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第1話 描けない日々から冒険へ

 俺はタブレットに表示されている、真っ白なキャンバスと向き合っている。タッチペンを片手にお互い睨み合ってる状態だ。タッチペンの先を画面に近づけるのだが、結局何も描かずにキャンバスから離れてしまう。

 頭を掻きむしりながら、この状態が何時間も続いていく。これに我慢できなくなったのか、俺は突如、両手の手のひらで机を思いっきり叩いた。

「描けない……」

 ひどく焦った顔をしているであろうこの俺は高峰遥斗(たかみねはると)。漫画家だ。漫画家といっても、まだデビューして二ヶ月ばかりしか経っていない新人である。

 俺は勉強やスポーツなど特に取り柄がないのだが、子供の頃から漫画を読むのが好きで、それもあって漠然と漫画家を目指したというか、まあそれで大学を卒業する二ヶ月ほど前に、賞応募用に描いた短編が佳作に選ばれ、月刊誌に掲載されたことで、一応漫画家としてデビューしたという形となっている。

 しかし、この二ヶ月の間、まったく漫画が描けていない。漫画が描けないどころか、ネームさえろくに描けていない状態である。

 それは当然といえば当然だ。特にこの漫画を描きたくて漫画家になったわけではなく、金持ちになれそうだとか、モテそうだとかいう不純な動機で漫画家を目指したわけなのだから。

 あの佳作に選ばれた短編だって、自分の好きな漫画を所々パクって、それを繋ぎ合わせて誤魔化しただけの、劣化版の完全な贋作なのだから、そりゃあ次の漫画が描けるわけがない。

 漫画が描けないということは、つまり収入がまったく入ってこないということ。週刊誌や月刊誌に自分の漫画が載らないことには、原稿料がもらえない。収入がないということは無職、ニートということとまったく変わらないということである。

 俺は今まさに、生活費という切実な問題に直面している。就活をまったくやらずに大学卒業する少し前にデビューしたため、当然どこにも就職していない。それどころか漫画を描くのに集中したいということで、バイトさえやっていないのだから。

 この状態もそろそろまずいと思い始めて、まず最初に浮かんだのはアシスタントの仕事だった。俺は自分の担当編集がついた段階で、何人かの漫画家の先生の仕事場を見学したことがある。いろいろと学ばせてもらおうと行ったわけだが、そこで働くアシスタントのあまりの画力の高さを見て、完全に自信をなくしてしまった。その記憶が頭の中に蘇り、頭を思わず横に振った。

 見学した仕事場の中には、アナログで描く現場もあった。いわゆるGペンを使って描くというやつだ。俺は生まれてGペンを持ったどころか、アナログで漫画を描いたという経験がない。今の俺がもし採用されても、絶対足を引っ張る。Gペンで描けとか言われたらなおさらだ。必ず初日でクビになる。絶対無理だ。

 だが、漫画家としてのスキルを活かせる仕事が他にあるのだろうか。俺はスマホを取り出して、早速調べてみる。

 絵を描く仕事といえば、真っ先に思いつくのはイラストの仕事だろう。イラストレーターの求人を調べたあと、SNSなどに投稿されてるイラストをいろいろ見ていった。落書きのようなイラストも多少見かけるが、いいねやリポストの多いイラストは、どれもレベルが高い。プロのイラストレーターはもちろん当然だが、素人のレベルもかなり高く、プロ並みやどうかしたプロよりも明らかに絵が上手い人たちも大勢見かけた。この中には中学生や高校生などの十代の若者もざらにいる。

 イラストを見た限り、デジタルがほとんどで、アナログもちらほら。その他、明らかにAIが生成したものであろうイラストも結構見かける。AIの絵は絵の素人や目の肥えてない人たちからすれば、もう神絵師とほぼ変わらないぐらいのクオリティーだ。

 今こうしてSNSに投稿されてるイラストを見ていって、よく自分の画力で漫画の賞に入選できたものだと不思議に思う。所々パクって描いたものだし、ストーリー自体いいものだとはとても思えない。

 イラストやアニメ関係の仕事以外、絵を描いて収入を得られる仕事はほとんどない。知名度も低くスキルも劣るどころか、AIを使えば誰でも気軽に絵が生成できるようになり、絵師の仕事がなくなるのではないかと言われる時代となってしまった。著作権の問題など議論があるなか、商業としてなかなか使えないのが今の現状だが、それでも絵だけ描いて食ってくのが険しい道だということに変わりはないだろう。

 じゃあ、他に自分は何ができるのだろう? 空っぽに近い脳みそをフル回転させて、いろいろと考えてみる。

 学生時代にコンビニや清掃のバイトぐらいしか経験のない俺にとって、結局できることはほとんどない。大学も三流私大文学部卒、理系の知識もなく就活もほとんどやってこなかった。こんな自分を採用してくれるところなんてほとんどないだろう。そして、漫画が描けない。

「ああ、人生詰んだ……」

 俺は天井を見上げて、薄ら笑いを浮かべる。完全に諦めモード、人類ただ一人、この俺だけが世界の終末にいる、まさにそんな気分に陥っていた。

 しかし、ふと子供の頃に読んでいた漫画と、そのときの記憶が頭の中に蘇る。週刊少年◯◯、これを毎週読むのを楽しみにしていて、逆境にもめげず自分の信じる道へ突き進む主人公たちに、心を躍らせていた。

 ……そうだった。俺はこんなピンチのときこそ、乗り越えようと前を向く漫画のキャラたちに憧れていたのではなかったのか。

 俺はこの気持ちを久しく忘れていたことに気づいて、漫画の登場キャラのごとくキザっぽく笑った。

 たかが二ヶ月ちょっと漫画が描けないだけで、よくまあここまで落ち込むものだと、こんな自分にひどく呆れてしまった。だって、よく考えてみろ。今すぐ命の危険が差し迫ってるほど深刻な状況ではないだろ。世界では今でも戦争や飢餓で死んでしまう人なんてたくさんいるんだから、それに比べたらどれだけ恵まれていることか。俺は自分自身にそう言い聞かせた。

 このことは当然真実だと思う。しかし、これは自分自身を元気づけるための口実としての意味も含まれる。だからこそ、自分の置かれてる今の状況に背を向けることはできない。

 俺は再び自分自身と向き合う。俺には一体何ができるのだろうか? 今まで生きてきた時間を振り返ってみて、自分自身が誇れるものは何か思い浮かべてみる。そして、すぐ頭に浮かんだことは、漫画の賞で佳作に選ばれたことだった。つまり、自分ができることといえば、結局漫画を描くことだけなのだ。だが、その漫画を描くことができなくなってしまった。それはなぜなのか?

 まず考えられることといえば、他の漫画家と比べてしまい、モチベーションが低下してしまっていることが理由にあげられる。他の漫画家の絵の上手さやストーリーの面白さに自信をなくすのはよくわかる。でも、誰もが最初から上手かったわけではないはずだ。それに絵が下手でも売れてる漫画家はいるわけなのだから、絵が下手であっても佳作に選ばれたことには、それなりに理由があったはず。せっかく佳作に選ばれデビューもできたわけなのだから、ここで描くのをやめてしまうのは、本当にもったいない。多くの応募作の中から俺の描いた漫画が選ばれたのだから。

 こうやって自分自身に語りかけていくことによって、少しずつ自身を取り戻していく。こうして漫画を描くモチベーションは上がったものの、描けなくなった根本的な問題が解決していないことに変わりはない。この描けなくなった根本的な問題とは一体なんだ? 別に絵が描けなくなったとか、そういうわけじゃない。犬の絵を描け、女の子の絵を描け、ロボットの絵を描けと言われたら、下手なりには描ける。ということは、つまり、ストーリーを考えることに問題があるというわけだ。だが、どうすればいいのだ? 問題が解決したと思ったら、また新たな問題が出てきて、モチベーションが急激に下がってしまう。

「ストーリーが思い浮かばないんじゃ、マンガは描けない。マンガを描くこと以外、特に経験やスキルのないおれは、この先どうやって生きていけば……あっ!」

 そうだ。他に経験がないからこそ、ストーリーが作れないんだ。なぜこんな簡単なことに気がつかなかったのだろう。

 つまり社会経験がないのが原因で知識がなく、それが理由で漠然と浮かんできたアイデアを具体的な形に表現できないでいる。これが漫画が描けない根本的な原因というわけだ。

 そう、だから何か別の経験を積めば、問題が解決される……かもしれない。

 だがなぜ、ここまできて、俺は前向きになれないんだ? 原因はもうわかったのだ。

 確かに知識や経験がないからといって、漫画が描けるわけじゃない。漫画家として食ってくならなおさらだ。でなければ、この世の中、漫画家であふれかえってる。

 でも、これは自分が前向きになれない本当の理由ではない。本当の理由なんて、とっくにわかってる。

 怖いんだ。自分の知らない世界に行くのが怖い。引っ込み思案な俺は、漫画を描く、描くふりをするぐらいしか、ほとんど何もやってこなかった。俺なんて無能だ。そんなことわかってる。そして、俺は臆病者だ。

 脳内が自嘲的思考でいっぱいになる。だがしかし、こんな俺に誰かが突然声をかけてくる。声が聞こえてくる。それは俺が今まで読んできた、俺が心底憧れる漫画のキャラたちの言葉だった。どのセリフも、絶体絶命のときに出てきたものばかり。

 彼らのセリフを思い出すと、俺は思わずニヤリと笑った。

 そうだよな。こんな無能で臆病な俺でも、漫画家としてのチャンスをつかんだんだ。自分の知らない世界が怖いってなんだ? たかが社会科見学みたいなものだろう。漫画の主人公が経験する危険が隣り合わせなことでもあるまい。冒険気分でいろいろ経験してみれば、ストーリーもそのうち思いつくだろうし、もしかしたら、漫画の主人公のようにヒーローになる瞬間がくるかもしれない。このまま何もしなければ、俺の人生は確実に終わるのだから。最初は身近なことでいい、簡単なことでいいから、取り敢えず漫画の主人公になりきって冒険に出かけてみよう。それにいっそ、この冒険譚を漫画として描いてもいいかもしれない。漫画家が漫画を描くための冒険譚を。漫画を描くために冒険に出る。俺は今日、そう決断した。

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