2話 帰還に向けて
――馬の蹄の音が断続的に聞こえる。
舗装された道を走る馬車は揺れが少なく、車内は静かだった。
だが、その静けさは、重く淀んでいる。
『ヴォルグが、すでに王都へ向かっている』
女神官からもたらされた言葉が、脳裏に蘇る。
(どうしてなの……)
憤りと虚しさが胸の奥に絡み合う。
イレーネは何も言わず、外套の裾を握りしめた。
奥歯を噛みしめ、窓の外を睨むように見つめる。
王都に近づくにつれ、街並みは洗練された姿へと変わっていく。
間もなく戻り、ヴォルグとの婚姻の儀の準備に取りかかることになる。
――愛するヴォルグと…ついに夫婦になれる。
――自分は聖女であり、同時に次期王妃となる。
気持ちは高揚し、胸が踊った。
これからより一層、皆の視線が自分に集まる。
(…なのに)
高揚の奥に、暗い影が差し込む。
――ある時を境に、ヴォルグの態度は明らかに変わった。
――イオロスのアンデッド討伐を終え、駐屯地へ戻ってきてからだ。
アマリエを崖へ突き落とした、その直後でもある。
悲劇的な姉を演じ、崩れ倒れた自分をヴォルグは――確かに支えてくれた。
邪魔者が消え、婚約者の愛を実感できた。
その時は、気分が良かった。
ヴォルグの愛。
そして長年煩わされてきた、自分の“真実”を知る者をついに消せた。
胸がすっと晴れ、これ以上ない解放感に包まれた。
アマリエの性格を思えば、これまで築き上げてきたものを自ら壊すような愚行はしない。
――そう、高を括っていた。
だが、暴露の可能性が“まったくない”とは言い切ることもできなかった。
アマリエがいれば、イレーネは自分の立場を守り続けられる。
しかしそれは、生かされているも同然だ。
それは、何よりも耐え難い屈辱だった。
消したかった。
目の前から、徹底的に。
だがそれは、自分の築き上げた地位を失うことと同義だった。
だから、ずっと耐えてきた。
しかし、今はもう。
その必要は、ない。
イレーネは自分を宥めるように、手袋越しに右手の甲をゆっくり撫でた。
(もう私には…“あんた”はいない)
心の中で、呟く。
(でも、大丈夫……)
朱を帯びた唇の端を歪め、静かに微笑む。
(私はもう…力を手に入れたんだから)
沈黙。
向かいの席に座るターニャは、何も言わず、その様子を静かに見つめていた。
馬車はやがて、王都の門をゆっくりとくぐる。
(これから、私が――)
イレーネは、胸の奥で言い切る。
(本当の聖女なのよ)
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