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第1話 魔法を知ろうとした日



 昔馴染だった親友の葬儀は、驚くほどあっけなく終わった。


 葬儀に訪れていた参列者たちがひとり、またひとりと去っていく。


 聞こえていた嗚咽も、足音も、そのうち聞こえなくなった。


 気がつくと、静けさだけが残った墓地で、俺はただ呆然と真新しい墓標を見つめていた。



「……ノックスは、泣かないのね」



 ふと、背後から声をかけられた。振り向かなくても、その声がセドリックの母だとわかった。


 はたして、その憂いが混じった掠れ声には……どんな意味が込められているのだろうか。


 25歳という若さで死んだ親友の墓を前にして、ひとつの涙も流さなかった俺を責めているだけなのか。それともあわれんでいるのか。あるいは、その両方なのか。


 そのどちらにしても、俺みたいな人間が考えたところで答えが出るはずもない。


 今の俺に言えることは、これだけだった。



「泣きたくても泣けない自分が……こんなにも情けないと思ったことはありません」



 どれだけ悲しいと感じて、この胸が張り裂けそうになっても、俺の身体は淡々と親友の死を受け入れている。


 それがなによりも、情けなかった。



「こんな時でも、あなたは感情が出せないのね」


「……はい」


「セドリックが言ってたわ。軍人は誰よりも辛い思いをする大変な仕事だって。それだけ、あなたも辛い思いをしてきたの?」


「どうでしょう。今まで色々なことがあり過ぎて、わからなくなりました」



 彼女の言う通り、これはずっと軍人として生きてきた弊害へいがいなのだろう。


 成人してから10年。18歳の頃から今日まで軍人として、俺は生きてきた。


 軍人は、嫌でも誰かの死と巡り合う仕事だ。


 村や街を襲撃してきたモンスターの討伐に駆けつければ、逃げ遅れた民の亡骸を見ることもあった。


 また危険な任務や戦争でも、昨日まで元気だった同僚たちが次々と死んでいく光景を見せつけられた。


 何人も、何十人も、数えきれないほどに、軍人は他人の死を見てしまう。


 そんな数多くの死を見せつけられて、きっと俺の心は慣れてしまったのだろう。


 いつの間にか、誰かの亡骸を見ても動じなくなっていた。今まで湯水のように溢れていたはずの涙も、知らないうちに枯れたらしい。


 他人の死に感情的になればなるほど早死にする、なんて教訓が軍にあるくらいだ。おそらく、これが軍人としてのあるべき姿なのだろう。



「これだけは言えます。たったひとりの親友が死んでも泣けない俺は、人間として大事な物が壊れてる。あなたに責められても仕方ありません」


「責めるつもりなんてないわよ。少なくとも私が見た限り、あなたは誰よりも悲しい顔をしているわ」


「……えっ?」



 予想外だった言葉に振り返ると、彼女は優しく、そして悲しげに笑っていた。



「わかるわよ、ノックス。あなたのことは、私も子供の頃から知ってるわ。あなたは私たち家族に並んで、誰よりも息子のセドリックをいたんでくれた。だからこそ、きっと私の息子は一番の友人だったあなたに……これを託そうとしたのね」



 そう言うと、おもむろに彼女が懐から1冊の手帳を取り出した。


 擦り切れた革の表紙はボロボロで、角も丸くなっている。


 そんな古びた手帳を、なぜか彼女は俺に差し出していた。



「これは……?」


「それはね、セドリックの持っていた魔法手記よ」


「魔法手記って……まさか、あの」



 魔法を使わないノックスでも、魔法手記という名前は耳にしたことがあった。


 魔法使いの中には、魔法の研究してる人間が多い。そんな彼等が自身の研究成果を盗まれないために、独自の暗号を用いて研究内容をまとめた手記を肌身離さず持ち歩いていると。


 つまり魔法使いにとって、魔法手記は命と同じくらい大切なものだ。他人の手に渡るくらいなら燃やすとまで言われている。



「俺は魔法使いじゃない。それなのにこんな大事な物を、どうして……」



 まさかそんなものを渡されるとは、夢にも思わなかった。



「それは私にもわからないわ。セドリックは何冊も魔法手記を持っていたけど、ずっと言っていたの。もし僕に何かあった時は、必ずノックスに“この手記”を渡して欲しいって。しつこいくらい何度も言ってたわ」


「セドリックが、俺に……?」



 これまでの記憶を思い返しても、セドリックからそんな話をされた覚えなどない。


 そもそも魔法手記は、魔法使いの人間が持ってこそ意味のある代物だ。


 それをわざわざ俺に渡そうとする意図が、まったく見当もつかなかった。



「魔法の研究なら魔法省に提出すれば多少は金になるかもしれない。それに研究が評価されたらアイツの名前だって有名になる。それは魔法使いにとっての名誉だ。それくらい、あなたも知ってるはずでは?」



 亡くなった親友の遺した魔法手記など、俺が受け取って良いはずがない。


 そんな大事なものは、然るべき人間が持ってこそ価値がある。


 そう思った俺に、セドリックの母はわざとらしく肩をすくめていた。



「ノックスの言う通り、魔法使いにとって……この魔法手記は命と同じくらい大切なものよ。こういう日が来るときに備えて、魔法使いの私たちはあらかじめ遺した魔法手記をどうするか決めてるの。セドリックの場合、あなたに渡すこの1冊を除いて、残った手記は私たちが保管するって決めていたわ」


「それならそれも……」


「ダメよ。これはあの子の遺言なの。この手記はノックスが持っていなさい」



 断ろうとしたが、半ば強引に彼女から手記を押し付けられた。


 実際に持ってみると、思っていたよりもボロボロだった。かなり使い込んでいたらしい。それだけ大事にしていたのだと一目で分かった。



「……いや、返しますよ」


「返すもなにも、それはもうあなたの物よ。もう私に受け取る権利はないわ」



 俺が手記を差し出しても、彼女は受け取ろうとしなかった。


 その毅然とした態度が、絶対に受け取らないことを物語っていた。


 どうやら彼女の意思は、かなり固いらしい。


 これ以上の押し合いが無駄だと悟ると、俺は渋々と受け取るしかなかった。心なしか、俺が受け取るとわかるなり、彼女の頬が綻んでいたような気がした。



「あと、セドリックから伝言よ」


「……伝言?」


「えぇ、その手記を渡すときに、絶対伝えて欲しいって頼まれたの」



 アイツからの伝言とは、一体なんだろうか。


 そう思いながら俺が言葉を待っていると、彼女はどこか呆れた表情で告げていた。



「ノックス。この手記が読めるようになったら、きっと君は魔法が好きになるはずだ。ずっと魔法を道具としか思ってなかった君が魔法を愛する姿を、空の上で笑って見物してる……だそうよ」


「はい?」



 あまりにも突拍子もない伝言に、俺は呆気にとられた。



「あの……それ、どういう意味ですか?」


「どういう意味もなにも、言葉通りでしょう?」


「いや、意味不明なんですけど」



 たった今聞かされた親友の伝言を思い返しても、まったく意味不明だった。


 なんで俺が魔法を好きになる必要があるんだ? 



「ノックスにとって、今も魔法は道具としか見れないの?」



 俺が困惑していると、おもむろにそう訊かれた。


 その問いに、俺は迷うことなく答えた。



「魔法使いじゃない俺にとって、魔法はただの道具です。どんな言葉を並べたところで、それは変わらない事実だと思ってます」


「昔から変わってないわね。セドリックとまるで正反対。そこまでハッキリと言われると、ちょっとだけ悲しいわ」


「……すみません。魔法使いの前で言う言葉ではありませんでした」


「いいのよ。私から聞いたことだから」



 魔法使いからすれば、俺の考えは悲観的すぎる自覚はあった。


 だが実際、魔法が便利な道具である事実は変わらない。


 火を起こすことも、水を生み出すことも、様々なことが魔法を使えるだけで簡単にできてしまう。これを便利な道具と思わない方がおかしい。



「そんなあなただから、変わってほしいって思ってたのかもね。自分と同じように、ノックスにも魔法が好きになってほしいって」


「……一体、それに何の意味が?」


「意味なんてないわよ。ただ相手に自分の好きなモノを好きになってもらいたい、それだけのこと」



 そう嬉しそうに言われても、俺にはよくわからなかった。



「だからセドリックは、その手記を渡したかったのよ。なにが書かれているかは私にもわからないけど、その中身はきっとあなたが魔法を好きになるだけの価値がある代物かもしれないわ。それだけの研究を、息子が遺した」


「ちょっと待ってください。この中身、見てないんですか?」


「見てないわよ。そもそも魔法手記は簡単に中身がわからないように作ってるの。簡単に読めたら、隠してる意味がないでしょ?」



 そんな代物なら、余計に俺が持っているわけにはいかないだろう。


 だが返そうとしても、受け取ってくれる気配は微塵もなかった。



「……俺なんかに読めるわけない」



 なにげなく魔法手記のページをめくってみると、よくわからない言語が書かれていた。


 字が汚いなどではない。単純に、見たことがない文字だった。


 ダメだ。これだと俺には読めそうにない。



「どうやって読めば良いんですか、これ」


「それを考えるのが、あなたの役目よ。それを含めて、その全部があなたが魔法を好きになるキッカケになるって息子は言いたかったのかもしれないわ」


「……アイツ、死んでも面倒事ばっかり起こしやがって」


「昔からそういう子だったじゃない。特にあの子は」



 間違いない。昔からセドリックは、そういう男だった。


 子供の頃から、俺と違って誰よりも魔法が大好きだった変わり者。


 大人になっても、子供みたいに魔法を愛していた変人だ。


 そんな奴が俺に託したこの手記には、一体なにが書かれているのだろうか。


 本当に、俺が魔法を好きになるだけの価値があって。セドリックが人生を捧げるだけの価値があったのか。



「少しくらいは、調べても良いかもしれません。それがセドリックの遺言なら」


「それがあなたにとって、いい結果になることを祈っているわ」



 今更ながらに、魔法を知っても良いかもしれない。


 そう思いながら、俺は受け取った魔法手記を懐にしまった。

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