第6話 壊れた『私』、生まれた『私』
ディアの回想+5話のディア視点です
私はとあるエルフの里に生まれた。
銀色の髪と赤い瞳を持つ異端のエルフとして。
里のエルフ達は揃って悪魔の生まれ変わりだと私を恐れた。
けれど私の両親と姉だけは違った。
私を私として見てくれた。
それが家の中でも、外であっても。
「ねぇ、お母さん」
「どうしたの?ディア」
「私のこと、本当はどう思っているの?」
「急にどうしたの?そんなの決まっているじゃない。私の大切な娘よ、ディア」
お母さんは私の頭を宥めるように撫でてそう言った。
私はそのことをよく覚えている。
家族の他には言われることのないその言葉に、小さかった私は支えられていた。
けれど世界は何処までも残酷だ。
家族という閉ざされた世界から一歩踏み出せば、そこには私の居場所は一切無かった。
聞こえてくるのは硝子の破片のような、触れるだけで傷つけられる言葉ばかり。
大半は私自身への言葉ばかりだったが、時には家族も対象に含まれていた。
「なんであんな悪魔の子なんか」「早く里を出ていってくれ」「近寄ったら祟られるぞ」
そんな声ばかりが私の耳に入ってくる。
私は8歳のころ、その数々の言葉に耐えられなくなり家に籠るようになった。
それでも両親は私に変わらない態度で接してくれたし、姉も必死に私を元気づけようとしていた。
私にとっては、その時間だけが全てだった。
いつもと変わらない日常、家族の笑顔。
しかし、外の世界が変わってくれる訳では無い。
私が12歳になった頃のことだ。
私にとっての運命の日は突然に訪れた。
「じゃあ私達はお買い物に行ってくるから、お留守番は頼んだわよ」
「うん、お母さん。いってらっしゃい」
「ディア!気を付けてお留守番するんだよ!私たち以外が来ても絶対に鍵を開けたらダメだよ!」
「お姉ちゃんは心配し過ぎだよ。もう子供じゃないんだがら」
「エルフの中じゃあディアはまだまだ子供だよ!それじゃあね!」
「では、いこうか」
その日、家から出られない私以外は買い物に出かけた。
お母さんにいってらっしゃいをして、お姉ちゃんと他愛もない会話をして、見守る父を見送った。
何気ない日常、何気ない幸せ。
壊れることなんて考えたことがなかった。
私が外に出ない限りは少なくとも大丈夫だと、そう信じていた。
だが、世界は理不尽だ。
そんなことはお構い無しと言わんばかりに私から全てを奪う。
それの始まりは一つの大きな音だった。
耳を劈く轟音と少し遅れてきた振動がエルフの里を襲った。
「なんじゃ!何事じゃ!」
「里長!さっきの音は恐らく雷です!御神木に直撃しました!」
どうやらさっきの音の正体はなんの前触れもない雷だったようだ。
その雷は里の中心にある御神木に直撃し、激しく燃えていた。
「お前達、ここから離れろ!それと動けるやつは里のやつに知らせてこい!俺は南から見てくる!」
「なら俺は北だ!」
「「東と西は俺達に任せな!」」
「頼んだ!」
里の中央にいた若いエルフ達がそれぞれの方角へ散って、仲間に知らせに行く。
他の住人はどうしたものかと里長の判断を待っている。
中には恐怖で泣いているものや、蹲って震えている者もいた。
そんな状況でも私はまだ家の中にいた。
きっともうすぐお母さん達が帰ってくる。
それに一人では外に出る勇気もない。
「早く、みんな帰ってきて……」
弱音を思わず口にしてしまう。
もしこのまま帰ってこなかったら、私は一人になってしまう。
そんな未来なんて私は考えたくない。
寂しさを振り払うように首を振り、窓を開けて外の様子を見る。
久しぶりに見た外は私が知っている様子とはまるで違った。
住人があちらこちらへと駆け回り、避難の準備を進めているようだった。
そして嫌でも目に入ってくる御神木は、高い場所の枝葉が激しく燃えていた。
「みんな大丈夫かな……ううん、きっと帰ってくる」
そう呟いて、手を組んで天に祈る。
――神様、どうかみんなと会わせて下さい
そう願った時、起こったのは二度目の轟音だった。
確かに確認したその光は御神木に直撃し、燃え盛る勢いを強めさせた。
それは長く家に篭もっていた私を遂に動かした。
「行かなきゃ……待っているだけじゃダメなんだ」
そう思った私は家を飛び出した。
全てはお父さんに、お母さんに、お姉ちゃんに会うために。
久しぶりの外の世界は、エルフの里らしからぬ喧騒で溢れていた。
あちこちから泣き声や怒号が聞こえてくる。
そんな状況でも私への視線は止まらない。
自然と体が家に向きそうになる弱い心を叱咤して、私は走り出す。
「お父さん!お母さん!お姉ちゃん!何処にいるの!私は――ディアはここだよ!」
今までに出したことの無いくらいに声を張り上げて大切な人を探す。
私のその姿を見て何か言っているようだったが、その声を無理矢理意識の外においやる。
そうでもしなければ今にも折れてしまいそうだったから。
走りながら叫び続けて、私は既に御神木の辺りまで来ていた。
燃えている御神木から降る火の粉が視界にちらつく。
その光景はみんなが見つからない焦りを加速させる。
「早く……見つけないと」
そう思い走り出した時だった。
何処からか私の名前を呼ぶ声が聞こえた。
「どこ!ディアはここだよ!」
「ディア!……ようやく見つけた!」
その声は聞き慣れたお姉ちゃんのものだった。
声が聞こえた方に体を見つけると、そこにはいつものみんながいた。
手を伸ばしながら私の方に走ってくる。
私もその手に応えるように手を伸ばす。
あと10歩、9歩、8歩と探し求めた時が近づく。
また1歩、また1歩と着実にその距離は狭まっていた。
その音が聞こえたのはそんな時だった。
バキバキと何かが折れる音が上からしたのだ。
その正体は燃えていた御神木の枝だった。
たかが枝と言っても、その直径は1メートルを優に超える。
そんなものが約20メートル程の高さから落下したらどうなるだろうか。
答えは数秒後の私の目の前に現れる。
「みんな!来ちゃダメ!」
必死に叫んだその声は、辺りの音に掻き消され届くことは無かった。
その結果は単純だ。
――みんな枝の下敷きになってしまった。
自らの重さと重力によって加速したその枝は、苦しむ猶予すら残さずに三人を血と肉の塊にするには十分過ぎた。
辺りに蔓延する血の臭いと赤一色の光景は、私にとっては地獄そのものだった。
猛烈な吐き気を催した私は、思わずしゃがみこみ嗚咽をもらす。
――私の声が届いていたら
しゃがみこみながらそんなことばかり頭に浮かんでくる。
だが過ぎた時はもう戻ってこない。
あの笑いあった日々も、泣いた日々も、怒られた日も。
その全てがもう手に入らないもので、私だけしか覚えていない記憶。
そう考えたら、意識がぐるりと裏返った気がした。
それにこの感覚に近いものを私は知っている。
心にヒビが入り、私を見失いそうになったあの日。
思い出したら全て納得してしまった。
――私の世界は、もう戻ってこない。壊れてしまったんだ
乾いた声が私から出ているのがはっきりとわかる。
あまりの出来事に体がとうとう耐えられなくなり、ぺたりと地面に座り込む。
私の前には未だに忌々しい枝が音を立てて燃えている。
「どうして……どうしてッ!……私だけ、残さないでよ……」
もう言葉を紡ぐ気力すら私には無かった。
その私に近づいてくるいくつかの影が見えた。
「これは酷い……」
「全くですよ、里長」
残念そうな言葉は、里長とその側近からだった。
枝の下敷きになった三人の残骸を見た里長達が次に見るのは、当然ディアだ。
座り込んでいた私はその時の彼らの顔を見ようとはしなかった。
しかし次の言葉で大体の想像はつく。
「何故悪魔の子だけが生き残ってしまったのだ……」
「せめて生き残ったのがこの三人の誰か、もしくは全員死んでいれば良かったものを」
当然のようにそう言ったのだ。
家族のみならずディアも死ねば良かったと。
寧ろ何故お前だけが生きているのかと、そう問われているようだった。
「悪魔の子。お前がいなければこうなることは無かったのにな」
――私がいなければ、みんな死ななかった……?
もう限界だった。
いきなり目の前で家族を失って、存在を否定されて普通でいられるわけがない。
私の心から硝子玉が割れたような音が聞こえた気がした。
その割れ目に言葉のナイフが突き刺さり、残された部分も抉りとっていかれる感覚。
……気づいたら私は泣いていた。
答えの出ない自問自答を繰り返す。
思考が螺旋のように巡って辿り着く答えは一つ。
――生まれて来なければよかった。
始まりがなければ終わりもない。
そうだ、簡単なことだ。
……でも、私はそれを選ばない。
生まれてきたから触れられたものだってあった。
お父さんの温かさ、お母さんの優しさ、お姉ちゃんの前向きさ。
どれもこれも二度と手に入らない大切な宝物。
「――い、おい!悪魔の子、お前を里から追放する!お前がいたから、こんなことになったんだ!」
「……ぇ」
「聞こえなかったのか?ならもう一度だけ言ってやる。お前はこの里から追放だ」
どうやら私はこの里から追放されるらしい。
だが、特に断る理由もない。
みんなが居なくなった場所に、私の居場所は無いのだから。
それからすぐに、私は家に必要なものを取りに行っていた。
体は酷く重く、家までの道のりが無限にも思えた。
何とかして家まで着いた私は使えるものを探し出す。
見つけられたのは護身用の短剣、雨が降った時に必要な外套……は私のものはなかったので姉のものを借りていくことにした。
そして少量のお金と1枚の家族の写真。
私にとっては家族を確認出来る宝物だ。
里を追放された私は、直ぐに森へ出た。
見知らぬ場所ではあったが、エルフの血が流れる私にとっては恐るに足りない場所だった。
寧ろ里にいた時よりも居心地がいい。
しかし私の心は空っぽのままだった。
何をしても満たされない、何をしても楽しくない。
そんな味気のない生活が2年ほど続いた日だった。
私は森を抜けてダリアという街に辿り着いた。
そこは色んな人種がいて、その全てが私には輝いて見えた。
それから私はダリアの街に住み着いた。
……エルフであることを隠して。
それからはこの街で冒険者になって、日々を生き抜いた。
幸いなことに、採取等の依頼はいつでも需要があるので困ることは無かった。
けれど、私の胸に空いた穴はまるで塞がらない。
やっぱり私は、みんながいないとまともに生きられないみたいだ。
これはきっと寂しいとかそういう感情なのだろう。
そう理解しても絶対にこれは治らない病のようなものだ。
そして私は迷宮にいき、死ぬことを決めた。
今のままでは死にながら生きているアンデットと同じだ。
……死ぬと決めたはずだった。
でも現実は魔物から逃げてばかり。
脚は震えて、息が荒くなる。
私が走って曲がり角を曲がった時だった。
前の何かにぶつかって、その反動で私は床に倒れることになる。
「たてるか」
そのぶつかった何か――男が私に手を伸ばしている。
しかし私は手を取らずに自力で立ち上がる。
その男は珍しい黒髪黒目で、他はなんでもない人だった。
……その筈なのに、私は何故か目を離せなかった。
「……早く消えて。邪魔」
「なぁ、お前はなんでここに居るんだ?」
「……答える必要は無い、でしょ?」
「そうか。なら質問を変えよう。お前はエルフの筈だが何故その特徴が欠損している?」
私はつい驚いたのと、その言葉であいつらの顔を思い出して、短剣の切っ先を男の首元へ突き立てようとした。
このままなら首元に風穴が開く、そう思っていた。
その予想に反してこの男は微動だにしない。
結果、私の剣先は直前で止まった。
「なんで、なんで躱そうとしないッ!」
「なんでって、そんなの殺意が丸っきり足りてないからだ。お前は何がしたいんだ?」
「私は……私は、生きていても意味が無い。……だから、死にたい」
確かに私は死にたいのだ。
それなのに体はまるで言うことを聞いてくれないのだ。
そして、それを聞いた男の反応は私の意表をついた。
「こんな迷宮のど真ん中で死にたい、か。なら何故魔物がいる方から逃げてきた?」
「それは……」
「そんなに魔物に殺されるのが嫌なら、俺が殺してやろうか?苦しませずに殺してやる」
今度は私の首元に男の銀色の剣先が突き立てられた。
この剣先に貫かれれば私は死ねる。
そう思ったら急に膝の力が抜けて崩れ落ちてしまった。
「私は……死んでいるのと同じです、生きている意味なんて無いんです。私の居場所は何処にもない。壊れた……いや、壊された。あいつらが許せない、けれど私には力が無い」
「力が無い。……だから諦めるのか?お前の居場所を壊した奴らを死んで許せるのか?」
「そんなわけ……ないッ!死んだところでこの思いは消えない。それでも私にはどうすることも――」
「ならお前がその力を手にしたらどうしたいんだ?まさか何もしないわけがない訳がないよなぁ?」
私がしたいこと……?
私は本当に死にたいの……?
――違う、そうじゃない。
ずっと逃げていたんだ、避けていたんだ。
なら、私が本当にやりたいことは――
「そんなの……決まってる!私を壊して、裏切ったあいつらを、この手で全て壊したい…!……あぁ、そっか。そうだったんだ……私は、復讐がしたかったんだ」
復讐がしたいと、口に出してしまった。
自覚したら、心の奥深くから黒いものが溢れ出る。
ずっと、私はわかっていたんだ。
「ようやくまともな顔付きになったな。さて、そこで提案だ」
「てい……あん?」
「お前は復讐がしたい。そうだな」
「私は、復讐がしたい。貴方のおかげで見つけられた」
「それは良かった。なら、復讐をさせてやる。俺とくれば力を手にすることも出来るだろう。だが、俺が伸ばした手を取ればその復讐が果たされるまで縛られる。それでも来るか?」
「私にそれを言うのは、卑怯ではないですか。……そもそも戻れる道も明るい未来なんてものも無いんですよ」
「それもそうだったな」
改めてこの男の目を見る。
黒く吸い込まれるような色の奥に、消えない何かが見えた気がした。
そうなんだ、この人も同じなんだ。
「なら契約といこう。だがこれは唯の契約じゃない。俺と契約した邪神を介しての、だ。勿論それ相応のリスクだってある。だが、耐えられるのならお前は力を手にできる。――引き返すならこれが最後だぞ?」
そんなの、答えは決まっている。
元より引き返すつもりなんてないのだから。
「それは安心出来そうな条件ですね。いいですよ。復讐できるなら、悦んで」
「クハハッ!いいな、いいなぁ!なら契約といこうか。手を出せ」
私はその男に手を握られると、契約が始まったのか魔力のようなものが流れ込んでくる。
あまりの量と質に思わず手は力がはいり、震えてしまっていた。
「ンッ……ッ…これが、契約、ですか。変な感じですけど、妙に安心出来る……」
「何処までお前は期待値上回ってくるんだよ。でも、最高だ。それと、互いの記憶を共有しておこう。きっとお前も身に覚えがある話の一つや二つあるだろうよ。――マモン、記憶を繋げ!」
その一声で私に私以外の記憶が流れ込んでくる。
痛みに加えて別の人間の記憶を見せられる感覚は耐えがたかったが、その記憶を見ているとそんなものはどこかへいっていた。
「これは……ご主人様の記憶?フフッ、どうしてこんなにも自分の過去を見ているような気分になるのでしょうか。確かに私と同じです」
「お前も中々いい壊れ方してるな。にしてもお前みたいな本物を偶然とはいえ見つけられて俺は嬉しいよ、本当に」
私はこの機会をくれた男に感謝をするとともに、未来を誓う。
「私は復讐をしたい、今日それがハッキリわかりました。ご主人様がいなければ亡霊のように生きているだけだった。だから、私は貴方と共に復讐を遂げると誓います」
「なら俺も改めてここに誓おう。必ずこいつらに復讐をする。死にたいと願う程に苦しめて、嬲って、体も心もバラバラにしてやる。だから、来てくれるか?ディア」
「当然です。今日この日から私が居るべき場所はマコト様の隣です。――絶対に、逃がしませんからね」
これが新しい『私』の始まり。
沢山のpvありがとうございます!