1話 報告
「イレーネ様ですが、体調は至って問題ないです」
部下の報告に、ロバルンレット王国第一王子・ヴォルグ=ロバルンレットは短く頷いた。
「殿下がタルーデへ向かわれたと知った直後、単身で執務室へ乗り込まれ、副隊長殿に強く詰め寄っておられました」
「…そうか」
それ以上、何も聞き返さなかった。
タルーデの街で“反神殿派が起こした一件”がひと段落し、ヴォルグは北の主要都市パルトロに帰還していた。
駐屯地に到着してからは部屋に籠もり、各責任者から提出された報告書に目を通す。
すべてを終え、ようやく落ち着いた頃には、深夜を回っていた。
普段から睡眠時間を削って研究や公務に勤しむヴォルグだが、暗殺者に命を狙われた経緯を知った副隊長から「早急に休むように」と強く諭されている。
それでもなお、部下の報告を最後まで聞き終えようとする姿勢は、彼らしいといえた。
「“追加”で頼んでいた件については?」
ヴォルグの声は相変わらず淡々としていたが、その問いこそ本題だった。
「はい。イレーネ様と妹君の関係について、報告いたします」
部下は一拍も置かず、続ける。
「私見も含みますが、イレーネ様は妹君を快く思っていないご様子。置かれた状況を鑑みても、避けているのではなく、明確に嫌悪している。――にも関わらず、今もなお“良き姉”を演じ続けているように見受けられます」
「…なるほど」
ヴォルグは、わずかに目を細めた。
「それは、君と同じ立場だということかな」
「ええ、その通りです」
アマリエの後任として、イレーネ付きの世話役に命じられた新人神官――ターニャは静かに頷いた。
日頃から空気の読めない言動でイレーネを苛立たせているターニャだが、それは情報を聞き出すための“演技”に過ぎない。
アマリエの転落事故以降、イレーネに疑念を抱いたヴォルグは、その真偽を探るため、意図的に彼女を傍に置いていた。
本来、ターニャはヴォルグが私的に組織した『親衛隊』の一員だ。
戦闘に秀でた者、暗殺者を生業にしていた過去を持つ者――その中で彼女は、諜報を専門とする人材だった。
ターニャの特異性は、並外れた『共感力』にある。
言動や空気の揺らぎから、相手の強い感情を敏感に読み取るその感覚は、もはや『相手の心を読む』という表現に近い。
もちろん、その能力を証明する術はない。
真実か否かを判断できるのは、彼女自身だけだ。
それでも――
彼女の報告は、これまで一度として外れたことはなかった。
だからこそヴォルグは、彼女を遠ざけるのではなく、あえて味方として手元に置いている。
懐柔は難しいが、信頼に足る“使える駒”であることは確かだった。
その視線を察したかのように、ターニャは意味深な笑みを浮かべる。
「諜報員は私に適した役目です。私の存在価値を十二分に発揮できる機会を与えてくださった――ヴォルグ様には、感謝しております」
「…それは、よかったよ」
それは忠誠の言葉のようでいて、同時に自分もまた利用している立場であることを――暗に告げていることを察知し、ヴォルグは思わず苦笑した。
「それで話を戻しますが―」
ヴォルグの反応を意に介した様子もなく、ターニャは淡々と続けた。
「イレーネ様は、決して我慢強い方ではありません。感情が露骨すぎるほど表に出る。非常に…分かりやすいですね」
「…………」
「妹君に対して、善い感情を一切抱いていない。あれは何でしょうか……」
ほんの一瞬、思案する素振りを見せてから、ターニャは結論を告げた。
「――羨望による憎悪。それに近い感情です」
「羨望と……憎悪?」
聞き慣れていない言葉の組み合わせに、ヴォルグは眉をひそめる。
「複数の感情が入り混じっていると、時折読み取りづらくなることがありますが……イレーネ様は妹君に対して、明確な嫉妬心を抱いています」
「嫉妬心……か」
ヴォルグはぴんと来ていない様子で、顎に指を添えた。
「ああ、ご自身の感情にも、他者の感情にも疎いヴォルグ様には、少々難しいかもしれませんね」
そう前置きしてから、ターニャは説明を続ける。
「『相手のことを羨ましく思う感情』は時として憎しみを生みます。尊敬へ転ぶ者もいれば、妬み、恨む方向へ歪む者もいる。その両方が混在した結果、イレーネ様は今、複雑な心境にある」
一拍置いて。
「姉妹であれば、なおさらです。自分が持っていないものを、身近な相手が持っている――それを許せなくなることは、決して珍しくありません。ご兄弟がいらっしゃらないヴォルグ様には、なおのこと理解が難しいでしょう」
「…相変わらず手厳しいな」
歯に衣着せぬ物言いに、ヴォルグは苦笑する。
「事実ですから」
ターニャは平然と返した。
「他の神官からの証言によれば、イレーネ様が妹君を怒鳴りつけていた場面を目撃した者が少なくありません。また、聖女付きの神官として大きく出世した妹君に対し、僻みから嫌がらせを行う者もいたそうですが…――」
ターニャの話を聞きつつ、ヴォルグは思案する。
ターニャの話と、神殿関係者から聞いていた内容。
どちらも虚偽とは思えない――にも関わらず、どこか嚙み合わない。
自分が王子という立場である以上、神殿関係者が意図的に真実を伏せた可能性は否定できない。
だが、決定打にするには、現時点の情報ではまだ弱かった。
「――…イレーネ様が妹君を助けたという話は、聞いておりません。むしろ…」
そこでターニャは言葉を切る。
「……いえ。“確証のない”話は控えましょう」
「そうだね…」
ふと、かつて彼女に向けた言葉が脳裏によぎり、ヴォルグは押し黙った。
――神官には、ならないのか?
その時、アマリエがどこか悲しげな表情をしていた。
理由を深く考えることもなく、ヴォルグはそれ以上は踏み込まなかったが――今なら分かる。
あれは単なる遠慮でも、謙遜でもなかった。
彼女が背負ってきたものの一端だったのだ。
「……私からの報告は以上です」
「うん。報告、ご苦労。…引き続き頼む」
「御意に」
ターニャは一礼すると、きびきびした足取りで扉に向かう。
だが、取っ手に手をかけたところで、おもむろに振り返る。
「殿下、少しお変わりになられたようですね」
「え?」
ターニャから思ってもみなかった言葉を投げかけられて、ヴォルグは面食らった。
「『良い意味で』ですよ」
ターニャは意味深な笑みを浮かべると、静かに部屋を出ていった。
◇◇◇◇ ◇◇◇◇
(…なにか、見落としている気がする)
理由は分からない。
だがイレーネに関して、拭いきれない違和感が心の隅に――わだかまりとなって残り続けている。
確証がない以上、今はヴォルグに伝えるべきではない――そう判断した。
(分かった時に言えばいいことね)
そう思ったところで、ふっと小さく笑みをこぼす。
(それよりも…殿下も、やはり人の子ってことよね)
月明かりに照らされた回廊を進んでいると、ちょうど一人の男とすれ違った。
「…あら。王都から、わざわざ招集されたの?」
わざとらしいほど大きな声に、男は瞬時に足を止めた。
「ああ」
振り向くこともなく、低い、よく通る声で短く答える。
「そう。それはご苦労様」
それだけ告げて、ターニャは再び歩き始める。
男もまた、何言わずにその場を後にした。
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