することもできない人間にとって、魔法はあまりにも遠い存在だ。だからこそ、魔法を必要以上に神聖視する馬鹿もいるくらいだ。そいつらに比べれば、お前の話は至極真っ当だ」
その点は、彼女も理解があるらしい。
魔法を使えないから、魔法を遠い存在としてしか見れない。
魔法使いじゃない人間にとって、それが普通だ。
世間には、魔法を神様から賜った力だと言って、必要以上に神聖視する人たちがいる。言ってしまえば宗教みたいなものだ。
彼女の反応を見るに、そんな彼らをよく思ってないのかもしれない。
「それにお前は軍人だ。それも戦闘に秀でたお前なら、魔法の悲しい側面を嫌と言うほど見てきたはずだ。圧倒的な力を兼ね備えた魔法を、強力な武器として見てしまうのも当然だ。現に私がお前に向けてることも、その証明だ」
魔法は、様々なことが簡単にできる。
そして、あまりにも人を殺すことに長けている。
こうして彼女から杖を向けられているのが、その一端だ。
剣を振るよりも、魔法は簡単に人を殺せる。
鍛え抜かれた身体も要らない。卓越した戦闘技術も要らない。
ただ魔法を扱うことができるだけで、老若男女問わず、圧倒的な力を持つことができる。
それが魔法の持つ、恐ろしい一面だ。
「あなたの言う通りだ。戦争孤児だった俺は、子供の頃から魔法に特別な感情を持てなかった。どんな高尚な言葉を並べたところで、魔法は便利な道具でしかなく、また強力な力でしかない。それを俺は、たくさん見てきた」
モンスターの討伐、内乱の鎮圧や他国との戦争など、魔法が使われる場面は山ほどあった。
戦闘、治療、索敵など、様々な面で魔法は有効に使われてきた。それが自分たちを生かすために、便利に使われた。
その数々の光景を見てしまえば、魔法を道具としか思えなくなる。
魔法を神様から賜った力だと敬う人たちの気持ちなど、俺には理解できない。
それと同じく、魔法を愛せる魔法使いの気持ちも、俺にはまったく理解できない。
「だから、俺には理解できなかった。ずっと子供の頃から魔法を愛していた俺の親友が、どうしてそこまで魔法を好きだと思えたのか、本当に理解できなかった」
子供の頃から、俺の親友――セドリックは魔法をこよなく愛していた。
「アイツは暇さえあれば魔法の本を読んでいた。新しく知った魔法を試したいからって、よく杖を持ち出してはトラブルを起こして怒鳴られることが多い奴だった」
あらためて思い返しても、彼は本当に魔法馬鹿だった。
そのとばっちりを受けて、俺も怒られることもあったくらいだ。
その時、ふとセリナが呆れた視線を自身の姉に向けていた。
「……ノックスさんの話、どこかで聞いたことある話だなぁ」
「うるさいぞ、セリナ」
不快そうに、ムッとソフィアの口元が歪んだ。
……どうやら俺の親友と似た奴もいるらしい。
どこにでも、アイツみたいな人間はいるんだな。
そんな2人を横目に、俺は苦笑を漏らしつつ話を続けることにした。
「そんな子供だったから、俺の親友は大人になっても変わらなかった。魔法に携われる仕事に就いて、ずっと魔法の研究に明け暮れていた。たまに会った時も、アイツの部屋は魔導書と研究資料で荒れてひどかった」
「……片付けるの、大変だったなぁ」
「うるさい」
このセリナも、随分と苦労していたようだ。
顔を強張らせるソフィアも、魔法使いとしてセドリックと同じ道を歩んでいたらしい。
セリナの苦労を考えると、俺も同情したくなった。
「……そうなるくらい。大人になってもアイツは、ずっと魔法が好きだった。自分の人生の全てを魔法に捧げるくらいに、魔法の話をするのが大好きだった。俺が聞いたところで意味もないのに、ずっと楽しそうに話してた」
そう呆れて俺が話すと、ソフィアが怪訝そうに眉を寄せた。
「ソイツの話、よく聞いていられたな。お前からすれば、魔法の話なんて嫌な思い出しかないだろう?」
ソフィアが疑問に思うのも当然だった。
「確かに、良い思い出はなかった。思い返しても、嫌な思い出しかない。だけど、俺の親友を見ていると、不思議と嫌な気分にならなかった」
「……そうか」
俺にとって、魔法には良い思い出がない。
しかし、親友のことになると、少し違った。
「アイツは魔法の話をしてる時は、本当に楽しそうだったんだ。俺の考えなんて馬鹿みたいだって言いたそうにして、ずっと楽しそうに」
最初は聞くのも嫌だった気がするが、いつの間にかセドリックに振り回されることが多くなった。
魔法の話はまったくわからなかったが、それでも楽しそうに話す親友の顔を見てるのが、当時の俺には楽しかったんだろう。
今にして思えば、そうだったのかもしれない。
「そんな時だったよ。ずっと魔法に人生を捧げてたアイツが死んで、この魔法手記が俺の手を渡った。馬鹿みたいな遺言と一緒に」
「……遺言だと?」
「この本が読める時、きっと俺は魔法が好きになる。それを空の上で見物してるって、そんな馬鹿みたいな話だった」
そう言って、俺が持っている魔法手記に目を向ける。
いまだに、俺はこの手記を読めない。
はたして、この中身にはなにがあるのか。
ふと顔を上げると、ソフィアも興味があるのか、俺の魔法手記をジッと見つめていた。
「その時、俺は思った。本当に今更だけど、魔法のことを知っても良いのかもしれないって」
「本当に今更だな。もっと早く知ろうとしてやれば、その親友とやらも喜んだのに」
「あぁ、本当に。今更だった」
それは同じ魔法使いとしての意見だったかもしれない。
そう話すソフィアの呆れた声に、俺は苦笑するだけだった。
「だから俺は、魔法を知ろうと思った。だけど、その前に……俺は知りたいと思った」
そして、俺がそう切り出すと、ソフィアの目が変わった。
まっすぐ見つめてくる彼女に、俺はありのままの気持ちを告げていた。
「俺は知らないといけない。この魔法手記の価値は、アイツの人生のそのモノだ。俺の親友が自分の人生を全て捧げた魔法は、決して無駄じゃなかったことを知らないといけなかった」
俺がこの店に魔法手記を査定に出した理由。そうするに至った俺の本心は、単純だった。
「だって、そうだろう。俺の親友が人生を捧げた魔法が無価値なわけがない。あれだけ大好きで、魔法を愛していたアイツが自分の全部を捧げていたモノに価値がないなんて……それはアイツの人生に価値がなかったってことにしかならないだろ」
この手記の価値は、セドリックの人生の価値に他ならない。
「アイツの人生は、絶対に無価値じゃなかった。あれだけ魔法を愛していたアイツの人生に、価値がないなんて……俺は絶対に許せない」
今から俺が知る魔法には、俺の親友が人生を捧げるだけの価値があった。
そうなるくらい、魔法は夢中になれる。その価値を生み出すことができるくらい彼の人生は凄かったと、俺は知りたかった。
「俺の親友は、とんでもなく凄い奴だった。そんな奴が愛していた魔法を、俺は知るべきだと思った。下手な魔法使いに見せれば、この研究が盗まれる。だから魔法に最も真摯に向き合ってる人間が多いって聞いたこの街に、俺は来たんだ」
他人の魔法手記を見せることは、その人間に研究を晒すことになる。
その危険性は、俺も察することはできた。
だからこそ、俺は時間をかけて探そうとしていた。
仕事を辞めて、魔法を知るために旅をしようとしたのも、そのためだ。
この手記の正しい価値を査定できる、信頼できる魔法使いを見つけるために。
「あなたに誤解をさせたことは謝罪する。だから信じてほしい。不純な動機じゃない。俺は……ただ本当に、知りたいと思っただけだ。この親友が作った魔法手記の価値を、アイツの人生の価値を知りたい。そうすればきっと、俺はもっと魔法を知りたいと思える気がするんだ」
そう話し終えた俺を、ソフィアが黙って見つめる。
向けられた杖は、相変わらず俺に向いたままだ。
「……本当に、お前は馬鹿な男だ」
そして、しばらく経つと、おもむろに彼女が深いため息を吐いていた。
「こんな馬鹿げたことをしたのが、そんな子供じみたことだとは思わなかった」
「自覚はしてる。怒られてもしかたない」
「わかってるならやるな。馬鹿者が」
そう言うなり、ソフィアが面倒そうに頭を掻く。
「先に言わせてもらう。研究というのは完成するまで無価値なものだ。過程なんてものに興味を持つのは、同じ研究者だけだ。その真なる価値は、完成してはじめて生まれる。だからお前が持っている手記も私にとって価値あるものかもしれないが、他人からすればゴミにだってなりえる。それをわかってるのか?」
「わかってる。そういうものだってことくらい。それでも俺はあなたみたいな魔法使いにとって、この手記がどれほどの価値があるかを知りたいんだ」
「本当に頑固な奴だな。わざわざ知る必要もないことだろう。その手記の価値は、お前自身が決めるべきものなのに……」
「それでも、俺は知りたい」
頑なに知りたいと懇願する俺に根負けしたのか、ソフィアが肩を落とした。
そして杖を下ろすなり、彼女はカウンターの近くにあった椅子を指差していた。
「……その椅子をこっちに持って来い。いつまでも客を立たせるわけにもいかないからな」
「それは、つまり?」
「金にならない仕事を押し付ける我儘な客の相手をしてやると言ってるんだ。嫌ならさっさと帰れ」
ドカッと音を立てて、心底面倒そうにソフィアが椅子に座る。
そんな不機嫌そうな彼女を前に、俺は急いで近くの椅子を運ぶことにした。