6話 裏切り
「私より、“つらい”って顔をしないでよ」
イレーネは前方を歩く騎士には聞こえないように、アマリエの耳元で小さく毒づいた。
「ごめんなさい。…イレーネお姉様」
アマリエが弱々しく謝ると、イレーネは小さく舌打ちをした。
しばらく歩いていると、アマリエはふと違和感を覚えた。
自分たちが向かっているのは、前線とは別の方向にある村外れの場所だった。
だが、この先にあるのは――広く深い谷底。
ロバルンレット王国の最北端に位置するイオロスの村付近は、かつて神々の戦いがあった場所。
アマリエたちが向かっている方向は、まさにその跡地。
人々から“神々の爪痕”と呼ばれている、陸地が大きく沈み込んだ地帯なのだ。
(そんなところからアンデッドが…?)
歩行可能ではあるが実質、骨しかないアンデッドが、あの深い谷底から自力で這い上がってくるというのは考えにくい。
(……探索)
不安に駆られ、アマリエは心の中で詠唱をした。
――やはり進行方向には魔物の気配は、ない。
疲労で皆についていくだけが精一杯だったため、思考は鈍っていた。
その違和感をはっきり自覚した時には、もう例の谷底は目と鼻の先に迫っていた。
「……あの騎士様、本当にこちらにアンデッドがいるのですか?」
アマリエは意を決して、前を歩く騎士に声をかけた。
騎士がゆっくりと振り返る。
「こちらです」
応えた声には、抑揚がなかった。
アマリエと目が合うこともなく、騎士は虚空の一点を見つめたまま言葉を発している。
その様子は他の騎士たちも――同様であった。
それは、まるで意思を持たぬ“操り人形”の群れのようだった。
アマリエの胸に、得体の知れない恐怖がふつふつと沸き上がる。
「そうよね、ここで合ってるわよね」
その中でただ一人、普段と変わらぬ調子だったイレーネが、ふいに笑い声を漏らした。
「イレーネお姉様?」
不安に駆られてアマリエが振り返ろうとした瞬間、背後から強い衝撃を受けた。
「っ!?」
アマリエは体勢を崩し、地面に手をついた。
手のひらに鋭い痛みが走り、思わず顔をしかめる。
右手に嵌めていた手袋が破けて、そこから血が滲み出ていた。
みるみるうちに布が赤黒く染まり、裂け目から覗いた皮膚には深い傷が刻まれていた。
(部分治癒 )
心の中で詠唱すると、淡い光の粒子が右手を包み込む。
癒しの光は傷口を徐々に塞いでいき、痛みも軽くなった。
だが同時に、ひどい耳鳴りと頭痛が襲った。
それは、魔力の枯渇が迫っているという証――つまり死の前触れを意味する。
「ーー、ーーーーー」
「イレーネお姉様?」
かすかに呼びかけるが、酷い耳鳴りでイレーネの言葉がまるで聞き取れない。
「ふふっ、あははー!!」
イレーネが急に笑いだした。
その笑いは楽しげというより、どこか壊れたような声音だ。
アマリエは困惑したまま、姉を見上げ続けた。
「ーーーーー。ーーーーー、ーーーー。ーーーーーーーー」
イレーネの唇は、再び滑らかに動く。
だが、耳の奥で金属を打ち鳴らすような耳鳴りが響き、姉の言葉は何一つ届いてこない。
――イレーネは笑っている。
しかし、その表情とは裏腹に、アマリエを見下ろす瞳は――氷のように冷たかった。
「アンタは、もう要らないわ」
ようやく耳に入ってきた言葉は、あまりにも残酷だった。
「…え?」
聞き間違いだと思った。
それが、自分に向けられた言葉だと思いたくなかった。
だが、そうではなかった。
「聞こえなかった?……いいわ、もう一回だけ言ってあげる」
呆然としたアマリエの顎を持ち上げ、イレーネは飛び切りの笑顔を作った。
「アンタは、もう要らないのよ」
その無慈悲な言葉に、アマリエの目が大きく見開く。
「後は任せるわ」
イレーネは騎士に短く命じると、アマリエのもとから離れていった。
「はい、聖女様」
騎士の一人が、大剣の切っ先を地面に突き立てる。
その直後―
地鳴りのような轟く音とともに、亀裂がアマリエの足元へと走った。
思わず後ずさった瞬間、足場が消えた。
(…え?)
崩れ落ちる地面とともに、アマリエの身体は宙に投げ出された。
背中から空を裂くように落下しながら、彼女は必死に腕を伸ばした。
「イレーネお姉様ぁぁ!!」
呼ぶ声が、虚空に虚しく響く。
イレーネの高く笑う声が、それに応えるようにこだました。
その場にいた誰一人として、アマリエの手を取る者はいなかった。
その手は虚しく宙だけを掻く。
(どうして…)
これまで我儘な姉に振り回されても
――それでも、懸命に支えてきた。
自分の人生を犠牲にして
――姉のために尽くしてきたのに。
(…こんなの…あんまりじゃない…)
悔しさと絶望に打ちひしがれながら、
アマリエは光の届かない谷底へと沈んでいった。
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