10話 軋轢と調和
「エマから聞いたのですが、マリエさんは無詠唱で上級治癒魔法が使えるそうですね」
食事を終え、ギルドへ向かう道すがら。
ヴォルグは、歩調を乱すことなく、淡々とそう切り出した。
「ええ。……まぁ」
「しかし、攻撃魔法は一切使えないとも」
「そうです」
言葉を選ぶような間、探るような視線。
「…それなのに、なぜ神官にならなかったのですか?」
アマリエは、思わず開きかけた口を閉ざした。
神官にならなかった、のではない。
神官でいられなくなったのだ。
聖都にある大神殿。
主神を信仰する一神教の総本山。
そこでアマリエは、姉イレーネの“付き人”として仕えていた。
名目上は上級神官。
だがそれは、姉がそう望んだから与えられただけの、肩書きでしかなかった。
そのため周囲の反応は冷ややかだった。
どれほど理不尽な扱いを受けても、
どれほど陰で蔑まれても、
姉は一度も、アマリエを庇わなかった。
姉の立ち位置は、本来なら自分だったはずなのに。
アマリエは何も言えなかった。
本当のことを口にすれば、今まで自分が必死に守ってきたものが、すべてが壊れる。
そしてイレーネはアマリエにはそれを壊せない人間だと知っている。
だからこそ、彼女はどこまでも傲慢な態度を崩さなかった。
ヴォルグの問いに、アマリエは黙るしかなかった。
「――神官も、決して安泰とは言えません」
沈黙を破ったのは、ヴォルグだった。
「しかし…危険性で言えば、冒険者とは比ではない。まして攻撃魔法が使えなければ、なおのこと……誰かの庇護なしでは厳しいでしょう」
「……そうですね」
反論できなかった。
それは彼に言われるまでもなく、アマリエ自身が身を持って知っていることだった。
もし、あの日がなければ。
もし、崖から突き落とされていなければ。
――そんな仮定の話に意味はない。
今の自分はもう神官ではない。
だから冒険者として生きる道を選んだ。
「……確かに、そうですが」
そう続けようとして、アマリエは気づいた。
隣にヴォルグの姿がない。
振り返ると、彼は立ち止まり、眼鏡のブリッチに指を添えたまま俯いていた。
逆光に遮られて、その表情は読み取れない。
(……今)
微かに、胸の奥が“ざわついた”。
「すみません」
気づいたヴォルグはすぐに歩み寄り、アマリエの耳元で囁く。
『マリエさん、申し訳ない…』
さらに声を落とし、続けてこう告げる。
『“あの角”を曲がったら走ってもらえますか』
視線の先には、細い路地裏。
アマリエは無言で、小さく頷いた。
胸に抱いた違和感と、ヴォルグの緊張を孕んだ声
――『なにかあった』とはすぐ察せた。
徐々に、その場所に近づく。
そして曲がり角を越えた瞬間――
ヴォルグは、アマリエの背をトン、と軽く押した。
それが合図だと、アマリエは即座に理解した。
そして迷いなく、路地を一気に駆け出した。
その背を見届けると、ヴォルグは静かに頷く。
そして足を止め、屈みながら地面に手をついた。
(無垢な茨)
詠唱は、音にならない。
次の瞬間、彼はアマリエの後を追って走り出した。
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