第7話 人間には、必ず痕跡が残る
ソフィアから言い当てられたことが、ただ外見を見ただけでわかるはずがない。
「たったそれだけのことで、わかるはずが……」
そう思わざるを得なかった俺が、無意識に呟いてしまう。
しかしソフィアから返って来たのは、相手を小馬鹿にしたような失笑だった。
「これも魔法と同じだ。魔法という事象を生み出す術式にも、人間と同じく歴史がある。過去の偉大な魔法使いたちが費やした途方もない時間は、決して消えることはなく、その術式に刻まれている。だからこそ積み重ねた時間で形を作る全ての物には、そうなるに至った痕跡が必ず残る」
そう語るソフィアの話は妙に小難しかったが、それでも彼女の言いたいことはわかった。
俺には、魔法の話がまったく理解できない。しかし人間という生き物には、その人間が生きてきた歴史という名の痕跡が残っているらしい。
「……だから俺にも、その痕跡があるとでも言いたいのか?」
彼女が見ただけでわかる痕跡が、俺にもある。
とても信じられる話ではなかったが……俺の問いに、ソフィアは失笑交じりに応えていた。
「その点で言えば、お前はわかりやすかった。ここに来た時、お前の足音は奇妙なほど静かだった。無意識でそこまで私生活に所作が紛れ込むのは、そうすることを強いられる環境に身を置いていたからだ」
「歩き方が静かな人間はたくさんいる。それで俺が軍人だったなんて――」
「人の話は最後まで聞け。お前が訊いてきたから、この私がわざわざ答えてやってるんだ。それともなんだ? 今この場でお前をぶちのめしても良いんだぞ?」
俺に杖を向けたまま、ソフィアが不快な表情を見せる。
彼女との距離は、歩いて10歩程度。店の出口までは、約5歩と言ったところ。
この距離は、魔法使いの領分だ。おそらく俺がなにか行動をする前に、彼女が魔法を使う方が早い。それをわかっているから、彼女も自分の方が優位だと思っている。
それは間違いない。仮に戦っても、俺が接近する前に彼女が魔法を使う。それは逃げようと同じだ。
もし魔法使いとしての実力が低ければ、俺にも太刀打ちできる可能性はあるが……目の前にいるソフィアを見る限り、それは無理そうだ。
軍人として生きてきた俺の勘が言っている。この女とは、真っ向勝負をしても絶対に勝てないと。
彼女から感じる強烈な威圧感、そして杖から感じる明確な殺意が、問答無用に俺の生殺与奪の権利を握っていると理解させられる。
「その足音を立てない歩き方は、礼節を必要とする人間が自然と持つ特性で、普通の人間には必要ない習慣だ。たったこれだけでお前が貴族階級以上の人間か、もしくは礼節を重んじる側の人間だと絞れる」
「……」
ただの歩き方ひとつで、そこまで見透かされるとは思いもしなかった。
驚きのあまり言葉を失う俺だったが、彼女から続けて語られる話に、俺は更に驚くことになった。
「まるで1本の線を描いたその姿勢も綺麗なものだ。随分と相手に非礼を見せない立ち振る舞いを強いられてきたんだろう。たとえ貴族でも、そこまで自分を律せる人間は少ない。そうなるのは常に目上の人間が周りにいる環境に居たからだ。そこから絞れるのは、貴族に仕える人間か規律を遵守しなければならない立場の人間……つまり軍人だ」
「それだと商人の可能性もあるんじゃないか?」
「馬鹿なことを言うな。お前ほど綺麗な振る舞いは商人風情が真似しても無理だ。商人が見せる客への敬いは気質が違う。自分の方が立場が下と見せる態度は、貴族や軍人のようなものとはまったくの別物だ」
そう言って、ソフィアが俺が提示した可能性を否定する。
彼女の言う通りだった。客に商品を買ってもらう商人が見せる態度は、張り付けた笑顔や相手に取り入ろうとする態度が目に付く。軍人とは気質が違う。
我ながら、あまりにも愚問だった。
「……お姉ちゃん? それだけだとノックスさんが軍人だったって決めるのは難しくない?」
その時、ふと今まで黙っていたセリナが、なにげなく尋ねていた。
見た目とは違って、意外とこの子は肝が据わってるな。この緊迫した状況で口を開くとは思わなかった。
そんなセリナを横目に、ソフィアは気怠そうに答えた。
「そこまでわかった上で、あとはその男の身なりが教えてくれた。清潔そうな外見、それなりに小奇麗な服は、ある程度の金を持っている証拠。服の上からでもわかる均整の取れた鍛え抜かれた無駄のない身体。腰から下げた剣と指の付け根にできたマメ、それに手の荒れ方は、戦闘職の人間が持つ特徴だ」
「確かに、そう言われたらそうかも……?」
セリナが半信半疑で話を聞いているが、俺はゾワッとした寒気を感じていた。
無意識に、ソフィアから指摘された箇所を見てしまう。
軍人は、その仕事柄か給金は良い。だからそれなりに金は持っている。
この身体も、剣士として剣を扱う以上は鍛えるしかなかった。毎日、飽きもせずに剣を振っていたから、今も手のマメも消えずに残っている。
本当に彼女の言う通り――この身体は、俺という人間の人生を物語っているのかもしれない。
「でもお姉ちゃん? 今の話でもノックスさんが軍人さんだってわからないよ? だって貴族のところで働いている人たちにも強い人がいるって聞いたことあるよ?」
セリナの疑問に、ソフィアが首を横に振った。
貴族の中には、護衛を兼ねて仕えている人間がいると聞く。貴族の階級が高いほど、その手の人間が多い。
俺も、そのうちのひとりだと判断できる可能性もあるのに、なぜか彼女はそれを否定していた。
「それはない。この男は私もはじめて見た人間だ。この街に住む貴族に仕えている剣士は、あまり多くない。わざわざこの街まで出向かせた可能性もあるが、ここまで腕の立つ男が仕えているなら必ず貴族は護衛として近くに置きたいと思うはずだ」
「……まるでこの街の貴族に仕えてる人間を全員知ってるみたいな口ぶりだな」
「全員とまでいかないが、私も貴族とは会う機会は多い。今までの記憶を思い返しても、私はお前を見たことがない。そう考えれば、お前はこの街の人間じゃないと判断できる」
こんな辺鄙な街外れで店を営んでる人間が、貴族と会う機会なんてあるのか?
それに俺を見たことがないと言っているが、それもまるで今まで会った人間を全て覚えているような口ぶりだ。
にわかには信じられない。そんなことを全て覚えている人間がいるとは思えるはずがない。
「それらの情報を踏まえて。最後にお前の剣を見れば、もう確信できた。お前は軍人だったと」
「……俺の剣?」
「お前の持ってる剣、それは遠方の東国で主に使われてる細身の剣だ。その柄に模られた不死鳥のような紋様は、その軍である程度の階級を持った人間だけに授けられる物だと聞いたことがある。そんな人間が、この街に単身で来るわけがない。よって軍役を終えた人間と思えるが、お前の見た目は若い。つまり理由があって退職した人間と判断できる」
だから俺が元軍人とまで、このソフィアは察したのか。
この剣も、絶対に捨てるなと軍を辞める時に同僚達から言われていた物だ。
品質も良く、切れ味も良いから使うことにしていたが、こんな剣ひとつでここまでバレるとは……
「その反応を見るに、全部正解だな?」
「……あぁ、合ってる。当たり過ぎて、あなたのことが怖いとすら思ってるくらいだ」
「それは結構なことだ。下手に舐められて抵抗されると面倒だからな。こうして杖を向けてるのに、お前は一切抵抗しない。この距離では、流石のお前でも私に勝てないとわかっているからだ。その判断ができる時点で、お前は腕が立つ剣士とわかる」
言い立てることが全部正解で、少し腹が立ってきた。
しかし、今の俺にはなにもできない。些細なキッカケでもない限り、この状況を変える手はない。
「さて、余計な話はここまでだ。本題に入ろう。今からお前は、私の怒りを鎮めないといけない。殺されたいなら話は別だが」
そう思いながら俺が顔を歪めていると、唐突にソフィアの杖がほのかに光り出した。
それは明確に、俺を殺すという意思を放っていた。
「あぁ、先に言っておこう。今から訊くことは、単純だ。お前の下手な言い訳なんて聞くつもりもない。ここまでの話を思い返せば、どうしてお前がその魔法手記を売りに来たのかも察してる。今から私が訊くことは……その本心だ」
続けて語られた彼女の話は、流石の俺も聞き流せなかった。
「……俺が、この手記を売りに来た理由がわかるだって?」
「わかるから訊くんだ、馬鹿者。今から訊くのは、そうなるに至ったお前の本心を聞きたいからだ。なぜお前が、その手記に刻まれた魔法の価値を知りたいと思ったのか、その本心を言え」
まさか、それすらも彼女が言い当てるとは思わなかった。
堂々と断言する彼女に、俺は呆然と言葉を失っていた。