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失礼ですが、恋をしましょう

作者: 猫田ねこ

 恋は素晴らしいものだ。

 何故なら、恋愛は相手がいないと始まらない。星の数ほど恋をしろ。心は誰にも縛られない。


 若いころ浮名を流していた祖父の話の中で、一番胸に残っているのがこの言葉だ。


 許嫁なんていませんけど、という態度であちこちの令嬢に手を出し、はては町娘、踊り子、舞台女優から遠い国の王女とも恋を楽しんだという。

 どこからが真実で嘘なのかわからないけれど、結局祖父が結婚した相手は、何も言わずに花嫁修業をしていた許嫁だった。


 どうして結婚したのかと聞けば、祖母曰く政略結婚だからよ、と冷めたものだったが、祖父曰く彼女は実直で純粋な人だから、ということらしい。


 その時は言葉の意味がよくわからず、祖母の不機嫌な顔しか知らないというと、祖父は照れ屋だから仕方ないと肩を竦め、本当は愛情深い女性なのさ、と気取ったように片目を瞑った。

 どうしても祖母の不機嫌顔が頭に浮かび、納得いかなかったが、祖父の目がいつもより優しかったので、私は不満やら何やらを胸の奥にしまっておいた。


 ひとは弱い生き物だから、精神的に誰かに寄りかかっていないと駄目なんだ。


 祖母と喧嘩するたび、祖父はそんなことを口にして私を外に連れ回した。

 無断で連れ回すものだから祖母の怒りをまた買うというのに、祖父は懲りることなく、寧ろ探しにきた祖母を見て嬉しそうに笑う。


 私は祖母の怒った顔が恐ろしくて顔を背けてしまうのに、祖父は宝物を発見したかのように瞳を輝かせるのだ。


 祖父は私を肩に抱き上げ、祖母の説教を笑って聞いている。やがてそんな祖父に呆れたのか、祖母はため息をこぼした。

 それが合図となり、ではこのまま三人で逢引しよう、と祖母の手を取って祖父が歩き出す。


 祖母と喧嘩した祖父が私を連れ出し、探しにきた祖母の説教が終わったら、三人で日が暮れるまで遊ぶ。これがいつもの流れだった。

 その時だけほんの少し、いつも不機嫌顔の祖母が柔らかい横顔を見せる。

 この瞬間が、私はなんだか好きだった。

 ぎゅうと胸が締め付けられて、気恥ずかしくて、だけど見ちゃいけないものを見たようで口許が窄まる。


 私はその顔を誰にも見られたくなくて、祖父の首に顔をうずめるのだ。

 いつも不機嫌な顔の祖母は怖くて苦手だけど、その横顔は好きだった。

 だからいけないとわかっているのに、私は好きな物を買ってあげようという祖父の誘い文句に乗って街へ飛び出す。


 一度だけ内緒話をするように、そういう時の祖母が好きだと、祖父に告げたことがある。

 毎日そうだったらいいのに、と愚痴をもらす私に、祖父は私の頭を乱暴にかき回して、それは無理だと言った。


 どうしてと首を傾げれば、祖母を独占していいのは俺だけだからな、とにんまりと笑う。

 また、祖母が周りに優しくしていたら、集まった人の分まで祖母の関心がいく。そうしたら三人で遊ぶことさえできなくなるかもしれんぞ、と続けた祖父に、それは嫌だなと思った。

 祖父が真剣な顔で、祖母の横顔は二人だけの秘密だぞと小指を立てるので、私も真剣な顔でうんと小指を絡ませた。


 それから一年、私が六歳の年に祖父が亡くなった。


 大好きな祖父の死に、私は一週間も泣きじゃくっていたという。

 買ってもらった人形を見ては泣き、二人で歩いた廊下を通れば泣き、絵本を見ては泣き、とにかく祖父と思い出のあるものを見ては大泣きしていたそうだ。

 そのころの記憶が曖昧なのは、泣きすぎて熱が出ていたせいであるのだろう。

 祖母も悲しかっただろうに、寝台で横になる私の頭を撫で、寝ずに看病してくれていたらしい。

 しばらく経って祖父のことを聞けば、亡くなって清々したと口では言っていたけれど、祖母の顔は相変わらず不機嫌で、あの時の横顔を見ることはなかった。


 私は淡々と日々を過ごし、十六歳になった。

 そのころになると祖母は体調を崩し、寝たきりの生活が続いた。

 気分のいい日は外へ出掛けたり、庭で刺繍を縫ったりしているけれど、殆どを寝台で過ごした。

 瞼を閉じる祖母の近くに座りながら、私はぼんやりと三人で遊んだ日々を思い出す。


 祖父の笑い声、祖母の横顔、眩しい夕暮れ。


 祖母はあの時間をどう思っていたのだろうか。

 ふと気になった私は、庭で小さなお茶会を開いた時、祖母に聞いてみた。

 祖母はいつもの不機嫌顔をちょっと崩し、だけどすぐに戻して花壇を見つめた。


 何かを思い出すように目を細め、そっと瞳を閉じる。

 怒らせてしまったのだろうかと狼狽する私に気付くことなく、あの人はわたくしに負い目があったのです、と祖母は語り始めた。


 若いころ、結婚する前、二人は公式的な社交場に出掛けることはあったものの、それ以外で共にいたことがなかったらしい。

 義務ゆえに近況を綴る手紙を送ってはいたが、祖父から返事が来ることも、誕生日のお祝いの一言も、ましてや贈り物さえもらったことがなかった。


 最終的にどういうわけか結婚することになったのだが、結婚後も子育てや婦人会の誘い、屋敷の仕事と忙しく、祖父も祖父で領地の視察や王城での仕事で昼間に時間が空くことがなかったらしい。

 けれど部下が十二分に育ち、屋敷も長男の嫁に任せられるようになった二人は、暇ができてしまった。


 結婚してすぐ御子を授かった祖母は、二人の時間をどう過ごせばいいのかわからない。

 祖父はくだらないことばかり言って祖母を怒らせるし、今更共に過ごさなくてもいいだろうと孫の教育に逃げた。

 だけど祖父は諦めなかった。何とか祖母と出掛けようとあの手この手を使い、最終的に孫を使って祖母をおびき出すようなった。

 祖母も最初は激しい剣幕で怒鳴り付けていたらしい。あのころも十分に恐ろしかったが、その比でなかったという。


 どうしてこんな真似をするのかと、大切な孫に何かあったらどうするのだと祖父に詰め寄った。

 けれど祖父は祖母の両手を握り、こう言ったそうだ。


「失礼ですが、恋をしましょう」


 初めは意味がわからなかった。そして言葉を理解した時、怒りが噴き出していた。

 そんなくだらないことを言うために孫を連れ回したのかと声を荒げたが、祖父も引かなかった。


「最後の恋をしましょう。いい加減だった僕と、幼いころ決められた許婚に人生を捧げた貴女で」


 真剣な表情で訴えるその瞳は恐らく後悔。それを読み取った祖母は、色々な言葉を飲み込んで、仕方なく了承した。

 いい加減な人に人生を捧げたのだ。最後まで付き合ってあげるのも筋だと。

 それから二人で過ごす時間を作ったりしたそうなのだが、やはり喧嘩は絶えず、あの人はいつだって身勝手な人でしたよ、と祖母は締めくくった。


 私は胸の奥から抑えられない何かが込み上げてきて、目頭を熱くした。

 溢れ出るものをそのままに、祖母の横顔を見つめる。

 ただじっと遠くを見つめるその横顔が柔らかくて、あの日の風景を思い出す。

 懐かしい匂いが鼻をかすり、私は祖母と同じように、赤くもえる空を瞳に焼き付けた。


 恋をしたのか、愛していたのか、そんなものどうでもいい。

 実直で純粋な、愛情深い祖母の横顔から、不幸を感じないのだから。

 三人でいた日々は幸せに彩られている。


 祖父に逢いたい。会って、話がしたい。

 どうしてこの場に祖父がいないのだろう。やはり私たちは二人より三人でないとはじまらないのだ。

 祖父のいた日々がこんなにも愛おしい。

 隣の祖母もそう思っているだろうか。そう思って、あの空を焼き付けているのだろうか。そうだったらいい。

 この気持ちは言葉にあらわすことができないほど、愛で溢れている。


 その年、祖母は寝台の上で息を引き取った。両親が驚くほど穏やかな顔で、私が好きな柔らかい表情で、祖母は祖父のもとへ旅立っていった。

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