第5話 瀬川さんと紫帆さん
営業時間が終わった漫集喫茶店内のカウンター席。紫帆さん、そして瀬川さんに挟まれた状態で、俺は座っていた。それから紫帆さんの作ったナポリタンを三人で食べている。
これは一体どういう状況だ? ふたりがなんらかの知り合いであるということはわかった。この感じ、かなり親しい仲なのだろう。でも、だったら、なぜお互い隣に座らない。なぜ俺を間に挟むんだ?
「でも、高峰くんが透花の知り合いだとは知らなかった。あっ、でもそうか。透花、マンガの編集だもんね」
「わたしのほうこそ、まさか高峰先生が紫帆の店でバイトしてるってことは知らなかった」
「ってことは、じゃあ、透花が高峰くんの担当ってわけ?」
紫帆さんに訊かれた瀬川さんだったが、瀬川さんは黙ったまま。その代わり、今度は俺のほうに鋭い視線を向けた。この鋭い視線を感じた瞬間、俺の体は一瞬ピクッと震える。
「……はい、そうです……」
結局俺が言う羽目になってしまった。瀬川さん、俺の担当かと訊かれて急に黙ったあたりを見ると、やっぱ怒ってるな、これは。それはそうか。俺が全然ネームを出してこないから……。
瀬川さんが怒っている様子を想像しながら、ひとりビクビクしていると、何やら別の視線がこちらに向いてるように感じた。そちらの方向に顔を向けると、紫帆さんの優しく微笑んだ顔が目に入る。
「ごめんね、高峰くん。透花が担当で大変でしょ? まったく、愛想がなさすぎるのよ、この娘は。あっそうそう、わたしと透花はね、高校大学の同級生なんだけど、昔っからぶっきらぼうでね、しかも文学かぶれだから、ほんと理屈っぽいの。社会人になってから少しはマシになったと思ったんだけど」
「文学かぶれで理屈っぽくて、おまけにぶっきらぼうで悪かったね」
「だから、そういう態度。言われたからってムキになるとかじゃなく、上手い言い方で受け流せばいいのに」
「だから、悪かったねって、謝ったじゃない」
「そんな風に聞こえない」
「もういい、いや、そんなことより、コーヒー出してもらえる? わたし、一応客なんだから」
「もう営業時間は過ぎてるのですが、お客様」
「悪口言われたんだから、少しは大目に見てよ。それにさっきまでの会話を録音してるから、言うこと聞かなきゃ名誉毀損で訴えるからね」
そう言うと、瀬川さんはスマホを片手に録音アプリの画面を紫帆さんに見せた。
「ほんとあんたって娘は。さっきは謝ったって言って、今度は悪口言われたからとかさあ、言ってることが真逆じゃない。しかも録音なんて」
「わたしだって、パワハラやセクハラに遭う可能性もなくはないから、可能な限り録音する癖をつけてるの。別に紫帆の前で録音しようとかいうつもりはなかったんだけど、つい癖でね。いいでしょ? 別に紫帆のこと信頼してないわけじゃないから。だから、気を悪くしないで。つい癖が出てしまったの。そう、癖よ癖。」
「わかったわかった。淹れてあげるから、ちょっと待っててね」
紫帆さんはそう言うと立ち上がり、早速コーヒーを淹れる作業に取り掛かった。瀬川さんがつい癖で録音してしまったっていうのはわかったけど、紫帆のこと信頼してないわけじゃないってところ、なんか引っかかるんだよな。なんでだろう? あっそうか、この信頼に俺が入ってないってことか。えっ? ってことは、俺のこと信頼してないってことか? もしかして、俺との会話全部録音されてる? 嫌だよ!
「はい、どうぞ」
紫帆さんは小さな白いカップをカウンターに置いた。瀬川さんは早速手に取ると、コーヒーを啜る。
やっぱきれいだよな。瀬川さんの横顔を見て、俺はつくづく思った。瀬川さんと紫帆さん、高校からの親友か。こんな美女ふたり、いや美少女ふたりがいる高校だったら、俺も通ってみたかったな。
それにしても、ほんと対照的なふたりだよな。まあタイプの違うふたりだからこそ、こちらからすればより刺激的でいいんだけど、でも、何がきっかけで仲良くなったんだろう?
疑問といえば、もう一つ。なんで俺、瀬川さんのことは苗字で呼んで、紫帆さんのことは下の名前で呼んでんだろ? 紫帆さんに関しては頭の中で言ってるだけだけど、リアルでは紫帆さんのことなんて呼んでたっけ?
「高峰くん、コーヒーどうぞ」
俺の目の前にコーヒーを入れたカップが置かれた。俺はカップを置いた手の方角に顔を向けると、紫帆さんの顔が目に入る。まさにご聖母と言わんばかりの優しい表情。そんな彼女が丹精を込めて淹れてくれたと思うと、思わず涙を流しそうだ。ではまず、一口啜ってみよう。
ふぅ〜、美味しい。
「うん、やっぱ美味しいです。ナポリタンも美味しかったですけど、このコーヒー、食後にピッタリって感じですね。ただ、この前淹れてくれたコーヒーとちょっと感じが違います」
「良かった。美味しいって言ってもらえて。高峰くん、あまり苦いの得意じゃないって言ってたじゃない。だけど、アメリカンばかり出すのもどうかと思って、アメリカンをベースにちょっとブレンドしてみたの。正直不安だったけど、気に入ってもらえてホッとした」
紫帆さんはそう言いながら、胸を撫で下ろした。
「これもまあ美味しいけど、個人的にはもっと苦いほうがいいかな」
「ちょっと透花。せっかく淹れたのにさあ、そんなこと言われたら凹むんだけど」
「いいじゃない。わたし客なんだから」
瀬川さんは容赦なく、コーヒーの感想をぶち撒ける。瀬川さんと紫帆さん、ふたりが口喧嘩してる様子を見てると、なんだかとても羨ましくなってしまった。そうだ。俺にはこんな感じで喧嘩できる友達っていたっけ?
「透花はさあ、ほんとデリカシーないよね。ないって言うか、なさすぎる」
「別に気を使う必要ないじゃない。客なんだから、正直に答えてるだけ。そこは素直な娘ねって言ってほしかったな」
「ねえ、高峰くん。こんな編集で大変でしょ? パワハラとかされてない?」
「そんなことしてない」
「透花には訊いてない。高峰くんに訊いてるの? どうなの?」
紫帆さんは瀬川さんと話すときとは打って変わって、優しく微笑んだ顔を見せる。でも、なんか怖い。思わず顔を逸らすと今度は瀬川さんの顔が目に留まった。鋭い視線がこちらを向いている。ははははっ、超怖いんだけど。
「……いや、あの〜、え〜、普通に接してもらってると思います」
「ほら、高峰先生もそう言ってるじゃない。パワハラなんかしないよ」
「えっ、なんか動揺してたみたいだけど。脅してないよね?」
ははははっ、あんな鋭い視線を向けられたら、もうこう言う以外ないよね。ほんとはあのときの甘いもの地獄のことを言いたかったけど、瀬川さんのあの表情見たら言えないよ、これは。言ったら不味いという本能レベルの恐怖が脳からの指令で体全体に伝わったと思うから、今後もあのことは言えないだろう。恐らく。
「脅したりするわけないじゃない。だったら、もうすでにクビだと思うけど」
「そう理屈っぽいと、彼氏作ったりとか結婚できないよ」
「それは余計なお世話。それにそもそも、彼氏とか結婚とかの恋愛といった類いのものは、結局何かの縁の問題だと思うから、自分でどうこうできることじゃないと思うの。それにさあ、付き合ってるとか付き合ってないとか、恋愛が当たり前って価値観があまりに古すぎ。多様性と言われてる今現在に、そんなこと言うのは良くないと思う」
「ごめん、今のは悪かった。確かに恋愛って巡り合いだもんね。それにここ最近恋愛する若者が減ってるってのは、ニュースやネットでも散々聞くことだから、実際そうなんだろうなって思う。でもね、この前お客さんとして来てた大学生の女の子たちの会話を聞いてて思ったんだけど、ほんとはどっかでみんな恋愛求めてるんじゃないかって思うの。自分の気持ちを素直に出せない、そんなセンシティブな時代になってるからこそ、みんなフィクションのほうに恋愛を求めてるのかもしれない。ほら、ここのところさ、恋愛ものの漫画やアニメすごく流行ってるじゃない。そこに表れてるのかなって、個人的には思ってるんだけど」
なるほど、漫画やアニメにおいて、ここ最近恋愛ものやラブコメが流行ってるのは気づいていたが、こういった背景があるとはあまり考えてなかった。漫画家として、参考になる話だな。
「なるほど、流石元業界関係者ってだけあるね」
「……」
元業界関係者? 紫帆さん、漫画かアニメ業界に携わってのかな? でも、紫帆さん、一瞬暗い表情になったような気がする。訊くのは不味そうだな。俺つい余計なこと言っちゃうから、これはやめとこう。
「透花、ほんとにごめんね。個人の恋愛観勝手に押しつけちゃって。恋愛するしないとか個人の自由なのにね。世の中のこと、よく見れてなかったのかも」
紫帆さんが申し訳なさそうな表情をして謝っていたのだが、瀬川さんのほうはクールな雰囲気そのままでただ訊いている。
「だったら、これ、紫帆の奢りでいいよね?」
そう言うと、瀬川さんの眼鏡から一瞬強い光が放たれた。
「わかった。じゃあ、これは奢りにするね」
「奢ってくれるんだったらさ、もう少しなんか食べさせてくれない? わたし、まだお腹空いてるの」
「これ以上は店の奢りにはしないけど」
「いいじゃない。わたし昔っからここの太客なんだから」
「太客って、ここホストやキャバクラじゃないんだけど」
「いや、変わんないでしょ。だってここの客の大半が男で、その男たちの大多数が紫帆目当てで来てるようななもんじゃない。喫茶店と名前はついてるけど、もうこれって実質キャバクラじゃん」
「それって透花の感想だよね。わたし、そうは思わないけど」
「いやいや、そんなこと言ってさ。ホントは自覚あるんでしょ? なんかそういうところが鼻につくんだよね」
「わかったわかった。じゃあ、他にも作るからさ、で、何がいいの?」
「じゃあ、何にしようか? う〜ん、あっ、もう夜だし、じゃあお酒とか」
「うち喫茶店だよ」
「そうじゃなくてさ、お店閉めたあとに従業員や身内とかで飲む用の奴、まだあるでしょ? ボトルのストックあるとか前言ってたじゃん」
「そんなこと言ってたっけ。もう、この娘は……まあ、いいか。じゃあ、準備するから、ちょっと待っててね」
ははははっ、ここまで聞いてて改めて思うけどさ、瀬川さん、超図々しいな。親しき仲に礼儀ありって言葉知らねえのかな? ここまで厚かましいと逆に笑っちゃう。
いやあそれにしても、リアルにここまでキャラ立ってる人もなかなかいないからさ、せっかくだし、瀬川さんを主人公に漫画描けないものかな? 絶対いいネタだよな、これ。崖っぷちの新人漫画家にとって恰好のネタだと思うし、描いたら絶対面白いと思うんだけど、担当が瀬川さんだし、名前変えたとしてもバレるか、これ。やっぱやめとこう……ははははっ。
「高峰くんってお酒飲めるんだっけ? 良かったら一緒に飲まない? おつまみもなんか作るからさ」
俺は顔を上げると、ボトルを持った紫帆さんの優しい笑顔が目に入った。それから横に目を向けると、待ってましたと言わんばかりに、瀬川さんはクールに微笑んだ。
なんか悪い予感がする。そんな漠然とした不安に包まれながら、これから俺はふたりの美女と酒の席に同席することとなった。