7話 神の遣い
『…起きろ、聖女よ』
耳元で、低く唸るような声がした。
すぐあと、頬に“ぷにぷに”とした柔らかな感触が当たる。
「……え?」
ゆっくりと目を開けたアマリエは、思わず息を呑んだ。
仰向けになった彼女の上に、銀色の毛並みをした大きな獅子が覆い被さっていたのだ。
今まさに、猛獣に頭から食われる寸前の危機的状況である。
『おい、大丈夫か?』
「きゃあ!!」
アマリエが叫んだ瞬間、
銀獅子のほうも驚き、背中の毛を逆立てて飛び退いた。
巨体のくせに、妙に俊敏な動きである。
「しゃ、しゃべった!?」
『失礼な娘だな。…それが“神獣様”に対する態度か?』
「し、神獣…様?」
『そうだが?』
銀獅子は胸を張り、誇らしげにたてがみを揺らした。
『ちなみに、お前が地面にぺしゃんこになる前に助けてやったのは――他ならぬ、この我だ。感謝しろ』
「…ぺしゃんこ…?」
アマリエは呆然としたまま、自身の身体を見下ろした。
深い谷底に落ちたというのに、奇跡的に無傷である。
【神獣】とは、世界の創造主である主神が使役している、神界に住む幻獣のことだ。
神獣に関する文献によると「見る者によってその姿が異なる」が、共通して“獣の姿”に見えるらしい。
気高い存在ゆえ、人前に姿を現すことはほどんどない。
――その役目は、人々に神託を告げること。
「…えっと、助けていただき、ありがとうございました」
居住まいを正すと、アマリエは深く頭を下げた。
「…それで、神獣様が私の前に姿をお見せになられたのは、えーと…何故なのでしょうか?」
神獣の失礼にならないように、アマリエは慎重に言葉を選びながら尋ねた。
『うむ。…由々しき事態が起こってしまってな…』
アマリエの問いかけに、銀獅子はほとほと困り果てたように低く唸った。
「由々しき事態?」
『ああ…実に厄介なことになっておる』
「…勿体つけずに、早く仰ってください」
内心じれったくなったアマリエが、ぴしゃりと言い放つと、神獣が青い瞳を丸くさせた。
『貴様……大人しそうな見た目に反して、ずいぶんズケズケとものを言うな…』
「え?」
『いや、なんでもない』
「なら、早く話を進めてください」
『ああ…』
銀獅子はわずかに気後れしながらも頷き、お座りの姿勢で語り始めた。
『まぁ、簡潔に言うとだな――
あの堕神が冥界の牢獄から逃げ出したのだ』
「…ホントに簡潔ですね。それって…“災厄の神”のことですよね?」
『ああ、こちらではそう呼ばれておるようだな』
【堕神】とは、神界から追放された悪しき神のことを指す。
主神の長兄であり、かつて穢れをばら撒いたことで地上界では“災厄の神”と呼ばれている。
かつて地上で起こった神々の戦い――それはざっくり言えば、親神と子神の『壮大な親子喧嘩』だった。
むろん創造主たる主神に敵うはずもなく、敗北した子神は冥界に幽閉された。
――これが、神話で語り継がれる堕神である。
「逃げたって…つまり脱獄ですか?」
『うむ』と、銀獅子は尻尾を一度だけ振った。
『冥界に投獄された彼奴は今は地上界に居るようだ。どうやらまた世をかき乱そうとしておる』
アマリエは思わず息を呑んだ。
『……おそらく、な』
「おそらく?」
銀獅子の締まりのない言葉に、アマリエは肩の力が抜けた。
『ああ、確証はまだない。
彼奴が何を考えているのか、本人以外に分かるはずがなかろう?
――我にも皆目見当がつかん。
ただ…主神様曰く「どうせ“ろくでもない”ことを考えているに決まっている」とのことだ。
――何せ、彼奴が最も毛嫌いしておる【下界人】に脱獄の手助けをさせたらしいからな』
神話で、堕神は大の人間嫌いとして知られている。
神話学者の間では、「主神が神と酷似した姿の人間を作ったことが気に食わなかった」という説が有力だ。
「…それって、あくまで可能性の話なんですよね?」
『ああ、そうだ。単に牢獄での暮らしに嫌気が差して逃げただけ…かもしれん。だがな…主神様は「また悪事を働くに決まっているから、なんとかしろ」と仰ってな…』
銀獅子は深いため息をついた。
その声音には、主人の無茶ぶりに長年付き合わされた苦労が滲んていた。
「…はぁ…そうなんですね…」
アマリエは、どこか同情的な気持ちで、深く相槌を打った。
『それで厄介なのは、彼奴が地上界に姿を現すと、浄化しきれぬ土地の穢れが更に強くなることだ。
――それに加えて、【反転の術】を使った形跡があってだな』
「反転の術?」
聞いたこともない言葉に、アマリエは小首を傾げた。
『“神力を穢力に転じさせる”という、神界でも禁じられている術のことだ』
「えっと…つまり…?」
『【穢力】とは、お前たちが言うところの…“穢れ”のことだ。
――反転の術とは、神力を穢力に変える術。
その力を使えば、神力を糧に穢力をさらに増幅させられるのだ』
銀獅子はアマリエが理解できるよう、かみ砕いて説明する。
『要するに――
聖女のお前に与えている神力が“穢力の源”になりかねん、ということだ』
「…なるほど、ってーーえぇ!?」
ようやく意味が繋がったアマリエは、目を見開いて叫んだ。
『ゆえに主神様は、お前への神力の供給を一時止めると仰っておる』
「止めるって!?それじゃ、浄化の力が使えないってことじゃないですか!!」
『うむ』
銀獅子は、静かに頷いた。
「そんな…!力が使えなくなったら、大陸中に穢れが蔓延してしまいます!」
『その通りだ。
だから“由々しき事態”だと言っておるのだ』
「ど、どうすれば…!」
『彼奴を捕らえ、今度こそ完全に封じるしかあるまい』
「神を捕まえるなんて!無茶振りもいいところですよ
!」
『分かっておる。
ゆえに聖女のお前には、まず“地上界で堕神に加担している者”を探してほしいのだ』
銀獅子は静かながら、真摯な眼差しでそう告げた。
応援よろしくお願いします!!
気に入って頂けたらブックマーク、☆で作品を評価してくださると執筆の励みになります。




