ねぇ、土の中から出てるのって人の頭だよね?
目の前に見える土の中から何かが覗いている。
夏美は田舎にある古き良き郷愁漂う家の敷地にある庭を歩いていた。庭の隅の方まで来ると土の中から何かが出ているように見えたので近づいてみた。
「おい夏美、何してるんだ?」
その声に全身を大きく上下させた。
「うわぁっ⋯⋯もうびっくりさせないでよ、お兄ちゃん」
振り返ると夏美より3歳上のお兄ちゃんが立って不思議そうな顔をこちらに向けていた。
夏美は地面に向かって指を指す。兄は夏美の指の方に顔を向けた。
「⋯⋯えっ? ⋯⋯何あれ⋯⋯?」
「私も分からない⋯⋯」
それは土から10センチメートルほど出てる黒い何か。
兄は一歩前に足を出したが、上半身は大きく後ろに仰け反っている。
10分ほど私たちはその何かと格闘すると、兄が意を決してしゃがんで確認した。
夏美は喉をゴクリと鳴らした。
兄は目を細めて言葉を漏らす。
「⋯⋯あたま⋯⋯?」
「えっ?」
夏美は強い磁石で引っ張られるように兄の顔を見た。そのまま目の前の何かを視界に入れないように兄を見続ける。
「あれ⋯⋯人の髪の毛じゃないか? しゃがんで見てみたけど、髪の毛がたくさんあるように見えるんだよね」
兄はこちらに顔を向けた。兄の顔は血の気が引いて真っ青になっていた。夏美も同じような顔になっていた。
夏美は兄の腕を手で掴むと後ろに引いた。
「やばいって⋯⋯」
「夏美、これはいつ見つけたんだ?」
「⋯⋯さっき⋯⋯お兄ちゃんは最近庭で変だなって思ったことあった?」
「いや、全然⋯⋯」
夏美たちは必死で記憶を探り始めた。住んでいる家の庭に毎日は来ない。2人の記憶を重ね合わせて、いつからあったのか考えたかった。
どれくらい日にちが経っているのか気になる⋯⋯。
「これ、お母さんに言ったほうが良いよね?」
夏美は兄の腕を掴んだまま聞いた。
「⋯⋯いや⋯⋯まだ聞かないでおこう。あれが本当に人の頭だったら、誰かが殺していることになる」
「⋯⋯ということは家族の誰かが人を殺して埋めたってこと?」
「まだ、可能性なだけだ。だけど、もしそうなら⋯⋯母さんは危険だ。この庭を1番いじっているのは母さんだ」
兄の言葉に夏美の心臓がドクンと跳ねる。
花が好きな母は春になってから毎日のように庭をいじってるのを夏美は見ていた。いろんな所にレンガで区分けして四角い土の中に花を植えていたりする。
さっきまでは色とりどりの綺麗な花に見えていたが、今では日焼けして色褪せた写真のように見える。
夏美は目にすべての神経を集めるようにして家の中に視線を移した。台所の窓が空いている。耳を澄ますと、トントンと一定間隔の音が聞こえる。
母は夕飯の準備をしているようだ。
母が私たちがあの頭を見つけたことを知ったとして、殺した手口が刃物だったら、口封じに包丁で刺されて殺されるかもされない⋯⋯。
夏美の父は庭には一切感心を向けていなかった。ただ、興味があってもなくても人を庭に埋めることは出来る。
人を埋めるくらいの穴を掘ることは大変な作業だろう。それを考えると、父のほうが可能性は高いかもしれない。
もしくは父と母が協力していたら⋯⋯口封じに夏美も兄も殺されるかもしれない。
夏美は泣きそうな顔を兄に向けた。
「とにかく今日は何も見なかったフリをしよう。証拠を掴まないといけない。でもバレたら殺されるかもしれない」
「分かった⋯⋯」
何も見なかったフリはとてもじゃないが夏美には出来なかった。兄の提案で夏美はお腹が痛いフリをした。
実際に夏美は食欲はほとんど無かったから自然に振る舞えただろう。
夏美は兄と共に家に入り父と母を刺激しないよう努めた。2人に変わった様子はない。
夕飯は正直何を食べているのか分からなかったが、途切れることなく食べ物を口に運んだ。
夕飯の終わりがけに母が口を開いた。
「夏美と悠太、今日は宿題あるの?」
「うっうん、私は漢字ドリル」
「俺は数学の問題集」
「じゃあ、ちゃんとやりなさいね」
「分かった」
「俺も分かった」
私も兄もこれでもかと言うくらい頭を大きく振って頷いた。
■
次の日学校から帰ってくると、夏美はランドセルを自分の部屋へと放り投げて、他の部屋を家見回った。
母の姿も父の姿もなかった。
夏美は慌てて母の部屋を覗く。急いで入ると部屋の物の位置を良く見渡す。
探すのは手紙や写真だ。
夕飯の後、夏美はすぐに兄の部屋へと駆け込むと庭で見たあれの事について小声で話した。誰を殺したのか見当もつかないので、もしかるすと夏美や兄が知らない人ではないかと話を結んだ。
そして次の日は夏美のほうが帰ってくるのが早いので、兄の帰りを待ちながら母の部屋を探ることにした。
夏美は引き出しを開いては閉めていく。洋服やクリップ、ペンなどが出てくる。しかし肝心の物は出て来ない。
すると、玄関のほうでガチャガチャと金属音が聞こえる。
夏美は勢いよく引き出しを閉めると、部屋が入った時と変わらないか確認して部屋を出た。そして玄関まで走る。そこには兄の姿があった。
「なんだ、びっくりさせないでよ」
「悪い、母さんはいないの?」
「うん、出掛けているみたい」
夏美たちは母の部屋へと向かった。向かう途中で引き出しをいくつか開けたことを兄に伝えた。
「そしたら押入も見てみるか」
「うん、気をつけてね」
兄は押入をそっと開けた。手前には押入の上の方に突っ張り棒をつけていて洋服がハンガーにかけてあった。
下の方を見ると奥にも何かしまってありそうだった。兄はしゃがんで押入の下の部分に身体を縮こませて入っていく。
私はそれを後ろから見ている。
「紙袋がいくつかある。1つずつ開けるな」
「うん、お願い」
私は後ろを振り返って誰もいないことを確認する。音がしたらすぐに部屋の外に出ないといけないからだ。音もこの部屋以外からは聞こえない。
兄は2つ目の紙袋を見ている。兄からペラペラと紙をめくる音が聞こえてくる。
「これも違うな。最後の1つだ」
私は兄の背中を見つめている。
「んっ? なんだろう?」
兄からさっきとは違う声音が聞こえてくる。
「何か見つけたの? なんて書いてある?」
私の真後ろで畳に何かが擦れる音がした。
「あんたたち、そこで何してるの?」
私は飛び上がった。
しかし驚きすぎると声が出ないものだ。
代わりに私の身体がびくんと反応した。
兄は固まっている。
「何探してるの?」
先ほどの質問の時より少し苛ついたように固い声が聞こえる。
「ごめんなさい!」
私は身体から力を振り絞って声を出した。
「母さん、俺が悪いんだ! 夏美は殺さないで!」
母はそれを聞いて眉をひそめた。
「⋯⋯あんたたち、いったい何の話をしてるの? 正直に話しなさい」
夏美は尻もちをついた。すると兄の隣にやってきた。夏美はすかさず兄の腕にしがみついた。
兄は庭での話をし始めた。
「だから人の頭みたいなんだ。もしかして父さんが殺したのかな?」
それを聞いた母が口を大きく開けて笑い始めた。
「そこまで気になるなら、話してあげるわ」
■
母は話を始めた。
それは高校時代―。
母は美容師になりたかったと言う。
それで母の父―祖父は反対の一点張りだった。母は本気を示そうとしてカットの練習用の首から上だけのヘッドマネキンと呼ばれるものを買ったそうだ。
「当時はそういうのが全然なくて、専門店に行って買ったんだけど、1つ2万円もしたのよ!」
母はしみじみと言った。
美容専門学校に行く、と母。
絶対に反対、大学へ行け、と祖父。
話は平行線のままだった。
どちらも引かないので毎晩言い争いになった。
そのうち言い争いが過熱して母は「家を出ていく」と言った。
その日の夜に祖父は庭にスコップで穴を掘ると、そのヘッドマネキンを土の中に埋めた。
「私は埋められたのが本当に悔しかったの」
それで母は朝早くに掘り出して縁側に置いた。
すると夜にまた祖父が土の中に埋める。
それが何日か繰り返された。
だが、その戦いはあっけなく終わる。
祖父は倒れたのだ。
あれだけ強さの象徴だと思っていた祖父がベッドの上で力なく横たわっているのを見て、母は諦めたそうだ。
「あれから埋めっぱなしだったの」
それから母は心を入れ替えて勉強し、大学受験をすると、合格した大学に通った。その後は近くの会社に勤め始めたのだ。
「そこであなたたちのお父さんと出会ってね――」
母は悠太を産んで、夏美がお腹に出来ると祖母から「こっちに帰ってきたら? 体力は大分落ちたけど、子どもの世話の手伝いくらい少しは出来るから」と説得されて、今座っているこの家に戻って来たそうだ。
この家に帰ってきた時も母はもうベッドマネキンを探そうとはしなかった。
進んだかもしれない美容専門学校。その先には美容師と言う資格があって、職業がある。晴れて美容師になったとしたら、父には会わない可能性のほうが大きかった。
あの時、祖父に止められて大学に行き、初めの会社に入ったから父と会ったのだ。そして悠太が産まれて、夏美が産まれた。
その目の前にいる2人がいない人生になっていたかもしれない。そう思うと、祖父があの時止めてくれてよかったなと長い時間をかけてようやくそう思えるようになったのだ。
だが、それを祖父に言ったことは無い。
なんとなくわだかまりがあって言いづらかったのだ。
そこに廊下から足音が聞こえる。
「なんだ、帰ってたのか。智子の部屋で皆、何をやってるんだ?」
祖父が眉間に皺を寄せながら、部屋の中へ声をかけてきた。
それを合図に夏美と悠太は勢いよく立ち上がり、鬼ごっこのように全速力で走って出て行った。
そうするとそこには母と祖父だけになる。
押入の前に座っていた母は祖父の方を見た。
「お父さん⋯⋯ありがとう」
「何の事だ? ⋯⋯今日は寿司屋に行くぞ」
そう言って祖父はそのまま廊下を歩いていった。
母の手には美容専門学校の入学案内が握られていた。祖父はたしかにそのパンフレットに視線を移した。
しかし話に出さないで言ってしまったのだ。
――お父さんは強情ね。美容専門学校のことをあんなに反対していたもの。こんなに時が経っても美容専門学校を反対する姿勢はそのままなのね。
もし、私がいつか美容師になりそこねたことを後悔することがあったら、私はお父さんを責めてしまうかもしれない。あの時、反対されたせいだって。
たしかに長いことそうやって思ってた時期もあった。
でも今は反対してくれたことを感謝しているの。
それに私は歳を重ねて気がついてしまったのよ。
ずっと頑固おやじの分からず屋だって思っていたけれど、それはわざとだったんでしょう?
お父さんはずっとその姿勢を変えずに死ぬまで、私の人生を変えてしまった責任を取ろうとしてくれているんだよね?
強情なお父さん。
でも、責任感が人一倍あるお父さん。
お父さんは昔から私の機嫌を取ろうとする時に“寿司屋へ行こう”って寿司屋に連れて行ってくれたわね。
初めはあからさまな機嫌取りに私は腹を立てていたけど、今ではそれも少し愛おしく思うの。
だって私が初めてイクラを食べた時にすごく美味しそうに食べているのを見て、私よりもお父さんはとても嬉しそうに笑顔になっていたのを憶えているわ。
それから美味しそうなイクラを見つける度に買ってきてくれたわね。
お父さんは不器用な人だから一度好きだと言うとずっと買ってきてくれるの。自分から好きなものを聞けなくて、それでも喜んで欲しいって思っているのね。
たまたま見てしまったお父さんの手帳にイクラの美味しいメーカーや買える場所などイクラについてたくさん書いてあって、その文字の上から丸罰がつけてあった。その文字がびっしり書いてあるページの一番上に“智子イクラ大好き”と書いてあったのを見てしまったの――。
母は立ち上がり祖父の背中を追って部屋を出る。
「ねえ、お父さん。お寿司屋でイクラ食べても良い?」
「あぁ、好きなだけ食べろ」
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