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¶05 貸しひとつ

 二人が村の広場に差しかかると、真ん中に立つ石造りの井戸が目に入った。その周りでは女性たちが水を汲み、子どもたちが走り回っている。木製のテーブルには果物が並べられ、近くの男性が木彫りの細工をしているのが見える。


「こういう場所、あまり来たことがないな。」


 ハルトがつぶやくように言った。


「じゃあ、都会育ち?」


 アリシアが興味を引かれたように尋ねる。


「どうだろうな。都会というより、ただ慌ただしい場所だった気がする。」


 ハルトは曖昧に答える。


「ふぅん……何か隠してるの?」


 アリシアの視線が少し鋭くなる。


「隠してるっていうか、話すほどのことでもないさ。」


 ハルトが軽く笑って流すと、アリシアは呆れたように目を細めた。


「まあ、いいわ。それより、宿は向こうよ。」


 アリシアが指差した先には、小さな木造の建物が見える。


 二人が宿の前に到着すると、建物の入り口には小さな看板が掛けられていた。手書きで「宿屋」と書かれているそれは、素朴な雰囲気を漂わせている。


「これが宿か。」


 ハルトが建物を見上げながらつぶやく。


「そうよ。食事付きで1泊2銀貨くらいだと思うけど……」


 アリシアが言いかけたところで、ハルトが何かを思い出したようにポケットを探り始めた。


「そうだ。肝心なことを忘れてた。」


 彼はポケットから日本円の紙幣を取り出して見せた。


「これじゃ、さすがに使えないよな?」


 アリシアはその紙幣を見つめ、わざとらしく肩をすくめた。


「まさかとは思ってたけど……やっぱりお金持ってないのね。」


「いや、転移してきたんだぞ? 持ってるわけがないだろ。」


 ハルトは苦笑しながら紙幣をしまった。


「無一文で宿に泊まるつもりだったなんて、信じられない。」


 アリシアの声には苛立ちが混じっていた。


「何とかする方法を考えればいいだろ?」


 ハルトが飄々と答えると、アリシアは深い溜息をついた。


「その『何とか』が信用できないのよ。」


 アリシアは少し厳しい口調で言い放つ。


「……保証人になってくれないか?」


 ハルトが冗談めかして言うと、アリシアは冷たい視線を向けた。


「……本気で言ってるなら、ここで置いていくわよ。」


 ハルトは笑いながら手を挙げ、「冗談だって。」とだけ言った。


 二人は宿の扉の前で立ち止まり、ハルトは考え込むように顎に手を当てた。


「で、どうするの? 無銭宿泊でもするつもり?」


 アリシアが腕を組みながら尋ねる。


「さすがにそれはまずいだろ。」


 ハルトは目を閉じて少し考え込んだ後、アリシアに目を向けた。


「仕事をするってのはどうだ?」


「仕事?」


 アリシアが首を傾げる。


「例えば……掃除とか力仕事とか。宿の主人に相談してみれば、何かしら頼まれるだろ。」


 ハルトは軽く肩をすくめながら答える。


「現実的ではあるけど……あなた、本当にそれをやるの?」


 アリシアが疑わしげに尋ねる。


「この状況でやらない理由はないだろ。」


 ハルトは淡々とした口調で答えた。


 アリシアはしばらく彼を見つめた後、杖を軽く突きながら小さくため息をついた。


「本当に不思議な人ね。」




 扉を開けると、木の温もりが二人を包み込む。室内は簡素な造りながら、暖炉の火が心地よい明るさを灯し、木のテーブルには花瓶に生けられた野花が揺れている。壁に掛けられた乾燥ハーブや絵画が、どこか家庭的な雰囲気を醸し出していた。


 奥のカウンターにいた中年の女性が、二人を見て優しく微笑む。


「いらっしゃいませ。今日は泊まりですか?」


 アリシアが軽く会釈して言う。


「はい。一泊お願いしたいのですが。」


「お部屋は一つ空いています。それでよろしいですか?」


 女性は帳簿を閉じながら言った。


 ハルトが一歩前に出て丁寧に話し始める。


「すみません。少し事情がありまして、支払いの相談をしたいのですが。」


「支払い?」


 女性が首をかしげると、ハルトは少し苦笑いを浮かべた。


「正直に言うと、今持ち合わせがなくて。代わりに何か手伝えることがあれば……。」


 その言葉にアリシアが大きくため息をつく。


「いいわよ、交渉しなくて。」


「なんだ、何かまずかった?」


 ハルトが首をかしげる。


「お金なら私が出すわよ。」


 アリシアは冷ややかに言いながら、ポーチを軽く叩いた。


「最初に言ってくれよ。それなら話が早かったのに。」


 ハルトが苦笑すると、アリシアは肩をすくめる。


「あなたがどうするのか見てみたかっただけ。」


 アリシアはカウンターの女性に向き直り、礼儀正しく話しかける。


「お部屋はいくらですか?」


「一泊二銀貨です。」


 女性は柔らかな笑みを浮かべながら答える。


 アリシアはポーチから銀貨を二枚取り出し、カウンターに置いた。


「これでお願いします。」


「ありがとうございます。それでは、お部屋の準備をしますね。」


 女性が鍵を用意し始める。


 ハルトがアリシアに振り返り、小声で言う。


「助かったよ。本当に感謝してる。」


「貸しにしておくわ。」


 アリシアがそっけなく答える。




「二階の奥があなた方のお部屋です。暖炉もありますし、今の時期なら寒さもしのげますよ。」


 宿屋の主人の優しげな声に、ハルトは軽く頭を下げた。


「ありがとうございます。」


 丁寧な言葉と共に、鍵を受け取る。木製のプレートに括り付けられたその鍵は、小さく磨耗した金属製で、長く使われてきたことを物語っていた。


 主人は続けて、アリシアに視線を向けた。


「お夕食はどうなさいますか?まだ時間はございますが、追加の銅貨で用意できますよ。」


 アリシアは少し考えるようにして、ハルトを振り返った。


「どうする?」


「……いや、いいよ。今日は休むだけで十分だ。」


 ハルトは軽く首を振り、アリシアの財布にさらに負担をかけることを避けた。


「かしこまりました。何かございましたら遠慮なくお声がけくださいね。」


 宿屋の主人は微笑みながら、二人を見送った。




 部屋へと向かう階段を上がりながら、ハルトはふとアリシアに問いかけた。


「銀貨2枚ってさ……感覚的にはどれくらいの価値なんだ?」


 言葉を選びつつ、間接的に尋ねる。


「感覚的に?」


 アリシアが怪訝そうに振り返る。


「ああ、例えば……普通の食事だといくらくらいするんだ?」


 ハルトは軽く肩をすくめながら言った。


「一食なら、だいたい銅貨1〜2枚くらいね。銀貨2枚なら普通に生活してる人たちにとってはそれなりに大きな出費よ。」


 アリシアがさらりと答える。


「そうか……。」


 ハルトは少し考え込むように頷いた。宿代がそれほど高価ではないにせよ、彼にとっては重い借りだという思いが募る。


「そんなに気にすること?」


 アリシアが半歩後ろを振り返る。


「いや、ただ……こういうの、どうやって返すべきかなって思ってさ。」


 ハルトは正直に言いながら、少し眉をひそめた。


「借りを作るのが嫌いなの?」


 アリシアの声には、少しだけ興味が混じっていた。


「嫌いというか、気になる性分なんだ。いずれ何かで返すよ。」


 ハルトが肩をすくめて言うと、アリシアは小さく笑った。


「その時は期待してるわ。」




 二人が部屋の前に立つと、ハルトは鍵を持つアリシアをちらりと見た。そして、軽く肩をすくめて口を開く。


「俺と同じ部屋だけど、気にしないのか?」


 その問いに、アリシアは少し意外そうに眉を上げた。


「どういう意味?」


「いや、普通、男と同じ部屋になるって嫌じゃないのかって話。」


 ハルトは扉を指さしながら、軽い調子で続けた。


 アリシアは鍵を差し込みながら肩をすくめる。


「別に気にしてないわ。信用してないとは言わないけど、何かあれば杖で叩くだけよ。」


「物騒だな……。」


 ハルトは飄々と笑みを浮かべたが、どこか肩を落とすような仕草を見せた。


「逆に、あなたのほうが気にしてるんじゃない?」


 アリシアが冷静な目で彼を見つめる。


「まあ……一応、気にはなるよな。失礼がないようにはしたいし。」


 ハルトは少し真剣な表情で答える。


「意外と律儀なのね。」


 アリシアは鍵を回し、扉を開けながら静かに呟いた。


 部屋の中は、暖炉の火がぽかぽかと空間を暖めており、シンプルながらも落ち着く雰囲気が漂っていた。二つのベッドが窓際に並び、小さなテーブルが部屋の中央に置かれている。


「ここならしっかり休めそうだな。」


 ハルトが部屋を見渡しながら言う。


 アリシアは荷物をベッド脇に置きつつ、冷静に答えた。


「最低限、休息できるだけで十分よ。」


 ハルトは窓際に歩み寄り、外を見ながら軽くつぶやいた。


「しかし、この村……なんというか……。」


「何を警戒してるの?」


 アリシアが椅子に腰掛け、ハルトを見つめた。


「警戒というより、ただ気になっただけだよ。この感じ、何かが隠れてそうでさ。」


 ハルトは飄々とした調子を崩さず、言葉を続けた。


「余計なことに首を突っ込まないほうがいいわ。」


 そう返すアリシアの声には少し冷たさが混じっていた。

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